軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百六十三話 凶星、馳せる

ドネアス王宮にて。

会議場へ続く廊下に、一人の男がいた。

それは広い肩幅と、恵まれた身体を持った壮年の男だ。虎のような髭面で、顔には大きな刀傷が縦に一筋走っており、いかにも修羅場を潜り抜けてきたという外見をしている。

服の上には胸当てと複数のベルトが巻かれ、雪除けのマントを軽く羽織り、服装はまったく傭兵と言った見た目の、華美に寄らない武骨な様相だ。

グラス・ダリウス。北方で音に聞こえた大傭兵団『北牙』の団長である。

彼は周囲に視線を巡らせながら、あっちを見たりこっちを見たり。新しく訪れた場所を油断なく歩いているというよりは、単に観光地で道に迷ったお上りさんのような動きだと言えるだろう。

ドネアスに到着したあと、煩わしいのを嫌って仲間を置いてきぼりに一人で赴いてみたはいいものの、王宮にいるはずの案内はどこにもいない。衛兵に断って王宮内に踏み込めば、物の数分で迷子という有様だった。

誰かに道を聞こうにも、王宮内には人っ子一人いない様子。まるで無人の世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えたほどだ。

「うむ。萎える」

腕を組んでそんなことを言っても、完全無欠の迷子であるため恰好は付かない。

グラスが途方に暮れていた折、ふと廊下の先に一人の女を見つけた。

それは、真紅の髪を持った女だった。

特徴的な白い装束を身にまとっており、手にはもともと被っていただろう大きな帽子が抱えられている。しなやかな腰元が目立つ肢体は、艶やかながら引き締まっているというどこかアンバランスさを覚えるものであり、美しい。

いまは壁に飾られた絵画を見上げている。集中しているようにも見えれば、気もそぞろというようにも見受けられる。窓から差し込む陽光に照らされた姿は儚げで、触れれば手折れてしまいそうなほど立ち姿は心許ない。

その楚々とした出で立ちを見たグラスは、上機嫌な様子で女に近づき、声を掛けた。

「おお! そこの女中。ちと道に迷ってな。この城の軍議の間はどこにある?」

「軍議の間はこの先のようです。それと、私はこの城の女中ではありませんよ?」

「そうなのか? いや、物腰がたおやかだからな、ついつい城の女中かと勘違いしてしまったのだ。ま、美貌はうちのカミさんには敵わんがな!」

デリカシーのないことを言っては、豪快に笑い出すグラスに、しかし女は 淑(しと) やかな笑みを返す。洗練された立ち振る舞いだ。まったく王宮の奥にいる女と言っていいほどに、仕草や挙動が完成されている。

そんな女は、グラスに視線を向けた。

それは傭兵特有の、人物をその背中まで見透かすような鋭く油断ならないまなざしだった。

「大傭兵団『北牙』団長、グラス・ダリウス殿ですね」

「……ほう? 某のことを知っているのか? 何者だ?」

「ルセリア・アイオネスと申します。この度はドネアスに招聘された傭兵の一人として、どうぞよろしくお願いします」

真紅の髪の女――ルセリアはそう言うと、優雅な礼を執る。

それを見たグラスは、目を皿のように丸くした。

「では、 貴女(きじょ) が 彼(か) の『アイオネスの凶星』殿か」

「巷ではそんな風に呼ばれていますね」

ルセリアは口の前に手を置いて、ふふふと笑う。

腹の内を見えないようにする、隠れ蓑のような笑みだ。

グラスはそんな風に思いつつも、持ち前の豪快な性格で狭量な疑心を蹴とばして、警戒に笑い合う。

グラスは軽く息を吐いた。

「まさか、ドネアスもこうも手広く用兵を募るとはな」

「ドネアスもなりふり構っていられないということなのでしょう。今度の相手は、ギリス帝国と何度も渡り合ってきた国ですから」

「これを聞いたときは、まさかライノールがと、耳を疑ったがな」

「それは、他の諸国もそうでしょう。ライノールに工作をしかけたうえ、あまつさえ戦の準備まで行い、彼の国を挑発した…………無論、そこにはギリス帝国の関与があるとは思いますが」

