軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

挿入話 〜夢で会えたら〜

その夜、アレクセイはいつもより遅い時間に就寝した。

遅くなったのは、仕事に時間を要したせいだ。いや、正確には仕事そのものではなく、仕事を終えた後の時間に押しかけてきた者たちへの応対だが。

ノヴァダインほか父アレクサンドルの代に不正を働いていた者たちを、捕縛したことが知れ渡った。これから彼らの爵位や財産を没収し、しかるべく配分することは、たやすく予想できる。

それに、早くも多くの者たちが群がってきた。

爵位を、財産を、自分に与えてほしいと訴える陳情者たち。根拠はさまざまだ。遠い先祖の手柄、現在の困窮、前公爵の時代に経験した理不尽。

本人が語る理由はどうあれ、真の理由は欲望だ。

彼らはアレクセイの領政に、なんら貢献したわけではない。それなのに要求だけはする。図々しい、とアレクセイが嫌悪するのも無理はないだろう。

が、門前払いにはすべきでない、とノヴァクは言う。

「セルゲイ公なら、ひととおり話を聞いてやったことでしょう。それぞれが抱える事情を押さえて彼らを掌握する、よい機会になりますので」

祖父セルゲイは高潔な人格者だったが、それだけではない策士の一面もあった。高潔なばかりでは、統治者は務まらないものだ。

アレクセイはうなずいた。

「お祖父様なら、もしも正当な理由だったなら、救済はなさっただろうな。そうでなくとも、何らかの使いどころがあれば、適所で使ってやることもできる」

ノヴァクは満足気に笑ったものだ。

「まことに、さようで。閣下もセルゲイ公に似てこられました」

「いや。エカテリーナならなんと言うかと思っただけだ。あの子なら、もっと優しい言い方をしたろうが……お祖父様に似ているのは、やはりあの子だな」

アレクセイは苦笑したが、ノヴァクの満足気な表情は変わらなかった。

以前のアレクセイならば、陳情者たちの訴えを聞いても、切り捨てる言葉を返すだけだったかもしれない。だがそんな会話の後ゆえに比較的穏やかに応じ、ノヴァダインたちから金銭的な被害を受けた者については、確認のうえ損害への補償をすることになった。

これが、閣下は意外に人の話を聞いてくださる方、という評判が広がるきっかけとなる。

とはいえ、疲れる時間ではあった。爵位を欲するまともな理由がある者のほうが、少数なのだ。理屈の通らない話に付き合わされるのは、理性的なアレクセイにとって苦痛でしかない。

夕餉の時間には、エカテリーナの不在が身に沁みた。兄が疲れた様子をしていれば、すぐに気付いていたわってくれる、優しい妹の声がない。

欲望まみれの陳情でユールノヴァ城が騒がしくなることがわかっていればこそ、エカテリーナを山岳神殿への代参という理由で遠ざけることに同意したというのに。祖父を喪ってから、長く家族の情など知らずに生きてきたというのに。

自分が、弱くなった気がする。

そんなことを考えながら寝入ったせいか、こんな夢を見た。

――巨大な建物の中を、アレクセイは彷徨っている。

夢の中だと、わかっていた。昔から、ときおり見る夢だ。

この夢の中では、彼はまだ子供の姿で、なぜか正装している。

あたりはどんよりと重い灰色で、霞んでいる。階段が、廊下が、あるはずなのに、ゆらゆらと定まらない。

ここは、どこか。今は、いつか。定かなものが何もない中、何かを探していた。

胸に痛みがある。

探しているものが見付かれば、その痛みは癒える。それは、解っているのに。探すべきものが何かすら、解らない自分に気付いて、アレクセイは立ちすくむ。

誰もいない。

何もない。

どんな音もしない。

ここは、なんて空虚なのだろう。

いつも夢の中、彼は彷徨うばかりだ。探して探して、何も見付けられはしない……。

その時。

「お兄様!」

空虚だった世界に、音が生まれた。

「わたくしです!エカテリーナはここにおりますわ!」

アレクセイは振り返る。

灰色の世界に唯一の色が、宵闇色のドレスをまとった藍色の髪の少女が現れた。

祝宴の時のあでやかな姿で、細身のスカートを品よくつまんで、精一杯の速さで駆けて来る。幸せそうな笑顔の彼女を、天の河のようなおぼろな光が包んでいる。

夜の女王が、星々を引き連れてやってきた。

「エカテリーナ――」

腕を広げると、エカテリーナは迷わず飛び込んできた。

「お兄様、お会いしとうございました!」

「エカテリーナ」

アレクセイは妹を抱きしめる。

子供の姿をしていたはずが、現実と同じ十八歳の姿に変わっている。

「エカテリーナ……エカテリーナ」

「お兄様」

兄を見上げて、エカテリーナは明るく微笑んだ。

「ここは私の夢の中だ。いつも誰もいない世界なのに、なぜお前が現れたのだろう」

「わかりませんわ。ですけれど、実は縁あって、さる古き神に捧げ物をいたしましたの。それがたいそう御心にかないましたので、お兄様にお会いしたいわたくしの気持ちに、お応えくださったのではないかと」

