軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ユールノヴァの朝

翌朝。

かつて半年を引きこもって過ごしていた部屋、というかフロア。巨大なベッドが鎮座する寝室のほかに、専用の書斎、客間、音楽などの趣味用の部屋、衣装部屋などがセットになった全体が「エカテリーナの部屋」であるわけだが、久しぶりにその寝室で眠ったエカテリーナは、カーテンの隙間から差し込んできた朝日に目を覚ました。

「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、ミナ」

身を起こしたところだったエカテリーナは、ワゴンを押して入ってきたメイドのミナに微笑みかける。

「昨夜はどうでした」

「おかげでよく眠れてよ。皇都よりこちらのほうが、涼しくて快適ね」

「なら良かったです」

「ミナは疲れていなくって?」

「疲れるようなことなんか、なんにもありませんでしたから」

ミナは淡々と言ったが、昨日あのあと、色々あったのだ。

邸の中へ入ったあと、ユールノヴァ兄妹は主だった使用人達からの挨拶を受けた。

母亡き後の半年間、ほとんど言葉を発することすらなかったエカテリーナが、挨拶ににこやかに応じる姿。そんな妹に優しいまなざしを向けるアレクセイ。どちらも彼らには衝撃だったようだ。

『お嬢様……たいそうお元気になられ、なによりに存じます』

本邸の老執事、ノヴァラスが白い眉の下の目をうるませた。彼も分家の出身で、最初に仕えたあるじは祖父セルゲイの父、つまりエカテリーナたちの曽祖父。それから四代の公爵に仕えてきた、まさにユールノヴァ城の生き字引だ。

『……心配をかけたこと、すまなく思っていてよ』

エカテリーナが目を伏せると、アレクセイが妹の肩にそっと手を置いた。

『あれほど辛いことがあったのだから、長く立ち直れなかったのも当然だろう。すまなく思うべきは私だ』

『お辛い思いをなさったのはお兄様も同じですわ。そのようにおっしゃらないでくださいまし』

アレクセイの手にエカテリーナが自分の手を重ねる。

『……そうしておられると、まるでアレクサンドル公と奥様がそこにいらっしゃるようですわ』

思わずといった様子で呟いたのは、メイド頭のアンナだ。こちらも長く公爵家に仕えてきた、かつては鮮やかな緋色だったであろう髪が半ば白くなった、ふっくらした女性である。

そして、無言でエカテリーナを見つめている女性がもう一人。女性使用人を束ねる家政婦のライーサ。こちらは背の高い痩せぎすの女性で、黒に近いほど濃い紫色の髪とそれよりもう少し明るい紫の瞳をしていた。

『公爵夫人に仕えると同様に、エカテリーナに仕えるよう命じる。エカテリーナが嫁ぐか私が妻をめとるまで、この子がユールノヴァの女主人だ』

アレクセイが言い切ると、使用人一同は従順に頭を下げた。

……さて、どうなることやら。

この中の誰かは、腹に一物あるんだろうなー。

冷静に考えるエカテリーナである。

家政ってジャンル、私には知識も経験も足りないけれど、お兄様に迷惑をかけないために、女主人として使用人たちを掌握できるよう頑張ります!

例によって心でこぶしを握ったところで、ノヴァラスがアレクセイに尋ねた。

『ノヴァダイン卿ですが、蔓薔薇の間に宿泊されています。晩餐をご一緒されるおつもりだったようですが、先ほどのご様子では……いかがなさいますか』

なんとノヴァダイン父娘、勝手にユールノヴァ城に泊まっていたのである。本気で父アレクサンドルの頃と同じように扱ってもらえると思っていたらしい。

老執事に、アレクセイはきっぱりと『すぐに追い出せ』と命じた。

が、使用人たちの動きは鈍い。ノヴァダイン父娘、特に父イシードルは子供の頃から先代アレクサンドルの友人としてこの邸に出入りしてきたはずだ。加えて老執事以外にも使用人たちに分家筋の者がおり、複雑な関係性、あるいは利害関係があるのだろう。

