作品タイトル不明
14. 最後の『タイム』
カルマン商会の未来を変えるビッグプロジェクトもいよいよ大詰めを迎えた。
数日後に国会で審議される予定になっている。
恐らく問題なく認可が下りるだろう。そのための根回しは万全だ。
その日、僕がいつも通りカルマン百貨店で接客していると、一人の買い物客が来店した。
ナイジェル・レヴィだ。
大きな薔薇の花束を抱えている。
僕と目が合うと不愉快そうに睨みつけられた。
なんで睨むんだ?
僕に一体なんの恨みが?
ナイジェルは百貨店の宝飾品売り場で、一番大きなダイヤの指輪を買った。
あまりに高価でなかなか売れなくて、事実上『展示品』のような扱いの見事な指輪だった。
あんな高い指輪を買ってどうするんだろう。
ガールフレンドに贈るには少々高すぎるような。
ましてやあいつの女性の噂なんて聞いたことがない。
指輪を手にした時、頬を赤くして嬉しそうにしていた。
あいつのあんな柔らかい顔初めてみたよ。
いつも陰気なやつだと思ってたから。
女だな。これ絶対女が出来ただろう。
しかもナイジェルのやつ相当惚れてるな。
へー。良かったな。おめでとう。
ナイジェルに気がついた番頭が、足早に近づいた。
「レヴィ様、先日はどうもありがとうございました」
ナイジェルは軽く微笑んで会釈する。
ナイジェルが去ってから番頭に尋ねる。
「先日はありがとうってなんのことだ?」
「先日レヴィ様が当店で大量の苗を注文して下さったんです」
「苗?」
「きゅうりの苗です」
帳簿を確認したら大量の苗で驚いた。
農業でも始めるつもりなのか? あいつの家、財務長官だよな?
「ロバート」
そこにディアンドラがやってきた。
心なしか、顔色が悪い…?
「タイムかい?」
そう尋ねると、はにかみながらこくりと頷いた。可愛い。
店の裏手の人気のない路地に移動する。
ディアンドラはぎゅうとしがみついて僕の胸に顔を埋めた。
「どうしたの? 何かあったのかい」
ディアンドラは首を振るだけで答えなかった。
可愛いな。
あんなに大人っぽい外見なのに、こんなに甘えん坊とか。
僕だけしか知らない彼女の一面。
うーん。可愛いぃぃ!
よしよし。いい子。いい子。
僕は彼女の髪を優しく撫でる。
「もうじき君にすごいプレゼントがあるんだ。楽しみに待ってて」
その時を考えただけで僕自身が楽しみでならない。
君絶対泣くよ。
驚かせたいから、内容はまだ秘密。
ひとしきりそうしていたが、やがて、
「ディアンドラ、もうそろそろ店に戻らないと」
そう言って彼女から身体を離そうとした。
いつもならそこでにっこり笑って「またね」となるのだが、この日は違った。
ディアンドラは再び僕にしがみついてきた。
「もう少し……もう少しだけ。お願い」
珍しいな。どうしたのだろう。
甘えられるのは嬉しいけど、何かが変だ。
彼女はしばらく強い力で僕のシャツを握っていた。
やがて彼女は身体を離し、大きく深呼吸すると背筋を伸ばして顎を引いた。
「ありがとうロバート」
そう言って僕を振り向いた彼女の表情を見て僕は息を呑んだ。
冷たい仮面のような…感情を押し殺した顔。
初めて会った時の人を寄せ付けないようなあの顔。
彼女は振り向くことなく、帰って行った。
その後ろ姿がなぜか気になった。
何かが引っかかる。
どうしたディアンドラ? 何があった?