「そのうえで、ドネアスが戦に乗り気だというのが不思議でな」

「はい。私もそこは不思議に思っていたところです」

ドネアスがライノールに劣っているとは両者とも言わないが、やはり差というものは看過できない。普通ならばドネアスの方が積極的に戦の回避に努めるはずだが、それらがまるで逆しまなのは一体どういうことなのか。

だが、これは考えても仕方がないことだ。

「しかし、 貴女(きじょ) はなぜドネアスの招聘を受けたのだ? 正直に言えばこの戦、ライノールの方に分があると思うが? もしやドネアスに身内でも?」

「そういうわけではありません。しいて言えば、強い相手を望んだまでのこと」

「ほう? その真意は如何に?」

「相手が強ければ強いほど、用兵家の名も上がるというもの」

笑顔の裏から、ふとした野心を覗かせるルセリアに、グラスは感心した声を上げる。

「なるほどなるほど己の功名を上げんとする腹積もりだったか」

「私も傭兵ですから。戦わずいれば名が腐り、名を腐れさせては食い詰めてしまうのが必定でしょう」

「そうだな。我らには見栄は大事だ。うむ。大いに大事だ」

グラスとルセリアはまた笑い合う。お互い腹の底には、一つも二つも抱えているものの、表面上の愛想は人間関係の構築に欠かせない大事なものだった。

「しかし、こうも簡単に傭兵を王宮に入れるというのは、どういうことなのだろうな? どう言い繕っても国の中枢だぞ? そんなところに無関係な者をホイホイと招き入れるなど、正気の沙汰ではない」

