軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第59話 悪

長い一日が終わり。

ぬるめの湯船につかり、ほっと一息つきながら――まるで夢みたいだった、と綺羅星は今日の出来事をぼんやりと思い返していた。

……始まりは、昨日の昼休み。

城ヶ崎さんを通じて鎌瀬姉妹に呼び出しを受け、思考がドン詰まった結果、チェーンソーで大暴れした。

それから自分の罪がばれるのを恐れ、影一に泣きついて……

と思ったら未知のダンジョンに連れられ、氷竜と死闘させられ――あれは今考えても鬼だと思う――泣きながら、むせびながら勝利をもぎ取った。

そんな濃密な時間すら吹き飛ばす、ダンジョン深層に出現した怪物ベヒモス。

映画に出る巨人すら鼻で笑うような、本物のバケモノと……

それを易々といなし、退治する先生。

一日で、どれだけ驚いたことか。

一日で、どれだけの死地を経験したのかと思い、綺羅星はぶるりとお風呂の中で身震いする。

両親に帰りが遅いことを叱られたが、本当の理由を話してもきっと信じてくれないに違いない。

……同時に。

恐ろしい体験だけど、本当に……とても、勉強になったと思う。

人生観がひっくり返るほどの体験は、綺羅星の意識を確かに変えた。

それに――死ぬほど怖かったけど、妙な安心感があったのも事実だ。

(たぶん、影一さんがいるから……だと、思う)

自暴自棄になり影一に泣きついたとき、彼は彼なりのやり方で綺羅星を励ましてくれた。

チェーンソー事件は容易く隠蔽できると、彼は優しく教えてくれた。

問題があれば影一が責任をもって説明にいくとも口にし、綺羅星を守ってくれた。

氷竜の時も、最後はきちんと助けてくれて。

巨獣ベヒモス戦でも、彼は綺羅星に攻撃が届かないよう距離を取って応戦していた。

……それは口先だけの両親やクラスメイトと違う、本物の優しさだと綺羅星は思う。

(あの人は優しくないけど、本当は優しい)

彼に残酷な一面があるのは理解している。

倫理観に欠け、燃えるゴミを片付けるかのように軽々しく人を消す、極悪人であることも理解している。

彼の行いを知れば、きっと誰もが眉をひそめるだろう。もし綺羅星の両親が真実を知れば、ひっくり返って綺羅星に止めるよう迫るに違いない。

……けれど。

(でも、……あの人だけが、私に悪いことを教えてくれた)

皆に期待される”委員長”では出来ない、人間の本質。

バレなければ、ストレス解消のための悪行を働いても構わない。

正義を強要されれば、力をもってはねのける。

殺人はもっとカジュアルに行うもの。

影一の教えを、世間では”悪”と呼ぶ。

そもそも影一が暴論を口にできるのは、彼自身が強いからという暴力性に基づいた部分が大きい。

力による現状変更を良しとする、危険思想……今の世の中で受け入れられるはずもない。

――それでも、綺羅星にとっては必要な教えだった。

綺麗事だけでは済まされない人間の感情を、教えてくれた。

正義だとか、世のため人のためといった建前だけじゃない……

安心安全ノンストレスの道、だ。

「……先生はすごいなあ、本当に」

お風呂を上がりながら、ふと、綺羅星は自分が小さくドキドキしていることに気づく。

いけない。

何だか、妙な感情に当てられた。

……けど、この気持ちは悪いものではないはず。

ああ、先生は本当に……平然としていながら狂っている――でも、本当は優しいおじさん……。

お風呂あがりの熱のせいか、ほんのりと顔を赤らめながら、綺羅星は鏡に己の姿を映す。

……地味で、陰気で、体型もそうよくはないけれど。

私だって女子高生、じつは悪くないよね……なんて考え、慌てて頭を乾かしながら、眼鏡をそっとかけ直した。

*

そんな劇的な一日を終えても、翌日は学校。

実力テストを休む訳にもいかず、通学路を歩きながら……どうしよう、と鞄を握る。

(私って……ほんとに、器が小さいのかも)

……色々あって忘れていたけど、今の綺羅星はクラスメイトから売りの疑いをかけられている。

チェーンソー事件の正体はバレなくても、噂は広がるもの。

影一が説明してくれるとは言ったけど、クラスメイトがどこまで信じてくれるかも分からないし――鎌瀬姉妹がまた、嫌がらせをしてこないとも限らない。

学校が近づくにつれ、臆病な心がぐずり始める。

昨日あれだけの死闘を経験したのに、結局、自分の心の器はみみっちいまま。

(私、成長してないのかなぁ……)

でも、学校から逃げ出す勇気もない。

結局いつも通り、綺羅星はひたすら我慢しながら耐えるだけ。

……そんな憂鬱を抱えながら学校に到着し。

教室、行きたくないなあと下駄箱でうじうじしながら、でも、いつまでもここに居る訳にはいかない、と決意し靴を脱いで――

ガツンッ

激痛が走った。

視界をいきなり揺さぶられ、二度、三度と下駄箱におでこを叩きつけられた。

最初に感じたのは、激痛よりも混乱。

何? 何が起きたの?

完全に固まってしまった綺羅星はやがて、自分が後頭部を何者かに掴まれ、暴力を受けている事実に気づく。

「っ――!」

え。何これ、痛い……!

ズキズキと痛む頭を抑えながらも、自分を掴んでくる腕を強引に振り払って振り返り――

綺羅星は、ぎょっと目を見開く。

そこには。

「あんただろ。お前が、あの時の化物の正体だろ! あたしには分かってんだから、白状しろこのクソ女!!!」

「ひっ……!」

「死ね! 退治してやる、モンスターめ!」

目を真っ赤に充血させ、まるで本物のモンスターのように歯をぎらつかせながら迫る――狂気めいた同級生。

鎌瀬姉見が鬼のような形相を浮かべ、綺羅星の髪を掴みながら、綺羅星を下駄箱に叩きつけてきたのだった。