作品タイトル不明
192 メリッサの罷免
最初にメリッサが体験した異変は砂漠に滅多に起こることのない地震だった。
先日のゴーレムの襲撃時とも違う巨大な衝撃に『時忘れの都』の堅牢な建造物がぐらぐらと揺れ動き、途端に各所に大きな混乱が起きた。それからメリッサは混乱を収めるため、館内のあちこちを忙しく駆け回っていたが、事態が一応の落ち着きを見せると自身の目で辺りの様子を窺う為に建物の屋上に出た。
「……あれは……? 黒い、竜?」
すると砂漠の遥か上空を黒い竜のようなものが飛んでいくのが見えた。
メリッサは【厄災の魔竜】のことを知らなかった。
だが、その姿はどういうわけか次第に空に溶け込むように消えていき、不吉な影に胸騒ぎがした。
その黒い竜がまっすぐに向かった方角には商都があるからだ。
「メリッサ館長、こちらでしたか」
「……クロン。まだ、何かありましたか?」
背後から呼ぶ者に振り返ると、クロンがいる。
「は。館長に至急、御目通りしたいという者が」
「どちら様でしょう」
「それが……ノール様からの使いを名乗る子供で」
「子供?」
「はい。どうやら、獣人の姉弟のようですが片方は『リゲル』と名乗っており、ラシード様からの手紙を預かっている、と」
「わかりました。私の部屋に通してください」
「は」
メリッサが自分の部屋に戻るとすぐに、クロンの話にあった少年と少女が通されてきた。
どうやら姿を見る限り、よく似た容姿の二人は双子のようだった。
「メリッサ様、お初にお目にかかります。リゲルと申します。こちらは姉のミィナです。僕たちはノール様より、こちらにしばらくお世話になるようにとのご指示を受け、参りました」
「貴方があのリゲルさんですか。思ったより……幼いのですね」
落ち着いた言葉とは裏腹にメリッサはその目をパチクリとさせた。
今日の早朝、なんの前触れもなく元奴隷たちが長大な輸送 商隊(キャラバン) で大移動してきた際、同時に丁寧にことのあらましを書き記した文書が届いた。
それで初めてメリッサはどのような経緯でその大量の人間が『時忘れの都』にやってきたのかを理解することになったのだが、そこには総責任者として『リゲル』の名前があった。
おそらく彼で間違いはないだろうと思いつつも、あれほどの大きな事務仕事を成し遂げたその人物が目の前の幼い少年だとはすぐに呑み込めなかった。
「……失礼しました。私がこの『時忘れの都』の館長を務めております、メリッサです。貴方たちは商都から来たのですね? 遠いところから、本当にご苦労様でした。あの大量の人員輸送の手配は貴方がしたと聞いていますが、そちらも大変でしたね」
「いえ、僕はラシード様に手解きを受けながらの作業でしたので。大変、勉強させていただきました。それより、唐突にメリッサ様宛に大量の仕事を押し付けることになってしまい、本当に申し訳なく思っています」
「その件に関しては無事に対処できましたので大丈夫です。今、商都ではラシード様とノール様はまだ一緒に?」
「朝に僕たちが別れた後のことはわからないのですが、共にザイード様に謁見しに向かったと伺っております」
「そうですか」
「ラシード様から貴女宛てに「個人的な書状」をお預かりしております。どうぞ、メリッサ様」
年齢に対して驚くほどしっかりとした言動をする少年リゲルは、そこだけは年相応に幼く見える肩から腰にかけた小さな布カバンから金属製の筒を取り出すと、メリッサに手渡した。
「私宛ての手紙、ですか。ここで確認しても?」
「はい。ラシード様からは、メリッサ様のお手に届き次第できるだけ早く読んでもらいたい、とのことでした」
メリッサはリゲルから受け取った筒の中から早速、数枚の紙を取り出した。
紙の上にはメリッサが長年見慣れた筆跡でこう記してあった。
──────────────
親愛なるメリッサへ
この手紙が君に届く頃、商都は少し込み入った状況になっていることだろう。
もちろん、それは僕の意図することであり、半分期待していたところでもある。
でも、メンバーがメンバーだけに事態が僕の予想よりずっと複雑で面倒になることも想像できる。
その事態に備えて、僕はまず君との雇用関係を整理しておこうと思う。
つまり、君は『 解雇(クビ) 』だ。
よかったね。
──────────────
「……『 解雇(クビ) 』?」
手紙の一枚目を読んでまず、メリッサはその内容に小さく首を傾げた。