仕事が終わったら彼女の家に寄ってみようか。
そんなことを考えながら百貨店に戻るとーー
何やらチョコレートを販売しているエリアが騒がしい。
何かトラブルだろうか。
「お客様、申し訳ありませんが試食はプレーンタイプのみとなっております」
「そう固いこと言うな。この美味しそうなやつを一粒ずつ全種類試すくらい良かろう?」
食い意地の張った客が試食をさせろとゴネているらしい。
やれやれ。僕は営業用のスマイルでやんわりその客に試食をお断りさせていただいた。
「お客様、そちらのタイプは試食は出来ませんが、お好みを伺ってお薦めを見繕うお手伝いをさせていただけますでし…」
「おお!ロバート! お前を待っておったんじゃ」
チョコをもぐもぐ頬張っていたのはアーデン教授だった。
結局、アーデン教授は従業員控室でコーヒーまで淹れてもらい、チョコレートをガツガツ食べた。
「なんか用ですか。もう手伝いはしませんよ。死にかけたんだから」
あの崖転落事故はほとんどトラウマになっている。
「わかっておるわい。実は少々気になることがあっての」
「?」
もぐもぐもぐ。ごくごくごく。髭にチョコレートついてるぞジジィ。
くだらない話だったらチョコレートの代金請求してやろう。
「先日、ディアンドラ嬢とお父上がわしの研究室に訪ねて来たんじゃ」
「えっ!」
「相変わらずいい女じゃった。あの腰つきがたまらんわい。ワシが50年若かったら……」
「ジジィ! 早く本題に入れ!」
アーデン教授からもたらされた情報は僕を驚かせるに十分なものだった。
ヴェリーニ領が今季、全ての作物をきゅうりに変え、それが枯れてしまい、破産状態になっているだとーー?
そうか。ディアンドラの様子がおかしかったのはそのせいか。
今晩家に寄って安心させてあげなくては。
でもなんできゅうりに変えた?
しかも全部。
試しに少しだけ植えれば良かったのに。
「それで、ずっと忘れておったんじゃが、ふと思い出したんじゃ」
アーデン教授が珍しく真顔になった。
「だいぶ前に財務長官の息子がやってきての。こう聞いたんじゃ。『海風に弱い植物にはどのようなものがあるか』とな」
………………は?
僕は急いで番頭を呼んだ。
「おい、さっきのきゅうりの苗だけど、配達は? うちが請け負ったのか? どこに配達した?」
「今、帳簿を確認して参ります」番頭は急いで帳簿を探しに行き、間も無く戻ってきた。
「きゅうりの苗、すべてヴェリーニ領に配達しました」
先程、指輪を買っていたナイジェルを思い出す。
胸騒ぎがする。
「ちょっとディアンドラの家に行って来る!」
僕は店員にそう伝えると急いで店の外に出た。
店の脇の路地のところに、薔薇の花束がくちゃくちゃになって落ちていたーー。
◇◇◇◇◇◇◇
ナイジェルと結婚しようーー。
私はそう決意した。
好きになれる気はしないけど、貴族の結婚なんてそんなものだ。
それで領民が救えるなら十分だ。
そうと決まれば、寒くなる前にさっさと災害救済措置の申請書を出さなければ。
私は父に、国の補償が受けられるから領地に戻って被害状況をまとめるよう伝えた。
交換条件として求婚されたことはまだ言わないでおく。
父はホッとした様子で、みるみる元気を取り戻した。
そしてばあやとじいやを連れて領地に一旦戻った。
ロバートに会いたい……。
タウンハウスに一人になった私はふとそう思った。
ナイジェルと婚約した後は、他の男性と親しくすることは出来なくなる。
最後にもう一度『タイム』をしてもらおうと、私はカルマン百貨店を訪れた。
ロバートはいつも通り優しかった。
店の裏口から人のいない路地に出て、抱きしめてもらう。
最後だと思うとどうしても涙が出てしまって、見られないように彼の胸に顔を埋める。
私はもうじきナイジェルのものになる。
そしてロバートの優しい腕も手も、もうじき他の誰かのものになる。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
