軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ナターリエ皇女誘拐事件(1)

大した能力もない、美人でもない。

高貴な血筋ではあるけれど、上には上がいくらでもいるし、はずれの部類。自分に期待される役割などせいぜい、その肩書きと血統に恥ずかしくない振る舞いをし、都合の悪いことは見ずに従順でいる、その程度。

わかっているのにたまに意地になるのは悪癖だ。もちろん、それで事態が好転したことはない。だって大したことは何もできないから。

ぐるぐる、出口が見えない迷路の中でずっと歩いているみたいだ。

だって、どこで、何を、どうしたらよかっただろう?

自分に何ができただろう?

せめて諦めになど負けない情熱とか、願いとか、夢を持てたらよかったのに。

ナターリエ・テオス・ラーヴェは、そんなふうに思いながら、生きている。

「お前の婚約が決まった」

叔父の言葉に、ナターリエは固まった。

ラーヴェ帝国帝都ラーエルム、帝城。皇帝の執務室に呼び出されての第一声である。襲撃を警戒してか広い執務室の窓はすべてカーテンがかけられていて、薄暗い。

知らない場所にいるようで咄嗟に返事をできずにいると、叔父が尋ねた。

「不満か? それとも他に決めた相手でもいるのか」

「い、いえ。そんなことはありません」

これは叔父と姪の話ではないのだと理解して、敬語で答える。

ナターリエは皇女だ。いきなり婚約が決まることなど、珍しくもなんともない。いつか必ずくる話だと覚悟もしていた。自分の使い道があるとすれば、政略結婚くらいしかない。

それでも驚いてしまったのは、時機のせいだ。

「ただ、その……こんなときに、と思って、驚いただけです」

「こんなときだからこそだ。ラーヴェ帝国の基盤を固めてしまわねば」

言葉を濁したナターリエにきっぱりと叔父は言った。

ラーヴェ帝国は今、内乱が起こっている。叔父の前では革命というべきなのかもしれない。目の前の叔父ゲオルグが新皇帝として名乗りをあげ、異母兄ハディスに反旗を翻したのだ。

ナターリエがその話を聞いたのは、危険だとわけもわからず後宮に押し込められたあとだった。大きな戦いが始まるのではないかと懸念したが、肝心のハディスが姿を消し、行方が知れなくなった。叔父が掌握した帝国軍が行方を追っているが、足取りひとつない。どこかにかくまわれているのではないかと調べても、元々後ろ盾のなかった皇帝は誰にも頼っていないらしく、挙兵の気配すらなかった。

このままゲオルグが新皇帝としておさまるのかもしれない――そう皆が噂し始めるくらい、平穏に日々はすぎている。ナターリエもすぐに以前と変わらぬ暮らしに戻った。

ならば今のうちに基盤を固めてしまおう、というのはわかる。

だが竜をよく観察しにいくナターリエには拭えない不安があった。

(でも、竜の態度が以前と違う)

何か大きな異変があったわけではない。だが、肌で感じるのだ。竜たちの目が、今までと違う。今まで竜を観察している側だったナターリエは、自分が観察される側に回ったように感じていた。

竜にためされている、と思う。

理屈ではない。だが、竜にかかわる人間は、同じことを感じているのではないだろうか。帝城だけならばいいが、もしラーヴェ帝国全土で竜の態度がおかしくなっていったらどうなるのか。

だがそれは、叔父が竜神の怒りを買っているということ。そして叔父が偽帝だと断じた皇帝ハディスが、竜帝であると認めることに他ならない。だから誰も口にできない。ナターリエもだ。

今、圧倒的勝者であるはずの叔父を、逃亡した異母兄が嘲笑して弄んでいるのではないか、なんて。

「お前には悪いが、婚約はもう決定事項だ。そしてこんな時機だからこそ、あまり時間もかけてやれない。準備はもうこちらで整えた。明日には出発してもらう」

淡々とゲオルグが話を戻した。ナターリエは頷くしかない。

「わかりました」

「……ずいぶん、物わかりがいいな」

「ラーヴェ帝国のためなんでしょう。……お母様やお兄様たちも、何も言わないでしょうし」

苦笑い気味に告げると、ゲオルグが執務室に入って初めて、叔父の顔をした。

「あんな腰抜けに口を出させたりなどしないが……お前には、申し訳ないと思っている。もう少し自由でいさせてやりたかった」

「大丈夫よ、叔父様。私もう十六歳なのよ? 皇女としての仕事ができるなら、嬉しいと思うわ」

「皇女としての仕事というなら、これ以上ない相手だ」

「そういえば、私が相手のところへいくのね? ひょっとしてもう足腰も立たないおじいさんだったり?」

誰だっていい、役に立てるなら。そう思って冗談めかしてみせる。

「相手はジェラルド・デア・クレイトスだ」

その名前に、笑っていたナターリエの頬が引きつった。

クレイトス王国の王太子だ。今でこそ大きな争いはないが、何かあればすぐ戦争が始まってもおかしくない、神話時代からの敵国である。

敵国に嫁げ――そう言われているのだ。その意味と重責についうろたえて、確認してしまう。

「本気……なの、叔父様」

「冗談で言える相手ではない」

「なら、クレイトスとは和平を結ぶってこと?」

「そうとも言っていない。だが、今この状況でクレイトスとの関係を悪化させるわけにはいかない。この件に関しては、クレイトスも前向きだ」

「それってまさか、叔父様はクレイトスと――」

「クレイトスの王太子がラーヴェの皇女と婚約する機会など、この千年一度だとてなかった。大きな仕事だ、ナターリエ」

目をそらさない叔父はもう、別の顔をしている。

「年齢的にも王太子とちょうど釣り合う。満場一致で皆、お前を推した。お前にしかできないことだと」

つい、ナターリエは皮肉っぽく笑ってしまう。

(そうよね、私にしかできないでしょうよ)