「私もそれが気になって聞いてみたのですが、どうやら宰相閣下の下命があったとのことです。私が見た限りでも、兵士たちは不思議がっていました」

「不用心極まりないことだ。しっかし、ドネアスの宰相か。確か、つい近年ドネアスの王宮に入ったという話だったか」

「私もそのように聞き及んでおります」

グラスが困ったように周囲を見回す。

「あと、案内がないのもどうなのだこれは?」

「衛兵の話では、ここで待てという話でしたが、そちらはお聞きなってはおられなかったのですか?」

「うん……? そうだったか? そういえばそんな話を聞いた覚えもあったような気がするが……まあよいわ」

いけぞんざいなグラスの物言いに、ルセリアは苦笑するしかない。豪快ここに極まれり。細かいことを気にしないというよりは、つまらない失敗を気にしない性格なのだろう。

やがて二人の前方から、何者かが歩いてくる。

近付いてきたのは、美しい金髪を持った少女だ。

ショートヘアの片側に編み込みを作り、双眸は翠色。

見るからに上品であり、上流の出ということが窺える、気品に溢れた身のこなしだ。

華奢な身体には騎士装束をまとっており、その上にマントを羽織っているという出で立ちである。

歩く姿勢は常に整っており、その立ち振る舞いだけでその生真面目さが窺えた。

二人は何とはなしに、あれがその案内なのだろうと当たりをつけ、その場で立ち止まって彼女を出迎えた。

少女は二人の前で停止すると、胸の前に腕を構えて礼を執った。

「ドネアス騎兵軍の団長、ノエルと申します。お迎えに上がりました。『北牙』団長、グラス・ダリウス殿。兵家集団アイオネスのルセリア・アイオネス殿」

「うむ」

「はい」

ノエルと名乗った少女に、二人は返事をする。

そこでグラスが、何の気なしにノエルに訊ねた。

「他に呼ばれた者はもう揃っているのか?」

「はい。ほとんどの団長方はお集まりになっております」

「まだ来ていないのはどこだ?」

「お二人以外は、『巣穴』団長シャムワ・ドライド殿です」

「かー! シャムワのごうつくジジイもいるのか!」

グラスは額に手を当て、大きく天井を仰ぐ。グラスとしては嫌な相手なのか、それとも何か因縁でもあるのか。そう思わせる雰囲気があった。

ともあれ、シャムワ・ドライド。その名前はルセリアも知っていた。

「五十年の戦歴を持つと言われる、シャムワ老でしたか」

「そうやって言えば聞こえはいいがな。あんなもの、逃げるのがうまいだけの、ただのごうつくジジイよ」

「逃げ戦が巧みなのは、将の有能さの証拠でしょう」

「生き残れれば上々ということか? まあ一理あるが、手放しで褒めたくはないな」

グラスが、渋みも苦みも一緒くたにしたような顔を見せる。

やはり、何か因縁があるのだろうとルセリアは考えを新たにしたが、それはいま考えて詮無いことだ。

一方でノエルの方は、特に反応を示さなかった。気を使っているのか、それとも気にするようなことでもないのか。だが、ルセリアは彼女のまなざしから、真摯な性格を見て取った。であればやはりここは、気を使っているのだろうと思われる。

グラスが目を細める。

「しかし、ドネアスに騎兵軍があったとはな。初めて聞くが、もともとあったものなのか?」

「いえ、近年新設されたので、まだ周知されてはおりません。隊の人員は百人ほど抱えています」

「ほう? それはなかなかだな。そのうえ若いながらに部隊の長に任されるとは、相応の才があるものとお見受けするが?」

「……いえ、私など、単なる『魔なし』に過ぎません」

「ふむ……」

ノエルの言葉は、謙遜というよりは、自分を卑下したような物言いだった。グラスの目には、伏し目がちになったノエルの顔に、ふと暗い影が射したように見えたが、彼はそれ以上何も聞かなかった。

そのまま二人は、黙ってノエルの案内に従って目的の場所へと向かう。

扉の前で待ち受けていた他の傭兵団長たちと合流し、軍議の間に入った。

部屋にはすでにドネアスの将兵たちが揃っており、団長たちの到着を待っているという状況だった。

それぞれ、一癖も二癖もありそうな顔ばかり並んでいる。

中でもルセリアたちの目を引いたのは、一番奥で待ち構えるように座っていた禿頭の男だ。

ドネアス軍筆頭将軍にして、北方では魔導将軍の異名を取る男、ジャン・ダンベルト。

見た目は筋骨隆々で、一見して格闘や組打ちを得意とするようにも見えるが、その実、魔法に秀でており、多くの戦場で勝利を収めてきたという。

ノエルはまず一度礼を執ると、部屋の隅々まで届くよう声を張り上げた。

「ドネアス騎兵軍団長ノエル! 傭兵団の方々をお連れし、参上いたしました!」

「うむ」

ジャンは返事も手早く、訪れた各傭兵団の団長たちを睥睨する。

招聘された団長たちがそれぞれ名乗りを上げた。

「傭兵団『北牙』団長、グラス・ダリウスだ。今度の戦ではよろしく頼む」

ルセリアは他の各団長たちにも視線を向ける。

「傭兵団『鉄の右腕』団長代行、ラット・ラルク。此度は急病で出られない団長の代わりとしてまかり越した」

ラット・ラルク。『鉄の右腕』の二番手で、傭兵団の交渉等を一手に引き受けているという。団長が急病というのは聞いたことがないため、おそらくは仮病だろう。

「『赤の虎兵団』のジム・ダンバートンだ。さっさと軍議を始めてくれ」

ジム・ダンバートン。この若い傭兵は血の気に溢れ、喧嘩っ早いという印象を受けた。見てくれも立ち振る舞いも、いかにも傭兵と言った男である。『赤の虎兵団』の名は、売り出し中だということでルセリアも最近よく耳にしていた。

