軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

君のそばにいる、誰かの話(後編)

――だいじょうぶだ。

幾度となく聞いた声、言葉。

どうして、ぼくにしか見えないの。

どうして、嘘だってみんな言うの。

ここにいるのに。いるのに、ラーヴェ。

――だいじょうぶだ。

でも今は、いたのに、見えない。

どこにいるの、ラーヴェ。

なんで僕を置いていくの。

僕が……僕が、そう、ええと、なんだっけ……何か。

――だいじょうぶだ。

だめだよ。

だって僕はお前がいないと、生きていけないよ。

――だいじょうぶだ。

おまえには

もう

たくさんの

――目が、さめた。

自分が泣いていた気がして、目元に指を這わせてみる。濡れた感触はなかった。乾いた感触もない。それはそうだ、泣く理由がない。

そのかわりに、額が湿っている――折りたたまれた生ぬるいタオルを取った。

「あっ陛下! 起きました!?」

ちょうど取りかえるところだったらしい。しぼったタオルを持ったまま、お嫁さんが顔を覗きこんでくる。ああ、とハディスは破顔した。

「ジル……」

「よかった、目をさまして。起き上がれますか。水、飲みますか。いや食べますか!? ここはノイトラールです、いっぱい用意できてますよ! アイスでしょ、果物でしょ、もちろんお肉も!」

「今日も可愛いね」

指折りメニューを数えていたジルが、ぴたっと動きを止めたと思ったら、わかりやすくぼんっと頭から湯気を出した。

「可愛いね……」

くすくす笑って、ジルへと腕を伸ばす。真っ赤な頬なのに、指先でさわっても冷たかった。自分が熱いからだ。その温度差にジルが我に返る。

「だ、だめですよ、まだ熱があるんです! もう、寝ぼけてるんですね。びっくりした……」

「寝ぼけてないよ。ジルはいつも可愛いよ」

「寝ぼけてないなら余計タチが悪いです!」

びしゃんと叩きつけるように額のタオルを替えられた。ひどいなと思いながら、額のタオルを戻し、首をわずかに傾けてジルを盗み見る。ハディスの動向を気にしているらしくすぐに気づいてくれた。妙に警戒した顔で、口を開く。

