軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

新しい朝

(ん……)

部屋に差し込む眩しい朝陽に、フィリアはゆっくりと瞳を開いた。

自分がどこにいるかが一瞬わからず、寝起きのぼうっとした頭のままで数回瞳を瞬いたフィリアは、自分に回されている温かな腕に気付くと、はっとして目を見開いた。

フィリアがそろそろと視線を上げると、愛しげに彼女を見つめているメイナードの瞳と目が合った。かあっと頬を染めたフィリアに向かって、彼は優しく微笑んだ。

「おはよう。よく眠れたかな、フィリア?」

「は、はい……!」

フィリアはしどろもどろになりながら、メイナードの言葉に頷いた。

(そう言えば、昨夜は……)

混乱する頭の中で、フィリアは昨晩のことを思い返していた。式を終え、メイナードの元を訪れて、そのまま彼の腕の中で眠りについたことを思い出した彼女は、どうやら彼女の寝顔をしばらく眺めていた様子のメイナードを前にして、耳まで熱くなるのを感じていた。

(寝顔やこんな寝起きの姿をお見せしてしまって、恥ずかしいわ……)

昨晩のフィリアは、メイナードの腕の中で、式の疲労が出た様子だった彼の安らかな寝息が聞こえ始めてからも、なかなか眠れずにいたのだった。

長い間憧れていたメイナードとの挙式を終えて、彼の腕に包まれながら、ひたひたと満たされるような幸せの感覚と、なかなか静まらない胸に、冴えてしまった目を深夜まで持て余してしまったフィリアは、目覚めた今でもまだ頭がぼんやりとしていた。

「おはようございます、メイナード様」

動揺に顔を赤らめてから恥ずかしそうに口を開いたフィリアを見つめて、メイナードはくすりと笑みを零した。

「可愛いね、君は。こんなに幸せな朝は初めてだよ」

フィリアの額にそっと唇を落としたメイナードの表情は輝くばかりに嬉しそうで、フィリアはどぎまぎとしながら、染まった顔を隠すようにそっと彼の胸に顔を寄せた。

(メイナード様、朝からこんなにお優しいなんて。嬉しいけれど、心臓に悪いわ……)

少し気持ちを落ち着かせてから、フィリアははっとしたようにメイナードの首元を見上げた。

(あの呪いの様子は、どうなっているのかしら)

彼の首から顎にかけて現れている呪いの紋の色合いは、毒々しかった赤黒い色から、心なしか少し薄くなっているように見えた。

フィリアの視線が向いた先に気付いたように、メイナードは朗らかに笑った。

「今日は、症状が大分良くなったように感じているんだ。それに、昨日からは、この呪詛は少しも伸びてはいないよ」

「それは本当ですか!?」

フィリアはがばっと上半身を起こすと、まだベッドに身体を横たえたままのメイナードの首元に上から顔を近付けた。メイナードの言葉の通り、彼の喉の辺りに絡みついている呪いの紋は、昨日までに現れた場所までで留まっているようだった。

彼女が指先で凸凹とした発疹をなぞると、昨夜と比べても静かに落ち着いているようで、特に蠢いているようにも感じられなかった。

「良かった……!」

ほっと安堵の息を吐いて微笑んだフィリアを、メイナードは眩しそうに見上げた。

「これもすべて君のお蔭だよ、フィリア。君がここに来てくれてからというもの、僕は温かな光に包まれているような気がしているんだ」

メイナードはじっとフィリアの顔を見つめた。

「君が来る前は、自分の身体も心も、底が見えない沼に音もなく沈んでいくような、そんな心地がしていた。沈み掛けて息をすることさえ苦しくなっていた僕に、君は手を差し伸べて、明るい光の当たる場所へと引き上げてくれているようだ」

「私はたいしたことはしていませんが、メイナード様が少しでもお元気になられたなら、とても嬉しいです」

フィリアは、この屋敷に来てから一番顔色もよく、朗らかに笑うメイナードの姿を見てにっこりと笑った。くすんで張りがなくなっていた彼の肌にも、艶が少しずつ戻ってきていた。

(メイナード様のお気持ちによる部分も、きっと大きいのでしょうね)

メイナードの心の中には確かな希望の光が灯っているように、フィリアにも感じられていた。これまでは呪詛に飲み込まれそうに弱っていた彼の身体も、少しずつ息を吹き返し始めたようだった。

身体を起こそうとしたメイナードにフィリアは手を貸すと、元の輝くような美しさを取り戻し始めた彼の様子に再び頬を染めた。楽しげに笑った彼の指先が、フィリアの顎にそっと触れる。

(……!!)

メイナードの顔が近付いて来るのを感じて瞳を閉じ掛けていたフィリアの耳に、ドアをノックする軽快な音が響いた。思わず身体を後ろに引いたフィリアの目に、ドアの向こう側に覗いた、驚いたように目を丸くしているサムの顔が映った。

「……っ、すみません、旦那様、奥様。俺はいつも、どうもタイミングが悪いようで……」

申し訳なさそうに、そしてやや頬を染めて二人から視線を逸らしながら、サムはドアの所で立ち止まった。彼の腕の上には、よい香りの漂う朝食の皿が載ったトレイが三つ抱えられていた。

