軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

202 シレーヌの弓 2

(うわ、すごっ……)

嵐の中に飛び込んだシレーヌは風に揺られていた。

ぐるぐると回転する嵐の中で、先ほど地上で自分が撃った矢がバラバラと流れて行き、まるで渡鳥の群れのように『黒い 鏃(やじり) 』を押し上げているのが見える。

そこで吹き荒れるのは触れただけで肌を引き裂くような凶風だった。

だが、シレーヌにはその吹き荒れる風の行き先が全てわかっていた。

どの風がどこをどのように、いつ吹き抜けるのか。

組み合わせの数にしてとても億では足りない複雑な風の 経路(とおりみち) が全て視えている。

だからシレーヌはしばらくの間、穏やかな気持ちで風に抱かれ身を任せていた。

耳元を暴風が通り抜けるのを 心地よい(・・・・) と感じながら。

(あ、ここ……すっごく、気持ちいいかも)

シレーヌは嵐の中を 疾(はし) る矢のうちの一本に、トン、と足の先を乗せた。

そしておもむろに目を閉じ、嵐の中に吹き荒れる風の音にそっと耳を傾けた。

すると瞼の裏に、無数の光る筋のようなものが視えてくる。

それはシレーヌが矢を放つ時にいつも視ている、自分がこれから放つ数千、数万の矢が辿っていくであろう風の 路(みち) だった。

その嵐の中で複雑に絡み合う 路(みち) はシレーヌがひとつ息を吸う度に目まぐるしく姿を変えていくが、シレーヌはその変化を自らが受け容れるべき、とても自然なものとして捉えていた。

だって、風は変わるものだから。

一見、気ままに。誰の束縛もなく。

そこにあるものの形に応じて常にそれがあるべき姿に変化する。

シレーヌは人と同じように風にもちゃんと性格があるのだと考えている。その場その時、風がどのように生まれたかによって、その性質は大きく違うので。

優しい風もいれば、乱暴な 奴(かぜ) もいて。

人間のように気まぐれな、ひねくれた 風(やつ) だっている。

その点、今のこの風は────

嵐の中心にいる『青い石』と、ミスラの教皇アスティラと【魔聖】オーケン、そして、リンネブルグ王女の三人によって生み出されている、この風は。

(うん。すっごく素直な、いい 風(コ) )

目を瞑り、じっと風に耳を傾けていたシレーヌは 相手(かぜ) の性格に納得するとゆっくりと目を開き、自らが手にする弓を軽く握る。

そうして嵐の中を流れてくる十本の矢を受け取り、弓に番えると風に逆らわずに一斉に放つ。

「まず、十」

そこでシレーヌが始めたのはいつも通りの作業だった。

練習する時と同じように呼吸を整え、集中し、ただ目の前のことをこなす。

なぜなら、シレーヌは自分はそれ以外できないと考えているから。

シレーヌは自分には隠された未知の力なんてものはもちろんなく、ただ地道に経験を積み上げて行くしかない凡才だと考えている。

今さっき放たれた『 矢(いし) 』を見ていれば、自分との違いがよくわかる。

あの人は生まれつき体格に恵まれ、強い弓を持ててセンスにも優れている。

だから、ああいうことができるのだと思う。

自分の非力な弓とは、あの人の弓はだいぶ違う。

憧れはするが、とても真似はできない。

だから────

「次。百」

シレーヌは自らが射た矢を足場にして、嵐の中を駆けていく。

吹く風に抗わず、背中を押してもらうようにして。

そうしてシレーヌは嵐に流れる無数の矢を無造作に掴み取ると、それらを弓に番え、自分に視える「道」めがけて送り出していく。

「次──── 千(・) 」

シレーヌが射る矢は嵐の力を借り、加速しながら複雑な風の道を 疾(はし) り抜けた。 道(イメージ) の通り寸分違わず『黒い石』を押し上げている矢の群れに当たると、その背中を押すように次々と連なっていく。

シレーヌが矢を放ち、一本一本の矢の力を丁寧に次に繋げていくと、次第にそれらの矢はひとつの生き物のように 畝(うね) り、嵐の中で加速する。

「次──── 五千(・・) 」

シレーヌはただただ同じことを繰り返す。

自分に与えられた才能とはきっとそれだけだと思っているから。

先ほど見たシャウザの弓とは同じことができないのも、十分にわかっている。

自分にはあんな芸当はとてもできない。

もちろん、一矢の威力も並ぶべくもなく、当然、十矢程度ではお話にならず。

たとえ百本を束ねたとしても絶対に届かない。

千? それでも到底、無理無理。

だったら、一万なら?

