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婚約者は肉食系

作者: 海川そら

本文

本格的にデビュタントをする前に、練習をかねて催される王立学園での夜会でのことだった。

「君との婚約解消を要請する!」

会場に響いた声に、一瞬ざわりと騒めき立ってから、すぐに辺りは静かになった。軽食が並べられたテーブルの前に立つ二人に視線が集まる。

生徒たちだけでなく、我が子の成果を見学するために集まった保護者たちからも、注目を浴びているのがわかる。

そんな周囲の様子を意に介することなく、カウバーン子爵家子息のウィリアムは、自分の婚約者であるアデライトに言い募った。

「君ときたら、挨拶もそこそこに、僕との一曲しか踊りもしないで」

「礼儀に反してはいないはずですが」

「最低限だろう? せっかくの夜会なんだから、もうちょっと挨拶に回って、交友を持たないと」

「あ、そういうのは大丈夫です」

フォークを持ったままの片手をあげてウィリアムの話をさくっと遮ると、アデライトは「いただきます」と告げてから、左手の皿にのせた一口大のローストビーフを、ぽいっと自分の口に放り込んだ。とたん、頬に手を当てて、アデライトは笑み崩れる。

そのあまりに幸せそうな顔につられるように頬をゆるめかけてから、ウィリアムは頭をふって気を取り直す。意識して視線を強めた。

「そういうところだよ」

「そういうところ、とは?」

「空気を一切読まずに行動するところだ」

「わたしのどこが?」

「現に、今、社交もせずに。肉を食べているだろう? この間のお茶会でだって『お肉はないんですか?』と言って、場を凍らせるし」

「まあ」

こてっと首を傾げたアデライトの右手には、ソーセージを刺したフォークがしっかりと握られている。

それに視線を向けてから、ウィリアムは嘆息した。

「どうして、君はそう、いつも肉のことばかりなんだ」

「心の底から愛しているからです」

ソーセージを口に放りこんで皿にフォークを置くと、ほうとため息をついて、片手を頬に当てた。

「初めてカウバーン領のブランド牛を食べたときは、衝撃でした。この世の楽園は、ここにあったのかと」

じとりとした目を、ウィリアムはアデライトに送る。

「まさか、僕と婚約したのは、それが理由だとか言わないよね?」

「まさか。そんなことで、我が身を預ける方を決めたりしませんよ」

ウィリアムは、口の端を少し歪めて笑ってから、「そうだよね」と視線を落とした。

それにやわらかく微笑んで、アデライトは続けた。

「ええ。カウバーン領には、お肉だけでなく、良質な乳も、それから作られる美味しいチーズもあるではないですか。他では悪魔の実と恐れられるじゃがいもも、ふかしたらほくほくのくせに、揚げたらサクサク、かりかりで。じゃがいもとチーズの合わせ技なんて、この世のものとは思えません。こんなに美味しいものであふれた領地が、他にありますか?」

カウバーン領地の農産物を熱く褒め称えるアデライトに、ウィリアムは痛み出したこめかみを押さえた。

「特産品で決めたように聞こえるんだけど!? 君の基準、おかしくないかっっ!?」

「ウィリアム様、言葉が乱れていますよ」

「誰のせいだと……!」

さらにウィリアムは呻くように続けた。

「だいたいうちは、王都郊外とはいえ、人間より牛が多い田舎の子爵家なんだぞ!? どうして王女殿下が降嫁してくるんだ!?」

アデライトはにっこりと大輪の花のように笑った。

「ウィリアム様が、餌付けをするからです」

「人聞きの悪いことを言わないでくれないかな!? 僕はそんなことはしていない!」

口元の笑みを崩さないまま、アデライトの目がやわらかく弧を描く。

「ウィリアム様。側妃が死んだあと、側妃に娘がいたことなど、誰も覚えていませんでした。わたしは食事をとることもできず、王宮の片隅に放っておかれました。庭で食べられる草を探していたわたしに、ウィリアム様だけが食べ物を恵んでくださった。王宮に納品に来られるたびに、わたしにも差し入れをしてくださいましたね」