「俺、また後で出直して……」

ぎこちなく二人に背を向けかけたサムに、メイナードが明るい声を掛けた。

「いや、いいよ、サム。朝食をありがとう。そこのテーブルに置いておいてもらえるかい?」

サムは顔を赤くしたままテーブルの上に朝食の載ったトレイを下ろすと、二人を見つめてふっと微笑んだ。

「お二人が仲睦まじくされていて、俺も嬉しく思っています。今朝は、もうすぐルディ様もいらっしゃいますよ」

「そうか、それは楽しみだな」

フィリアは慌てて立ち上がると、メイナードに軽く頭を下げた。

「私、身支度を整えてから、すぐに戻ってまいりますね」

「ああ、わかった。待っているよ」

フィリアは真っ赤な顔でサムの隣を通り抜け、逃げるように自室に戻ると、ふうっと一つ大きく息を吐いた。

「私、ここでの生活に慣れることができるかしら……」

メイナードの優しく甘い笑みを思い出し、フィリアはくらりと眩暈を覚えたけれど、ややふらつく足を叱咤するようにして急いで服を着替えた。

鏡台の前で髪を梳きながら、フィリアは鏡の中の自分を眺めた。今までは見る度に目を逸らしたくなっていた、左右で色合いの違う瞳が前髪の間から覗いていた。

(メイナード様は、私の左目が輝いて見えたと、そう仰っていたけれど……)

仄かな緑色を帯びた自分の左目を、フィリアは鏡越しに見つめたけれど、特に光を帯びている様子もない、いつも通りの自分の瞳だった。

(でも……)

メイナードに綺麗な瞳だと繰り返されて、フィリアは、もう自分の瞳を見るのが嫌ではなくなっていることに気が付いた。

口元に幸せそうな笑みを浮かべた彼女は、愛しい彼が待つ部屋へと早足で向かって行った。

***

フィリアがメイナードの部屋に戻ると、既にルディがテーブルの前の椅子に腰掛けていた。ルディはフィリアを見て嬉しそうに笑った。

「おはよう、フィリア姉さん」

屈託のないルディの笑顔に、フィリアもつられるように微笑んだ。

「おはよう、ルディ。お待たせしてしまって、ごめんなさい」

ルディは瞳を輝かせてメイナードを見つめ、そしてフィリアに視線を戻した。

「こんなに兄さんの調子が良さそうなのは、久し振りなんだ。これもフィリア姉さんのお蔭だって、兄さんが言ってた。……ありがとうね、フィリア姉さん」

弾むようなルディの口調に、フィリアの心も明るくなっていた。そして、ルディに姉と呼んでもらえることに、こそばゆいような嬉しさを感じていた。

「どういたしまして。けれど、これも、メイナード様がしっかりと前を向いていらっしゃるからよ。強くて立派なお兄様ね」

「うん! 兄さんは、僕の自慢の兄さんだからね。呪いになんて負けたりしないよ」

呪いという言葉を聞いて、メイナードとフィリアは思わず顔を見合わせた。

「……ルディ、君は、呪いのことにも気付いていたんだね」

やや眉を下げたメイナードに、ルディは頷いた。

「うん。使用人たちがたくさん辞めて行った時、あることないこと言っていたけれど、その時に耳にしたんだ」

ルディの頭を、メイナードが優しく撫でた。

「ルディにも、すっかり心配を掛けてしまったね。……さあ、朝食にしようか」

フィリアはこの朝もメイナードの隣に椅子を近付けると、回復の兆候が見られているとはいえ、まだ十分に手に力が入らないメイナードの口に食事を運んだ。礼を述べるメイナードの横で、ごく自然にフィリアが彼の手助けをしている様子を、ルディは明るい表情で見つめていた。

和気藹々とした三人での朝食を終えたフィリアは、空いた皿を載せたトレイを下げようとキッチンに運んでいる途中、メイナードの部屋に向かって来ていたサムに声を掛けられた。

「おや、奥様。俺が片付けますから、そのまま部屋に置いておいてくださればよかったのに」

フィリアの腕からトレイを受け取ったサムに、彼女はにっこりと笑った。

「ありがとう、サム。この後、研究所から借りた資料を部屋に取りに戻ってから、またメイナード様のお部屋に持って行って目を通す予定なのです。ルディには、メイナード様とお二人だけで話す時間がもうしばらくあった方がよいのではないかと、そう思って」

サムはフィリアに温かな笑みを返した。

「フィリア様は、細やかな気配りをなさる方ですね。でも、そんなに気を遣っていただかなくても、何の心配もないと思いますよ。もう、ルディ様もフィリア様を家族として受け入れているのが伝わって来ますから」

フィリアはほっとした様子でサムを見つめた。

「そうだと嬉しいのですが。ルディはとても真っ直ぐな、可愛い子ですね」

ルディのことを褒められて、サムはその笑みを深めた。

「ええ、そうでしょう? さすがはメイナード様の弟君だと、俺も思っていますよ。それにね、坊ちゃんは非常に賢いのですよ」

フィリアに向かって、サムは誇らしげに続けた。

「学のない俺が言うのも何ですが、家庭教師がついていた時には、坊ちゃんの物覚えの良さに感嘆していましたし、飲み込みの早さに加えて、幼いながらに鋭いところもありましてね。……旦那様のお身体があのようになってから、坊ちゃんの家庭教師もこの屋敷から去ってしまい、少し物足りなくなってしまったのではないかと心配していたのですがね」

「そうだったのですか……」

瞳を瞬いたフィリアを、サムは懇願するような調子で見つめた。

「フィリア様が古い書物や資料を読んでいる様子を横で見ているだけでも、坊ちゃんにはよい刺激になるのではないかと思います。坊ちゃんは好奇心が旺盛なのですが、彼も一緒にメイナード様のお部屋で過ごしている場合にも、どうか無下にしないでやっていただけると助かります」

「ええ、もちろんです」

サムは感謝を込めた眼差しでフィリアを見つめ、小さく頭を下げると、フィリアから受け取ったトレイを持ってキッチンへと戻って行った。