それも、よくわからない。

なら────

……ああ、もう。

考えるのがそろそろ、 面倒臭い(・・・・) 。

「次──── いっぱい(・・・・) 」

シレーヌはそこで数を数えることを放棄した。

矢を数えるのは元々、気づいた時には自分の矢を打ち尽くしていたシレーヌに、ミアンヌから「自分が射った矢の数ぐらい把握しておけ」とのアドバイスがあった為にやっていたことだが、この際、もう何本あるわからないけど、とにかくあるだけ全部打ち込もうと思った。

実はここまでの計測もだいぶアバウトだったので、どれだけあるのかは正確には把握していない。

幸い、師匠のミアンヌからもらった『 魔法鞄(マジックバッグ) 』のおかげで矢はしこたまある。

王都中の矢を全部かき集めてきたんじゃないかってぐらい入っていて、それを地上から上に射ち切るのにも苦労したぐらいなので。

そうだ。

矢はもう、十分にここにある。

そう信じよう。

……足りなきゃ足りないで、多分何かやりようはあるはずだし。

そう、開き直った。

だから────

(もう、 ありったけ(・・・・・) )

シレーヌは全てを忘れ、集合して蠢く大量の矢の上を全力で駆け抜けた。

そうして文字通り周囲にある全ての矢を弓に番え、前へ前へと解き放つ。

するとシレーヌの弓から放たれた矢は一本残らず蠢く矢の群れの後端に命中し。

今や一体の巨大な生物のような様相となった矢の群れは、吹き荒ぶ嵐を上回る疾さで『青い石』の周りをぐるぐると駆け巡っていく。

その上を駆けるシレーヌには、外から見て客観的にそれがどれぐらい回転しているのか、どれぐらいの速さなのか、それに乗って風を背に受けて走っている自分がどれぐらいの速さで動いているのかがわからなかった。

周回も、もはや何周目になるかもわからない。

なぜなら嵐の外の景色など、速すぎてもうぐちゃぐちゃで、とっくに何が何だかわからなくなっているからだ。

思考を放棄し、置き去りにし。

果ては自分が何をやっているかすらわからない。

にもかかわらずシレーヌは走るのをやめず、矢を射るのもやめない。

なぜなら、そこにある全ての矢を打ち尽くすまでそれを続けると決めたから。

打ち続け、それが最後にどうなるか だけ(・・) はよく視えているから。

シレーヌには数や理屈のことはよくわからない。

でも、これだけはわかる。

自分がこれから打つ矢が一本たりとも無駄に ならない(・・・・) ことが。

過去に打った矢でさえ無駄になったものなんて一つもない。

それは風の通り道を見れば簡単にわかることだった。

そうして────

「 穿て(・・) 」

やがて、荒れ狂う数億の風の 路(みち) が一点に収束する。

数も速さも細かいことは何ひとつ把握していないにもかかわらず、それが結局、そうなることをシレーヌは知っていた。

シレーヌは結末を 視た(・・) 上で走り、矢の一本一本を丁寧に射っていた。

だから、それら全てがやがて一点に重なり合い、『青い石』を砕くのを見ても少しも意外に思わなかった。

そうしてその結果、吹き荒れる嵐が嘘のように止むことも。

風を読むシレーヌにはその顛末が最初から全て視えていた。

だが────

(あっ……やっば)

にもかかわらず。

シレーヌにはひとつ大きな誤算があった。

というより。

自分が致命的な連絡の 失敗(ミス) を犯していることをシレーヌはそこでようやく、思い出した。

(……ノールさんに、ロロから聞いた『青い石』の 中身(・・) のこと伝えるの、完全に忘れてた)

その時、シレーヌは崩壊する『青い石』の中から人型の輝く何かが現れるのを視た。

そうして、シレーヌは刹那のうちに反省する。

ロロの言葉によれば、あれはかつてこの世界で『神々』を名乗り、人類を支配したモノ。

特殊な器物を除いては決して触れえぬ『超越存在』。

世にある人類と敵対するモノの中で他の魔物とは比べるべくもなく、最大級に警戒すべき存在。

数万年に及び『青い石』に力を吸われ、あの巨大な『忘却の巨人』を稼働させ続けてなお、自らが封じられた『青い石』の中でその力を存分に温存してきたであろう『神々』の一柱が、それを封じていた『青い石』を壊すことにより、おそらくこの場に顕現するであろうこと。

それをロロから聞いて、自分は あの人(ノール) に伝えるつもりでここに来たのではなかったか……?

(やっばぃ────?)

七色に光る鎧を纏ったような姿の、未知の材質の鋭い刃を手にしているそれは早速、自らを『青い石』の外に出した 存在(シレーヌ) を認識した様子だった。

そうして、その神々しく輝く人型の何かがシレーヌを襲う。

だが────

「パリイ」

既に嵐は止んでいた。

それら『神々』の天敵である『黒い剣』を阻む存在も、もうそこに存在はしなかった。

だから、その刃はシレーヌに到達することはなく。

それよりもずっと前に、『黒い剣』を持つ一人の男によって、粉々に砕かれた。

(ノールさん。すみませんが……後のこと、よろしくお願いします)

そうして自らの全ての力を出し切り疲れ果てたシレーヌは、消えた嵐が残した最後の風に乗って、ミスラの船が浮かんでいる方角へと木の葉のように吹き飛ばされていった。