軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ラーデアのパン屋さん⑧

女の子は小さな手に、しっかりお財布を握っていた。

いちごのジャムパンがほしかったのだろうか。だが、いちごのジャムパンはさきほど売れた分でもう最後だと聞いている。要は完売だ。

少し体をかたむけて、ユウナは呆然と立ち尽くしている少女に言う。

「ごめんなさい。さっきので終わりみたいで……」

「い、いちばん、楽しみにしてたんです……」

「並んでくれたんだよね。ごめんね」

ぶるぶると少女は首を横に振った。

本当においしいパンを求めてやってきたのだろう。客の中、特に女性はパンよりも皇帝陛下を目当てにしている者も多い。会計もせずしつこく「皇帝陛下は」と食い下がられることもあった。しかたないと割り切っているが、その分、パンを買いにきてくれたとわかるこの子が微笑ましかった。

自然とユウナの口調も柔らかくなってしまう。

「ええとね、いちごのジャムパンもおいしいけど、他にもおいしいものあるよ。甘いやつはね、こっちのりんごをそのまま煮詰めたの。生地がさくさくで私はおすすめ。ちょっと食べにくいけどね」

「あ、ほんとだ。おいしそう……」

しょんぼりしていた少女がちょっと顔をあげる。

「それに、一番人気商品はまだあるからね。『誓いのクロワッサン』っていうんだけど」

「なんですかそれ!?」

何やら仰天した少女に、クロワッサンという単語がわからないのだろうかと、ユウナは商品を取り出して見せた。

三日月型のクロワッサンの端をつなげて、円にしたものだ。飴状の砂糖がたっぷり表面に塗られていて、甘くて子どもにも人気がある。

「これ。食べやすいし、甘くておいしいよ。さくさくしてるし」

「……。それは遠慮しておきます……」

「えっそう?」

「はい。ええと、いちごのジャムパンはもう出ないんですよね……?」

少女が上目遣いで再確認する。そんなに食べたかったのか。形が悪かったとか、はぶかれているものがあったりしないか確認してもいいかもしれない。

「ちょっと待って、念のため聞いてみるから」

「あ」

小さな声をあげて、また少女が固まった。何かと振り返ると、ちょうど新しいパンを持ったハディスがやってきて、こちらを見ていた。

ちょうどよかったとユウナはハディスに話しかけようとして、何やらハディスの様子がおかしいことに気づく。ハディスも固まっているのだ。まばたいて、少女から目線をはずさない。

少女が石のように固まっているのはわかる。皇帝とわかっているかどうかはともかく、いきなりこんな美形の青年が出てきたら、びっくりもするだろう。

だが、どうしてハディスが「皇帝陛下」と呼びかける周囲の声も無視して、少女を凝視しているのか。

「あの、いちごのジャムパンを買いにきたみたいで、でも売り切れてしまって」

とりあえずユウナはそうハディスに説明する。するとハディスは、にっこりと笑い返した。ユウナはまばたく。

いつもと違う笑顔だとなぜだか感じた。どこか、意地の悪さを含んでいる。

「そうなんだ。いらっしゃい」

「……」

少女は答えず、何やら視線をそらす。それを見てまた笑ったハディスが言った。

「ユウナさん。おばあさんのいつものパン、まだあるよね」

「え、うん。でも、いちごのジャムパンがほしいって……」

「大丈夫、僕が払うから」

「え」

戸惑っている間に、焼きたてのパンが入った籠を置いたハディスが、自らパンを取って袋を用意してしまった。

「シチューがあるから、あっためて、それと一緒に食べるのがおすすめだよ。ものすごく合うと思う」

話しかけられても少女は緊張しているのか、まったく答えない。

ユウナも口を挟みづらい。そもそも、シチューがあるってどういう意味だろう。

「っていうか、そのためにシチューを作っておいたから。食べてみて」

本当にいつも売っているおばあさんのパンを五つ袋に入れて、ハディスが少女に差し出した。

「……いちごのジャムパン」

なんだか恨み言のように少女がつぶやいた。その腕に袋を抱えさせ、ハディスが悪戯っぽく笑う。

「君はいいでしょ、僕のパンがいつでも食べられるんだから」

その声が聞こえた周囲がざわっとさざめき立つ。少女は一瞬ぼんっと頭の上から湯気を出したようだが、すぐ唇を引き結び、きっと顔をあげて、銅貨を長机に置いた。

きっちり代金分、おつりはない。

「陛下のばーか!」

そしてパンを抱いて駆け出して行ってしまった。

呆然とするユウナの横で、ハディスが口元に手を当てて笑っている。そのうしろからおばあさんがやってきた。

「どうしたんだい。何かあったのかいハディスちゃん」

「う、うん。挨拶は明日にするって譲らなかったのに……本当はパンがほしかったのかな。僕のお嫁さんが、並んでたんだよ」

「えっ!?」

ハディスは聞き耳を立てている周囲のことなどまったく気にせず、もう一度言った。

「可愛いでしょ。あの子が僕のお嫁さん」

走り去った少女のあとを追いかけるように視線を投げて、ハディスがふんわりと、初めて見る顔で笑った。

皇帝陛下のお嫁さん。竜妃殿下。竜妃の神器を操りラーデアを救った、新しい大公。

十一歳の、竜妃。

色んな単語が浮かんだけれど、何よりもハディスの瞳に宿る愛しさがすべてを物語っている。きっと幸せで、両思いなのだ。

「でも僕に内緒で並びにくるなんて。よっぽど食べたかったんだろうな」

ハディスは声を殺して笑っているみたいだったが、ユウナは少し首をかしげた。

(ハディスさんが気になって見にきたんじゃないのかなあ)

パンがほしかったのは本当だろうが、いちばん気にしていたのはそこではない気がする。

だが、黙っておくことにした。きっとあの少女は今頃、ハディスに見つかったことが恥ずかしくて悔しくて、悶えている。同じ女の子だからわかる。そう思った。