作品タイトル不明
16「綾川誠司の憂鬱じゃね?」
綾川誠司は、自宅であるマンションの扉を開けると、ネクタイを緩めて大きくため息を吐いた。
「……杏は……いるのか。この間までは、家にいないことを咎めていたのに、今はあの子が家にいることが辛いなんて……父親失格だな」
誠司は、娘の部屋から光が漏れていることで、在宅を確認した。
娘が帰宅していることへの安堵はない。
むしろ、今日も家にいるのか、と親としてはありえない気持ちを抱いてしまう。
「……今日は暴れていないようだね」
足音を殺し、リビングのテーブルにカバンを置くと、上着を脱ぐ。
早く帰宅をしたくなかったので、飲んで帰ってきた誠司は酔い醒ましに水を飲んだ。
「……もとから感情的になりやすい子だったが、まさかこんなに変になってしまうなんて。私はどうすればいいのだろうか?」
誠司は大学の同級生の妻との間に、杏を授かった。
大学時代から交際し、卒業後に社会人として三年ほど働いた後に、妻と結婚した。
結婚生活は幸せで、杏をすぐに授かった。
杏が三歳くらいまでは幸せだった。
しかし、妻が出ていってしまった。
理由は珍しくない。
浮気だ。
会社の上司と不倫関係になり、再婚するつもりで、誠司と杏を捨てて出ていってしまったのだ。
しかし、上司は妻と遊びであり、再婚するつもりはない。
その後、泥沼となったようだ。
誠司は、妻と上司から慰謝料をもらい、実家の手を借りながら杏を育てていた。
そんな中、由良春子と出会った。
最初は、あくまでもシングルファザー、シングルマザーということで話が合い、友人として良い関係を築いていた。
次第に、惹かれ、想いを打ち明けたことで再婚となった。
義息となった夏樹は、とても可愛い子で、優しい子だった。
すぐに誠司のことを「お父さん」と呼び慕ってくれた。
誠司も我が子のように夏樹を可愛がった。
杏も、可愛がってくれる夏樹にはすぐに懐いてくれた。
彼の後を追いかける姿にきっと幸せな家庭を築ける。
――そう信じて疑わなかった。
だが、できなかった。
理由は杏にある。
すべてを杏のせいにするつもりはないが、きっかけは間違いなく娘にあった。
杏は、夏樹に懐いた。
しかし、春子には懐かなかった。
本当の母親になろうと接する春子に、反抗的な態度を取ったのだ。
父として嗜めたが、春子が「女の子は繊細だから」と言ってくれたので甘えてしまった。それがよくなかった。
杏の反抗はどんどん大きくなっていく。
果てには、三原優斗と出会い、彼の名をよく出すようになった。
同時に、夏樹に対して態度が変わってしまった。
今までは構って欲しいと全力だったのが、もう用がないとばかりになってしまった。
同時に、口を開けば三原優斗という少年の名を出すようになった。
聞けば、優斗という少年は小学生でありながら、年下から年上まで幅広く人気のある少年らしい。同性からはあまり評判がよくないようだ。
誠司は、当初、杏も人気者の少年に夢中になったくらいかと思った。
しかし、夏樹への暴言が増えた。その大半が優斗と比べるものだ。
続いて春子への態度がより悪くなった。
夏樹は杏を相手にしなくなったが、春子は母として接し続け、結果的に杏が癇癪を起こすようになった。
当時はわからなかったが、今ならわかる。
杏は、自分の思い通りにならないと我慢できないのだ。
杏は、自分をちやほやしてくれる人間なら誰でもいいのだ。
結局、家族は家族の形を維持できず離散。
誠司は春子と夏樹への愛情を失ったわけではないが、ふたりのために離婚を決意した。
そこからが地獄のようだった。
三原優斗とその取り巻きと思われる、決して好印象を抱けない人物たちと一緒に夜遅くまで遊び歩く日々。
何度止めても、叱っても、言葉が届かない。
補導されることはないし、犯罪をしたような様子はないが、娘が猫撫で声で優斗に初めてを捧げたいと懇願する様子を見たくはなかった。
そんな三原優斗が事故死した。
不謹慎であるが、ほっとした。
これで娘が変わってくれると思ったのだ。
実際、杏は変わった。
変わったが、誠司が望んだように変わったわけではなかった。
「杏は悪くないもん。あいつが悪いんだ。お兄ちゃんが悪いんだ。杏は悪くない、悪くないもん」
今も部屋から聞こえてくる。
自分は悪くない、と言い続ける娘の声。
思い人を失ったショックもあるのだろうと、カウンセラーに連れて行こうとしたが、大いに抵抗されてしまった。
誠司はもう疲れてしまった。
これ以上、娘とはいえ関わりたくない。
父親失格であることを平然と思えるようになってしまったのだ。
「……どこで間違ったんだろうか? 僕は、杏は、なにが悪かったんだろうか?」