軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十九話 魔法院の地下にて

――ライノール王国の学術機関である魔法院は、夜間になると閉鎖され、生徒や講師の出入りも制限される。

これは主に、外部からの侵入を防ぐことを目的としてのものだ。

魔法院は王国における魔導の中枢の一つでもあるため、外部に漏らせない秘密も相応に存在する。

門は閉じられ、侵入者を拒み。

敷地内には侵入者を感知して警報が鳴るよう、仕掛けが施される。

すでに当直の講師も建物内の巡回を終えており、あとは魔導師ギルドの外周を警備する衛兵に任せるのみだ。

そんな人っ子一人いないはずの魔法院に、一人の少女の姿があった。

サイファイス公爵家令嬢、クローディア・サイファイス。

この夜、彼女は祖父であるエグバード・サイファイスに呼び出され、夜間は立ち入りを禁止されている院内へと足を踏み入れていた。

エグバードが待ち合わせの場所として指定したのは、生徒たちの憩いの場である中庭だ。

クローディアが中庭にたどり着くと、中央に設置されている刻印式の噴水の前に、エグバードの姿があった。

サイファイス家代々の当主はここ魔法院を管理する院長を司り、エグバードも現院長を務めている。

すでに枯れ枝と形容されることもある老齢の境だが、衰えを感じさせない立ち姿。

偉丈夫と呼ばれるに相応しい身の丈を持ち、身体には強大な魔力が充溢している。

白の法衣に身を包み、星を眺める姿はさながら大魔導師と謳われたメガスのよう。

クローディアは敬愛する祖父の前で、優美な礼を執った。

「おじいさま。お待たせして申し訳ございませんわ」

「クローディア。このような時間に呼び立ててすまぬな」

「いえ。おじいさまがわざわざこうしてわたくしをお呼びになったということは、重大な要件ということでしょう。サイファイス家の一員として、孫娘として、大変光栄に思いますわ」

クローディアはそう言うと、エグバードに向かって穏やかにほほ笑む。

慇懃と装飾に過ぎた言葉だが、それを嫌味に思わせないのは、彼女の育ちの良さゆえか。

エグバードはそんな孫娘の言葉を自然のものと受け取って、すぐに本題に入る。

「今日お前をここに呼んだのは他でもない。お前に見せておきたいものがあるからだ」

「はい」

「お前はサイファイス家の次の当主となるべき身であり、私ももう老齢だ。そろそろ頃合いであろう」

「そんなことをおっしゃらないでくださいませ。おじいさまはまだまだお元気ですわ」

「うむ。気を遣ってくれてすまぬな」

「いえ、気遣いなどではなく……」

健気に食い下がろうとするクローディアを、エグバードは慈しむように見下ろす。

やがて、エグバードがゆっくりと歩き出した。

言葉少なな祖父の、言外に「ついてきなさい」という態度に対し、クローディアは大人しくそのあとを付いていく。

中庭から回廊を経て、建物内の廊下へ。

そんな中、ふとクローディアは、自分が見覚えのない場所を歩いていることに気づいた。

……クローディアも、魔法院に入学してすでに二年の月日が経つ。

院内の構造は見慣れたものであり、すでに知らない場所はない。

そう思っていたが、いま歩いてきた場所は、まるで見た覚えがなかった。

調度品は逆さ向きに置かれており。

踏みしめるのは床ではなく天井で。

窓から見える外の景色も同じ、足元には星が散りばめられている。

まるで、自分たちだけ逆さ向きの世界に囚われてしまったかのようにも思えた。

「おじいさま、これは」

「クローディア。この道順をよく覚えておきなさい。ここに来るには、この道順を辿らなければ来ることはできない」

エグバードは、いつものように、特に多くは語らず。

であるがゆえに、発した言葉はいつも重要ものばかりだ。

クローディアはそれ以上問いかけることはせず、大人しくエグバードのあとを付いて行く。

やがてそんな二人の前に、『地下へと昇る階段』が現れた。

「これは、逆さ向きですから、地下へ続くもの……なのでしょうか? 院内にこのような場所があったのですね」

「そうだ。ここはサイファイス家の当主しか場所を知らぬ秘密の場所だ。王家も、この場所のことは把握しておらぬ」

「それほどまで秘密にされたものがこのようなところに存在したのですね」

王家までもが把握していないとは驚きだったが、あり得ない話ではない。

サイファイス家はライノール王国が勃興する前からこの地に存在しており、当時は異民族や他国の侵略軍と戦っていたという。劣勢であっても頑なにこの地を離れず、やがて訪れたクロセルロード家の助力を受けて、侵略を跳ね返したと記録されている。

