軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

僕らの家庭は「どうしよう」?

部屋に入るなり、ジルは窓をあけた。

帝城の自室は、ジルが不在の間もきちんと掃除されている。だから部屋の空気が悪いなんてことはないのだが、やはり窓をあけると気持ちがいい。

吹きこんだ風は、帝都を出る前にくらべて涼しくなっていた。湿り気がないな、と思った。標高はそう違わないはずだが、やはり故郷と違うのだなと、改めて実感する。

(さすがに懐かしい……のは、向こうだな)

ラーヴェ帝国にきて初めての夏だ。まだ懐かしいなんて思えない。

自分の部屋に戻ってきた、と思うのも少し違和感があった。まだこの部屋を与えられて一ヶ月くらいなのだ。故郷にあった自分の部屋のほうが、よほど慣れていた。

でもそういうことをいちいち考えられるのは、戻ってきたからだろう。

そんなことを考えながら窓の景色を眺めると、早足で庭を横切る夫を見つけた。

「へい――」

「ハディス待て、逃げるな!」

「やだよリステアード兄上とヴィッセル兄上が悪いんでしょ、帰って早々言い合いするから!」

ハディスはひとりではなかった。兄がふたり、一緒にいる。どうも動きからして、庭を散策しているのではなく、庭に逃げ込んだらしい。

「いいから静かにしろ、ふたりとも。姉上に気づかれる」

木の幹に背を預けて、ヴィッセルが両腕を組んだ。リステアードが懐中時計を懐から出す。

「……姉上はそろそろ訓練の時間だ。そこまで逃げ切ればなんとか」

「あ、じゃあこうしようよ。ばらばらに逃げる。僕はジルのところに」

「待てお前、そのまま仕事をさぼる気だろう!」

リステアードに首根っこをつかまれたハディスが、唇を尖らせた。

「でも姉上は単純だから状況が変わったら忘れるって。ジルなら僕をかばってくれるし。リステアード兄上だってフリーダにかばってもらえばいいんだよ」

「……それは兄としてどうかと思うぞ……」

「えーでもそれが一番だよ。で、ヴィッセル兄上は………………」

そこでハディスの笑顔も口も止まった。かわりに、ヴィッセルが穏やかに微笑む。

「どうした、ハディス?」

「…………………………えっと……」

「ひょっとして私を姉上からかばってくれる者が見当たらないのかな?」

「ってリステアード兄上が心配してた!」

ハディスがリステアードの背中に隠れる。リステアードの頬が引きつった。

「ハディスお前! ……ぼ、僕はそんなこと言っていないぞ。自業自得だとは思うが」

「ほお」

そのままぎゃんぎゃんまた三人で言い合いが始まった。

あれではエリンツィアに見つかるのも時間の問題だ。苦笑いを浮かべてから、唇を引き結ぶ。窓枠から手を離し、背を向けてそのまま沈み込んだ。

仲のいい兄弟。膝を抱えて、膝頭の間に口元を埋める。

(……うちだって、仲が良かったのに)

タイミングが悪かったな、と冷静に考えている自分がいる。

故郷から無事戻れて安心した。でも戻ってきた場所に懐かしさなんてまだ持てない。その違和感と現実を上手に調整できないときに見たからだ。

もう二度と戻らないことも覚悟した故郷には、たくさんのものがあった。可愛がってくれた領民たち。いくらでも組み手に付き合ってくれた父親。訓練のあとはたくさんの料理を作って待っていてくれた母親。悪戯好きの双子の弟たちを追い回したし、迷子になった末の妹を探し出したこともある。逆に長兄には、竜を見つける大冒険に出て見事に迷子になったところを迎えにきてもらったことがあった。あのときはいつも厳しい姉がひとことも怒らず一緒にお風呂に入ってくれて、次の日は次姉が山の中で方向を読む方法を教えてくれたのだ。

本当に、仲が良かった。そう、よかった――過去形だ。唇を噛む。

(どうしよう)

