作品タイトル不明
援軍アーク
「これでよいのじゃろ?」
領都キーンの中心でもある領主の住まう屋敷の一室を借りて、リィル王女は大きな机の席に着いて、一枚の羊皮紙に今回の王都解放戦における此方の報酬内容を明示した契約書を作成していた。
そうして書きあがった契約書の内容を此方に示して確認をしてくる。
「確かに、先程の条件の通りであるな」
傍らでその一連の作業を見守っていた自分は、内容を一瞥して頷いて見せる。
それを横から覗き込んでいたアリアンが、此方に耳打ちするように口を挟んできた。
(ちょっと、こんな小さい子供との約束事が本当に履行されると思うの? 彼女自身がそのつもりでも周りがそれを認めるとは思えないんだけど?)
細く形のいい眉を寄せながら、彼女は疑わし気にリィル王女の傍近くに控える二人の護衛騎士、ザハルとニーナに視線を向けてそんな言葉を零す。
それは自分自身も同意せざるを得ない反応だった。
此方が提示した条件ではあるが、まだ幼いリィル王女にその条件を履行するだけの力があるか怪しいのは事実だ。
(アリアン殿の懸念はもっともだが、我も今回の条件が完全に果たされるとは考えておらん)
自分のその返しにアリアンは怪訝な顔をして此方を見上げる。
ヒルク教国の教義が根強い地域の国家が、異種族である自分やアリアン、チヨメに対して律儀に契約の履行をするかと言えば随分と不確かな事は否めない。
(それじゃ、なんであんな契約書なんて書かせたのよ?)
アリアンは眉根を寄せて小首を傾げ、何やら此方に不満そうな顔を向けてくる。
だからこそ、王族であるリィル王女が直筆した契約書を手元に残しておけば、完全履行はされなくてもある程度の条件を向こう側に提示する事は可能だと睨んだのだ。
そして何よりも相手側に要求を飲ませる最上の手段、それは──、
(契約書はあくまで事前に交わした約定があった事を示すもの、これを履行させるにはヒルク教国と同じ事を我らが示せば良いのだ)
その自分の発言に、敏感に反応したのは部屋の隅で気配を殺しているチヨメだった。
頭の上の猫耳が此方の発言を聞いてピクリと動きを示す。
いつもの定位置である頭の上のポンタは、その動きに同調するように同じく両の耳をパタパタと動かして見せる。
そんな一人と一匹の反応とは違い、アリアンは何やらあまりピンときていない様子で、やや首を傾げて此方を見返してきた。
(ヒルク教国が神殿騎士で武力を示し、他国に介入していたように、我らエルフ族もそれなりの力を示して油断ならない相手である事を見せればよいのだ)
その自分の説明を聞いて、アリアンがはっきりと嫌そうな顔を作った。
(また碌でもない事を考えてるんじゃないでしょうね?)
彼女から追求の声が上がるも、契約書に署名を済ませたリィル王女が此方の会話に割って入り、出来た契約書を此方に示して見せた。
「わらわは署名をしたのじゃ。後は其方の署名を入れて今回の契約は成立なのじゃ」
その彼女の言葉を受けて、此方に差し出された契約書を前にアリアンの方へと視線を向ける。
すると彼女は不思議そうな顔をして此方を見返してきた。
「ここでの署名はアリアン殿が相応しいだろう」
そう言って返すと、リィル王女を始めとしたノーザン王国側の者達の視線がアリアンへと注がれ、それを受けた彼女は困惑した顔で此方を睨めつけた。
(ちょっと、アーク。何で署名が私なのよ!?)
