作品タイトル不明
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だんと壁を殴ったジルの拳に、騒いでいた生徒たち全員が、静まり返った。壁を通じて地下室全部がびりびりと震える。ルティーヤが姿を消した経緯を説明したノインも、包帯を巻いてもらう格好のまま固まっていた。
「……あー、つまり俺らが生きてることも制圧作戦も、ここにきて全部ばれたな」
ロジャーはやはり大人だ。ノインも、すぐさま対応する。
「はい。正直、いつここが攻められてもおかしくありません」
「とりあえず逃げる準備したほうがよさそうだな。作戦も延期、いいかジル先生」
「――いいえ」
壁に打ち付けた拳をおろし、ジルは周囲を見回した。
「逆です、攻めるべきです。時間的に相手が対応しきれるとは限りません。対してこちらの準備は整ってるんです。なら、攻められる前に攻めたほうがいい。もちろん、目標や経路は変更しますが」
「そりゃそういう考え方もあるが……ルティーヤがどう出るか」
「わたしの失態です。わたしがもっと、ちゃんとしてれば……なんにも気づかなかった」
うつむくジルに、周囲が戸惑っているのがわかる。
いけない。しっかりなければと、ジルは顔をあげた。こういうときは補給だ。
「――ロー、陛下を呼べ。非常事態だ」
「ぎゅー」
ソテーと並んで壁際にいたローが嫌そうな声をあげて、鞄の中に隠れようとする。その尻をむんずとつかまえて、机の上に置いた。
「非常事態だ! とにかく呼び出せ、できるだろう!」
「う……うきゅうきゅきゅきゅぅ……」
「ジ、ジル先生。無理強いはよくないんじゃないかな、困ってるよロー君――」
「でないとわたしが泣くぞ!」
ローが、周囲が、子どもめいた脅しに固まった。かまわず、ジルはローに訴える。
「いいのか、わたしが泣いてるのに放置して。それでも夫か! すぐこい今すぐこい転移してこい、わたしが落ち込んでるんだぞ! おいこら聞いてるのかこの馬鹿夫――」
「一応、僕、竜帝だよ。そう簡単にほいほい呼び出されると権威に関わるんだけど」
背後で聞こえた声に、ぎょっとする。こんなに早くくるとは思わなかった。
振り向くと、億劫そうにハディスが立っていた。
「合宿だって言ってる間は、一度も僕を呼び出さなかったくせに。で、何? 生徒を助けろとかそういう話? ジル先生」
呼びかけに、ぐっと詰まった。拳を握るジルに、ハディスは素っ気なく答える。
「その子の居所はラーヴェに今、さがさせてる。必要なら話も聞くよ。でもそれだけだ」
「それだけって、ハディス。ルティーヤは一応、お前の弟ってことに……」
じろりとハディスがロジャーをにらむ。
「きょうだいだから何? そんな状況じゃないよ。僕の足を引っ張る気ならなおさらだ」
「わかってます。ただ、わたしは時間がほしいんです。陛下に手を出してほしくない。これはわたしの失態です、自分で責任を取りたい」
ジルはぎゅっと拳を握って叫ぶ。
「ルティーヤはわたしがきちんと教育します! 先生として、この拳で!」
「えっいやジル先生、それは鉄拳制裁……」
「あと陛下! ぎゅってしてあげるので、ぎゅってしてください」
波が割れるように周囲がざっと引いた。空気を読んでない発言だという自覚はあるが、ハディスまで驚いているのは失礼だ。なんのために呼んだと思っているのだ。まさか本当にルティーヤの対処を相談するだけだと思ってるのか。落ち込んでると言ったのに。
だが両腕を広げて待っていると、跪いて腕を伸ばしてくれた。だから背伸びをして、抱きついた。首筋から、さらさらの黒髪から、いつものいい匂いがする。
「……こういうときに甘えるの、ずるくない?」
