軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

33

中途半端に重ならない互いの手をそのままにして、ジルはさらに尋ねる。

「さっきの話から察するに、女神に助けてもらうんですよね」

「――そうなるよ。そのための政略結婚だし……君は嫌だろうけど」

「それはいいんです、いやよくないけどいいです。そうじゃなくて……ひょっとしなくても、女神の魔力を増強するんですよね」

なんのために、なんのために――おそろしく速く思考が回り出す。

女王は知っている。そしてロレンスは聞いている。神格を堕として消えてしまった竜神ラーヴェを、かつて、どうやって戻したのか。

「ひょっとして、ロレンスは……時間を戻すとか、そういう話をしませんでしたか」

「……そうだって言ったら?」

「駄目に決まってます!」

椅子を蹴って立ったはずみで、左手がハディスの手から逃れた。金色の指輪が、軌跡みたいに光る。

「ちゃんと説明してください。どんな手段でラーヴェ様を助けるつもりなのか」

「具体的には、これからだよ。まだわからないことも多いし」

「そんなわけないでしょう、ラーヴェ様が消えるかどうかの瀬戸際なんですよ! 具体的な策もなしに、陛下が女神の案に乗るわけがない!」

ロレンスはハディスを説得できるだけの、具体的な策を提示したはずだ。それはいったい、どんな。時間を戻すとしたら、どこまで。そもそも、どうやって。

「……時間を戻すって、簡単なことじゃないはずですよ。たとえ女神であっても」

神様は万能ではない。

一度、時間を六年前に巻き戻した女神が、人間のジルと戦える程度に弱ったように。

この時間を肯定したラーヴェが、消えかけているように。

ハディスが低く、笑った。下からのぞきこむように、金の瞳がふたつ、光る。

「やっぱり君は、てごわいなあ。だめかあ」

上手に逃げてしまった獲物を眺めるような目だった。顎を引き、ジルは両足を踏ん張る。

「……誤魔化さないでください。これから何をするんですか、陛下」

「アルカから魔力をもらう」

真っ先に脳裏をよぎったのは、紫色の外套を羽織って雪の中にいた少女の姿だった。仲間を取り戻すのだと、何度も何度も国境を振り返っていた。

「……他人の魔力を自分のものにする魔術を使うんですか」

「そう。ラーヴェ国内のアルカ信者も使う。クレイトス出身ほどの魔力はなくても、たしにはなるはずだ。幹部はまだまだ隠れてるだろうし……っていうか君と僕が逃がしたしね?」

でも今度は逃がさない、と今から虫を捕まえにいく子どもの顔でハディスは言う。ジルは拳を握った。

「……それは、ラーヴェ様のために人間を生け贄にするってことですよ」

「だめなの?」

「いいわけがないでしょう! 少なくとも、ラーヴェ様が許すわけがありません!」

「なんでジルにそんなこと、わかるの」

感情が消え失せた温度のない声に、ジルは口を閉ざした。

「ラーヴェでもないのに。僕にももう、なんにも、聞こえないのに――教えてよジル。どうやったらラーヴェは、許さないって僕に教えてくれるの?」

ねえ、と迫る瞳が、笑っているのに、泣いているみたいだった。見ていられないというのは卑怯だろう。でもこみ上げてくるものを隠せなくて、ジルは目をそらす。

「教えてよ、ジル。どうしたらラーヴェは、僕のところに戻ってきてくれるの」

「それ、は――」

「失礼する」

がしゃがしゃと突然騒がしい音がして、兵たちが入ってきた。身構えたジルを見据えてまっすぐ歩いてくるのは、ヴィッセルだ。

ハディスがうろんげにヴィッセルを見る。

「……ずいぶん用意がいいね、ヴィッセル兄上。まだ話してる最中だよ」

「竜妃の騎士どもが見当たらなくてね。竜妃殿下にお話をうかがいたい」

「……話をする空気ではなさそうですが」

ヴィッセルが率いてきた兵たちだけではない。建物の陰にも潜んでいる気配がある。完全に囲まれていた。どうして気づかなかったのかと舌打ちしたあとで、気づく。さっきから自分は勘が良すぎる――ハディスの結界だ。