「神とは?山岳神か」

「いいえ、別のお方でございますわ」

首を振って、エカテリーナはいたずらっぽい表情をする。

「お兄様。今宵、わたくしが居なくて寂しいと、思ってくださいまして?」

その言葉に、アレクセイはふと胸に手をやった。

「そうか。ここに痛みを感じていたが……」

あれは、寂しさだったのか。

エカテリーナは小首を傾げ、気遣わしげな表情でアレクセイの手に手を重ねた。

「寂しさをそれとお解りにならないほど、長く寂しくていらしたの」

「そう……かもしれない。お祖父様が亡くなってからお前と会うまで、ずっと、ここに抱えていた気がする」

呟いて、アレクセイは周囲を見回す。灰色に霞んでいた世界が、宵闇と星々のかすかな光の中に、形を現していた。

「ここは、皇城だったのか」

「皇城、ですの?」

まだ皇城に行ったことがないエカテリーナは、けげんな顔だ。皇城のイメージからは遠い場所だから無理もない。

ここは皇城の、階段の陰だった。

「……昔、ひとり友達がいて。ここは、彼と初めて会った場所だ……」

呟くアレクセイの手を、エカテリーナは優しく握る。

「あの方を、ほんとうに大切に思っていらしたのですわね。お兄様は、なかなか人に気を許さない方でございましょう。その分、一度心に入れた方は、関係がどう変わろうともずっと、心から捨て去ることがお出来にならないのですわ」

「そう、かな」

「そうですわ。さらに申し上げるなら、お兄様は人の選り好みが激しいところがおありですわ。お小さい頃から、お祖父様がお取り立てになった、すぐれた側近の皆様に囲まれてお育ちになったのですもの。同年代の子供など、相手にならなくとも仕方がありません。そんなお兄様が友達と思った方でしたら、さぞすぐれた方でしたのでしょう」

夢の中であるせいか、エカテリーナは普段より、遠慮がないような気もする。人の選り好みが激しいと言われると、反論はできないようだった。

「そう、かもしれない。神童と呼ばれていた。そのくせ、人見知りで自信なさげで……守ってやらなければと思っていた」

「お兄様は、心に入れた相手を、ご自分の全てで愛して守る方ですものね。ミハイル様もすぐれた方ですけれど、あの方は主君であられますもの。心に入れてはならないと、子供の頃からお思いでしたのね。だからこそあの方は、お兄様が初めて、心に入れた方……」

「今はもう、お前がいてくれる。私が全てをかけて愛し守るべきはお前なのに、彼を探すなど愚かなことだった」

「以前はずっと、寂しいときにはここに来ていらしたのですもの。心がそう動くようになっているのですわ」

アレクセイは微笑んだ。

「お前には、なんでも解ってしまうようだ」

すると、エカテリーナはちょっと唇をとがらせた。

「ここがお兄様の夢の中で、お兄様がわたくしをそういう存在と思っていらっしゃるからですわ。わたくし本当は、ここまで察しが良いわけではありませんことよ」

「そうかな」

アレクセイは破顔し、指先でエカテリーナの唇にちょんと触れる。

「それでもお前は、本当のエカテリーナであるようだ。お前のこれほど愛らしい表情を、私は見たことはなかったのだから。ふくれた顔なら、以前に見せてくれたことがあったが、今の顔はいっそう愛らしいよ。私の愛しいエカテリーナ」

「まあ、お兄様ったら」

エカテリーナはぱあっと笑顔になった。

「旅はどうだ?危ないこと、不自由なことはないか?」

「何もございませんわ。思いがけないことはありましたけれど、フォルリ卿からたくさんのことを教えていただいて、珍しいものを見聞きして、楽しい旅路をたどっておりましてよ。

お兄様はいかがお過ごしでしたの?寂しくお思いになったのですもの、お辛いことがおありだったのでは」

心配そうな顔になった妹の頬に片手を添えて、アレクセイは微笑んだ。

「どうだったかな。お前を見つめることができる今があまりに幸せで、忘れてしまった」

「お兄様ったら」

再び笑顔になったエカテリーナを、アレクセイは抱きしめる。

「気にかけてくれてありがとう、エカテリーナ。お前ほど誠実に人を愛してくれる者は、この世にいない。お前のように素晴らしい妹を持って、私はなんと幸せなのだろう。

お前が側にいないのは辛いことだが、夢の中でまで気遣ってくれたことを思って、不在に耐えよう。どうか心楽しく安全に旅をして、早く帰ってきてほしい」

「お兄様、わたくしがお兄様を愛するのは、お兄様が誰より素敵な方だからでしてよ。お兄様が早く帰ることをお望みなら、わたくしは仰せの通りにいたします。ですから、お元気にお健やかに、お待ちくださいましね」

兄の身体に腕を回して、エカテリーナは抱擁を返した。

安全な旅を願った兄に、その通りにすると応じたエカテリーナ。

その言葉をたがえることになろうとは、この時にはわかるはずもなかった。