押し殺したような、されど強い口調でという器用な声量でもってアリアンが詰め寄ってくるのを躱して、簡単に理由を説明する。
「我はまだ里の中では末席に位置する身、ここはアリアン殿の方が適任であると思っての判断だ」
自分のその発言を受けて、リィル王女らの視線がアリアンへと集まる。
その視線には少なからず驚きの色が見て取れた。
恐らくこちらの代表が自分だと思っていたのかも知れないが、アリアンにも言ったように自分はララトイアの里に加えられて日も浅く、エルフ族の格から言えば彼女の方が圧倒的に上だ。
そして何より一番の理由が、自分がこちらの世界の文字を書く事が出来ないという事だった。
こちらの世界の文字はじっと見ればその内容は理解出来るのだが、いざ書こうとするならば文字や文法を覚えていなければならない。
これは今後の課題だろう。
王女らから向けられた視線に彼女は盛大に溜め息を吐くと、差し出された契約書に自らの署名を記してペンを置いた。
「これでいいんでしょ?」
確認を求めるアリアンの声に、リィル王女が契約書に目を走らせて頷く。
「うむ、これで契約書は完成なのじゃ! アリアン殿、アーク殿、それとチヨメ殿。これでわらわ達の国を救う為の約定が交わされたと信じて良いのじゃな?」
リィル王女の揺れる大きな灰色の瞳に見つめられ、アリアンはやや居心地悪そうに肩を竦める。
その隣で契約書を受け取った自分は、リィル王女を安心させるように大きく頷いて答えた。
「心配召されるな、リィル殿。我らはこれよりノーザン王国の王都を 不死者(アンデッド) 共から解放する為に尽力しよう。リィル殿は報酬の算段をしていてくれれば良い」
自分のその言葉を聞いたリィル王女は、ようやく小さく一息吐く。
その彼女の傍で黙って見守っていた護衛騎士のニーナが、此方に視線を向けて何事か尋ねようとする仕草に気付いてそれを促すと、彼女は意を決したように口を開いた。
「もし王都へと入る事が出来たとして、そこに多くの怪我人がいた場合、貴殿はその……私に使ったような治癒魔法などをその者らに施しては貰えるのか?」
自らの右腕、蜘蛛人によって斬り飛ばされて治癒魔法によって繋がった箇所をそっと撫でながらニーナはそんな質問を此方に投げ掛けてきた。
あまり盛大な治癒魔法を使っては後々問題になりかねない上に、王都の人口、被害の如何によっては魔法での治療にも魔力の限界というものがある。
保有する魔力が多くても流石に無茶な数は対応出来ないが……そんな事を考えて返事をした。
「我の力が及ぶ範囲でなら……善処すると約束しよう」
そう言うと彼女はそっと息を吐き出して、小さく目礼をする。
これには打算などもあった。
窮地にいる民衆などを魔法の力を使って癒やすというのは、例えそれがヒルク教の教義に悖る異種族からの行為であっても、そうそう邪険には出来ない筈だ。
偏見などを無くすなどは無理でも、他種族に対しても寛容ないしは好意的な者が少数でも現れれば御の字程度には作用するだろう。
我ながら隙の無い懐柔策だ──とそんな自画自賛をしていた所に、一人の使用人が執務室へと入って来て、リィル王女にと言伝が届けられた。
「リィル王女様、伯爵様から表に騎馬隊の用意が整ったとの事です」
「わかったのじゃ、すぐに向かうと伝えて欲しいのじゃ」
ディモ伯爵からの報告を聞いたリィル王女は、足元をぶらぶらとさせていた椅子から飛び降りるようにして立ち上がると、両脇に控える二人の護衛騎士を見上げてから視線をニーナに移した。
「ニーナ、あまり顔色が優れぬのじゃ。残ってもよいのじゃぞ?」
自分の護衛でもある彼女に、リィル王女は気遣うような表情を向ける。
リィル王女の言う通り、確かにニーナの顔色があまりよくない。蜘蛛人に腕を斬り飛ばされた際に、血を多く失った為だろう。
治癒魔法では失った血まで回復する事がないのは以前に実証済みだ。
しかし会ってまだ間がないとはいえ、彼女の性格はなんとなくだが把握できる。
リィル王女の労いの言葉にも、ニーナは静かに首を横に振って跪いた。