「……何か食べたいものとか、してほしいこと、あります?」

「……手」

「へ?」

「左手」

拍子抜けした顔で、ジルが自分の左手を見てから、ハディスが伸ばした手に重ねる。

薬指に光る黄金の指輪を見て、ハディスは微笑んだ。

「およめさん……」

「……陛下、やっぱり寝ぼけて……いや、熱のせいかな。うーん」

濡れタオルをどけたジルが、上半身をかがめて額と額をくっつける。

「……濡れててちょっと……でも、熱い……?」

柔らかい彼女の髪がくすぐったくて、ハディスはくすくす笑いながらジルの後頭部に手を回す。

「今なら、ふたりきりだよ」

綺麗な紫の目がくるんとまるくなる。

「……そうですけど、どういう意味ですか」

「いちゃいちゃできる……」

「また何を言い出すんですか! 陛下、寝ぼけてるでしょうやっぱり」

「だって、ラーヴェがいないから……」

ちょっと逃げ出そうとばたばたしていたジルの動きが、止まった。

「はやく、たすけにいかないと……意外と間抜けだから、ラーヴェ……」

「――ご無事なんです、か」

どういう意味だろう。不思議になって紫の瞳を見返すと、ジルは慌てたようだった。

「い、いえ。詳しい話はあとにしてまず寝てください、陛下。熱があるんですよ」

「へいき……僕は……だって大丈夫って、ラーヴェが、言ってた……」

そうだ。助けにいかないと。

ふわふわ思考があっちこっちにいって定まらない。ハディスは起き上がる。慌ててジルが支えるようにして抱きついてきた。

「だから今は休んでください。わたしの話、聞いてませんね!?」

「聞いてるよ。君は可愛いから……」

「そう言えばいいと思ってないか!? じゃあ思い出してください、わたしの言うこと聞けって言われましたよね!」

言われたような、言われなかったような。どうだっただろう。うまく思い出せない。

何か大切なことを、思い出せない。起き上がったのに、身体から力が抜ける。

「わっ陛下!」

「君は……可愛いよ……」

「もうわかりましたから! ジーク、カミラ、陛下が変です! いつもおかしいけどもっとおかしいです!」

ほんとうなのに、とハディスはぼんやりとむくれる。

ほんとうに、かわいくて、だいじょうぶなのに。

「大丈夫だよね、ラーヴェ……」

そう言っているのに、ぎゅうっと、ジルに抱き締められた気がした。

「みつ、けたわよ……!」

屋根の上で寝転がって涼んでいたロルフは目線をさげて、這い上がってくる男の手を見た。

「なんだ、お前らか」

返事のかわりに、立派な鶏がまず屋根に飛び乗った。そして這い上がってくる同僚たちを見守っている。やがてほくろのある弓男があがってきた。

「なんで普通に部屋にいてくれないのよ……」

「どこにいようと儂の勝手じゃろうが。で、何か用か」

「陛下が目をさましたんだよ」

懸垂の容量で屋根によじ登った大剣男が言う。ロルフは上半身を起こし、舌打ちした。

「せっかく休もうと思っとったのに」

「残念だったな。――なあ爺さん、今までどこにいたんだよ。ノイトラールにいなかったよな?」

「野暮用じゃ。――いってくる」

「待って待って、陛下のとこなら駄目よ。今、いちゃいちゃタイム」

「知るか」

そう言って屋根から下りようとしたら、男ふたりと鶏にしがみつかれた。

「なんなんだお前ら……!」

「爺さんの命を守ってるんだよ!」

「そうよ、陛下がちょっと情緒不安定だから……!」

「いつものことじゃろうが」

「そうだけど! あれ知ってるわ、気まぐれでこっちを殺す顔よ!」

「それは、竜神ラーヴェが竜帝のそばにおらんっちゅうことか」

ロルフのひとことに、ぴたっと竜妃の騎士ふたりが止まる。

「……たぶん、そう。いたって見えないからあれなんだけど……」

「ベイルブルグに助けにいくって言ってたからな、陛下。いねえってことだろうな」

「なるほどな」

「あっ」

ふたりの手がゆるんだ隙に、ロルフは屋根をすべるようにして逃げ出す。

「おい! 下手に刺激すんなよ、まだ熱もあるらしーから」

「ふん、子どもに追い討ちをかける趣味はない」

「え、うそぉ……」

失礼な感想が背後で聞こえたが、無視してあけておいた窓から廊下に滑り込む。生意気なことに、素早く鶏も入ってきて着地する。屋根の上から、残されたふたりが顔をのぞかせた。

「助けてあげてね、お爺ちゃん」

「頼んだぞ」

ロルフは答えず、窓の鍵まで閉めた。あのふたりは、根拠もなく自分を信じすぎだ。

ベイルブルグは占拠された。竜神は、竜帝は――ロルフは、してやられたのだ。敗因は神に対する情報量だろうか。ふざけるな。

「神を使うとか、反則じゃろうが」

だが、あの子狸も竜神にしてやられた。ざまあみろ。

ぶつぶつ言いながら、ロルフは廊下を進む。

問題は、たかが一度、神にしてやられた程度で諦める子狸ではないことだ。

ベイルブルグを奪還するだけならたやすい。向こうに女神がいるというのなら、こちらには竜帝と竜妃がいる……。

「コケッ」

見張りの兵を「急用」のひとことで黙らせ、両開きの扉の前に立ったロルフをとがめるように、ついてきた鶏が鳴いた。じろりとにらみ返す。

「しょうがない、用事があるんじゃ。おい、あけるぞ儂じゃ!」

「うわっロルフ!」

慌てた声をあげたのは竜妃のほうだけで、その竜妃から林檎を食べさせてもらっている竜帝のほうは無反応だった。

「ノ、ノックもなしには失礼だろう、皇帝の部屋だぞここは!」

「林檎をあーんやっとる時点で説得力がない」

「それとこれとは別問題だろう!」

気まずいのか竜妃は真っ赤になって怒っているが、竜帝はおかまいなしだ。

「ジル、もういっこ」

金色の瞳が熱のせいで蕩けているせいか、竜妃へ向ける眼差しがいつも以上に甘ったるい。胸ヤケがしそうだ。

「へ、陛下も空気読んでくださいよ……! はい、あーん」

結局やるのか。鼻白んだロルフは、さっさと用件をすますため、寝台の上で林檎を咀嚼している竜帝を見おろした。

「確認したかったんじゃ。お前、女神の魔術を覚えとるか。ベイルブルグで、神紋を使った」

この竜帝に瞳を向けられると一瞬身が竦むのは、生物の本能だろう。そしてそれを跳ね返すのはヒトの理性だ。

「ロルフ、今、その話は――」

「覚えてるよ。でも、僕はあの魔術の影響は何も受けてないから詳細はわからない。というかラーヴェがいて、僕が女神の魔術にかかるわけない」

竜帝らしく傲慢に笑う。聞きたかった答えは違う。だが、胸中を巡る思考も推察もすべて今は捨てて、ロルフは言った。

「ならいい。好きにいちゃいちゃしておけ」

「へ!?」

「ジル、あーん」

竜妃は竜帝に甘えられると流されがちなのはわかっているので、さっさとロルフは部屋から退散する。

やっぱり鶏はついてきた。

「お前、監視のつもりか?」

「コケッ」

嘆息して、ロルフはあいていた窓の前で足を止める。外はベイルブルグの方角だ。もちろん、当然、街の影も形も、女神の結界も見えはしないが。

ロルフは窓枠に背を預けて、ぼやいた。

「神っちゅうのは、難儀じゃな」

ロルフは何を聞きたかったのか。林檎をさしたフォークを片手に、ジルは考える。ちなみにこの林檎は、リステアードがむいていったものである。ジルも食べればいいと言われたのだが、可愛いうさぎの林檎になっていて、悔しくて食べる気になれない。

「ジル」

「あっはい、もういっこですか」

顔をあげようとしたら、間近にハディスの顔があった。さすがにもううっとり眺めたりなんてしないけれど、不意をつかれると息をとめてしまう。

「ラーヴェを、助けようね」

希うような声に、ジルは喉を鳴らす。そして頷いた。

「熱がさがってからですよ。はい、あーん」

「あーん」

はんぶんこ、と口に含んでから指で半分に割り、ハディスが残った半分をジルの唇に押し当てる。

いい言葉だ。はんぶんこ。おいしいものも、この先の困難も。

信じよう。だって神様が言ったのだ。

大丈夫だ、もうお前にはたくさんの誰かがいる。

――俺以外の、誰かが。