「『風天旅団』団長ラルゴ」

風天旅団。人員こそ少ないが、個々の戦力が非常に高いということで有名な傭兵団だ。名前の由来は、少数で大多数と遜色ない活躍ができるからとか。

ラルゴについては、名乗りだけで寡黙で無駄を嫌う人物だというのがよくわかる。

「『ヴェスター騎兵隊』団長のヴェスター・マグだ。今日は俺たちの力が必要だと聞いて馳せ参じた」

ヴェスター騎兵隊。騎兵のみで構成された傭兵団で、北方でも多く功績を上げているという。団長であるヴェスターも、それに見合うだけの堂々とした気風があった。

そして、ルセリアの番が来る。

「ルセリア・アイオネスと申します。このたびは宰相閣下の招致を受け、参謀の一人として参加いたします。以後お見知りおきのほど」

ルセリアの名前を聞いたドネアスの将兵や傭兵たちの間から、驚きの声が上がる。

それは、アイオネスの人間が来たからか、それともルセリアが思っていた以上に年若かったからか。

それぞれの名乗りが終わった折、軍議の間の扉が開いた。

「失礼します。シャムワ・ドライド様がお見えになりました」

「おお、出遅れてしまったかのう」

軽く開いた両開きの扉の隙間から、ひょいと現れたのは飄々とした老爺だった。

頭には霜が降り積もり、もう手足もしわがれて腰も曲がり気味であるにもかかわらず、ひょいひょいと猫が跳ねるような足取りで、軍議の間に入って来る。

「いやいや遅れてすまんのぉ。見てくれ通りの年寄りゆえ、移動にも時間がかかっていかん」

「ジジイ。足腰が心配ならそろそろ隠居したらどうだ? ん?」

わざとらしく腰を叩いたシャムワに、グラスが嫌みのように口にする。

だが、シャムワにはまるで効いた様子がない。むしろグラスがいることにいま気付いたと言うように、とぼけたふりを交えながら、目を皿のように丸くした。

「おお? なんじゃグラスの 洟(はな) 垂れ小僧もいるのか? やれやれ、此度もどこかで見たような面子ばかりじゃのう」

「まったく。いい加減某を小僧扱いするのはやめろこのクソジジイが」

「ははは! ……知っていると思うが、『巣穴』のシャムワ・ドライドという。此度はよろしく頼むぞ……おっとお嬢さん、横を失礼。よっこいせっと」

シャムワは手短に名乗り終えると、ルセリアの隣に腰掛けた。

好々爺然とした様子で相好を崩し、とっつきやすさを感じさせる。

だが飄々としているため、何を考えているのかまるで読めない。

それが、ルセリアがシャムワに抱いた印象だった。

筆頭将軍のジャンが、ゆっくりと立ち上がる。

「まずは、今日ここに参集してくれたことに礼を言おう」

ジャンが礼を口にする。

しかし、一切頭を下げないため、尊大なイメージが拭えない。

次いで彼が口を開こうとした折、ルセリアが待ったをかけるように発言する。

「軍議の前に、一つお伺いしたいことが」

「凶星か。一体なんだ?」

「はい。どうしてドネアスは今回、ライノールとの戦に踏み切ったのでしょう? 相手は遠方に国土を持つ国です。戦を回避する手立ては、いくらでも手はあったのでは?」

「そんなものはない。そもそもこの戦、ライノールの方から攻めてこようというのだ。我らは我らの国を守らねばならんだろう」

「それは道理にて。ですが、交渉を積み重ねることも、また肝要かと存じます」

「話にならん。ライノールはこちらが工作を仕掛けたなどという言い掛かりをつけて、賠償をせしめようとしているのだ。そんな国と交渉など続けられるわけがなかろう」

努めて冷静に口にするジャンに、ルセリアは本気の憤りを感じた。

そして、これは将兵たちを焚きつけるためのフリではないことも。

ジャンがぎろりとルセリアを見た。

「これ以上益体のない質問は控えてもらいたいものだ。貴様は我らの士気を下げるつもりか?」