どうするもこうするも、自分できめた道だ。だから顔をあげよう。

そうして顔をあげたら、竜神がいた。

「ッラ、ラーヴェ様!?」

「よお」

いつもどおり、人なつっこい笑顔を浮かべて竜神がふわふわ浮いている。

「……へ、陛下から離れてて平気ですか」

「まあすぐ近くにいるし。ここはもう、俺がべったりついてる必要もないしな」

ハディスにとって安全な場所になったから。そう言っているのだ。少し前ならそうはいかなかった。

それを知っているから少し、ほっとした。よかった、と思った。頬がほころぶ。

「まだ喧嘩してるんですか?」

「いーや、さっき姉上に見つかって三人ともばらばらに逃げ出した」

噴き出してしまった。

「じゃあ陛下、逃げてくるかもですね」

「だな。――なあ、嬢ちゃんは別に間違ってないぞ」

顔をあげると、にこにこしながら、理を司る神は言った。

「嬢ちゃんにとって、故郷はここじゃない。だからさみしく思うのは当然のことだ。なんにも間違っちゃいない」

「で……でも、わたしは竜妃です。そんな甘えたことは」

「でも人間だ。人間は間違えるし、すぐ楽なほうに流されて甘える。それが理だ」

まじまじとしたジルの視線を受けて、ラーヴェが笑う。

「意外か? でも理は、人間が間違うことを前提にしてる。間違うからどうするかって話なんだ。でなきゃ導く、なんて話にもならないだろ」

「そ……そうですね。言われてみれば」

人間が間違わないなら、導くも何もない。だろ、と自慢げにラーヴェが頷く。

「だからな、嬢ちゃんの気持ちは、理に反しない。問題はそこからどうするか、だ」

「……ど、どうするかと言われても……」

「まずはハディスに正直に話してみろよ」

「そ、そんなことしたらすねません!?」

あるいは、じゃあもうリステアードたちと仲良くしない――とかわけのわからないことを言い出す可能性もある。だがラーヴェはからから笑った。

「かもなあ。でも、案外頼りになるかもしれないぞ。それくらい、責任感はあるように育てたつもりだ」

「ジル! かくまって!」

狙い澄ましたように扉をあけたハディスが駆け込んできた。思わずジルは立ち上がって背筋を伸ばしてしまう。

「エリンツィア姉上が僕を殴ろうとするんだ、僕、悪くないのに――ラーヴェ。なんだ、ここにいたのか」

「まあな」

ぱちんと片眼をジルに向けて閉じて、ラーヴェはするりとハディスの中に入ってしまう。

育て親の意味深な行動に気づいたハディスが、首をかしげた。

「どうしたの? 何かあった?」

「あっ……ええと……陛下たち、仲良くなったなって思って……」

「なってないよ! 追われてるんだよ!? 兄上たち守ってくれないし!」

「……仲良かった……んですよ。わたしも、きょうだいたちと」

窮状を訴えようとしていたハディスが黙った。と思ったら、膝をついてジルの目の高さに合わせてくれる。

「……だよね」

でも顔が、ものすごく嫌そうだ。聞きたくない。でもそれを我慢して、聞かねばならない――雄弁に葛藤を物語っているその顔に、ジルはつい呆れてしまった。

「いえ、それだけなんですけど……」

「そんなわけないでしょ。僕が君から取りあげたものだもん。僕の責任だよ」

自覚はあるのか。ちょっと、肩の力が抜けた。

「でも、わたしも選んだことですし」

そう言ってふと気づく。わたしも、だ。ひとりじゃない。顔をあげると、目の前にもうひとりいる。

「僕、君のお母様に言われたんだ。絶対に、君をこっちに戻すなって。戻せるなんて考えるのは甘えだ、もう娘の居場所はここにはないって、言われた。だからわかってるつもりだよ。君はもう、戻れない。少なくとも、前と同じようには。そして僕はその責任をとらなきゃいけない」

びっくりして、言葉が継げなかった。

(おかあさま)

戻ってくるな。娘を突き放す母親の気持ちを汲めないほど、ジルはにぶくない。

どうしてだろう。故郷を離れるときは、家族が送り出してくれることを、少しもさみしくは思わなかった。ああ――このひとを守るのに必死だったからだ。何よりもそれが大事だったから、平気でいられた。

でもこうして戻ったからこそ、今は。

こみ上げてくるものがある。泣いてはいけない。きっとハディスを困らせる――いやそれでいいのか。それが、責任をとるということのはずで。

「だから僕、考えたんだ。――まずは僕らの家庭を作ろう!」

「はい?」

こみあげかけた涙が一瞬でなくなった。

拳を握り、ハディスが力説する。

「実は僕が持ってる隠れ家の中にいいところがあるんだよ。広くて、ちゃんとしたお屋敷。街からほどよく離れてて、たぶん元は農場主のものだったんじゃないかな。牧草地とかもあって」

「は、はあ……」

「そこを兄上たちに内緒で一緒に改造しよう!」

と、突然言われても。いや、楽しそうだけれど、なんだか想定と違う。そこは形から入るんじゃなくて、もっとこう。

「僕ね、いいなと思ったんだよ、君の実家。だからあんなふうにしたいな」

でも、そのひとことで、すべてが吹き飛んでしまった。

「今はふたりだと大きすぎる屋敷だけど、子どもは十人でしょ? すぐにぎやかになるよ。畑を作って、家畜も育てて。竜を何頭か飼えたらいいね。育てたりとか」

「えっい、いいんですか、竜……!」

「もちろん。でも、できれば野生に近い形がいいかなあ。最初からひとの手で育てられた竜って、うまく育たないんだよ。飛び方をなかなか覚えなかったり」

「竜がよってくるよう水場を整えてやればいいんだよ。あそこ、湖だか池だかも近くにあっただろ。山も近くにあったし」

ひょっこり顔を出したラーヴェがそう言う。

「それに竜と一緒じゃ、家畜が無理だ。だから竜を飼うよりは、竜の休息所を目指すことをおすすめするぜ。そしたら竜も屋敷をナワバリとして守ってくれる。竜が守る不思議な屋敷――どうだ、竜帝一家の別邸っぽくないか」

「い、いいですね、それ……!」

どきどきしてきた。興奮で何度もこくこく頷くと、ハディスが尋ね返す。

「あとはどうしようか、ジル」

さあ、どうしようか。ジルは改めて見回す。

今から家になる、自分の部屋を。

「帝城のほうも、少なくともこの宮殿は僕らの家なんだから、もう少しいいように改造しちゃいたいよねえ」

「わ、わた、わたし、自分の執務室がほしいです!」

「また唐突だなあ、なんで?」

「もちろん、竜妃の仕事をするためですよ!」

やることがたくさんだ。胸を張ったジルに苦笑して、ハディスが立ち上がる。

「じゃあ、椅子とか机とか、いいの見繕いにいこうか」

「はい!」

立ち上がったハディスと手をつなぐ。

そうして宮殿の一画を自らの手で勝手に改築し始めた竜帝夫婦に、当然、新しい親族は絶叫し、ふたりそろって夜まで説教される羽目になった。