作品タイトル不明
44.王弟殿下は気持ちに名前を付ける
「リンジー公爵家のご兄妹が案内人なんて、ついてますね」
綺麗に笑う側近を、ラウルは胡乱げに見返す。
レステーアは男子用の制服も違和感なく着こなしていた。
貴公子然としているのが、何だか腹立たしい。
睨んでも動じた素振りがないから余計に。
(これ以上、クラウディアには近付けさせられないな)
他国で大がかりなことはできないと思っていたが、レステーアはやってのけた。
情報が後手に回っていることを鑑みれば、ラウルよりレステーアの考えを重んじる人間もいそうだ。
彼らにとっては、そのほうが利権への近道なのだろう。
(純粋にオレを推す奴らもいるから、無碍にできないんだよな)
むしろ王弟派には、そういった者のほうが多い。
彼らは彼らなりにラウルを守ろうとしてくれているのだ。
ラウルの意に反していても。
(兄上のように判断できれば、悩まずに済むんだろうか)
考えが違うという理由だけでは、簡単に切り捨てられなかった。
レステーアのことも、一緒に責任を取るつもりでいる。
彼女も家の利権のためだけに動いているとは到底思えなかった。
それでもクラウディアに警告しようと決意したのは、レステーアが自分から離れて先頭集団へ向かうのを見たからだ。
(わざと設けられた場か)
いい加減、夢を見るのはよそう。
ハーランド王国にとって、自分への接待は情報を得る場でしかない。
レステーアが引いたのは、相手がクラウディアだったからだろう。
(事前にクラウディアへ何か言っていたな)
余計なことはするなと釘を刺したが、意味はなかったらしい。
レステーアは、クラウディアを気に入っている。
ラウルとくっつけたがっているのは、リンジー公爵家の協力が欲しいからだけではないだろう。
味方にしたいのだ。レステーア自身の。
(オレのことをからかう前に、自分の気持ちに気付いたらどうだ?)
そう思いながらも、クラウディアの青い瞳と目が合うなり視線が泳ぐ。
はにかむ姿を見せられれば、抱き締めたい衝動に駆られた。
そのたびにシルヴェスターの顔を浮かべて、気持ちを萎えさせる。
もしくは母親の裸体を想像した。
(うぐっ、これはこれで精神的にくる……)
煩悩を捨てるためとはいえ苦行だった。
それでもクラウディアと一緒にいられるのが嬉しくて。
レステーアの思惑や、政治が絡んでいるとわかっていても、体は熱を持った。
クラウディアの何気ない仕草から目を離せない。
(夢を見るんじゃない)
自分の事情に、彼女を巻き込むわけにはいかないのだから。
美しすぎる彼女のことは、幻想とでも思おう。
そう考えていたのが災いしたのか。
一陣の風に、クラウディアが連れ去られてしまう気がした。
今にも霞となって消えてしまいそうで。
どこか手の届かないところへ行ってしまいそうな、強い不安に駆られる。
「ラウル様、いけませんわ」
扇に阻まれて、はじめて自分の行動を自覚した。
慌てて謝る。
(バカか、オレは)
クラウディアは実在する人間だ。
ハーランド王国の王太子、シルヴェスターの婚約者候補でもある。
そして何より、うら若き乙女だ。
いくら自分が友好国の王族でも、男である以上、淫らに淑女へ触れることは許されない。
いや、王族だからこそ、不用意な行動に気を付けねばならなかった。
(立場を忘れるなっ)
ラウルを監視する目だってある。
巻き込まないと決めたからには、心を殺せ。
自分に負の感情はいらない。
恋心も、いらない。
政治の邪魔になるものは、全て捨てろ。
それがバーリ国王である兄の教えだった。
(兄上は、実践しておられる)
兄にできて、弟の自分ができないことはない。
そう言い聞かせるものの、上手くいかないのが常だった。
特に他人が絡むことは。
だから、どうにかして切り捨てずに済まないか、ラウルは奔走してきた。
(けどクラウディアのことは、オレの心の問題だ)
負の感情と同様に、自分で決着をつけられる。
(大丈夫、今までだってそうしてきた)
クラウディアの注意に耳を傾けながら、心に蓋をする。
しかし誰でもない彼女が、それを邪魔した。
扇の堅い感触が手の甲を滑る。
クラウディアに触れられていると錯覚しそうになり、カッと頭に血が上った。
「キミは……っ」
(どうして忘れさせてくれない!)
放っておいて欲しかった。
考えなしの行動に呆れて、幻滅して欲しかった。
冷ややかな目を向けられれば、身の内で燃え上がる炎も鎮火しただろうに。
向けられる青い瞳は気遣わしげで。
扇が掴まれたことを怒りもしない。
(優しくしてくれるな……っ)
なんて自分勝手な考えだ。
残っていた理性が、ぐつぐつと煮えたぎる熱情に冷や水を浴びせる。
焼け石に水ではあったものの、深呼吸するきっかけにはなった。
長く息を吐き、扇を解放する。
クラウディアと繋がりを持ったままでは、到底気持ちを抑えられそうになかった。
まだ熱は引かない。
それでも理性が、頭の中を占めていく。
「けれど今の身分がなければ、ラウル様とお会いすることも叶いませんでしたわね」
「そうだな、身分がなければ出会えなかった……」
地位が低ければ、公爵令嬢であるクラウディアとは会うことも叶わない。
王位継承権の放棄は、臣籍降下を意味する。
クラウディアが王太子妃にもなれば、たとえラウルが上級貴族に落ち着けても、会うのは難しくなるだろう。
(これが一番良いのかもしれない)
レステーアと共に責任を取るのが。
自然と視線がそちらへ向く。
身分差ができれば、クラウディアが手の届かない存在になれば、さすがに諦められるだろう。
今しがた煽られた熱情も、忘れられるはずだ。
それに望みをかけて、クラウディアに警告する。
自分がレステーアを完全に抑えるまでは近付かないで欲しいと。
クラウディアが目を丸くするのを見て、笑いが漏れた。
(こういう表情もするんだな)
驚いた顔が可愛くて――切なくなる。
(どうして、こんなにも惹かれるんだろう)
気付きたくなかった。
生まれた気持ちに、名前を付けたくなかった。
けれど、もう、無視はできない。
(クラウディアが好きだ)
好きだ、どうしようもなく。
気付いたところで、気持ちに名前を付けたところで、何もできない。
諦めるしかないのに。
(クラウディアが好きだ)
気持ちが募っていくのを止められない。
(好きだ)
愛している。
衝動的に気持ちを叫びたくなって、話題を変えた。
唐突な質問でも、クラウディアは嫌な顔一つせず答えてくれる。
顎に白魚のような指を添えて考える姿から目を離せない。
(だめだ、好きだ。だめなのに、好きだ)
そして思考は、バカになる一方だった。