「……いえ、滅相もないことです。理由をお聞かせいただき、ありがとうございます」

ルセリアはこれ以上の言葉を控えた。

ジャンの言う通り、これ以上は国の方針に対する批判になるし、ルセリアとしても参謀としての立場が悪くしてしまう。

だが問題なのは、ジャンの言い分が、今回ルセリアが聞いていた話とは大きく違っているということだ。

今回の戦の原因を作ったのはドネアス王国の方であって、ライノールの方がやむなく戦に踏み切ったというのが、各方面の見解である。

……ルセリアは周囲を見回す。他のドネアスの将兵たちには、ジャンの言い分を疑っている様子はない。むしろジャンと同じように、ライノールの行動に憤っている感すらある。

これは騙されているのか、化かされているのか。

――大儀なければ、兵は動かぬ。

これは兵法の基本中の基本だ。戦いに臨むにあたっては、正当性があってこそ兵士が動くものであり、士気も大いに上がる。しかし逆に正当性がなければ、士気は下がり、兵は動かなくなる。それどころか兵が離反する恐れさえあるのだ。

……それで言えば、ドネアスの将兵たちは大義を持っていると言っていい。国を守るということで、各将の考えは一致している。この信心の出どころは不可解だが、各員の意思が一致しているということは、ある程度の士気は保てるだろう。

果たしてこれが、一般兵にまで波及しているのかどうか。

(……いえ、それを誤魔化すのも、また用兵家の腕でしょう)

ルセリアは、考えないようにした。こうして一度、招聘を受けて馳せ参じた以上は、ドネアスの勝利に貢献する必要がある。そもそも己の仕事は兵を勝たせることだ。別段、正義の味方をしたいわけではないし、そもそも用兵家はその反対の位置にいると言っていい。

ルセリアは、静かに耳を傾けることにした。隣ではシャムワが小さくあくびをしている。

「話を戻すぞ。おそらくライノールは北部貴族の軍を集合し、北部連合の助成を得て、我が国に攻めてくるだろう。その後、ライノール軍は軍団を三つに分けて攻めてくると想定される。大軍の通行に適している南西の街道を本軍が侵攻し、南南東の峠もしくは西の川沿いを進んで橋を通るのが第二軍、第三軍となる。そのいずれかに北部連合が加わるだろう」

ライノール軍がドネアスを攻めるルートはその三つしかないため、まず間違いないだろう。北部の冷たい川には入らないだろうし、南西の峠も道幅が狭く険しい。

「足止めは?」

「それについてはすでに動いている。おそらくこちらの考えた通りに、ライノール軍は動くだろう」

「ですが、国境線にある要塞の防備を強化していないのはどういう意図があるのですかな?」

「そちらについては考えあってのことだ。首都から遠い地域に守りを分散させるよりも、より近い場所の防備を強化することによって、守りやすくする。無論、国境や進路での迎撃はするつもりだ」

近ければ近いだけ、防御拠点を分散せずに済むし、防備を固めやすいし、兵士も動かしやすい。あとは、ライノール軍を懐深く引き込み、ドネアス軍に有利な場所で戦うための算段だろうか。彼我との戦力差が大きい場合は、特に有効だろう。要所を素通りさせるのも、策略の一つではある。

「まずは我が軍の大まかな配置から伝えるとしよう。南西の進路を守備するのは、アコール将軍だ」

「おまかせあれ」

「西側はダムロッシュ。お前に頼もう」

「……承知いたしました」

ダムロッシュ・ゼラルド。ドネアス最強の剣士として有名な男だ。剣に魔法で炎をまとわせることで、多くの剣士や魔導師を焼き払ったという。

「我らドネアス本軍の拠点はローズベルとする」

ローズベル。ドネアス南西にある大都市のことだ。その規模は首都に次ぐほどと言われており、備蓄や補給にも適している。だが、やはり防備を固めるとの言葉通りか、前線となるだろう場所からは随分と遠い。