ふたりきりで誰にも邪魔をされず、話せるように。それも嘘ではなかったのだろうけれど、取り囲む兵たちをジルから隠すためでもあったのだ。

「お話を願っているんですがね、こちらは」

「……ヴィッセル殿下、わたしはあなたと話してません。陛下と話してるんです」

「ハディスに、ラーヴェ様を諦めろと?」

返答に詰まったあとで、恐怖を殺すように拳を握り直した。

「……そうは言っていない」

「ではお答え願います、竜妃殿下。ラーヴェ様を助ける気があるのか、否か」

「その前に、お前は、これから陛下が何をするのかわかってクレイトスに賛同したのか!」

「クレイトスとアルカ退治でしょう? 何か問題が?」

「もし魔力がたらなかったら?」

ヴィッセルは肩をすくめた。

「そのときはそのとき考えるしかありませんね」

「そんないい加減な……っ」

「ではどうしろというんです、竜妃殿下。あなたのお綺麗事を待っている時間はないんです。ラーヴェ様はもう長くはもたない」

息を呑んで、ハディスを見る。ハディスはもう、ジルを見ていなかった。ぼんやりと、大広間の方角を見ている。そのハディスをちらりと見て、ヴィッセルが前に出る。

「さあ、どうします竜妃殿下。あなたはハディスの力になる覚悟があるのか」

「……っリステアード殿下は!? リステアード殿下はなんて言ってるんですか」

「僕ならここにいる、ジル嬢」

回廊のほうから歩いてきたリステアードに、ジルはほっとする。

リステアードは眉根を周囲を見回し、嘆息した。

「やり方が性急すぎる、いくらなんでも」

「私と竜妃の相性が悪いことなど今更だ。――それで、竜妃の騎士たちは?」

なんの話だ。訝しむジルを置いて、リステアードが淡々と答える。

「会談が始まった直後に、ベイルブルグを出たのを見た門番がいる。……馬でな」

ちらとリステアードにこちらをうかがわれ、ジルは慌てた。

「わ、わたしは何も知りませんし、指示も出してません!」

「それもそれで問題だが。――今、追わせている。そう遠くにはいっていないはずだ、エリンツィア姉上も追跡に出てくれた。すぐに捕縛できるだろう」

捕縛。目を見開くジルから、リステアードは視線をそらさなかった。

「……リステアード殿下は、陛下が何をするか、わかってるんですか」

「ああ」

「どうして止めないんですか!」

「では君は、ラーヴェ様を助けるなと?」

また答えに詰まってしまった。

ヴィッセルとリステアードはハディスを守るように立っている。ラーヴェが言っていたことを思い出した。もうハディスには、たくさんの誰かがいる。

ジルだって、ヴィッセルとリステアードと同じ、その誰かのはずなのに。

何が間違っているんだろう。間違っているのは自分だろうか。わからない。ヴィッセルとリステアードを間違っていると、言えない。

「どうする、ジル嬢。いや、竜妃殿下」

優しい、でも厳しい目で、リステアードも問いかける。ジルは思わず首を横に振って、あとずさった。わからない、決められない。

「……っ他に、ないんですか。だってこんなの絶対、駄目です。陛下が――」

よぎるのは、かつての光景だ。赤黒く燃える空、血が染みこんだ大地。人が焼ける臭いの中で、彼はただひとり、立っている。

ラーヴェが全部夢にしてくれたのに、ジルが囚われすぎているだけなのか。

でもこの先向かう未来がそれとは違うなんて、誰が保証してくれるだろう。

「もういい」

――こんなに冷たい声を聞いたのは初めてで、ジルは凍り付いてしまった。

「もういいよ」

夢から覚めたみたいにハディスがゆっくり椅子から立ち上がり、テーブルの上に並んだものを見て、嘲笑う。

「一緒にいてくれるなら、苺のケーキだってなんだって、作ってあげたのにな」

何を言われるかわかってしまった。既視感がある。でもあのときとは違う。

あのときは、ハディスは何も相談してくれなかった。ちゃんと話し合えば、解決する行き違いだった。

でも、今回は?

「……君は反対する気がしてた。わかってた。だから、納得もしてるんだ。僕が好きな君ならそうするって」

ハディスは決めている。ためしているのではなく。

「ごめんね。でも、君を野放しにもできない」

その瞳には、憎しみも諦めもない。ただ、覚悟だけがある。

「僕はラーヴェを助ける。何をしてでも」

ジルだってラーヴェを助けたい。でも、どんな方法でも、受け入れるのか。問われたら、その答えは――

「ほんとうに、君が好きだったよ」

ハディスがこちらに向けて手をかざした。白銀の魔力が何を狙っているか気づいて、ジルは左手を右手で握り込み、隠す。

竜神ラーヴェの祝福。ハディスの妻である証。ハディスを守る力。

「返してもらう。ラーヴェの神格を堕とす可能性は、残さない」

いつだって竜帝は竜妃を愛しては、同じ理を違えるから。

ジルを愛してるから、もう間違えないために。

「さようなら、紫水晶の目をしたお嬢さん。最期まで、そばにいてほしかった」

「――勝手にぜんぶっ過去形にするな!」

勝手にこぼれる涙が嫌だ。黄金の指輪しか支えにするものがないみたいに、身を縮める自分が嫌だ。

だって、ハディスを裏切ったとすれば、なんの答えも出せない自分だから。

――頼むぞ。

指輪が、黄金の粒になって消える。もうジルにその資格はないよと、教えるように。