ラシードからまた何か無理難題のような新たな指示がなされるのかと思ったら、真逆のことが記されていたからだ。
少年たちの目の前で内心動揺を憶えつつ、メリッサは次の紙をめくる。
──────────────
とはいえ、一応、誤解がないように書いておく。
君に何か落ち度があったわけじゃない。
これは完全にこちらの都合だよ。
何せ、今の僕は金なしの無職だからね。
そして、もちろんこれで君は職を失うワケじゃない。
『時忘れの都』の館長としてのノールとの契約は生きたままだ。
だから、望めば君はずっとそこで生きていけるし、君を慕う部下たちもそれを歓迎するだろう。
その場所はとても君に合っている。
従業員たちは一癖も二癖もあるけど面白い奴らばかりだ。
できれば、今後も彼らの力になってあげてほしい。
それと、もう一つ。
僕から君に言っておかねばならないことがある。
というか、本当はこっちが手紙の本題なんだけど。
人質に取られていた君の家族はちゃんと「無事」だ。
──────────────
「……? どういう、ことですか……?」
不意に知らされた困惑するばかりの内容に、メリッサは僅かに震えはじめた指でその紙をめくる。
──────────────
当事者である君も知っての通り、君は最初、僕の命を奪う為の暗殺者として、どこかの金持ちに雇われた。
その関係性は今までずっと続き、その後も君は機会を窺っては僕に刃を突き立てようとしていたわけだけれど。
でも、厳密にはその契約はもう存在しない。
かつては存在したけれど、実際にはとっくに無効になっている。
……だったら、なぜ君の 仲介人(エージェント) から、
「お前の家族は無事だ。まだ生きている」
っていう、まるで暗殺の督促みたいなメッセージが届いたかって?
それは僕が君の 依頼主(クライアント) と直接交渉し、そうさせたからだ。
そしてメッセージにあった通り、君の家族は無事に過ごしている。
彼らは今、どこかの辺境の集落で名前を変え、特に生命を脅かされることもなく平和に暮らしているはずだ。
多少、慎ましやかな生活ではあるけれどね。
そこは我慢してもらっている。
つまり囚われていた君の家族、ついでに親族一同は全て救助済みだ。
よって、心優しい君が誰かに脅される要因はもうどこにも存在しない。
彼らの居場所はこの手紙の裏に記しておく。
君ならきっと、簡単に見つけ出せることだろう。
──────────────
「……なんで……?」
内容に力が抜けかけたメリッサが慌てて手紙の裏面を見ると、隅に何かの記号のようなものがある。
それはこれまで、何度となくラシードとの仕事上のやりとりで使ったことのある暗号であり、メリッサなら簡単に意味がわかりそうだった。
だが、それを読み込んでいくと手紙の裏に記された情報はそれとは別に、もう一種類の情報があることにメリッサは気がついた。
──────────────
それと、ここまで君を騙していたお詫びとして、僕が子供の頃に稼いだお金の隠し場所も書いておく。
君には本当に世話になったからね。
まあ、ちょっとした退職金のようなものさ。
今後の何かの足しにしてほしい。
────ああ、それと。
君に言っておかなければいけないことが、まだあった。
救出劇の際、シャウザがとてもいい仕事をしてくれたことにも、忘れず言及しなきゃいけない。
彼も、この件には影で色々と協力してくれていたんだよ。
君に知られずに振る舞うのは骨が折れたみたいだけど。
彼も彼なりに、君に嘘をつく努力をしてくれていた。
あいつは本当にイイヤツだよ。
ちょっと不器用にも程があるけれど。
いつか、どこかで彼に出会うことがあったら、彼にもねぎらいの言葉をかけてあげてほしい。
──────────────
メリッサが知らなかったことばかりを淡々と告げるラシードからの手紙は、いつも通りの軽い文面だった。
……でも。
「これでは、まるで」
メリッサはその軽い文面から多くの不穏さを感じ取った。
まるで、これで何もかも終わりになるような。
それだけでなく今後、互いに二度と顔を合わせることもないような。
明るく別れを告げようとしている文面だった。
それは、メリッサの目からはまるで────
遺書(・・) 、のように思えた。
──────────────
なんだか、君に伝えるべきことが溜まってしまって、
