軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

なんだかんだ、ジルはハディスを説得するのがうまい。どうせハディスも折れるだろう。廊下に出たきょうだいたちもナターリエと同じように思っているはずだ。なのに横に立った嫌みな兄が自分を見下ろしていることに気づいて、ナターリエは眉をひそめた。

「何よ? まさか夫婦の会話に聞き耳でも立てろって――」

「竜妃がライカ大公国に留学へ行くことをジェラルド王子に話して反応をみろ」

他のきょうだいには聞こえない小さな声で、そう耳打ちされた。そのうえ、ナターリエが眉をひそめている間に、さっさとヴィッセルは行ってしまった。説明する気はないらしい。

続いて無言で踵を返したのはフリーダだ。歩調から無言の怒りがにじみ出ている。しかたなくナターリエはリステアードに声をかけた。

「少したてば頭も冷えるでしょ。あとで私が話を聞きにいくから」

「……頼む。本当にやましいことは何もないんだが」

「本当に?」

この兄に限って不埒な振る舞いはないだろうと思いつつ念のため尋ねると、心外だと言わんばかりに眉間にしわを作られた。

「僕がそんな卑劣漢に見えるか」

正面から見返されて、無駄な問いをしたと悟った。

この兄は外交上手だ。ノイトラール竜騎士団に紛れこみ、優秀な同期たちを根こそぎ引き抜いて自分の竜騎士団を作っておいて、まだ堂々とノイトラール竜騎士団に出入りするような、まっすぐ狡猾になれる人物だ。ナターリエが駆け引きして勝てるとは思えない。

「……スフィア様が可哀想になってきたわ。絶対逃げられなさそう……」

「なぜそうなるんだ。僕は何も無理強いしてはいない」

「いいわよ、どうせ最大の敵はヴィッセル兄様でしょ。せいぜい頑張って」

お茶友達のよしみでスフィアが取りなせばハディスはなんとかなるかもしれないが、ヴィッセルは違う。喜々としてリステアードを挫こうとするだろう。

兄弟喧嘩の気配を感じ取ったのか、エリンツィアが声をひそめる。

「あまり派手に喧嘩をするんじゃないぞ。巻きこまれるスフィア嬢が気の毒だ。ただでさえ立場が複雑だろう。父親の件も含め、ハディスの次はお前なんて、周囲にどう言われるか」

「そんなにか弱くないでしょう、彼女は。皇帝になったばかりでまったく味方のいなかったあの当時のハディスのお茶友達をやってのけた女性ですよ」

言われてみればそうだ。ナターリエはエリンツィアと一緒にまばたいてしまった。

同時に、兄は生半可な気持ちではないとわかってしまう。そもそも、ベイルブルグという土地柄を考慮すれば、兄の手は上策だ。その目の付け方と優秀さが憎たらしい。おそらく、ヴィッセルも同じ気持ちだろう。かといって無闇に反対するのは、他人の優秀さを認められない自分の器量の狭さを露呈してしまうようで、ナターリエにはできない。

「……いい人選だと私は思ってるから、フリーダはなだめてあげるわよ」

「助かる」

「ただし! 私にも協力してよね、リステアード兄様」

せいぜい、してやれるのはこれくらいだ。リステアードが少し顎を引いて考えた。

「……まさか、ジェラルド王太子とのことか?」

「わかってるじゃない。何かあったときは協力して」

「もちろん、ハディスやラーヴェ帝国に必要とあれば」

頷いたように見せてさらっと制限をかけてくるから、この兄は油断ならない。横からエリンツィアが尋ねる。

「どうなんだ、ジェラルド王子は。落ち着いた様子で、あやしい動きもないと聞いているが」

「順調に交流を深めてるわよ、まかせて」

「……ほとんど相手にされてないと警備から聞いて――ぃたっナターリエ!」

「フリーダを怒らせたままでいいのね?」

ナターリエに足を踏んづけられたリステアードが、黙って引き下がった。ふんと鼻を鳴らして、踵を返す。向かうは帝城の内廷から離れた一画にある、塔だ。

地上からは出入りできず、上空からも出入りできない。窓も当然ない。いざとなれば火事による不幸な事故を起こすためだという。唯一の出入り口も昼夜問わず警備で固められている。

最初こそ少し緊張したが、今はもう慣れっこだ。自分の宮殿に入るような足取りで、幾重にも下ろされた錠をあけてもらい、中に入る。

こんな生殺しのような複雑な檻に閉じこめられる人物は、政争に敗れたラーヴェ皇族だったり、大事な人質だったりと、当然わけありだ。だから無骨で物騒な外装と違い、内装は宮殿と同じように整えられている。掃除も毎日入るし、水回りも整えられていて、広い。クレイトス王国の王城を取り仕切っていた彼には、狭いだろうが。

「今日もご機嫌うるわしく、ジェラルド王子」

堂々と入ってきたナターリエに、鉄格子の向こうでジェラルドは目線ひとつよこさず、本を読んでいた。ほとんど会話がないという兄の情報は誤りだ。正しくは目も合っていない。