ラーヴェ帝国皇女は今、ナターリエ以外にふたりいる。異母姉のエリンツィア、異母妹のフリーダだ。クレイトス王太子は確か今年十六歳だから、年齢的に釣り合うのは確かにナターリエである。だが、それは表面上のことにすぎない。

エリンツィアはノイトラール竜騎士団という、ラーヴェ帝国一の竜騎士団を率いる失えない戦力だ。ノイトラール公自体は中立派で、今回の叔父と異母兄の争いにもはっきりとどちらを支持するか表明していない。だがエリンツィアをクレイトス王太子に嫁がせるなどと言えば、国境を長年守ってきた誇りにかけて叔父に敵対する可能性が非常に高い。

もうひとり、異母妹フリーダは幼いが、ラーヴェ帝国では珍しい魔法の才がある。くわえてノイトラール公と並ぶ三公のひとり、レールザッツ公が後ろ盾だ。そしてリステアードという同母の皇子もいる。レールザッツ公はハディス・テオス・ラーヴェを支持しているわけではないが、今回の件に関しては様子見している。現にリステアードは、ゲオルグとは違う意図でハディスをさがして飛び回っている。ここでクレイトス王太子にフリーダを嫁がせるなどと知れば、まず間違いなくリステアードが反対するだろう。レールザッツ公の目も冷ややかになり、ゲオルグはいらぬ疑いをもたれるはずだ。

まさかこの内乱は、クレイトス王国の手を借りてやっているのではないだろうな、と。

「……フリーダに、出発前に挨拶をしてもいいかしら」

「あれはまだ幼い。騒がれても大変だろう。私から説明するから、手紙でも書いてやってくれ」

そしてその疑惑は、おそらく――当たりだ。

今、エリンツィアはハディスの捜索に駆り出されており、帝城にはいない。リステアードも同じくだ。いるのはフリーダだけ、だがそことも接触させたくないらしい。そして嫁がせるのに三公のおうかがいを立てずにすむナターリエを選ぶ。その答えは明白だ。

叔父がクレイトスとなんらかの取り引きをしているからだ。

もしそれが公になったとき、ナターリエとクレイトス王太子が婚約していれば後付けで説明できる。

一瞬で色々なものを察してしまった自分の中途半端な優秀さが、ナターリエは憎かった。

察しても、どうせ頷くしかない。

「……そう、ね。なら、今から手紙を書くわ。ちょっと色々、不安だし」

「たとえば?」

「だってクレイトスの王太子でしょう。それこそ恋人とか、他の婚約者候補とかいてもおかしくないし」

「ああ……正式ではないが、候補はいたようだな、ひとり。だが相手はまだ十歳だかそこらだと聞いている。お前が心配することはない」

「そうかしら。だって相手は、愛の国の王子よ? 国王陛下だって、妃を複数持つのは許されないんでしょ。ちゃんと気持ちの通じ合った相手かも」

体制も文化も神も違う国だ。おどけて、ナターリエは言う。

「私、いじめられそう」

「そんなことはさせない。お前はラーヴェ帝国の皇女だ」

真面目な顔でゲオルグが言い切った。嘘はない声色だった。

「堂々としていろ。ジェラルド王子は愚かではない。お前のことを決してないがしろにはしないだろう。……それに私も、叔父として、お前を不幸にするつもりはない」

そして、皇帝になろうとしている苦渋に満ちていた。ナターリエは肩の力を抜いて、微笑む。

「……ひとつだけ聞いていい、叔父様?」

「なんだ」

「私がクレイトス王太子と婚約すれば、ラーヴェ帝国のためになる?」

結局、大事なことはそれだけだ。

叔父がクレイトスと通じて皇帝になろうとしていようが、竜帝が異母兄のほうであろうが、ナターリエが皇女として判断基準にすべきはそこである。

そしてラーヴェ帝国を愛している叔父は、しっかりと頷いた。

「ああ。もちろんだ、約束する」

「なら、いいわ」

これで、役立たずの皇女にならずにすむ。

「まかせて。立派なクレイトス王太子妃になってくるから」

それが自分の役割だというなら、そうしよう。受け入れたナターリエに、叔父が両目を伏せる。

「……ありがとう、ナターリエ」

そして短く、そう言った。

ナターリエは首をゆるく横に振る。

母に兄の身代わりに死んでもいいと帝城に捨て置かれ、かといって何ができるわけでもなく、ただいるだけの皇女なのだ。役割がもらえるだけでも、十分だった。