作品タイトル不明
第34話:屈辱の食料支援と野戦の通告
洛外へと続く街道。
山名家の傘下にある武将・太田垣は、虚ろな目をして泥道を歩いていた。
飢えと疲労により、部隊はもはや軍隊としての機能を失っている。
一歩歩くごとに、足軽たちがバタバタと倒れ伏していく。
「殿……前方に、何か山積みになっておりまする……!」
斥候の足軽が、ひび割れた声で叫んだ。
太田垣が重い頭を上げて前方を睨むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
街道の開けた場所に、真新しい筵が敷かれ、米俵や大根、味噌樽が山のように積まれているのだ。
「罠か……!?」
太田垣は刀の柄に手をかけたが、足軽たちはもはや命令を聞く状態ではなかった。
「め、飯だァァッ!」
「食い物じゃ!食い物が落ちておるぞ!」
足軽たちは我先にと駆け出し、米俵に群がって生のまま米を貪り食い始めた。
「待て!毒が入っておるやもしれぬぞ!」
太田垣が叫ぶが、誰も止まらない。
いや、太田垣自身の腹も、狂おしいほどに鳴っていた。
彼がふらつく足で米俵の山へ近づくと、その周囲に無数の立て札が突き刺さっているのを見つけた。
そこには、流麗だが冷酷な筆致で、こう記されていた。
『腹が減っては戦はできまい。食料はくれてやるゆえ、存分に食らい、洛外の好きな場所に陣を張れ――大御台所・日野富子』
「なんじゃと……!?」
太田垣は立て札を読み、己の目を疑った。
見渡せば、進軍経路の至る所に同じ文言の立て札が無数に立てられている。
毒など入っていない。
これは純然たる、敵からの『施し』であった。
自分たちを干上がらせた張本人であるあの女狐が、哀れな敗残兵に情けをかけているのだ。
「おのれ……我ら武士を、ここまでコケにするとは……!」
太田垣は屈辱に顔を歪め、血の涙を流さんばかりに拳を握りしめた。
だが、それでも足軽たちは無心で飯を食い続けている。
彼らの心には、幕府への反逆心など微塵も残っておらず、ただ生き延びることへの執着しかなかった。
太田垣は、自分たちが完全にあの女の掌の上で弄ばれているのだと、骨の髄まで思い知らされていた。
***
同じ頃、洛内の細川邸。
重苦しい空気の漂う広間に、幕府からの使者が訪れていた。
「大御台所様からの御書状をお持ちいたしました」
事務的な口調で語る文官の使者に、細川勝元と山名宗全は殺気立った視線を向ける。
「あの女狐め……我らを干上がらせておいて、今更降伏の勧告か!」
勝元が怒鳴りつけると、使者は無表情のまま書状を読み上げ始めた。
『日野富子の名において、細川と山名に申し渡す』
『もはや洛内での無駄な泥仕合は許さぬ。食料も用意してやった。洛外の好きな場所に陣を張るがよい。そこで堂々と決着をつけることとする』
「食料支援に野戦だと……!?しかも、場所は我らに選べと申すか!」
宗全が驚きの声を上げた。
相手は豊富な軍資金と物資を持つ幕府軍である。
籠城や兵糧攻めを続けるのが定石であるはずなのに、わざわざ食料支援をして、野戦を挑んできた上に、地の利すら譲るというのだ。
「申し上げます!街道の至る所に、幕府からの食料の山と、野戦を促す立て札が無数に立てられておりまする!」
外から駆け込んできた家臣の報告に、勝元はギリッと奥歯を鳴らした。
「おのれ……これほど大々的に触れ回られては、野戦に応じねば我らは戦わずして逃げた腰抜けと謗られるわ!」
敵からの施しを受け、戦場まで選ばせてもらった上で逃亡したとなれば、武士としての面目は完全に潰れる。
彼らは、周囲の目と己のプライドによって、強制的に野戦の舞台へと引きずり出されたのだ。
「ふん!金転がしの女狐が、武士のいくさの恐ろしさを知らぬと見える!野戦となれば、我らの武勇と牙が届くわ!」
勝元は獰猛な笑みを浮かべた。
だが、使者が読み上げる書状の続きは、彼らのそのちっぽけなプライドすら粉々に打ち砕くものであった。
『なお、決着がついた後の敗走兵への掃討戦、すなわち追撃は一切行わないものとする』
「……な、なんじゃと?」
『これは命懸けのいくさである。兵が散り散りになって野盗と化せば、民草に迷惑がかかる』
『また、戦場で倒れた負傷兵については、敵味方問わず幕府軍が速やかに手当てを行い、手厚く救護するものとする』
使者は書状から目を離さず、淡々と紡ぐ。
『ゆえに、敗戦後はそなたたち大名が責任を持って己の敗残兵を回収し、速やかに国許へ引き上げよ。そのための帰路の食料も、すでに道中に配置してある』
広間に、水を打ったような静寂が落ちた。
勝元も宗全も、その言葉の意味を理解するまでに数秒の時間を要した。
「ふ、ふざけるなァァァァッ!!」
最初に爆発したのは勝元であった。
漆塗りの文机を再び蹴り飛ばし、使者に向かって刀を抜き放たんばかりの勢いで立ち上がる。
「戦う前から我らが敗れることを前提としておるのか!おまけに敗残兵の回収まで指示するとは!」
「我ら天下の双璧を、小童のいくさ遊びのように扱う気か!あの女ァァァッ!」
宗全も顔を真っ赤にして怒号を上げる。
敗北を前提とされた上に、戦後の事後処理や敵からの慈悲まで事務的に決められている。
武士の誇りを根底から否定する、これ以上ない究極の屈辱であった。
彼らは知らない。
この冷酷で完璧なスケジュール管理の全てを組み立てたのが、富子の傍らで息を潜める小間使いの少女であるという事実を。
「……お伝えすべきことは、お伝えいたしました」
使者は怒り狂う両大名を冷ややかに見据え、一礼して立ち去っていった。
「ええい!こうなれば意地じゃ!残った兵を全て洛外へ差し向けい!」
勝元は怒りで血走った目を剥き、絶叫した。
「我ら精鋭の騎馬隊と武勇をもって、あの女狐の軍勢を木端微塵に踏み潰してくれるわ!」
完全に理性を失い、自ら用意された死地へと飛び込んでいく二人の最高権力者。
それは、中世の古き良き武士たちの、最後の痛ましい遠吠えであった。