「いいえ。リィル姫様が王都へ向かうと言うのに私だけがここに残るなど、たとえ姫様が許したとしても、私自身がそれを承服しかねます!」
頑として言い放つその言葉には彼女自身の強い意志が込められているようで、それはリィル王女にも伝わったのだろう。
少々困ったような表情をニーナに向けて見せるリィル王女だったが、その瞳の奥には何処か随喜の念が浮かんでいるようにも窺えた。
「仕方のない奴じゃな。……ではわらわも準備を整えて行くとするのじゃ!」
小さく笑みを零したリィル王女はそう言って、傍らに置かれていた優美な意匠の施された革鎧を手に取ると、それをドレスの上から手際良く装着して見せた。
王族の嗜み、というやつなのだろうか。
手慣れた手つきで着込んだ革鎧だが、近衛兵やザハルやニーナのような護衛騎士が身に着けている鎧の類とは違って、それ程高い防御性能があるようには見えない。
しかし何も無いよりはマシだろうか。
執務室を先立って出て行くリィル王女に続いて、二人の護衛騎士もそれに続く。
室内に残った自分とアリアン、チヨメは互いに視線を交わし合う。
そして開口一番、何やら脱力したような声を上げたのはアリアンだった。
「……いつもの事かも知れないけど、なんだか妙な展開になってきた気がするわ」
「きゅん?」
そんな彼女の嘆きを、頭の上のポンタが不思議そうな顔で首を傾げて見ている。
そしてアリアンの言葉を受けて、チヨメが少し申し訳なさげに口を開いた。
「元はと言えば、ボクがお願いした案件が今回の事態を招き寄せたとも言えます……」
チヨメのそんな言に、アリアンは慌てて首を横に振ってそれを否定した。
「わ、私は別にチヨメちゃんを責めた訳じゃなくてね、ただ里の代表でもないのに、人族の国とこんな大それた約束を交わしちゃって大丈夫なのかなぁって……ね?」
そこまで言って彼女は、困った顔をしていた視線を此方へと向けて睨み据えた。
彼女のその視線からは抗議の声が聞こえてくるようだ。
「これはあくまで我らとノーザン王国の私的な契約なのだ。里のあるカナダの方には迷惑にはなるまいよ。何せ、今回の契約では成功報酬のみで、それは相手が払うか払わないかに掛かっているだけなのだ。我らが成功しなかったからと言って、何も非難される覚えはないだろうしな」
「まぁ、そうだけど……」
自分の説明にも、やや不満そうに口を尖らせるアリアンだったが、一つ大きく溜め息を吐くと、その金色の瞳に力が漲ったのを感じた。
「でも、私達が今回の一件を成功させない事には、宝物庫に入る事は出来ないのよね?」
その彼女の言葉に同調するように強く頷き返したのは、サスケの足取りを追うチヨメだ。
「では、我らも向かうとするか」
そう言って、執務室を出て行ったリィル王女一行の後を追った。
屋敷を後にして大きな前庭へと出ると、そこには百騎あまりの騎馬隊が整然と並んでいる姿が目に入ってきた。
それぞれが揃いの鎧を身に纏い、馬体のしっかりとした馬に皆騎乗している。
日の光を反射して、それら馬上の戦士達が眩い輝きを放っているように見えて、その壮観な姿を先に来て眺めていたリィル王女が力強く頷いている姿があった。
しかし、ここで百騎の騎馬隊は勇壮に見えても、相手が十万からなる 不死者(アンデッド) の群れの前では、圧倒的な数の濁流に飲まれてそれこそ藻屑のようになる未来しか想像出来ない。
馬上にいる彼らの顔を見れば皆が意気揚々とした表情をしている所を見ると、ディモ伯爵は今回の部隊編成に際しての目的を多くは語っていないのかも知れない。
まぁ今回の王都解放戦の敵陣容を知って怖気づき、騎馬隊が逃げるような事があっては伯爵自身の面目にも傷がつくだろうし、そうなれば二人の護衛騎士は何としてでもリィル王女を城砦ヒルから先に出しはしないだろうから、我々にとっても悪くはないのだが。
リィル王女と二人の護衛騎士が前庭に姿を現したのを切っ掛けに、それまで騒めいていた場が静まり、僅かに馬の 嘶(いなな) きや馬蹄の音だけになる。
そんな騎馬隊を見回すリィル王女の脇から現れたのは、この地の領主であるディモ伯爵だ。
