軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『誰か』に君は入らない

竜帝が、瓦礫になってしまった後宮をぼんやり眺めている。

その横顔は、不気味なほどよく似てた。実の親子なのだから当然だ。いつの時代、どこにでも転がっていそうな皇妃の不貞という後宮の物語だった。すべてを壊していった、ひとではないものでできたとしか思えない、あの美しい男。ありとあらゆる人間を跪かせるために造られたような、美しさ。

でもそっくりなのに、同じだとも思えなかった。あの男の美しさは毒だったけれど、竜帝の美しさは苦しい。哀しい。

竜帝はいつだってさみしそうだ。そういう記述を残したのは、竜妃だったか、皇妃だったか――

「逃がせば死ぬって、わかってたよね?」

尋ねられ、カサンドラは我に返った。なんの感情もない、ただ美しいだけの金の瞳がこちらを見ている。ごまかしはきかない。しようとも思わない。

「――はい。承知のうえでした」

「そう。それでも、出ていったんだ」

主語が食い違っていることに気づいたが、訂正は必要ない。竜帝にとって、カサンドラの言葉になど価値はない。こちらを見る目も、まるでものを見るようだった。

哀しく思うのは、この青年がそれだけではないと、知ってしまったからだ。叱ったら顔をしかめ、小言を嫌がるような、そういう、普通の青年だったのに、竜帝になってしまう。

「残念だ。君を処分しなくちゃいけない」

「私だけにしてもらえますか。他の者は、まだ竜妃殿下が療養に入られたことも知らないのです」

「……まあ、それくらいならいいよ。今まで君にはお世話になったしね」

「ありがとうございます」

「恨み言はないの。聞くよ」

頭をさげたカサンドラに、素っ気なくハディスが告げる。

風が強い夜だ。髪もドレスの裾も、うるさいほどはためいている。頭上で、雲が時の流れより速く流れていく。

「ございません。もともとメルオニス様と一緒になくなるはずの命でした」

だから本当に、命が惜しいわけではないのだけれど、ただ、目の前の青年が平気で手を汚すのが悲しい。きっと汚れていい手ではないのに。

だが、けじめは必要だ。見せしめが、必要だ。

青年は前に進むために、少女はもう後戻りしないために。

「竜帝に死を賜ったとなれば、メルオニス様もお許しくださるかもしれませんわ」

自ら両膝をついた。きっと彼は、慈悲深く、首を斬り落としてくれるだろう。

今思えば、しあわせな人生だった。自分なりの、愛も理も貫けた。もし間違っていたとしても、竜帝なら今までの間違いをすべて裁いてくれる。

「――おにいさま!」

踏み出した竜帝の足が止まる。走ってきたのは、末の皇妹だった。少し汚れたぬいぐるみを抱いて、駆けてくる。

「だめです、おにいさま」

その言葉にカサンドラは身をこわばらせた。いけない、竜帝の瞳が冷えていく。

「フリーダ。この女は僕に刃向かうよ、いずれ」

「わかっています。でも、おにいさまがやってはいけません」

竜帝の瞳がほんの少し、和らぐ。そこに妹がいたことを思い出したように。

「ジルおねえさ――いえ、もと竜妃が、北のほうに逃げるのを見ました」

まっすぐ竜帝の目を見て皇女がそう言うのを、カサンドラは半ば呆然とみていた。竜妃が逃げたのは、南のほうだ。見送ったのは自分だから、間違いない。

「おにいさまは、そっちを追うよう指示を出してください。ここは私が、引き受けます」

「君が……?」

フリーダが、首からさげていた小さなネックレスを取り出した。それが何か、カサンドラは知っていた。自決用のための毒だ。

「……いいよ。君が、やらなくても、僕がやる。本人だってそれを望んでる」

「いいえ、駄目です。カサンドラ様はフェアラート公の姉で、人望があります。もと竜妃にも、味方がいるでしょう。今、おふたりにおにいさまが手をくだしたとわかれば、いらぬ反感と不安を買ってしまいます。おにいさまの敵が増えてしまう」

うろたえたように、竜帝がまばたく。

「でも、君が、そんな……」

「それに、これは後宮の不始末です。そして、竜妃も皇妃もおらず、エリンツィアおねえさまもナターリエおねえさまもいない今、責任者は私です」

まるい硝子玉に似た、魔術をかけられた小瓶。持たせたのは、フィーネか。さすが、レールザッツの女狐は、やることにそつがない。

困惑する兄を置いて、フリーダが目の前にやってきた。唇をまだ無理に引き締めているとわかるのが、子どもらしかった。握り込んだ毒を、こちらへ差し出す。

「苦しみません」

もっと笑わなければ。平然としなければ。胸を張って、堂々と。

でないと竜帝をだましきれない。目でそう語りかけると、小さな唇が動いた――ごめんなさい。

自分たちのために、あなたを犠牲にして。

カサンドラはかすかに笑う。当たり前のことだ。自分だってそうしてきた。母親に殴られ後宮の隅にうずくまり泣いている子どもから、目をそらした。わずか四歳の子どもがたったひとり辺境にやられたと知り、自分の子どもが助かったと安堵した。メルオニスを、子どもを、誰かを守るためだと言って、いったいどれだけの手を汚しただろう。

本当は誰も、竜帝を責めることなどできない。できるから、やってしまうだけだ。諦められないから、手を伸ばしてしまうだけだ。

「ありがとうございます、フリーダ様。ご立派になられましたね」

涙のようなそれを、手のひらを差し出して受け取る。

ふと思った――この小さな皇女がこれをあおるようなことがなくて、よかった。自分が飲むことになって、よかった。

「ラーヴェ帝国に、栄光あれ」

迷わずに、あおった。

もし私の理と愛が神に許されるものであれば、どうか、あのひとのもとにいけますように。

そして、先へと進む子どもたちが、しあわせになりますように。

■ ■ ■

神降暦一三一二年、夏。方舟教団アルカ討伐のもとベイルブルグから始まった戦いは、わずか三ヶ月で終息し、クレイトス王国とラーヴェ帝国の間で、三百年ぶりの和平条約が結ばれることになった。

特にこの戦いの原因となった方舟教団アルカについては、共同声明が出され、本格的な排除が確定し、方舟協定も三百年ぶりに更新されることになった。

しかし、何より両国をわかせたのは、クレイトス女王フェイリスとラーヴェ皇帝ハディスの突然の婚約である。

新しい時代の到来か、それとも三百年前の再来か。

期待と不安をないまぜにしながら、一部の民は首をかしげていた。

療養に入った竜妃はどうしているのだろう。アルカに味方としたというクレイトス王太子の行方はどうなったのだろう。

そんな中、新聞の小さな枠に、先帝メルオニスを支えた第一皇妃カサンドラの逝去が報じられた。心臓発作という突然の訃報を嘆く者は多く、竜帝即位前の波乱の時代を支えた人物を悼み、帝都ラーエルムの街に用意された献花台にはたくさんの花と花冠がそなえられたという。