軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29

うまくいっている。盤面は、滞りない。不測の事態も織り込み済みで、一手ずつ詰めていくのが自分の仕事だ。

狭い路地裏の奥にある石壁の建物の部屋は日陰になっており、冷風も魔術で吹きこまれているが、何せ外が暑い。日よけのマントを脱いで一息つくと、優秀な部下に横から水を差し出された。縦に高く横に短いこの建物は、一階を厨房と食卓が占領している。

他には誰もいない。遠慮なく水をひとくち呑んでから、尋ねた。

「ジル姫は」

「寝てます。弟さんがついてるので、ご安心を。――予定通りですか」

「ああ」

予定通りの情報を持ち帰った。暗にそう伝えるジェラルドに、ロレンスは椅子をふたつ、持ってきた。長細い食卓の角でふたり顔を突き合わせ、確認を始める。

「では、まず国璽を俺たちが。ナターリエ皇女はあなたが、という形で進めます」

「それでいい。手は回してきた」

「竜妃がナターリエ皇女を優先したらどうしますか」

「それはない。彼女はサーヴェル家で育てられた、優秀な軍人だ。国璽の封印に立ち向かえるのが竜妃の神器しかないとわかれば、必ずそちらへ向かう。――それとも、何か彼女から異議が? 疑われているのか」

「いいえ、それはないです。本人も理解してるのは間違いないですが……」

ロレンスの歯切れが悪い。その先を、ジェラルドは補った。

「うまくいきすぎている?」

「はい。主に、竜帝のおかげで」

「確かに、気味の悪さはあるな」

もう少し時間も手間もかかると思っていた。だがあっさり竜帝が竜妃を切り捨てたせいで、結果が予定通りでも薄気味悪く感じる。

「竜帝の動向を見失ったのは痛いですね。サーヴェル家でもまだ捕捉できないとは。ラーヴェ帝国にもう戻っては……」

「いや、まだ国内にいる。半分魔力が封じられたままだ。ラキア山脈のあの磁場を無視してラーヴェに戻るほどの転移は不可能だ」

万全でひとりきりなら不可能ではないだろうが、今の竜帝には竜妃の騎士たちもいる。あれを連れて行こうとしたのは竜帝だから、転移でラーヴェ帝国に戻る気はないのだろう。

「だからこその迎えだろう。北と南から同時に入った不法侵入者が、この件に無関係なわけがない。竜帝はどちらかと接触するはずだ」

「北のほうはそろそろ捕捉できそうだと報告がありました。南のほうは船で海を逃げ回っているようで、上陸の気配がないとか」

「囮か、それとも竜帝と接触するまでは海にいる作戦なのか……いずれにせよサーヴェル家の手が分散されるのが問題だな。……ジル姫は、何か言っているか」

「いいえ。何も知らなかった、というのは間違いないかと」

ジルの憔悴ぶりを思い出すと、ジェラルドも苦い気持ちになる。

「竜帝のすることだ。竜妃の気持ちを……愛を解さないのは、いつものことだ」

「俺はあまりそういう概念をアテにはしたくないんですが、今はそういうことにしておきましょうか。実際、竜帝の行動は理にはかなっているので」

そもそも国王が邪魔をしてきた時点で穏当な和平などあり得ないし、故郷に心を傾ける竜妃など、いつ使えなくなるかわかったものではない。使えぬ竜妃だと切り捨てたのは、竜帝としてとても正しい判断なのだ。

「ただ……変にラーヴェで接触しちゃったせいですかね。俺の中で理で語られる『竜帝像』と一致しないんですよ、あの皇帝。ジルにちょっかい出したとき、本気でにらまれましたし」

「結婚も婚約も契約だ。自分の妃に手を出す男をにらむのは、道理だろう」

「あーそういう……ううん、わかんないな。愛と理の違い」

「というかお前、ジル姫に何をしたんだ。ラーヴェで。不埒な真似をしていないだろうな」

「え。そっちは愛ですか」

眉をひそめて見返すと、ロレンスは嘆息した。

「……やめます、どうせ神の概念なんて考えたら負けです。俺はしがない人間なので。目の前のことを対処するしかない。現状、最善手で進んでます。竜帝が不気味なだけだ」

「そうだな。……ジル姫はまだ竜妃を続けるつもりなのか?」

「まだ混乱して、決めかねているみたいですが。やめると思いますよ。やめさせられるのとどっちが先かはともかく、結果は同じです」

ジェラルドは首肯した。

「なら、それで十分だ」

「ああ、でもあなたはまだ身を引く男でいてくださいよ。竜帝を悪く言わないように。傷心につけ込むにせよ、タイミングってものがあるので」

「そういうものか」

「ええ、慎重にいきましょう。ああでも、竜妃が竜帝に殺されていることを教えたあそこは名演技でしたよ」

限界まで、眉がよる。なぜか口の中が苦い。

「ただの事実を言ったまでだ」

「……。なら、それはそれで、はい」

「ジェラルド様、ロレンス様! ちょっといいっすか」

窓から影が音もなく飛びこんできた。ジェラルドの護衛を兼ねてサーヴェル家が派遣してきた双子の片割れ、リックである。「ナターリエの居所がわかった」と戻ってくる役目を負っているのだが、予定より早い。

