軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幼い弟

フィリアは、メイナードの手から感じる体温に、しみじみと呟くように言った。

「メイナード様が生きていてくださって、本当によかった」

メイナードはフィリアの言葉に目を瞠ると、戸惑ったように彼女を見つめた。

「こんな姿になった僕でも?」

「ええ。メイナード様は、メイナード様ですから」

その時、フィリアはメイナードの脇からベッド越しにじっと彼女を見つめる瞳に気が付いた。今さっき、一緒にメイナードの上半身を助け起こした少年だった。

メイナードによく似た澄んだ紫色の瞳と、少し癖のある黒髪、そして幼いながらも品良く整った顔立ちからは、フィリアにも彼が誰なのか一目でわかった。

「メイナード様の弟君ですね? 初めまして、私はフィリアと申します」

まだ探るように無言のままフィリアを見つめていた少年に向かって、フィリアはメイナードの手を放すと穏やかに笑い掛けた。メイナードはフィリアに頷いた。

「ああ、そうだよ。彼は弟のルディだ」

ルディは小さく会釈をすると、まだ警戒を滲ませた様子でフィリアを見上げた。

「……お姉さんは、どうしてここに来たの?」

フィリアは少し戸惑いながら、メイナードとルディを交互に見つめた。

「あの、姉から何も聞いてはいらっしゃらないのでしょうか?」

「ああ、それは……」

口を開き掛けたメイナードを、ルディは遮った。

「姉って誰のこと?」

「この国の聖女として、メイナード様とご一緒していたアンジェリカです」

フィリアの口からアンジェリカの名前を聞いたルディの顔が、みるみるうちに歪んだ。

「帰って! 今すぐに!!」

まだ幼く愛らしかった彼の顔は、今は怒りに赤く染まっていた。唖然としていたフィリアに向かって、ルディは小脇に抱えていた人形を乱暴に振り上げた。

「よさないか、ルディ!」

メイナードの制止も虚しく、ルディは手にした人形を力任せにフィリアに投げ付けていた。彼女の胸元に当たった人形は、そのままぼとりと床に落ちた。

「すまない、フィリア」

「いえ、大丈夫です」

困惑していたフィリアの目の前で、ルディはその大きな瞳からぼろぼろと涙を零し始めた。

「あの、アンジェリカっていう人……。聖女で、兄さんの婚約者だったはずなのに……」

ルディは唇を噛んでから、途切れ途切れに続けた。

「最初は兄さんを治そうとしていたようだったけど、兄さんの身体が自分の手に負えないとわかると、だんだん態度がぞんざいになっていって……」

ルディは袖口で目元をごしごしと擦ってから、悔しげにぎゅっと小さな拳を握った。

「最後にこの部屋を出る前に、兄さんを見て零したんだ。こんな姿になるくらいなら、死んでくれていた方がよかったのに、って」

(お姉様、まさか、そんな残酷な言葉を……?)

フィリアは、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。ルディから投げ付けられた人形が身体にぶつかった時の、ほんの小さな痛みよりも、ルディが受けた遥かに深い心の傷の痛みが、手に取るように伝わってきたようだった。

拭われたはずのルディの瞳から再び溢れた涙が、彼の白い頬を伝っていた。

「お姉さんだって、さっきはあんなことを言っていたけれど、どうせ兄さんのことを見捨てるんでしょう? もうこれ以上、兄さんのことを傷付けないでよ……」

最後は消え入るような声でそう言ったルディは、堪え切れなくなったようにわっと泣き出した。申し訳なさそうな瞳でフィリアを見つめたメイナードに、彼女は視線を返してから、ベッドの周りを通ってルディに近付いて行った。

フィリアは、気持ちが伝わるようにと祈るような思いで、身体を震わせて嗚咽を漏らすルディをそっと抱き締めた。驚いたように、ルディの肩が小さく跳ねる。

彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。

「姉が酷いことを言って、本当にごめんなさい。でも、私はずっとメイナード様のお側にいるためにここに来たのです」

二人の様子を見つめていたメイナードも、静かに口を開いた。

「フィリアはアンジェリカとは違うよ、ルディ。彼女は正直で、誠実な人だから」

「……」

フィリアの腕の中で、ルディは黙ったままだったけれど、その強張っていた身体からは、少し力が抜けたようだった。

三人の様子を黙って見守っていた使用人が、ルディに近寄った。

「坊ちゃん。フィリア様は、メイナード様に嫁ぐためにこの家にいらしたのですよ」

はっとしたように、ルディは使用人を見つめ、そしてフィリアを見上げた。腕を解いたフィリアの横で、使用人はルディの頭を優しく撫でた。

「さ、そろそろまいりましょうか、坊ちゃん。メイナード様のことが心配で、ずっとお側についていたのでしょう? 疲れも出ていることでしょうし、そろそろ坊ちゃんのお部屋に戻りましょうか」

ルディはこくりと頷くと、使用人と一緒に部屋を出て行った。去り際に、使用人はメイナードとフィリアを振り返って頭を下げた。

部屋に二人きりで残されたメイナードとフィリアは、目を見交わした。メイナードはやや眉を下げると、ルディが出て行った部屋の扉を見つめた。

「フィリア、ルディがあんな調子で、本当にすまなかった」

「いいえ、ちっとも。むしろ、姉がそんなことを言ったなら、怒って当然です」

メイナードは小さく息を吐いた。

「なかなか、難しい年頃のようでね。正義感が強くて素直なんだが、少し直情的なところもあるんだ。大目にみてやってくれたら助かるよ」

「……兄想いの、素敵な弟君ですね」

瞳を細めたフィリアの様子に、メイナードの口元も綻んだ。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。……ところで」

メイナードは真剣な表情になると、フィリアをじっと見つめた。

「アンジェリカから、話は聞いている。ああいった様子だったルディには話すタイミングを逃していたが、それと同時に考えてもいたんだ。……君は、僕を無理矢理に彼女から押し付けられたのだろう? こんな身体になった僕は、君の重荷にしかならない。優しい君に付け込むような真似をしたくはないんだ」

フィリアはすぐに首を横に振った。

「いえ、これは私が心から望んだことなのです。もし私でよければ、ずっとメイナード様のお側に置いてはいただけませんか?」