「本隊は積極的には動かん、ということか」

「まず我らは守りを固める必要がある。その分、貴様ら傭兵たちに大いに働いてもらおう。ライノール軍本隊への先鋒は貴様ら傭兵たちに任せる」

これには、自軍の損耗なしにライノールの力を図ろうという魂胆が透けて見えた。

ドネアスとライノールが戦ったことは、これまで一度もない。お互いに未知の敵だ。敵の強さを図り損ねると、致命傷になりかねない。それゆえの傭兵だ。

それを察したのは、もちろんルセリアだけではない。傭兵団の団長たちも、顔には出さないが、気付いている様子。だが、それは傭兵の宿命だ。金を出してもらう以上、スポンサーの意向には逆らえない立場にある。

「ああ、心配せずともよいぞ。こちらから将を一人付け、兵も出すゆえ」

ジャンも抜け目ないことだ。これは傭兵たちが戦果を挙げたときのための保険だ。初戦で傭兵たちが手柄を上げたとなると、正規軍も気分が良くない。そしてそれは、士気に繋がる。将兵を配置しておくことで、手柄の所在を分散できるという目論見だ。

そこで、団長の一人が手を上げる。グラスだ。

「そちらの方針には従おう。だが、戦をするにあたってはこちらも条件がある」

「なんだと?」

ジャンの眉が動く。グラスと半ば睨み合いのようになった。

「将を付けるのは構わないが、戦い方はこちらの好きにやらせてもらうぞ」

「そうじゃのう。やりにくいのはご勘弁願いたい。傭兵には傭兵の戦い方があるゆえな」

「……ふん。いいだろう。他にはないか?」

ふいにそこで、声が上がった。いままで、立って控えていたノエルだった。

「閣下! お願いがございます!」

彼女を見たジャンの顔があからさまに険しくなった。

「なんだ魔なしの無能が。このような重要な場で軽率に発言するなど。貴様の願いなどに傾ける耳などない」

「そこを曲げてどうか! どうか!」

ノエルが頭を下げて懇願する。

ふいに、ジャンが場に集った面々を睥睨した。

それがルセリアには、どこか各将の顔色を窺っているようにも見えた。

やがて、ジャンは不承不承といったように口にする。

「……いいだろう。聞くだけ聞いてやろう」

「は! この度は我ら騎兵軍にも是非先鋒の役目をお願いしたく!」

「ならん」

ジャンは言下に一蹴する。考える間など一秒もない即断だった。まるで取り付く島もない。

それどころか、ジャンは見下すように鼻で笑う始末だ。

「貴様ら如き無能な集団が、ライノール軍とまともに戦えるとでも本当に思っているのか? 他の国の軍ならまだしも、ライノールは我らと同じ魔法国家だ。無様に負けて逃げ帰ってくるのがせいぜいだろう」

「っ! 我らはこれまで厳しい訓練に耐え抜いてきました! 確かに魔導師の方々には劣るかもしれませんが、先方の役目を戴ければ決死の覚悟で務め上げて見せます!」

「ならん。貴様は陛下と城を守るのが役目だ。そもそも貴様らは役に立つかどうかもわからん者どもの集まりなのだぞ? もし貴様らが先鋒としてライノール軍に挑み、負けてしまったとき、どれほど影響が出るかわかっているのか?」

「それは……」

ノエルは言葉に詰まる。確かに先鋒が敗北したときの影響は大きい。

これは、どの兵法書にもあるものだ。兵の先鋒には必ず精鋭を置くべきだと。

今回のドネアス軍の方針としては、その定石を守っているとも言い難いが、そこが落としどころなのだろう。

「話にならん。控えよ」

「……は。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません」

ノエルは消沈した様子で、もと居た位置へと戻る。

やがて、ドネアス軍の各将が名乗りを上げて、どこに参戦するだのと言い始める。

軍議が紛糾する中、外様である傭兵たちは入り口に近い末席でひそひそ話。

グラス・ダリウスが辟易としたように腕を組み、天井を仰いだ。

(……やれやれ、ドネアス軍の一般兵差別は聞きしに勝るものだな)

