作品タイトル不明
第15話「まったく.......鈍感男は最高だぜ!」
誰にも届かない声で、俺は静かに呟いた。
指先から、黒い色が広がる。それは炎でも光でもなかった。もっと静かなもの......
夜の湖に墨を一滴落としたみたいに、音もなく、ゆっくりと、空間に満ちていた残留魔力へ、その黒が触れていく。
渦巻いていた流れが、止まった。
暴れていた波が、急に眠ったみたいに静かになる。空気が変わった......
さっきまで耳の奥をざわつかせていた不快な振動が、少しずつ遠ざかっていく。
壊れた術式が吐き出していた濁流が、一本の川みたいに整えられていくのが見えた。
見えていた、
俺には最初から、それが見えていたのだ。
魔力の流れ
空間の裂け目
出口へ向かう“道”
普通の魔術師には見えないもの、それを俺はただ、その向きを直しただけだった。
絡まった糸をほどくみたいに、迷子になった水流を、正しい場所へ帰すみたいに。
黒い色が床を這い、崩れた紋様へ染み込んでいく。淡く明滅していた古代文字が、一つ、また一つと光を失っていった。
そして——
最後まで暴れていた中央の魔力核が、ふっと力を抜いた。
静寂
本当に、何も聞こえなくなり、誰かが息を呑む音だけがやけに大きく響いた。
「……何を、したんだ.......?」
クロノスの声は、掠れていた。
俺が床から手を離すと、黒い色がゆっくり消えていく。
「......ん? 流れを整えただけです」
「……整える?」
「渦になっていたので、出口の方向へ向け直しました。しばらくすれば自然に抜けていくと思いますよ」
クロノスが絶句したまま術式跡を見ていた。
理解が追いついていない顔だ。
無理もない、普通、暴走した古代術式は止まらない。力で押さえ込むしかないのだ。だから、彼らは壊そうとした。
でも——違った。
この術式は、暴れていたわけじゃない。出口を失って、苦しんでいただけだった。
「……それだけで、止まるのか」
「構造がわかれば、の話だがな」
俺は立ち上がる。
ふらついた足元を隠すように、一歩だけ後ろへ下がった。
魔力を大量に使ったわけじゃない。
ただ、“見すぎた”。
深く視れば視るほど、頭が痛くなる。死神紋章の悪い癖だった。
「出口はわかっている。一本道だからな、ついてこい」
クロノスはまだ何か言いたそうだったが、最後には小さく息を吐いた。
「……頼む」
---
外へ出た時には、もう夕焼けだった。赤い光が、崩れた北棟の窓に反射している。
地面へ座り込む生徒たちを横目に、俺は空を見上げる。妙に綺麗だった。
死にかけた後の夕焼けって、なんでこんなに綺麗なんだろう、そんな疑問を俺に抱かせる。
風が吹き、草の匂いがすると、急に実感が湧いてくる......
「……助かった」
クロノスが低く、独り言のように呟いた。
「……俺は、お前のことを」
「知ってますよ」俺は続けた。「弱い奴には危ないことをさせたくなかったんでしょう」
クロノスが、止まる。
「……なぜわかるんだ?」
「強いていうなら......“感覚”かな」
「……」
「昔、似たような状況で誰かを失ったのか....?」
長い沈黙があった。
夕風が吹き、草の匂いがする。
「……幼馴染だった」クロノスは静かに語り出す。「俺より頭が良くて、魔術の才能があった。でも“あいつ”は体が弱かったんだ。ある時——似たような場所に一人で行って、それから.....“あいつ”には二度と会っていない」
「そんな、重い話だとは思わなかったな。辛かっただろ......」
「俺が止めていれば、と何度も何度も思い続けた。才能のある奴が、無駄に死ぬのを——もう見たくなかったんだ」
俺はしばらく黙った。
「……だから、俺にああ言ったんだな。引っ込んでいろ、と。俺には才能があると、そう見込んでくれていたからこそ」
「……ああ」
「俺を弱い幼馴染に重ねた」
「——重ねた、まあ俺の早とちりだったようだがな」
クロノスが、初めて目をそらした。
「俺がきて良かったな!」
「お前みたいな弱者に救われる日がくるとは思いもしていなかったぞ」
「結果的には俺に助けられたんだから、感謝ぐらいしろよな。それとも......自分よりも弱いと思ってたやつに負けて悔しいか?」
沈黙。
夕風が、金髪を揺らした。