つまり、これからエグバードがクローディアに見せようとしているものこそが、父祖が頑なにこの地に残った理由ということだ。

クローディアは緊張でわずかに身体を強張らせるが、それと同じくらいに誇らしかった。

エグバードが足を踏み入れると、壁に設置された鉱石のようなものに、自動的に明かりが灯る。

映し出したのは、螺旋階段だ。

デザインはクローディアがこれまで見てきたものとは一線を画しており、のっぺりとしたもので、華美な装飾は見当たらない。金属のようで金属ではなく、しかし、木の温かみは少しも感じられない材質。角はどこも滑らかで、どう加工したのかまったく想像がつかないほどだ。

クローディアは古の技術を思わせる遺構に驚かされつつも、エグバードのあとに続く。

スカートの端を摘まみ、裾を踏まないように慎重に。

しかし、優雅さは忘れない。

ヒールの音は最低限になるよう、静かに、ゆっくりと、階段を一歩一歩踏みしめて。

どれくらい昇っただろうか。

一番上にたどり着くと、周囲の様子を明らかにするように、明かりが一斉に灯った。

広い空間だ。魔法院の敷地がすっぽりと収まってしまいそうなほどの広さがる。

「魔法院の地下に、こんな広大な空間があるなんて……」

「ここは、我らの父祖が【魔導師の挽歌】に描かれた時代に築いたものだと伝えられている」

「それほど昔に作られたものなのですね。この特徴的な造りも頷けますわ」

「驚くのはまだ早いぞクローディア。この先にあるものは、それよりももっと時代をさかのぼった先にあるものだ」

クローディアはエグバードの言葉を聞いて、ごくりと唾を飲み込んだ。

見たこともない素材で作られた床。

踏み出すたびに点灯する照明。

驚くほど広大な空間。

果たして、その先になにがあるのか。

地下の最奥にあったのは、きらめきを反射する、三メートルはあろうかという巨大な鉱石の塊だった。

「これは……水晶」

「うむ。これは聖賢様が生み出したものと言われている」

「聖賢? 聖賢とは、あの三聖の一人の」

「そうだ。見るのだ。その奥にあるものを」

「あれは、黒い、影……でしょうか?」

「それが悪魔の下僕である、魔人と呼ばれる存在だ。お前も、グロズウェルのことは知っていよう」

「はい。先ほどおじいさまがおっしゃられました聖賢と、幾度も戦いを繰り広げたという存在ですわ」

聖賢の話は、当然クローディアも知っていた。

聖賢に関する逸話は、おとぎ話としていくつも存在するからだ。

「この水晶は、その魔人を封じたものだと伝えられている」

「わたくしには黒い影にしか見えませんが、おとぎ話に出てくる魔人が、このような場所に封じられているとは思いも寄りませんでしたわ」

「お前が驚くのも無理はない。だが、事実だ」

エグバードはそう言うと、クローディアに向き直る。

「クローディア。これが、私がお前に伝えたかったものだ。これは王国が勃興するさらに前、気が遠くなる果て、我らサイファイス家の始祖は、聖賢様よりこれの守り人の役目を託された。いずれ聖賢様がこれを滅ぼすときまで、決してこの封印から解き放ってはならないと言付かってな」

クローディアも守り人という話は理解できた。

だが、エグバードの発言には、聞き逃せない一文があった。

「おじいさま。これを守ると言うのはわかります。ですが、聖賢がこれを滅ぼすと言うのはどういうことなのでしょう?」

「うむ。クラキの予言書にはこう書かれていると言われている。決して傷つかぬ魔は、聖賢の左腕にしか滅ぼすことはできない、とな」

「ですが聖賢は、すでにこの世にはいないのではありませんか?」

「そうだ。聖賢様はお前も知る通り、【精霊年代】に描かれる時代の人間だ」

「ではどうやって」

「…………」

エグバードは、クローディアの疑問には答えなかった。

何も答えなくなった祖父を尻目に、クローディアは目の前の水晶に手を触れる。聖賢が生み出したという鉱物はじんわりと冷たく、触り続けていると身体の奥底にある魂まで冷え切ってしまいそうな錯覚を彼女に与えた。

「決して傷つかぬ魔……おとぎ話では、悪魔にその魂を売り渡し、無敵の力を手に入れたと伝えられていますが」

「言葉通りだ。魔人は悪魔からその力を授かり、いかなる傷も負うことはなかったらしい。だからこそ、聖賢様もこうして封印せざるを得なかったのだろう」

「おとぎ話の通り、強大な力を持っていたということですね」

「そうだ。だからこそ、聖賢様が再びこの地に降り立ち、この厄災を解き放って滅ぼす。それまで、我らサイファイス家が、主である聖賢様の言葉に従い、これを何者からも守り通さねばならないのだ」

「主……我らが戴くのは王家ではないのでしょうか?」

「それもお前の言う通りだが、それに関しては約定がある。初代陛下から、サイファイス家は二君をいただいてよい、とな」

「初代国王がそのようなことをお許しになられたのですか?」

「そうだ。我らの事情を鑑みてのものだという。『平時は王家に、聖賢が現れれば聖賢に従うがよい』とのことだ。初代陛下のお言葉であれば、現陛下であってもこれは覆せぬ」

クローディアにはとてつもない話のように聞こえた。

国内でも大きな力を持つ公爵家に、二君を許すという。それは裏切りや面従腹背を容認することにほかならず、どのような国のどのような統治者だろうと決して許しはしないだろう。

