作品タイトル不明
18.修道者は確信を得る
遂には被害者だったパン屋の店主が、被害を取り下げる。
店主の申し出に、警ら隊員もほっとした表情を見せた。
「ほら、これも持っていけ」
「いいの……?」
しまいには、座り込む少年へパンを握らせる。
「なんだ、その……わしも考えが足らんかった。お前も、次からは声をかけろ。傷みかけがあれば譲ってやらんこともない」
「本当!? ぼくも……ごめんなさい!」
「反省しとるならいい。あとお嬢さん方にも礼を言うんだ。若い体に傷を作ってしもうて」
罪のない人間の背中に、一筋の傷ができた。
平民であっても女性は体に傷ができるのを嫌う。
若ければ若いほど――未婚であれば、もっと。それだけで、人としての価値が下がってしまうという考えがあるからだ。
修道者になった以上、結婚しないからといって看過できるものではない。
跡が残れば、これからの人生、ずっとその傷を背負っていくことになる。
「聖女様っていうのは、あんたみたいな人のことを言うんだろうなぁ」
店主の言葉に、その場にいた人々が頷く。
「簡単にできることじゃないわ」
「いくら子どものためとはいえ、知らない子でしょ? しかも薄汚れた子を相手に……どれだけ心が広ければ、あんな行動が取れるのかしら」
「俺たちも考えさせられたな」
「やっぱり修道者は心が綺麗なんだ」
周囲で賛美が広がる中、おずおずと少年が立ち上がる。
「あ、ありがと……」
俯いたまま発せられた声は、緊張していてか細かった。真っ赤になった耳を見て、頬が緩む。
勇気を振り絞った少年のお礼に、一緒に庇ったシスターは大粒の涙を溢れさせた。
彼女の目には、失った弟や妹の姿が映ったのかもしれない。
「どういたしまして。これからは盗みなんてしたらダメよ」
「うん、もうしない。おじさんに声をかけるよ」
少年の言葉に、ああ、同じなんだ、と思う。
彼も自分と同じように知識が足りなかったのだ。食べるためには、盗みしかないと思い込んでいた。
けれど店主から、売りものにならず捨てるパンもあると聞き、新たな手立てが増えた。最初から知っていれば、盗みというリスクを犯すこともなかった。
少年の明日がどうなるかはわからない。
それでも今日よりは、生きやすくなったんじゃないだろうか。
「良かったわ」
「うん、うん、本当に良かった……っ」
「あなた、まだ泣いてるの」
ぐすぐすと鼻を鳴らすシスターに呆れた視線を投げる。
ケガをしたのは自分のほうだというのに。
「いつまでも座り込んでいないで! さっさと立ちなさいっ」
先輩シスターの鋭い声に、非難の視線が集まる。
そのおかげか、すぐに理由が付け足された。
「帰って手当しますよ。荷車は……わたしが引きます」
今までにないことだった。
涙目のシスターと目を合わし、立ち上がる。
しかし引きつる傷みに、バランスを崩した。
「大丈夫!? わたしに掴まって!」
シスターの肩を借りて、傷に響かないようゆっくり歩く。
修道院までの道のりが、いつも以上に長く感じられる。
けれど、人々の賞賛がずっと続いているおかげで苦ではなかった。
「凄いよ。偉いよ。わたしには絶対できないから……」
「痛いもの、しなくていいわよ」
自分でも、どうして咄嗟に庇えたのかわからない。
(鞭打ちがどれだけ痛いか知っていたら、わたしも動けなかったかも)
目に涙が残るシスターの背中には、いくつものミミズ腫れの跡が残っているのを知っていた。
彼女も過去、盗みを働き、捕まったことがあるのだ。
修道院よりもずっと過酷な環境にいた彼女にとって、修道院は心穏やかでいられる楽園だった。
◆◆◆◆◆◆
夜、鍵が閉められた部屋で横になる。
隔絶された部屋に安らぎを覚えるようになったのは、覗きと目が合ってからだ。
自由がなく、窮屈で仕方なかったというのに、今では自分を守ってくれるゆりかごだった。
冷気を防ぐため、ここのところずっと雨戸は閉めている。
けれど小さな隙間から、月明かりが木漏れ日のように差し込んでいた。
傷の手当てを受けたものの、じくじくとした痛みは続き、到底仰向けでは寝られない。
背中が熱を持っているように感じられた。鞭の跡は残りそうだ。
痛みを抱えつつ、一つ確信する。
(後悔はないわ)
だって少年を助けられたのだから。
最後は面白がっていた野次馬も考えを改めてくれた。
自分の行動で、人の意識を変えられたのだ。
そして、ようやく自覚する。
(わたしはバカなんだわ)
これまでは、人より聡いとすら思っていた。
全然だった。
今日という一日を振り返って学んだ。
(自分だけが苦労していると考えていたくらいだもの)
頭の隅では、もっと大変な人がいることくらいわかっていた。
ただ他人より、自分が大切だった。
自分のつらさを取り除くことが、何よりも重要だった。
だというのに、利己的な考えだと認めるのが嫌で、他が悪いのではないかと理由を探していた。
自分にとって都合の良いように。
(わたしって、いつもそう)
良い子にしている人を見れば、鼻につくと貶めながら、その実、誰よりも自分が良い子であろうとしているのだ。
自分に間違いがないと思いたいがために、他が悪いと決め付けてきた。
やっと自分自身と向き合えた。
ぎゅっと肩を抱く。
痛みのせいで眉根からはシワが取れない。
それでも少年を庇ったことを振り返ると、笑みが漏れた。
(自分でもびっくり)
あんな行動に出られるなんて。
考え方を改めようとしていた余波だろうか。
いつも他人のせいにしてきた自分が、誰かのために動けた。
バカでも人を救えるのである。
根本的な解決はできなくとも、人々は行動を褒めてくれた。彼らにはできないことを、自分がやったからだ。
(権力や財力があっても、全てを解決できるわけじゃない)
現に助けられない人がいる。飢えた子どもたちがいる。
修道者の自分は、そのどちらも持っていないけれど、一時の救いは与えられた。少年は今後を見直す機会を持てた。
(何もないわたしにも、できることがある)
この世は、不平等だ。
自分は、持たざる者だった。
浅慮で、いつだって我が身が一番可愛い。
でも間違いなく。
今日、あの場で少年を助けたのは、王様でも、教皇様でもなく、自分なのだ。
他の誰かではない。
(ここにいる、わたしが、したこと)
周りの人たちも認めることだ。
思い上がりではない、事実を噛みしめた。