「もう少しだけ……もう少しだけ。お願い」
ロバートは仕事に戻らなくてはいけないのに、離れ難くて我儘を言ってしがみついた。
これで最後だから。
一生に一度の本気の恋。
この瞬間の想いを私は一生忘れない。
こう言う気持ちを知ることができた自分は幸運だったと思う。
こんなにも甘く切ない、心が揺さぶられるような気持ちがこの世にあることを初めて知った。
ずっと貴族の不倫や浮気を軽蔑していたが、今ならその気持ちを少しは理解出来る。
行動は自制出来ても、人を好きになる心は止められない。
この恋心は私にとってどんな物にも代え難い、キラキラした宝物だ。
この宝物を大事に胸にしまって、強く生きていこう。
私はそう決意し、ロバートの腕から離れた。
ロバートはそのまま裏口から店内へ。
私は路地から大通りへ出た。
大通りへ出るところで大きくて立派な薔薇の花束が打ち捨てられているのに気付く。
ーーその花束の持ち主が、裏路地で抱き合っている私たちを偶然見てしまったことなど知る由もなく。
家に戻るとナイジェルがやってきた。
きちんとプロポーズの返事をしようと決める。
部屋に通し、お茶を淹れる。
前回は喜んで飲んでいたのに、今日は手をつけない。
どことなく様子が変だ。
「あ、あの。この前の結婚のお話だけど。本当にいいの?」
ナイジェルに確認する。
「何が」
「ただの愛人なら飽きたら捨てればいいけど、結婚はそうはいかないのよ」
なぜこの人が私と結婚する必要があるのかわからない。
ナイジェルは無表情で、何を考えているのか読めない。
「お前を愛人にはしない」
「でも」
無表情だったナイジェルの瞳に残虐な光が灯った。
「だって別れたらお前はまたカルマンの所に行くんだろ?」
ナイジェルは口元だけでニヤリと笑う。
だけど目は明らかに怒りの炎で燃えていた。
「え?」
「結婚して一生俺に縛り付けてやる。もうカルマンには二度と会わせないからそのつもりでいろ」
なぜここでロバートの名前が出てくるのか。
「な、何を言ってるの? 私とロバートは恋人同士ではないわ」
「嘘をつくな!」
ナイジェルがテーブルからティーカップを叩き落とした。
カップが激しい音を立てて飛び散る。
ナイジェルは乱暴に私を長椅子に押し倒す。
そして空な目をしてこう言った。
「もう…お前に優しくするのはやめた」
手首を掴んで、覆い被さってくる。
嫌だ……。怖い!
「結婚してからも俺に隠れてあいつとの関係を続けるつもりなんだろ」
首筋に唇を押し付けられた。熱い吐息が耳元にかかる。
「お願い、やめて!」
「お前がどんなに俺のことを嫌いでも、俺のモノになるしかないんだ、生憎だな」
抵抗したいけど、身動きが取れない。
「い、やっ! 離して!」
「ちきしょう…結婚したら屋敷に閉じ込めてやる……俺以外に頼る者がいなくなれば…」
嫌……! 助けて! 誰か…。
……助けて……ロバート!
「その手を離せナイジェル!」
私に覆い被さっていたナイジェルの身体がふっと浮き、どこかに吹っ飛んだ。
「ディアンドラ、大丈夫か!?」
ーーロバートだった。
「正義の味方気取りかよ」
ナイジェルはロバートを憎々しげに睨み、掴みかかった。
そしてロバートに殴られ、投げ飛ばされた。
ナイジェルは細身なので、大柄なロバートには体格で負けている。
それでもしつこく何度もロバートに殴りかかった。
何度も。何度も。泣きながら。
殴られても、殴られてもナイジェルはロバートに向かっていく。
やがて起き上がれなくなり、口の端から血を流し床に転がった。
「ヴェリーニ領にきゅうりを植えるように仕向けたのはコイツだ」
ロバートが私の肩を守るように抱き、言った。
「え?」
「君の父上を騙し、枯れるとわかっていながらきゅうりを植えさせたんだ」
「なぜそんなことを……」
すると、床に横たわっていたナイジェルがくっくっと笑った
「本当に俺の気持ちなんて、全然気づいていなかったんだな」
何を言っているのかわからない。
「俺は……お前のことが……好きだったんだよーー」