だがここでむきになってはいけない。相手にしろとわめくのは、子どものすることだ。

ジェラルドは評判がいい。物腰は誰にでも丁寧で、警備相手にも礼節を忘れず、自分の立場をわきまえ、無茶は決して言わず、配慮すら見せる。話し相手の学者やら有識者は、そろってジェラルドの頭の回転のよさと態度を絶賛する。

そんな敵国でも完璧な王子様が、ナターリエだけには挨拶もしない、ぞんざいな態度を取るのだ。いい傾向だ。そう思ってやることにする。相手はおよそ敗北という概念とは無縁そうな完璧な王子様だ。竜妃とはいえ、あんな小さな女の子に人質にされて、内心ではさぞ屈辱に歯噛みしているに違いない。その本音を透けさせる相手がナターリエしかいないのだと思えば、お可哀想である。

「何か困ったことはおありでない? 遠慮なく言ってくださいね」

施しを与えるような言い回しも、矜持の高い王子様にはさぞ苦痛だろう。そう想像してぞくぞくする自分は、少しばかり性根が悪い女だったようだ。しかし、相手も眉をみじんも動かさず無視をし続ける手練れだ。屈服までの道程は遠い。

いつもならこのまま鉄格子ごしに無言の時間をすごすところだが、本日はヴィッセルからの手土産がある。面倒事はさっさとすませるに限る。

「竜妃も留学するんですって」

そしてこの王子様は、竜妃には反応する。案の定、端整な顔がこちらに向いた。

してやったという優越感が半分、悔しさが半分だ。だが後者は見ないふりをして、反応する理由がジルなのか、竜妃なのかも考えないようにして、ナターリエは尋ねる。

「どこかわかる?」

「ライカ大公国だろう」

あっさり当てられた。なんでもない顔で、ジェラルドが淡々と述べる。

「女性の為政者はすぐ教育に走る。功績をあげるのに耳触りがいいからだろうな。教育こそ洗脳をうまく言い替えた恐ろしい武器だという自覚がないらしい」

「……士官学校を作りたいみたいだけど」

ちょっとジェラルドが目を見開いたので、しまったと思った。今、ジェラルドの中でジルの価値がまたあがった。

「なるほど。サーヴェル家のご令嬢らしい発想だ。目的はあくまで、国防。……つくづく竜妃というのは、竜帝に尽くすのがお好きだ。それで?」

「え?」

「ヴィッセル皇太子に、私にそう告げてみるよう言われたんだろう」

意味深に口角をあげて一笑され、拳を握った。

今、あの嫌みったらしい兄とこの王子様は、自分を挟んで何かさぐり合っている。

「あなたは間諜には向かない。あなたの兄たちは、つくづくろくでもないな。同情する」

「ろくでもないのは認めるけど、あなたに言われる筋合いはないわ。そんなに自分が立派な兄だって言いたいなら、フェイリス王女に聞いてみましょうか。どう返ってくるか楽しみね」

「……私はあなたの兄たちのように、妹を利用したりしない」

溺愛しているというフェイリス王女のことにも反応する。

「つまり妹は頼りにならないって言いたいわけね。お兄さんにそんなふうに思われて可哀想」

「なぜそう悪意的に解釈する!」

「先に私の兄様たちを悪く言ったのはあなたでしょ! ヴィッセル兄様はね、使えない人間なんてはなから使おうともしないの」

ヴィッセルが何かをまかせるのは、それだけの能力と価値を認めた相手だ。

「だから私は兄様たちに伝えるだけよ、ジェラルド王子は竜妃の留学先をライカ大公国だってあっさり当てた。ついでに兄様たちはろくでなしで私を利用してるって評価されたから、もっと妹を大事にしなさいってね!」

「……あなたは」

ナターリエの勢いに負けたのか、ジェラルドが先ほどの勢いをなくしてぼやく。

「なんというか、つくづくたくましいな……」

「ありがとう、クレイトス王太子妃にぴったりでしょう」

この世のすべてを諦めたような無表情で見返された。そのまま謀略も諦めて人生を考え直してほしいところだ、なんなら結婚相手も。

「またくるわ」

「お気遣いなく」

慇懃無礼に返したジェラルドは、ナターリエを見送るでもなく本に視線を戻した。ナターリエも気にしていない素振りで、踵を返す。あの王子様は朴念仁だが、聡い。気づかれてはならない。

ナターリエがクレイトス王家の本当の家系図を見てしまったこと。封印されて読めないとはいえ、彼の母親が生前書いた日記を持っていること。それらをすべて兄に隠していること。

何もかも兄に委ねる前に、何か自分にできることがないか迷っていると知られれば、容赦なくジェラルドはナターリエにつけ込んでくる。そのとき、ナターリエは自分がどうなるか自信がない。

(……ヴィッセル兄様に知らせなきゃ。既にライカ大公国に何かしかけてるのかも)

だから自分がどうするか決めるまでは――決して、知られてはならない。