「喜べ皆の者! 今日は領都騎馬隊である諸君らに栄誉ある任務が与えられた! ここにおわすリィル第一王女殿下の王都帰還に伴う護衛が今回の任務である! 心して拝命せよ!」
伯爵の演説のような任務説明に、騎馬隊の者達が姿勢を正して応える。
それを見回していた護衛騎士筆頭のザハルが、ディモ伯爵の後を継いだ。
「既にある程度の任務内容を聞き及んでいるとは思うが、今回はサルマ王国を横断して最短で王都へと向かう! 今日は夕暮れまでに城砦ヒルへと入り、明朝ブラニエの東を抜けて行く事になる!強行軍となる厳しい道程になるが、遅れた者はその場に置いて行く! 心して臨め!」
その彼の説明に騎馬隊の中に一瞬騒めきが起こるが、ザハルはそれを黙殺すると、すぐに城砦ヒルへと出発するように指示を出した。
「ディモ騎馬隊は先行して城塞ヒルへと向かえ! これは伯爵様からの城砦責任者への指示書だ」
そう言ってザハルは一枚の封蝋のされた羊皮紙の巻紙を騎馬隊の一人に手渡すと、敬礼して彼らを前庭から追い出しに掛かった。
その後ろでは王女の近衛兵らが、ニーナと同乗する事になったリィル王女の騎馬を取り囲むようにして部隊を組んで、ザハルの合流を待っていた。
ザハルが先行として送り出した騎馬隊を見送り、一連の集会を眺めていた此方に向き直る。
「城砦ヒルへと戻る。アーク殿らは最後尾で追従してくれ」
「うむ、了解した」
用件だけを言ってザハルはその場で身を翻し、リィル王女達が待つ場へと戻って行く。
それを見送って、自分もそろそろ出立の準備をしようと周囲を見回すと、庭の隅で寛いでいる赤茶けた鱗を持つ巨体の姿を見つけた。
紫電が懸命に足元に鼻面を押し付けて何やらごそごそとしている姿を不思議に思い、近寄って様子を覗いて見ると何やら足元一帯の芝生が剥げて土が剥き出しになっている。
此方の存在に気付いた紫電が口元をもごもごさせながら顔を上げた。
どうやら周辺の庭草をおやつがわりに食んでいたようだ。
明らかに庭の景観を損なっているが、ここはディモ伯爵の寛大な心に縋り先を急ぐとしよう。
「行くぞ、紫電」
「ギュリィィン!」
鞍をのせたままの紫電の背中を軽く叩いて呼ぶと、紫電は一度ぶるりとその大きな巨体を揺すりながら鳴いて立ち上がる。
それを見ていたディモ伯爵ら屋敷の者達が一斉に騒めいて後ろへと下がっていく。
見た目にもかなり凶悪な姿をしているので、一般人にとっては猛獣にしか見えない 疾駆騎竜(ドリフトプス) だが、主人と認めた者に対してはかなり従順だ。
鞍へと乗り込み、後ろにアリアンが座り、チヨメが前に跨る。
ポンタがお気に入りとなった紫電の頭部の鬣の中に潜り込んだのを見計らって、手綱を握った。
屋敷の門を潜り、領都キーンの市街地へと向かうリィル王女一行の後ろを追い掛けるように進路を向けて、ゆっくりと紫電が歩き出した。
空に昇る太陽の位置を確認するように仰ぎ見て、城砦ヒルまでの距離を思い浮かべる。
「あそこまでなら夕方の内には着くか……」
眩い日の光から先を行く一行の背中に視線を戻しながら独りごちるのを、チヨメが前の席で此方を振り仰ぐようにして視線を向けてきた。
彼女は特に何を言うでもなかったが、自分はそんな彼女にただ頷き返して口を開いた。
「うむ、いよいよだな」
市街地の街路脇には多くの領民達が衛兵らによる交通整理で押さえ込まれながらも、リィル王女の一行を一目見ようと詰め掛けていて、ちょっとしたお祭り騒ぎのようになっている。
そんな彼らの視線の一切を振り切り、一行は駆け足気味に市街地を横切り領都を出た。
先行するディモ伯爵の騎馬隊が戦意高く駆けて行く様子を、自分達は最後尾からその様子を眺めながら遅れないようについていく。
いや本当の所は遅れないようにというのは間違いで、 疾駆騎竜(ドリフトプス) は先行する騎馬隊やリィル王女らの一行を追い抜かないようにゆっくり駆けているといった方が正しい。
ジャイアントバジリスクの際にも思った事だが、六本の足を持っているとやはりそれなりに高速移動し易いのだろうか?