アデライトが辺りを流し見ると、話を聞いていたらしい保護者の何人かが目を伏せていた。

「……それは、いつも君がお腹を空かせていたから。それに、美味しそうに食べてくれるから、嬉しくて」

「ええ。カウバーン領の特産品は、ほっぺたが落ちるほど美味しかったです。それで、わたしは悟ったんです。人間、ぶったたいて魅了するなら胃袋だ、と」

「待って。結論がおかしい」

真顔になったウィリアムに構わず、アデライトは続けた。

「ですから、わたし、書庫に忍び込んで料理を勉強しました。王宮の調理場に乗り込んで、修行もしましたよ。陛下や王太子殿下方の目の前で調理して、そのままお出しすることを考案して、今はその担当者にまで登り詰めたんですよ?」

「いや、それ、君の父君と兄君……」

「王族なんて毒見が終わって冷めきった料理しか食べたことがないんです。温かいってだけで泣いて喜ばれましたね」

「アデライト殿下、ちょっと人の話を聞こうか……」

「年下の殿下方には、うまいものが食べたければ、自分で調理しろと教えています」

すべてを勢いのまま言い切って、褒めろとばかりに目の前で胸をはったアデライトに、ウィリアムはとうとう諦めた。

「あー、うん。頑張ったよね。いつも頑張り屋なんだ、アディは」

ウィリアムの手が頭をなでるのに、アデライトは気持ちよさそうに目を細めた。

そのとき、二人の前にひとりの貴公子が進み出た。

「失礼。邪魔をする」

学園に留学している隣国の第三王子だ。

ウィリアムはアデライトから距離を取ると、右足を軽く後ろに弾き、胸の前に右腕を当てて深く頭を下げた。

ともに学生であればそこまでの礼儀を必要としないが、ウィリアムはすでに学生ではないし、学園主催とはいえ夜会の場だ。

「顔を上げてくれ」

すっと身を起こしたウィリアムの横で、突然現れた第三王子に、アデライトはきつい眼差しを向けた。今の今まで保持していた皿とフォークをテーブルに置く。

「アルフォンソ殿下、なにか用ですか?」

「そんなに睨まないでくれ。君が婚約を解消したとうかがってね」

「解消していません。要請されただけです」

「しがない子爵令息が身の程をわきまえて、身を引いたということだろう? そこで君を、我が国の王宮に招聘しようと思うんだ。わたしの妻としてね」

表情は何ひとつ変わらないまま、体の横に垂らしたウィリアムの左腕のその先が、ぐっと握り締められるのを、アデライトは見ていた。

すっと視線をあげると、アデライトも表情を消し、アルフォンソを見つめた。

「無理ですね」

アデライトは指を一本立てて、アルフォンソに突きつける。

「まず第一に、わたしが婚約を解消することはありません。陛下や王太子殿下、王妃殿下を懐柔しようとしても無駄ですよ。わたしたちの婚約を解消させようものなら、二度と温かい食事は口にできないと脅してありますから」

