作品タイトル不明
23.聖女は考える
クラウディアの魔女裁判を告示してから、フェルミナは、定期的にシルヴェスターと時間を取るようになっていた。
王城の応接室。
汚れ一つない壁紙に、足を守ってくれる柔らかな絨毯。
白を基調とした調度品は花の装飾で彩られ、まるで自分の好みに合わせてくれているようだ。
窓からは整備された庭園が見えた。緑の葉先にある青い空には、白い雲が綿菓子のように浮かんでいる。
(窓一つとっても綺麗)
どこかの、壁に穴を開けただけのものとは大違いだ。
細やかな格子で分割された大きなガラス窓は透明度が高く、手を差し込めばすり抜けてしまいそう。
窓際にも花が植えられていうおかげで、外へ出なくても庭園の雰囲気が楽しめた。
――公爵令嬢時代は、縁もゆかりもなかった場所。
目の前には春のデザートを載せた、ケーキスタンドがある。
甘い香りに、自然と頬が緩んだ。
テーブルを挟んで、国の王太子と対面して座っている自分。
権力者を前に、これだけ穏やかに過ごせているのは予想外だった。
(聖女が板に付いてきたのかしら)
グレードアップしているのを感じ、微笑みを湛えながら紅茶を飲む。
シルヴェスターも同じようにカップへ口を付けた。
さらりとした銀糸が息吹を呼び込み、黄金の瞳によって暖かな日を浴びる様は、春を具現化していた。
「聖女殿にとっても、クラウディア嬢の件は衝撃的だっただろう。心を痛めておられないといいのだが」
「お心遣い、痛み入ります。けれど悪は正さねばなりません」
甘えていられないと覚悟を告げる。
同調するように穏やかな笑みを返され、頬が熱くなった。
(てっきりお姉様を庇うと思っていたのに)
何せ婚約者である。
王家へ連絡もせず、こちらの判断で護送した件については苦言があったものの、それ以上は追及されなかった。
「立派なご心情だ。聖女祭が延期されたのが残念でならぬ」
「調査のためだと理解しております。特にリンジー公爵家にとっては、寝耳に水だったでしょうから」
公爵である父親は内政だけでなく商売にも長けていた。
黒魔術に頼る必要性がない。
ヴァージルもそんな父親の薫陶を受けている。
生まれに恵まれながら、自ら足を踏み外したのはクラウディアただ一人だ。
告示に不満を持つ者が裏付けを取るべく調査に乗り出すのは、想定内だった。
「信徒として、この件に王家は真摯に向き合うと約束しよう」
黄金の瞳に陰りはなく、光だけがあった。
これが国を背負う王族の姿なのだと感心する。
威厳あるシルヴェスターの姿に、はじめて出会ったときのことが思いだされた。
王城の庭園で催されたお茶会。
全てが輝いて見えた、淡い初恋だった。
(あのときのわたしは考えなしだったから、見限られても当然だわ)
恋にのぼせて、より視野狭窄に陥っていた。
もう二度と、あのような醜態は晒さない。
(わたしは聖女になったんだから)
たとえ隣に立つことは叶わなくても、こうして紅茶を飲み交わせる。
今はそれだけで十分だ。
「話は変わるが、ナイジェル枢機卿のことは聞いているか?」
「はい、大聖堂にて休まれているそうです。この件で、大聖堂は大騒ぎですわ」
ナイジェル枢機卿は、ハーランド王国から追放された身の上だ。
問題の責任を取った形だが、許可なく来訪するのは禁じられている。
そんな彼は王都郊外で事故を起こし、たまたま通りかかった青年に助けられ、最寄りの教会施設へ送られた。
大聖堂へ身柄が引き渡されて、現在はギーク枢機卿の管理下にある。
「聞くところによると、聖女殿の支持者にはナイジェル枢機卿も名を連ねているとか。親交は深かったのかな?」
「いいえ、お会いしたこともありません。活動家として素晴らしい方だとは聞き及んでいます。面会を希望したのですが、現在は難しいと断られてしまいました」
ナイジェル枢機卿にではなく、ギーク枢機卿に。
教会として彼をどう扱うか方針が定まるまでは、面会はできないと言われた。
何か事情があったにせよ、ナイジェル枢機卿が約束を破ったのは事実だ。
(どうしてハーランド王国へ来たのかしら)
フェルミナが知る由はない。
ナイジェル枢機卿については、教会本部で悪評を耳にする機会があった。
けれど聖女候補者たちの言葉だったので聞き流していた。
(わたしのことは口撃できないからって支持者を悪く言うんですもの)
既にフェルミナの善行が周知されていたため、表立って否定できなかったのだ。
少年を庇い鞭で打たれたことを否定すれば、逆に心がないと非難されてしまう。
善人で居続けなければならない彼女たちの心情は、クラウディアと対峙していた過去の自分にも通ずるところがあり、手に取るようにわかった。
(案外どこも同じなのね)
修道者とて人間なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
もっと精神的に落ち着いている人が多いと思っていた。
蓋を開けてみれば、まだまだ経験が浅い自分とそう変わらないのだから驚きだ。