そんな異世界の不思議に気を取られながら、周囲で流れていく景色に目を向けた。
豊かな新緑の農地が左右に広がる景色の中を、馬蹄を響かせた一団が通り過ぎて行く姿を、畑の世話をしている農民だろう者達が頭を上げて目で追いかけている。
やがて一行の前には左右に延々と続くかのような城砦ヒルの城壁が見えてきた。
あそこを発って半日程で戻って来たというのに、何故か少し懐かしい気がするのは何故だろうか。
先行する騎馬隊が堂々と伯爵家の旗を掲げると、城砦ヒルの城門が視線の先でゆっくりと開き始めたのが分かった。
「確か今日の行程はここまでよね? やっとゆっくりできるわね……」
大きな溜め息を吐いて、後ろにいるアリアンがそんな愚痴を零す。
心なしか、紫電の頭の上で寝そべっているポンタもぐったりとしているように見える。
そう言えば今日は昼食をとっていなかったな……。
そんな事を思っていると、先頭の騎馬隊が城砦ヒルの城門内へと消えていき、次いで王女の近衞隊と最後尾の自分達が入城して再び門が閉じられた。
騎馬隊の代表者であろう一人が、城砦ヒルの指揮官と対面して、伯爵からの書状と共に事情説明を行っている中、リィル王女を取り巻いた近衞隊付近で騒ぎが起こる。
「しっかりするのじゃ、ニーナ!」
その声の主はリィル王女本人のもので、そちらへと視線を向けるとそこには顔色が悪くなったニーナが馬上で態勢を崩し、ずり落ちそうになっている場面だった。
「彼女を休める場所へ! 急げ!」
そんな騒ぎを逸早くまとめたのは、もう一人の護衛騎士のザハルだ。
彼の指示に従い、近くにいた近衛兵の二人が彼女を馬から下ろして、担ぎこまれていく。
そんな彼女の姿を不安そうに眺めるリィル王女が、ふと此方の視線に気付くと足早に寄って来て、懇願するような顔で訴えかけきた。
「アーク殿、すまぬがニーナを診てやって欲しいのじゃ!」
「我は構わぬが、恐らくニーナ殿のあれは貧血であろう。安静にしてしっかりとした食事を摂る以外には回復の道はないと思うぞ?」
リィル王女の訴えに紫電から降りながらそう返すが、彼女はそれでも心配そうな顔をじっと此方に向けて見上げてくる。
彼女の目尻に少しの滴が膨らむのを見て観念したように頷いた。
「承知した、とりあえず治癒魔法を掛けて様子を見よう……」
その一言で目の前の少女に喜色が浮かぶ。
そんなやり取りを見ていたアリアンが、口元に薄く笑みを張り付けて此方を揶揄いにきた。
「アークって、小さい子の涙には弱いわよねぇ」
「アリアン殿に言われたくはないがな」
自分のその返しにもアリアンは明後日の方角を向いて素知らぬ顔をする。
本来ならニーナは二、三日は安静にして様子を見た方がいいのだが、護衛騎士であると自負する彼女がリィル王女の傍を離れるという事は容認出来ないだろう。
いっその事、目が覚めた瞬間に首筋にチョップをして意識を再度落とすという方法も思いついたが、間違って彼女の首を物理的に落としてしまっては目も当てられない。
──蘇生魔法である【 再生復活(リジェネティブ) 】や【 蘇生復活(リニメイション) 】もあるが、対象効果が認められるかを他人の命を使って試せるものでもない。
「さて、ヤブの魔法医者役でも演じてくるとするかな」
見上げた城砦ヒルは既に日が暮れ始めた夕日の光を浴びて、まるで巨大な篝火が朱く燃え上がっているように輝くその姿に目を細めた。
予定ではサルマ王国を抜けるには二日程掛かるらしいが、果たして無事に何事も無く横断する事が出来るのだろうか。
そんな事を考えて、思わず余計な思考は変な予兆にしかならないなと 頭(かぶり) を振った。