いつになく長々と書いてしまった。
まあ、まとめるとそんなところだ。
僕が言いたいのは要するに、
これで君は本当に自由の身だってこと。
これまで色々あったと思うけど、
これからは誰にも束縛されず、君の人生を歩むといい。
僕にこんなことを言われるのは意外かもしれないね。
でも、僕は個人的に君を本当の友人のように思っていた。
もちろん、シャウザのことも。
僕は僕でこっちでやるべきことをやっている。
最後の最後で賽の目次第って雰囲気も否めないけど、ここまでくればきっと僕の念願は叶うだろう。
それが、今後の君にとって良い結果に繋がることを願っている。
というわけで、さよなら。
元気でね。
君の友人 ラシードより
──────────────
その手紙は、最初から最後まであまりにも一方的だった。
いつも通り、ラシードからメリッサに伝えたいことを記しているだけ。
読み終えると、手紙を運んできた姉弟にまずお礼を口にし、別室で休んでもらうように言った。
そして、二人がいなくなるとメリッサはクロンにこう短く告げた。
「クロン。ザザとリーアを呼んでください」
「は」
そうして間も無くクロンに連れられてやってきた、自分が信頼する二人の部下たちの前で、静かに己の意志を口にした。
「ザザ、リーア。本日を以って、私は『時忘れの都』を離れたいと思います。申し訳ありませんが、後のことは貴方たちにお任せします」
呼ばれた二人は思わず面食らい、互いに目を見合わせたが、メリッサの言葉に誰よりも慌てふためいたのはクロンだった。
「かっ、館長!? な、何故、急にそのようなことを!? ラシード様からの手紙に何が書いてあったというのですか……? こ、この『時忘れの都』が混乱を極める今、メリッサ館長なしでは……!」
ラシードからの手紙という単語に反応した二人は、混乱してメリッサに詰め寄ろうとするクロンの肩にすっと手を置くと、二人で同時に冷ややかな視線を向けた。
「────クロンさん。貴方、ちょっとお黙りなさい」
「────ああ、もう。ここまで空気が読めないのは最早、芸術的としか」
「…………は?」
背後にいる同僚たちからいきなり辛辣な言葉で刺されたクロンは困惑顔で振り返った。
二人はそんなクロンに構うでもなく、ゆっくりと前に進み出るとメリッサに恭しくお辞儀をした。
「もちろん、この度のご指名、喜んで御受け致します。ね、リーア?」
「はい。メリッサ館長が ご不在(・・・) の間、及ばずながら、私たち二人で 臨時(・・) の 館長代理(・・・・) を務めさせていただきます」
「……? ザザ、リーア。違うのです。私はもう……」
「存じております。今はとても、お急ぎなのでしょう? ゆえに、私共も敢えて何も問いません。これまでと変わらず、館長が無事にお戻りになるのをお待ちしておりますので」
「……しかしながら。もし館長がお戻りになった時、そのお気持ちにお変わりがなければ、 引き継ぎ(・・・・) のお話はぜひ、その際に」
メリッサは部下たちにそれとなく、話の意図をずらされた。
だが、急に職を離れようとした後ろめたさもあり押し切られたまま、二人に対して頷いた。
「……わかりました。急に勝手なことを言い出してすみません。後は頼みましたよ、ザザ、リーア」
「はい、お任せを」
「しっ、しかし、メリッサ館長! どうにも解せません! 貴女がなぜ、このような時に『時忘れの都』を離れなければならないのですか!? せめて我々にもしっかり理解できるよう、従業員全員を集めて理由のご説明を────!」
「……クロンさん。いいから、ちょっと黙っていただけますか?」
「……最低ですね、クロンさん。そんなことをわざわざ、館長ご自身の口から、しかも、衆目の面前で言わせようだなんて……この変態」
「はぁ!? 何故、そうなるッ……!? ……か、館長ッ!? ど、どちらに行かれるのですかッ!? せめて、行き先だけでも────! な、何をする貴様ら!? は、離せッ!」
まだ不満のありそうなクロンを羽交い締めにする二人を尻目に、メリッサは『時忘れの都』の管理者用に用意されている人造ゴーレムの部屋へと走り、高速移動用の地竜型人造ゴーレムに飛び乗った。
そうして、すぐさまラシードからの手紙に記されていた 地図(暗号) とは真逆の方向、すなわち、その胸騒ぎを覚えさせるような文章を書いて寄越した人物のもとへと急いだ。