「何かありましたか」

「いやーサーヴェル家から誰かこっちにきてるみたいなんすよ。それで顔出してみたんですけど……誰もきてないですかね?」

眉をひそめたジェラルドが問い返す前に、今度は音を立てて出入り口が開いた。

「あらあら。リック、ちゃあんと私に気づいたのねえ」

咄嗟に身構えたジェラルドたちに、にっこりシャーロット・サーヴェルが笑う。ジェラルドは驚いて、椅子から立ちあがってしまった。

「サーヴェル伯と竜帝の捜索にあたっていたのでは。何かありましたか」

「それもあるのだけれど、こちらをお手伝いしようと思いましたの。ご飯もろくなものを食べていないのじゃないかと思って」

「ごはん……」

あまりに状況からかけ離れた単語に、あっけにとられる。シャーロットは笑顔で、持っていた荷物を見せた。

「買い物もすませてきましたのよ。夕飯を作りましょう」

リックが髪をかき上げて嘆息する。ロレンスは笑顔で固まったままだ。その間にシャーロットは厨房のテーブルに買い込んだ食料品を置く。遅れてジェラルドは舌打ちした。

「サーヴェル夫人! 何をいったい、この状況で」

「いけませんわ、緊張してらっしゃるでしょうジェラルド様。それでは竜帝に負けてしまいますわよ」

テーブルに食材を並べながら、シャーロットに穏やかにたしなめられた。ジェラルドの眉根がよる。

「不備はない。ナターリエ皇女のことなら」

「そういうことではありませんわ。……心を痛めてらっしゃるでしょう。ジルの傷ついている姿に」

今度は別の意味で、困惑してしまった。それをシャーロットが笑う。

「ジルを甘やかしてしまわないか、心配になりましたの。アンディもリックも、もっと言えばビリーもそんなところがあって」

「……申し訳ないが、おっしゃってる意味がわかりません。今の彼女が深く傷ついているのは見ればわかること。……あれを見て、なんとも思わない竜帝と私は違う」

ジェラルドの胸に、ロレンスが手を押し当てた。むっとしたが、言い訳のようだと気づいて引き下がる。

「何か懸念事項があるなら共有していただけると助かります」

ロレンスが建設的な会話に切り替える。ふんわりシャーロットは笑った。

「難しいことはわかりませんわ。ほら、ジル。隠れてないでおりてらっしゃい。アンディも」

階段に向けて投げかけた言葉に、シャーロットを除くその場の全員がぎょっとした。アンディが肩をすくめる。

「隠れてたわけじゃないよ。ジル姉が起きたから下におりようと思ったら、母様がいて、しかも難しい話をしてるっぽかったから割りこむタイミングをうかがってただけ」

「お母様。どうしてここに」

ということは、大した話は聞かれていない。階段をおりてきたジルも、シャーロットがここにいることのほうが不思議なようだった。

そんな子どもたちに、シャーロットがにこにこ告げる。

「南国王を出し抜こうというときに、あなたたちだけじゃ不安でしょう? それにお母様があちらに残っていても、あまり役に立てなさそうだから」

「でも、お父様が追っているのは竜帝です。戦力はあったほうが」

「そうそう、忘れていたわ。竜帝の足取りがつかめたのよ」

ジルが両眼を見開く。ジェラルドは拳を軽く握った。

(早い。もう少し迷わせてやる時間があるかと……いや、これでいいのか?)

竜妃をやめるための材料集めは、時間をかけさせてやりたかった。そのほうが決意が固くなりやすいだろうし、何より家族に囲まれている今の状況に慣れてしまえるからだ。ひとは、慣れることに弱い。

だが、彼女がゆらいでいる今にたたみかけるというのも戦略的には有効だ。

ジェラルドの迷いを見透かしたように、シャーロットがこちらを見た。

「正確には、竜帝と接触するであろう北からの別働隊のほうの足取りです。もう竜帝と落ち合っていてもおかしくありません。夫たちは包囲の準備をしています」

「別働隊と、接触……ラーヴェ帝国軍は!?」

「まだ動いていないわ。心配しないで」

シャーロットがゆっくりジルの頭をなでる。ジルはほっとしたようだった。

「ナターリエ皇女の居所も見つかったとジェラルド王子が仰ってたわ」

「本当ですか!? では決行は」

「ええ。確認は必要だけれど――今夜はどうでしょう? ジェラルド王子」

ジェラルドは眉をよせる。だが、全員に注視されて嘆息した。

少なくともシャーロットは早く動いたほうがいいと思っているのだろう。賛成する理由もないが、強く反対する理由はない。それにもし、これがまったく下心のない状況だったら、自分は動く。

ふと、シャーロットが何を心配したのかわかった気がした。ジルを気遣って軸をぶらすなと言われたのではないか。どうせ正しい答えなどないのだから。

「では、最終確認に入ろう。もちろん警戒は必要だが、竜帝が見つかったならなおさら、ナターリエ皇女を早く助けたほうがいい。開戦の理由にされては困る」

「ジェラルド王子……有り難うございます」

「礼を言われるようなことではない」

我ながら素っ気ない返しだと思ったのだが、さげた頭をあげたジルは、少しだけ笑った。

「ジェラルド様らしいです」

ほんの少しだけ、何かが交差した気がした。だがそれを断ち切るように、シャーロットが手を鳴らす。

「さあさあ、そうと決まれば腹ごしらえですよ。ジェラルド様、ロレンス様は最終的な作戦立案をお願い致します。その間にアンディとリックは夕飯作りを手伝って。ジルはどこにいてもいいけれど、厨房には近づいてはだめよ」

「なんでですか!?」

「つまみ食いをするでしょう」

母の回答に皆が笑っている。ついつられて緩みかけた頬をジェラルドは引き締め直した。今夜決行というならば、やることは山積みだ。

(どちらの方策が彼女の歓心を買えるかなど、わからない)

正解などないに決まっている。そんなものだ――略奪愛なんて。