(……そうですね。魔力があっても魔法が使えなければ劣っているという)

(……それに関しては傭兵である我らも、気を付けておかねばなりますまい。今後の軍議でも侮られることはまず明白)

(……ハッ、頭でっかち共がふんぞり返りやがって。戦争の花形は歩兵だってのがわかってねえ)

(……いや花形は騎馬兵だ。そこは譲れんぞ)

(……儂はさっさと取り分の話をして欲しいんじゃがのう)

傭兵たちがドネアス軍に抱いた印象はそれぞれだ。やはり、ドネアス軍の現状の一抹の不安を抱いている様子。

ルセリアはノエルの方を見る。おそらくはこの機会に少しでも活躍をして、自分たちの名誉を回復させようと考えたのだろう。いまはそれが叶わず、悔しげに歯噛みして、うつむいている。固く握りしめられて節くれ立った拳が、その無念さを現わしていた。

……やがて将兵たちの軍議も一段落したのか、場が一旦落ち着く。

ふと、ジャンがルセリアの方を向いた。

「ルセリア・アイオネス」

「はい」

「用兵家としての貴様の力に期待する。まずは貴様も傭兵たちと同様、先鋒に加わるがいい」

「承知いたしました」

「それと、ここに集まった者たちに一つ言っておくことがある」

ジャンはそう言うと、再び一同を睥睨した。

「ライノール軍は魔力計というものを開発したという。これは、此度の戦でも用意しているものと考えられる。それを持ってきた者には別途褒賞を出そう」

グラスが首を傾げた。

「魔力計? なんだそれは?」

「ライノールが開発したという導具ですね。魔力の量を正確に測ることができる代物だとか」

「これは陛下たっての希望である。よくよく銘肝しておくように」

ジャンはそう言い終えると、再びドネアスの将兵たちと話し始める。

グラスが、ルセリアの方に首を傾けた。

「……妙な思惑が透けて見えるな。もしやドネアスにはこの戦、勝つ気などないのではないか?」

「それは……まずないでしょう。ここに集まった将兵たちの意気はかなり高いものですし、国を守るということで意志が団結しています」

「それは確かにそうだが……どうも妙な予感が付いて離れんのだ」

「…………」

グラスの話を聞いたルセリアは、一人黙考する。

果たしてドネアスの首脳の考えは、どうなのだろうか、と。

戦争のドサクサに、相手の技術を奪う。おかしな話ではないが、いまのジャンの口ぶりだと、それが目的だというように誤認させるような響きがあった。

であればグラスのこの予感も、あながち間違いではないのかもしれないという気にさせられる。

しかしそれでも、自分の仕事はドネアス軍を勝たせることだ。

これ以上の無用な勘繰りは、邪推以外の何物でもない。

……この戦、大方はドネアスが不利という見方だが、むしろルセリアからすればドネアス勝利ということもない話ではない。ライノールが少しでも下手を打てば、戦況は一気にドネアスに傾く。遠い場所に戦いに向かうというのは、そういうものだ。

真に恐るべきは、今回の戦をこんな形にした人間だ。ライノールは同盟維持のためにやりたくもない戦いに駆り出されることになり、その戦は厳しい冬が来る前に決着を付けなければならない。しかも、攻め込む場所は、すでに準備を始めている。

防備の整った戦場に真っ向から攻め込むことほど、愚かなことはない。

この絵図を書いたのは、本当に帝国の獅子なのだろうか。

それともまだ他に、この戦争を望む人間がいるのか。

ライノールはそれらを見えない者たちの思惑を、撥ね退けなければならない。

そしてその指揮を執るのは、まだ年端もいかない少年だ。

「……次の敵は、ライノール王国王太子、セイラン・クロセルロードですか。並ぶものなき天才。龍の子。さて、どんな戦をするのか」

ルセリアはいまだ見ぬ王太子の采配に、一人思いを馳せるのだった。