軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アンサス戦争【夢の分かれ道】

目にしたものが信じられなかった。だが、ゲオルグの視線にレールザッツ公爵の跡取り息子であるイゴールはまったく動じない。

ゲオルグよりもはるかに細い体躯で、見おろしているようにさえ見える。

たまに顔を出した社交界では、こんな冷たい目をする人物には見えなかった。どちらかと言えば父・レールザッツ公と対称的に柔和な人物に見えていたのに。

「状況はご理解いただけましたか、ゲオルグ殿下」

イゴールはこの場で一番の年上だが、まだ公爵位も継いでいない。困り顔のフェアラート公の跡取りモーガンと同じ立場である。

「これは皇帝陛下による売国だ」

だというのに、この部屋の支配者は、彼だった。刃向かうようにゲオルグは叫ぶ。

「兄上がそのようなことをするわけがない! 何かの間違いだ」

「私もそう思いたい。ですが事実です。モーガン、お前も別の所から同じ文書を得たのだろう」

「……まあ、私の場合は、父親の書斎からですが。最初は父上お得意の濡れ衣とか偽造だと思ったんですがね……あなたまで同じものを持っているとなると、そうではなさそうだ」

二枚、魔力で転写されたものは、いわゆる秘密文書だ。とはいえ、おそらく何枚かあるうちの一部だけ。確認のため同席を許されたラースが、そっと紙面の表面をなでる。

「これは魔術で正確に複写したものです。改ざんされた文書ではありません。――これと同じ文言の本物がどこかあることは、確実だと思います」

申し訳なさそうなラースの声に怒鳴り返そうとして、拳を握ることで堪える。

――三公各所へのクレイトスから派遣された人材を配置

――帝国軍の施設には転送魔術を設置、設置会社はラーヴェ帝国にて設立

――それらにともなうクレイトス王国からの継続的な資金援助

神降歴一二八七年、ラーヴェ帝国訪問時に再確認、決行。

これらの文言が書かれ、書類の右上にクレイトス国王とラーヴェ皇帝――兄の署名が入った本物が、どこかに。

「今年の夏、確かクレイトス国王の訪問が予定されていましたね」

ゲオルグが答えずにいても、イゴールは話を続ける。

「陛下が派遣した文官候補どももすべて調査しました。全員クレイトス出身。身柄拘束できたのは半分、他は逃げ出しました。捕まえた者はレールザッツ竜騎士団の配備情報や国境警戒の巡回地図を持っていましたよ。一部、資金の流れもです。そちらは」

イゴールに鋭く目を向けられたモーガンが、やる気がなさそうに答える。

「軍港情報ですね、特に最新鋭の軍艦。とはいえ、父は気づいていたようですから、おそらく大した情報はまだ抜かれていません。頃合いを見て陛下を脅す気だったか、交渉に使う気だったか――」

「結局、お前ら三公どもの問題ではないか」

「本当にそうお思いか。けしかけているのは陛下ですよ」

アーベルにまっすぐイゴールが言い返す。モーガンは溜め息と一緒に続けた。

「私は父は馬鹿だと思いますよ。確かに弱みを握れば今以上に皇族を掌握できます。だがこの裏には、確実にクレイトスがいる。さすがに放置してはいけない案件でしょう。リターンに対してリスクが高すぎる。しかし、レールザッツ公も見逃すとは……第三皇妃の件が響きましたね」

「ただの耄碌だ、レールザッツ公ともあろう者が。たとえ皇帝を見限ったとしても、これは見すごしてはならなかった」

「兄上を見限るだと、お前ら」

「我が父の不手際はお詫びします」

父の不手際。現実を見た大人のひとことに、ゲオルグは口を閉ざした。兄の不手際を認められない自分が、子どものようだった。

「ですが今はそれどころではない。あなたはどうなさいますか、ゲオルグ殿下。これをよしとするのか、否か」

「そういうイゴール様はどうします?」

「一刻も早く手を打つ。おそらくこの密約は、一昨年クレイトス王国へ陛下が出向かれたときに交わされたのだろう。すでに出遅れている」

晴れ晴れと海を越え、クレイトス王国の大地を眺めている兄の顔が脳裏に浮かぶ。

「かの魔術大国だ、ただの文言ですまない可能性がある」

「何か期限や誓約まで魔術で組み込んでいないといいですがね」

「この文書ごと葬らねば。ラーヴェ皇帝の署名は安くない」

それはほんとうに、そのとおりで。

だから兄は、尊く、敬われるべきで。

なのにその、兄自身が。

「ノイトラールにはまだ知らせていませんが、数ヶ月後にクレイトス王国軍とサーヴェル家の演習予定が組まれてます。こちらが気づいたことに気づかれれば、そこで最悪……」

「まだ攻めてはこないでしょう。それこそ陛下が約束を反故にでもしない限り」

「――兄上に、話を聞いてくる」

噛み締めて噛み締めてようやく出た言葉は、それだけだった。

「クレイトスに密告されたら? それともあなたもラーヴェ帝国を裏切るご予定が?」

ひややかなイゴールの意見はもっともだ。

だから、テーブルを囲んでいた全員に、ゲオルグは頭を下げる。

「兄上を説得する時間をくれ、頼む」

「……他の内容も確認できれば、話が変わるかもしれませんからね」

かばうようなモーガンの言葉が痛い。イゴールが嘆息した。

「わかりました、こちらもどうせ準備が必要です。ただ――ひとつだけ確認を取りたい、ゲオルグ殿下。あなたは、ラーヴェ帝国がクレイトス王国に買われるのをよしとするのか」

「許されるわけがない」

「たとえ陛下がだまされたのでもなんでもなく、自らの意思で密約にのられたとしても?」

「兄上がそんなことなさるわけがない」

決して。

ゲオルグの目を見て、イゴールが答える。

「では、帝国軍は、クレイトスと戦ってくれるということですね。――それだけで、今のところは結構」

そう、そのための帝国軍だ。防衛を三公に頼っているのだから、まずはその牙城を崩すため――ラーヴェ皇族の権威を取り戻すため、兄のラーヴェ帝国を強くするための。

そうであったはずなのに。

「……どうりで数字が、合わないはずですよ」

ラースの見送りでイゴールもモーガンもいなくなった部屋で、アーベルが誰に言うでもなくつぶやく。

「陛下からの私的な援助です。どこから、とは思ってたんですよ」

「……まだ決まったわけではない」

「クレイトスからの援助でしたか。こんな簡単なからくりだったなんて」

泣き出しそうなアーベルの笑顔から、ゲオルグは顔を背け、立ち上がる。

「兄上に会い行こう」