ノヴァダインは、父の頃と同じようにふるまえる様子を、アレクセイに見せつけるつもりだったのかもしれない。

それを見てとると、アレクセイはひとつうなずいた。

そして、常に傍らに付きしたがう従僕、イヴァンに目を向けた。

『イヴァン、追い出せ』

『はい、閣下』

イヴァンはいつも通り明るく応じる。

『騎士団にも声をかけ、小隊を対応させるよう私が命じたと伝えろ』

『仰せの通りに』

『若君……!い、いえ、閣下』

執事、ノヴァラスが愕然とした表情で声を上げた。

『分家の、お身内のことでございます。騎士団を出すまで事を荒立てるのは、あまりに――』

『黙れ』

ネオンブルーの瞳に強い光をたたえて言ったアレクセイだが、自分を見上げるエカテリーナの視線に気付くと、ふと瞳が寂しげに翳った。

『……私を恐ろしいと思うだろうな』

『いいえ。むしろお優しいと存じますわ』

エカテリーナがそう答えたので、使用人たちは不思議そうな顔をした。

『あの様子では、どこまでお兄様をあなどって思い上がるかわかりませんもの。やがて本当に騎士団を遣わして、力ずくで分家を取り潰すようなことになりかねませんわ。そのような事態を防げるよう、今のうちにしっかりと教えようとなさるお兄様は、お優しい方でございます』

前世のシステム開発で、気軽にぽんぽん仕様追加とか仕様変更とかしてくるクライアントは、最初からガツンとかましておかないと、後から大変なことになったもんでしたよ。他社でとあるクライアントと裁判になって泥仕合、結局そのクライアント、敗訴して支払いと裁判費用でかえって大打撃、なんてこともあったし。

だから、お兄様は正しいです!

『……賢い子だ。ありがとう、お前がわかってくれて嬉しい』

アレクセイはしみじみと言う。

『ただお兄様、キーラ嬢のことは、騎士団では差し障りがありますわ。ミナにも頼んでくださいまし』

『そうだな。騎士たちもキーラをもてあますだろう。ミナ』

『はい、閣下』

ミナはいつも通り無表情に頭を下げた。

そして、イヴァンとミナは揃ってスタスタ歩いて客間に向かった。

ここから先は一緒に父娘を排除した騎士団の小隊長に聞いた話だが、イヴァンとミナはごく無造作な足取りで客間に到着すると、ノックもせずに父娘それぞれの部屋へ入り、勝手に鞄をひっぱり出して、着替えやら何やらをぽいぽい放り込んでさっさと荷物をまとめたそうだ。驚いて怒鳴り散らす招かれざる客たちを、完全に無視して。

まとめた荷物は、騎士団の騎士たちが有無を言わせず運んでいった。取り返そうと掴みかかってきたノヴァダインの従僕を、騎士の一人が掴まえてヒョイと肩に担ぎ、これも荷物のように邸の外へ運んだそうだ。

そしてノヴァダイン本人は、両腕を取られて連行されそうになったのを振り払い、憤然と歩いて出ていった。

一番手こずったのが娘のキーラ。さすがに令嬢を肩に担ぐわけにはいかず、激怒する彼女を前に騎士たちは困惑するばかりだった。

が、ミナはそんな彼女の真正面に歩み寄ると、至近距離で無表情に令嬢を見つめた。

そして、がっと彼女を抱擁すると、そのまま抱き上げた。

さすがに絶句というか、何が起きたかわからない様子のキーラをミナはスタスタ運び、ノヴァダイン家の馬車に押し込んだ。

鮮やかな手並みだったそうだ。

そんな出来事などなかったような顔で、ミナはエカテリーナのためにお茶を淹れている。

「……お嬢様、少なくとも当分の間は、あたしが淹れたお茶しか飲まないようにしてください」

「まあ、なぜ?」

エカテリーナが首をかしげると、ミナはふんと鼻を鳴らした。

「お嬢様のお茶だってのに、誰かがこっそり、湿気った茶葉と取り替えてました」

「まあ」

思わずエカテリーナは笑い出す。

「きっとその誰かは、お兄様には怖くてできないから、わたくしで憂さ晴らしがしたいのね」

「そんな真似、あたしがさせません」

「そうね、ありがとうミナ」

せこい嫌がらせだけど、笑ってられるのは、ミナが守ってくれると信じられるおかげだもんね。

「ミナはすごいのね。わたくしが安心して眠れるのも、美味しいお茶が飲めるのも、ミナのおかげね」

エカテリーナが微笑むと、いつも無表情なミナが珍しく、唇の端を上げて笑みを作った。