「ずるくないです、補給です。陛下だって実は弱ってるでしょう。また隠し事ですか」
「別に隠してないよ。……竜がこれ以上おかしくなったら、ちょっと面倒だなって思ってるだけ。竜は竜神の神使、人間よりも理の影響が大きい生き物だから……まだ一時的なものですんでるけど、竜を従えて僕らから竜を離反させるのは、理に抵触しかねない」
両目を瞠ったあと、ジルは慎重に口を動かす。
「……ラーヴェ様は、なんて」
「大丈夫だって言ってる。僕らが対処するとしても理を正す行為だから。でも……」
何か間違えばラーヴェが神格を落としかねない。ハディスはそれが心配なのだろう。ジルはぎゅっと抱きつく腕に力をこめた。
「わかりました。大丈夫ですよ、わたしもいます。一緒に竜たちを止めましょう」
「……止めるって言ってもさすがに数が多すぎるよ」
「おまかせください、何匹でも殴り落とします! 竜退治は得意な家から嫁いできたので!」
少し、ハディスが笑ってくれた。
「君は、生徒……ルティーヤだっけ。その子の事情に気づけなくて、落ち込んでる?」
「ちょっとだけですよ。でも平気です、取り返しがまだつきますし、今やる気をこうして充電してますから。陛下は、他には何かないですか?」
「うーん。……なんか知らないおじさんが僕のこと勝手にかばって気持ち悪かった」
目をぱちくりさせていると、うしろからロジャーが声をあげた。
「それって俺のこと!? ひどくない!?」
「……。かばわれてバツが悪くなっただけでしょう、それ。ちゃんとお礼言いました?」
「……あとで言う」
「そうしてください。ほんとしかたないですね、陛下は。……可愛いですけど」
「可愛くなんかないよ。まだ怒ってるから、仕事で僕を放置したのも兄って紹介したのも」
「……仕事と家庭の割合については、はい。今後、話し合いましょう」
「わかった。このあとでね。……いってらっしゃいのキスは?」
「だめです。生徒の前です」
つんと人差し指でハディスの薄い唇を突いてたしなめる。きょとんとしたあとで、ハディスが唇を綻ばせた。
「もう遅いと思うけど。でもいいか、あとでのお楽しみも」
そう言って立ち上がったハディスは、いつもどおりだ。ほっとしてジルは離れる。
「何かわかればすぐ知らせるよ。頑張って、ジル先生」
まだ皮肉っぽいが、ハディスの目も口調も優しい。ジルの方針を認めてくれたのだ。
それだけでジルはいくらでも頑張れる。
「おまかせを、陛下」
ハディスが微苦笑を浮かべたあと、踵を返すように転移した。一度伏せたあとの金色の瞳が魔力を帯びて輝くのも、その横顔も、相変わらず目を奪うほど美しい。
ついゆるみそうになる頬を、引き締め直して、ジルも振り向く。
「よし、じゃあこっちも作戦開始――なんですか」
そろいもそろって引いている生徒たちに押し出されたロジャーが声をあげた。
「い、や……本当に夫婦なんだなあって……びっくりしちゃってねえ……」
「言ってるじゃないですか、竜妃ですって。でも、ジル先生でもありますから」
ルティーヤが何を考えて、どうしてマイナードに手を貸したのかはわからない。だがなんの不正もせず、圧倒的不利な試合に挑んで、あの子は勝利をつかんだのだ。
そんな子を、よくもくだらないたくらみに引きずり込んでくれた。
「――取り返すぞ、ルティーヤを。あの子はわたしの生徒だ」
明朝、街中に速報の新聞がばらまかれた。
士官学校を壊滅させた首謀者ルティーヤ・テオス・ラーヴェの捕縛。その尋問が、港で公開されること。
その返答如何によっては、ラーヴェ帝国へ反撃の狼煙をあげることになる。
反撃を望む者も、望まぬ者も、港に集まれ。
真実をその目で、確かめるために。