軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

08.悪役令嬢は熱情を抱き締める

劇場のホールは、舞台を前にして一階と二階に大衆用の席が設けられ、三階は王族と上級貴族専用になっている。

三階は個室で区切られ、舞台側のバルコニーに観覧席が設けられていた。

三階の観覧席からは、舞台だけでなく一階に広がる扇状の席も見渡せる。

はじまる前の舞台には、ひだの付いたえんじ色の幕が下りていた。

(あの舞台の上でデートしたなんて、未だに夢のようだわ)

観客席にいることで、規模の大きさを再確認する。

シルヴェスターが監修したデートは、いつだって予想以上だった。

随所で灯されるオレンジ色の明かり。

照らされる木造の壁や観客席は、林の中で暖色の蛍が飛ぶ様を連想させた。

温かい色が劇場内に広がっているのを三階席から眺める。

有名な劇団だけあって、客入りは上々だ。この分だと、寄付金も多く集まるだろう。

ホールを一望し、クラウディアは個室のほうに用意されたソファーへ腰を下ろした。

まだ時間に少し余裕がある。

人によっては小腹を満たす時間だった。テーブルにはウェルカムフルーツが置かれている。

食べようか悩む前に隣から、ふむ、と声が漏れるのを聞き、視線を向ける。

「叔父上の反応は意外だったな」

傍から見ても、パトリックの夫人への視線は熱がこもっていた。

「シルもですか? わたくしもお茶会の席で知ったのです」

シルヴェスターの言葉からも、パトリック夫妻の仲がまだ知れ渡っていないとわかる。

お茶会の招待客たちは、それだけパトリック夫人と近しい間柄なのだろう。

「シルから見た、以前の夫妻はどうでした?」

「夫人は献身的だったが、叔父上は全く興味を持っていなかった。屋敷を空けることも多いと聞いていた」

ただ娼館へ行くでもなく、賭場へ行くでもないため、奔放なのは周知の事実だが、何をしているのか身内にも不思議がられているという。

「決まった集まりに顔を出しているわけでもなく、目撃情報が一番多いのはオークションだ。昔から変わった骨董品を集めるのが趣味でな」

縁のわからない怪しいものを家宝だと見せられたことがあると、シルヴェスターが思い出を語る。

「当主の資質でいえば、パトリック夫人の弟のほうが使えるようだ。次期当主に推す声もあるが、嫡男である叔父上がいる以上、彼が当主の座に就くことはない」

ただサンセット侯爵家としては夫人の弟の能力を手放せないため、重役に就かせる方向で話が進んでいるとのこと。

「しかし夫人の態度には、もの申したくなる」

視線一つとっても、あからさまにクラウディアを軽んじていた。

シルヴェスターにしてみれば、許せるものではない。

口を出したいところだが、早々に動けばクラウディアが社交界でどういう評価を受けるかはわかりきっている。

だから今回は見逃した。

「母上の考えもあるのだろうが」

パトリック夫人の背後には王妃がいる。

むやみに彼女を否定すれば、王妃がどんな反応をするかわからない。

不機嫌さを隠さない婚約者の手を、クラウディアが取る。

「王妃殿下からの試練だと思い、対処していきますわ」

シルヴェスターも婚約式のおり、国王から試練を与えられていた。

自分に順番が回ってきただけだ。

「幸い、パトリック夫人の望みも難しいものではありません」

利権が複雑に絡みあい、複数の人間が関与している、というわけではなかった。

サンセット侯爵家は今ある利権を手放したくないだけだ。

背景は至ってシンプルなものだった。

「確かに読みやすくはある。けれど夫人の行動に君が傷付かないと言えるか?」

取った手を握り返された。

大丈夫だと、すぐに答えることもできた。

実際、大したダメージは受けていない。

けれどシルヴェスターが心配してくれているのは、そこじゃないだろう。

彼はどれほど小さな傷もクラウディアに与えたくないのだ。

「全く傷付かないとは言えません」

他者からの負の感情は、言葉だけではなく、態度だけでも受け手を萎縮させる。

お茶会で全員が敵に回るのなんて、想像もしたくないことの一つだ。

相手の意図が透けているのもあってクラウディアは落ち込まなかったが、何も感じなかったわけではない。

もし親身になってくれる存在がいなかったらどうだろう。

我がことのように考えてくれるヘレンやリリス。手を握って心配してくれるシルヴェスターがいなかったら。

小さいとはいえ、いつまでも傷は残り続ける。

「ですが、シルが心配してくださるだけで、寄り添ってくださるだけで簡単に癒えますわ」

そして、その分、強くなる。

傷つくだけで終わらない。

前へ進むための活力にもなるのだ。

「今は、これだけで十分です」

「傷が大きくなりそうだったら、必ず言うのだぞ」

「はい、そのときは遠慮しませんわ」

しっかり頷くと、黄金の瞳が緩む。

次いで、頬に柔らかな感触が落ちた。

「本当は唇にしたいのだが」

気付けば開演時間が迫っていた。

「頑張っている君の前で、欲に溺れるわけにはいかぬからな」

そう言って、優しく頭を撫でられる。

自分を律する姿を見せられ、逆にこちらの欲情がかき乱された。

さらりと煌めく銀糸。

熱情を抑えているからか、目元は薄ら色付いている。

微笑を湛える唇の柔らかさが恋しい。

呆れられたくない、というシルヴェスターが、どこまでも可愛く映った。

「ディアの強さ、弱さ、全てを愛している」

「わたくしも、シルの全てを愛しています」

無意識のうちに腕が伸びていた。

硬い筋肉と心地良い体温を感じながら抱き締める。

そして互いの熱が上がってしまう前に、観覧席へと移動した。