クロノスは何かを飲み込むみたいに黙って、それから静かに言った。
「……俺は、お前を見誤っていた」
「それも最近よく言われるな......」
「一応言っておくと、嫌味で言っているわけじゃないからな」
「わかってるって」
クロノスが少し目を細めた。
「本当に、変な奴だな......」
「大事なことは二度言うってか?」
今度こそ、クロノスは少しだけ笑った。
ほんの一瞬だけ。でも、その直後には、またいつもの硬い顔に戻っていた。
「……借りは返す」
「そんなに俺みたいな弱者のことは気にしなくていいんだぞ!」
「お前、案外根にもつタイプだな......」
「一生擦り続けてやる! お前より強い弱者ってな!」
「まったく........本当に面白いやつだ。今回の件は悪かったな.......」
そういい残すと、クロノスは仲間たちへ目を向けた。
「お前ら、病院に行くぞ」
その背中は、最初に会った時より少しだけ軽く見えた。けれど.......最後まで、完全に柔らかくなることはなかった。
どこか棘が残っている。
だがそれでいい、とも俺は思った。
人はそんな簡単に変わらない。だからこそ、本当に変わった瞬間が、ちゃんと意味を持つ。
---
「——レイン!!」
声が飛んできた。振り返ると、セレフィーナが走ってきている。
銀色の髪が夕日に染まっている。
その後ろでは、アイラが全力疾走していた。
おそらく、どこぞの黄色い超生命体よりも速いだろう。
「無事ですか......?」
セレフィーナが俺の前で止まる。
「そんなに心配することはないから安心しろ。俺は、何事もなく帰ってきた」
「怪我は.....?」
「それもゼロだ!」
セレフィーナはじっと俺を見た。
青い瞳が、少し揺れる。
「約束.....守ってくれましたね!」
「俺はした約束は守る男だからな!」
「あなた、たまに平然と危ないことをするので信用しきるに、しきれないんです!」
「ひどい言いようだな! それが頑張ってきたやつに対する言葉かよ.......」
「事実なので!」
そこへアイラが飛び込んできた。
「無事じゃん!!」
「俺に何回同じ事を言わせる気なんだ」
「よかったー!! でも怒ってるから!!」
「......なぜだ?」
「心配したから!!」
「そんな安直な理由を人様に向かって言えることに俺は感動しているよ、いつも通りすぎて安心すら感じるな」
「ん? ならよかった! 死んだら許さなかったし!!」
「すごい、皮肉がまったく効かない......まあ死なないに決まってるじゃないですか」
「だから許す!!」
「自分勝手の理不尽様だなー」
「感情だから理不尽でいいの!!」
セレフィーナが小さく笑った。
その笑い声を聞いた瞬間、なんだか急に胸が軽くような感覚がした。
張っていた糸が、少し緩む。
「あ」
アイラが急に俺の顔を覗き込んだ。
「レインの顔色が悪いー!!!」
「.......そうか?」
「悪いですよ!」
セレフィーナも真顔になった。
「……魔力を使いすぎましたか」
「たしかに、少し頭が痛いような気はするなかも」
「まったくあなたと言う人は......それを一般的には無理してるって言うんです!」
「セレフィーナ、最近ちょっと圧強くない?」
「大事な人だからこそ! 心配してるんですよ!」
アイラが腕を組み、大声で言い放つ。
「よし! 今日はもう帰る!!」
「急に変な事を言い出すのも、またお前と言った感じだな......」
「こういう時は甘いもの食べて寝るのが最強!! おばあちゃんが言ってた!!」
「理論が雑だな、どこに根拠が......」
「でも効く!!」
「否定できないのが困るところではあるな」
エリクが後ろから歩いてきた。相変わらず死んだ魚みたいな目をしている。
「お前、また面倒ごとに巻き込まれてたな」
「今回に関しては、巻き込まれたというか......」
「自分から入っていっただろ」
「困ってそうだったからな」
「そういうところだぞ!」
何がだろう。
聞こうとしたけど、エリクはもう呆れた顔をしていた。
夕焼けが、少しずつ夜に変わっていく。
赤かった空に、薄い群青が混ざり始めていた。
エリクは、そんな中一つのことが頭によぎったため、口に出す。
「俺もモテモテになりたいし、いっそ鈍感男になっちゃおうかな......」