国のトップを脅迫したと夜会の場で、平気で告げるアデライトに、ざわりと会場が揺れた。アルフォンソが目を瞠る。

ウィリアムから心配げなまなざしが降ってくるのを無視して、アデライトはもう一本、指を立てた。

「第二に。ありえない話ですが、もしウィリアム様との婚約がなくなった時は。カウバーン家の料理人として雇っていただくお約束です」

「……料理人?」

ぼうぜんとアルフォンソが呟く。アデライトがしっかりとうなずいた。

「はい、料理人です。週に二回、カウバーン家にて、カウバーン領のブランド牛を調理する権利をいただいています。その際、ご相伴に預かってもよいとのお約束も」

アデライトは、嬉しそうに頬を染める。目が眩むような可憐さだったが、発言のおかしさに、そのやりとりを注視していた人々はそっと視線を逸らした。

「……父上?」

遠くから見守る体で他人のふりをしていた父であるカウバーン子爵へ、ウィリアムは鋭い目を向けた。

「なんですか、その約束!?」

「いやあ、アデライト殿下が、領地の特産品を王家ご用達にしてくれるというのでなあ」

「聞いていませんよ、僕は!?」

「お義父様ー、王家御用達は、すでにもぎ取ってありまーす。書類は後ほどー。ついでに、学園でのつながりで作り上げた特産品の販路も、王家の名でばっちり契約済みです!」

アデライトが満面の笑みで、カウバーン子爵に大きく腕を振る。

カウバーン子爵が相好を崩す。

「おお、さすがですなあ。殿下がいらしてくだされば、我が家は安泰です」

「父上!」

とがめるように怒鳴ったウィリアムに、カウバーン子爵は冷たい目を向ける。

「おまえ、一介の子爵が、王族の胃袋を握る王女殿下に逆らえると思っているのか?」

その言葉に反論する術もなく、ウィリアムはがくりと首を垂れた。

アデライトがウィリアムの左腕をそっと引いた。顔をあげたウィリアムと正面から相対する。アデライトに、彼女には珍しい緊張の色があった。

「ウィリアム様。明日は、わたしの誕生日です」

「……知っている。すでに成年に達した僕から未成年である君への、婚約解消の申し出なら、君の瑕疵にならない。今日が君にとって自由になる最後の機会だ。手放し難くて、こんなにぎりぎりになってしまったけれど。頑張り屋の王女殿下には、もっとよい嫁ぎ先が」

「ウィリアム様」

有無を言わせぬ笑顔で、アデライトはウィリアムの言葉をさえぎった。

「わたし、ようやく結婚できる歳になるんです」

「……うん。そうだね」

「――では、既成事実を作りにいきましょうか」

にっこりと笑ったアデライトに、ウィリアムは固まった。

「え?」

「既成事実です。婚約の解消なんてできないように」

「は?」

「逃しませんよ、ウィリアム様。――心の底から愛している肉よりも食べたいと思ったのは、ウィリアム様だけなんですから」

アデライトはウィリアムの左手の拳をそっとほどくと、指を絡めるようにして握った。そのまま左腕に抱きつく。

「記念すべき成年の誕生日なんですから、プレゼントしてくださいますよね?」

「ウィリアム様を」と耳元で囁くアデライトに、ウィリアムの顔が一気に朱に染まった。

それをじっくりと楽しそうに眺めてから、アデライトは首をかしげる。

「あら、でもこの場合、食べられてしまうのは、わたしでしょうか」

「どう思います?」とあざとく問いかけたアデライトに、ウィリアムはまだ赤い顔のままで、嘆息した。

「僕が君に勝てるわけがないんだ」

「婚約を解消しようとするからですよ。ウィリアム様が悪いんです」

「そうだね。僕が悪かったよ、アディ」

澄ました表情でツンと顎をそらしたアデライトに、ウィリアムは素直に頭を下げてから、「でも、結婚するまでは駄目だ」と囁いて、アデライトの華奢な体を腕の中に閉じ込める。

「まあ。残念。こんなに美味しそうなのに」

アデライトもそう言って、くしゃりと表情を歪めると、ウィリアムに両腕を回し、その胸に顔を埋めた。

立ち尽くすアルフォンソが、ウィリアムの視界に入る。

「アルフォンソ殿下。僕たちこれから、婚約者同士、二人きりで晩餐をいただくことになりました。申し訳ありませんが、ご遠慮いただけますか?」

微笑んで告げたウィリアムの言葉に、はっと我に返ったアルフォンソが辞去を告げると、あわてて去っていった。

それを見送ってから、ウィリアムは「自分の馬鹿さ加減が嫌になる」と小さく独りごちると、アデライトの目元を指でぬぐって、その髪に唇を落とした。アデライトは涙を滲ませながら満足気に微笑むと、ウィリアムの腕を引っ張るようにして、夜会の会場を後にした。

二人が消えたとたん、なんとも言えない空気が会場に漂った。

カウバーン子爵は、朴念仁の息子にあきれつつも、アデライト王女の一世一代の恋が叶う運びになったことを喜んだ。見守っていた保護者たちから、祝いの言葉がかけられる。

たった一度の学園の夜会で、カウバーン家の名を知らしめ、その特産品を有名にさせた王女殿下の手腕には、評価が集まることだろう。

カウバーン子爵と違い、他の貴族たちが手放しで喜べないのは、手ひどく振られた隣国の王子への外交問題もさることながら、なにより、六歳も年下の王女殿下にぱくりと食われてしまう未来しか見えないウィリアムが、皆の脳裏から消えないからだ。

会場からいなくなった二人の話題で、夫人も含めた女性たちは大いに盛り上がり、男性たちは、やれやれと頭を振ってから、二人のこれからに乾杯した。