(違うといえば、やはりシルヴェスター殿下かしら)
同い年でありながら、ここまで貫禄のある人を他に知らない。
視線を横に流し、考える素振りすら様になっている。
「なるほど、支持者の一人であるのに心配が尽きぬな。ノリス司祭から、護送の経過など連絡が入っていれば少しは安らぐだろうが、どうなのかな?」
「連絡はありません。シルヴェスター殿下としては、お姉様の動向が気になりますか?」
「当然だ。国としても注視している」
シルヴェスターからすれば、情報を得るためのお茶会であることは承知の上だった。
けれど訊ね方には信徒の姿勢が窺えて、フェルミナは好感を持つ。
「クラウディア嬢は、暴動を起こさせた疑いがあるのだろう? 何か仕掛けられる心配はないか?」
「教会の騎士が同行しておりますし、大丈夫でしょう。お姉様がどうやって暴動を起こさせたのかもわかっておりますから、後れを取ることもありません」
クラウディアの協力者に証拠を消されないため、お香についてはまだ伏せていた。
ふむ、とシルヴェスターは安心したのか肩から力を抜く。
「暴動の現場を視察されたときは衝撃も大きかっただろう。聖女殿には頭が下がる」
たった一言、だったけれど。
和らいだ表情と共に発せられた労いの言葉が、荒んだ心に沁みる。
シルヴェスターの言うとおり、生半可なものではなかったのだ。
温かい視線に、頭を撫でられているような心地になる。
(そうだわ、いかにお姉様が無慈悲だったか、お伝えするべきよ)
うん、と頷き、口を開く。
勝手な想像を含んでいないことの証明に、当時のことを詳細に記録していることも伝えた。
「ほう、日記を書いておられるのか」
「はい。お恥ずかしながら、記憶力がそれほどいいわけではありませんので。最初の視察は、山おろしの強い場所でした。難民が凍てついた風に晒される姿は、とても見ていられるものではありませんでした」
「春先ではなかったのか?」
「冬の終わり、難民が避難場所へ着いた矢先のことです」
シルヴェスターが前屈みになり、話に食いついているのがわかった。
国内であった悲劇だ。無視はできない。
(これを聞けば、お姉様への同情心が残っていても消し飛ぶでしょうね)
クラウディアへの幻想を打ち砕くため、フェルミナは自分が見てきた凄惨な現場を、時間が許す限り語った。
◆◆◆◆◆◆
日が暮れて、大聖堂に用意されている客室に戻っても、まだ頭は先ほどいた場所から移動できずにいた。
別れ際、またお茶に誘ってもいいかと訊ねられたのが、尾を引いているのかもしれない。もちろん快く承諾した。願ってもない申し出でもあった。
ナイジェル枢機卿が運び込まれてからというもの、ギーク枢機卿の機嫌が悪いのだ。大聖堂全体の雰囲気がヒリつき、顔を合わせると息が詰まりそうになる。
今のフェルミナにとって、シルヴェスターとのお茶会が唯一ゆっくりできる時間だった。
一人掛けのソファーに座り、ほう、と吐き出した息は熱っぽい。
「シルヴェスター殿下は、いつ見ても素敵だわ」
夢心地で顔を上げると、客室の天井に吊された質素な照明が目に入る。
王城との違いを目の当たりにし、急速に熱が冷めた。
本堂など礼拝場所の装飾は細やかな意匠が尽くされ、溜息が出るばかりだが、修道者の住居となると一転する。
(離島の修道院に比べれば、全然マシだけど)
フェルミナが滞在しているのは客室のほうなので、まだ華やかなほうだ。
とはいえ、ピンクやオレンジといった明るい色はない。
机に向かい、日記帳を開く。
一日の出来事を文字にするのは、頭の整理にも役立った。
(思いのほか、ギーク枢機卿が協力的でないのよね)
同じ修道者であるのに。
クラウディアの護送について一言なかったことに、王家以上にお小言を貰った。
(ああでもしないと逃げられるって、少し考えればわかるでしょう?)
そんなに権威が大事なのだろうか。
信仰に取り組む姿勢ではなく、権力に固執する上役が多いから、教会本部でも辟易とした空気が漂っているというのに。
シルヴェスターとの会話にも出た、ナイジェル枢機卿のことだってそうだ。
同じ権限を有する者の存在は邪魔なのかもしれないけれど、彼は事故にあったのである。
幸い、頭を打ったものの命に別状はなく、ケガもかすり傷で済んだ。
それでも負傷者に変わりはないのだから、もう少し接し方があるように感じられる。
(いい歳したおじいちゃんがみっともないわ)
ただ頭の片隅では、ギーク枢機卿が不快に思うのも理解していた。
ハーランド王国での立場を考えれば、ナイジェル枢機卿こそ、ギーク枢機卿に連絡を入れておくべきなのだ。
(どっちもどっちね)
日記を綴るフェルミナの心配事は、ただ一つ。
(ノリス司祭は、無事にお姉様を護送できているかしら)
大聖堂の裏手で別れてから、音沙汰がない。
教会本部へ急ぎ向かっているため、贅沢は言えないのだけど、手紙の一つくらいは送ってほしいものだった。