【精霊年代】の時代の出来事は、統治者も無視できない重みがあるということなのだろう。

「クローディア。我が一族に伝わる魔法は、聖賢様より授けられたものだ。天稟による不遇に嘆く我らの始祖を憐れみになり、そして大きな役目をお与えになった。戦乱に巻き込まれた折、危機を迎えた我ら一族を庇護してくださったクロセルロード家に仕えるのもそうだが、聖賢様から授かった大恩に報いることこそ、我らサイファイス家の本懐である」

「はい」

「いずれ近いうちに、魔法院共々これをお前に引き渡すときが来よう。クローディア。お前には魔法院をまとめる者に相応しい格と、決断力を期待する」

「はい。これを残した父祖に恥じぬよう、これからもより一層、魔法院でのお役目に励むことをお誓い申し上げますわ」

「クローディア」

「おじいさま。わたくしは、わたくしの心は感動で震えておりますわ。これでわたくしも、サイファイス家の当主に相応しいと認められたということなのですから」

クローディアが水晶に向けているまなざしは喜びだ。大役を任せられることへの、それだけの信認を得られたのだという嬉しみである。

ふいに、これまで厳しかったエグバードの瞳が、穏やかな光を宿す。

それは次期当主に対して向けるものではなく、孫娘に対して向けるものだ。

一人の家族として、たった一人の家族に向き合うための、慈愛に満ちた光である。

「……クローディア、気負い過ぎずともよい。ここにはいくつもの仕掛けがある。誰もここまでたどり着けぬ」

しかし、クローディアは首を横に振る。

「いえ。おじいさま、わたくしはこれから一層励む所存ですわ。いずれはおじいさまのように魔法院の院長も努めなければなりません。であれば、このまま漫然と日々を過ごすわけにはいかないでしょう」

「しかし、そなたはまだ若い。無理をせずともよいのだ。周りの者に任せることも覚えるのも、上に立つ者にとって必要なことだ」

「いえ、次期当主として、これからお役目を誰よりもこなさなければならないものだと存じています……お父様やお母様も、もういらっしゃらないのですから」

「お前の父と母のことは、不幸な事故だったのだ」

「はい。それゆえ、次期当主として、励まなければならないものと存じます」

「クローディア……」

エグバードの慈しみの言葉は、クローディアの瞳の輝きには届かなかった。

それは、彼女の父母がすでにこの世にはいないということも理由にあったが。

聖賢から仰せつかった誇りある一族であること。

これまで守り通してきた、末裔であること。

それらがクローディアに否が応でも、己の責任というものを自覚させた。

サイファイス家の一員として、より一層励むべく。

誇りある一族の末裔として、より一層気高くあるべく。

そのためには、一層厳しくなければならないのだと。

自分にも、そして他人にも。

エグバードは静かに炎を燃やすクローディアに、一抹の不安を覚えながらも、話を続ける。

「……決して傷つかぬ魔は、聖賢の左腕でなければ滅ぼすことはできない。この魔が再びこの世に降り立つとき、世は肉の海に呑まれ、再び荒廃の道を辿るであろう。人々は苦しみに喘ぎ、やがて錻力の兵に縋るであろう。世のすべてが真紅の落日に傅くまで、人々の苦しみの喘ぎは決して途絶えぬことを心せよ」

「おじいさま、そのお話は……」

「予言書に語られることは、世の行く末を悲観したものが多いという。我らに伝えられている予言も、それを暗示したものだ」

「で、ですがいまの内容では、聖賢が魔人を滅ぼすことを示唆したもののようには聞こえませんが」

「そうだ。この予言は、世の滅びを示唆するものなのだ」

「では先ほどは一体なぜ、聖賢が再びこの世に降り立つなどとおっしゃられたのですか?」

「…………」

ふいに黙り込んだエグバードに、クローディアは動揺を隠せない。

「お、おじいさま?」

「これは私の、いや我ら一族の願いだ。いつかこれを、聖賢様が滅ぼしてくださるだろうというな」

クローディアは思う。

いまエグバードが口にした言葉は、これから起こり得るであろう現実を受け入れたくないがために、自分を誤魔化しているようなものなのではないのかと。

だが、無理もない。解決法は伝えられていないのだから。

だからこそ、自分たちがこれを必ず守り通さなければならない。

先ほどの言葉は、言外にそういう意図を含んでいるものでもあるのだろう。

「この予言が現実のものとならぬよう、封印は誰にも触れさせてはならぬ」

「はい」

その事実が、胸に火をともしたクローディアを、より奮起させた。

それが良い方に向かうにせよ、悪い方に向かうにせよ。