軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第113話 悪役の味

危ういところだった、と飛び立つ飛行機の座席シートに背を預けながら、剛翼はほっと安堵の溜息をついた。

間一髪だった。

手配に気づいた訳ではなかったが、取締役室の席を立った途端、剛翼の背にぞわぞわと予感めいたものが走り、慌てて車を出したのが功を奏した。

代わりに、あの女子高生――名前は忘れたが――が捕まったかもしれないが、親友のよしみだ、許してくれることだろう。

一晩身を潜めたのち別人名義にてゲートを通過し、飛行機に乗った今なら一安心だ。

あとは、ほとぼりが冷めるまで待てば良い。

汗をぬぐい、CAに赤ワインを注文しようとして、手を止めた。

国内線の普通席クラスではアルコールの注文を受けてなかったかと歯噛みする。

国際線に乗った時、剛翼は必ず赤ワインを注文する。あえて安物を好んで、だ。

昔、まだ金に縁がなかったころ、当時の上司に連れられ――自分だけ安物を頼まされ嘲笑された悔しさを忘れないために、だ。

あの頃に比べ、自分は強くなった。

金と実績、相応の立場を手に入れた……と思っていたが、所詮はお山の大将に過ぎなかったわけだ。

うっすらと理解はしていた。

本当に実力ある者なら、たかだか小さな配信業の取締役に収まり、裏組織と繋がる必要などないのだから。

「ふん……」

だが人生、生きてさえいれば何とでもなる。

剛翼自身は狩人ではないものの、人を使う術は心得ているし経験もある。

今回の失敗を生かし、数年、時を重ねて力をつければ。

……それにしても。

あの、影一普通という男は何だったのだ?

玉竜会全滅の報は別ルートからも届いているし、迷宮庁が動いた気配もない。

本当に単独犯なら、人間の域を超えている。

一種の天災――触れてはいけないものに、手を出してしまったか。

嘆息しつつポケットに手を伸ばし、禁煙であることを思い出す。

口寂しさを覚え、何かないかとアームレストをつついた所――隣から、すっと包みが差し出された。

噛んで飲み込むタイプの、グミキャンディーだ。

「宜しければ、どうぞ」

「気が利くね。ありがたく頂こう」

「いえ。あなたの人生最後のフライトです、この程度のサービスで宜しければ配慮致しますよ」

隣を見た。

頬杖をついて微笑む、どこにでもいそうな眼鏡の背広男と視線があった。

……。

……は?

固まり、呆然とし、言葉すらでない剛翼の前で、男も自分用にとキャンディーを頬張る。

「本日はお見送りに参りました。さすがの私も、他県を経て海外まで高飛びされると、面倒なので」

「――っ、な……」

「どうやってここに来たか、という質問にはお答えしても構いませんが、さしたる意味はないと先に伝えておきます。あなたの行き先が、海外から空の向こうへ変わる結果に違いはありませんので」

背広男――影一普通がゆるりと笑い、剛翼の肩に触れる。

何かを仕掛けられた……という感覚だけが残り、額に玉のような汗が浮かぶ。

理解できない。意味が分からない。なぜヤツがここに。どうして――疑問が駆け巡り、しかしその全てを捨てて直感する。

ああ。自分はここで死ぬな、と。

ならば――内心の動揺を押し殺し、剛翼はどっしりと座り直す。

「一応聞くが、なにが目的かね?」

「いまさら語る必要が? と言いたい所ですが、あなたに私の矜持を説明したことはありませんでしたね。私の主義は、安心安全ノンストレス。将来の憂いは、早めに消しておくのが一番。それでご理解頂ければと」

「……どうして、私の居場所がバレたのかな。飛行機への搭乗方法はさておき、私はそれなりにバレないよう移動したつもりだが」

影一は返答の代わりに、剛翼の足元に置かれたビジネスバッグを示す。

開けてみれば――木製の札のようなものが、鞄の内ポケットに仕込まれていた。

「とある男にお願いしたところ、兄貴、俺やるッス、と喜んで仕掛けてくれましたよ。金属製の発信器でなく魔力を用いた呪いのレアアイテムですので、手荷物検査にも引っかかりません」

「あの馬鹿っ……最後の最後まで!」

剛翼の顔が真っ赤に染まる。

とはいえ、あの男が馬鹿だと知りながら手元に置いたのも自分だ。……仕方ない、と諦めるしかない。

「影一君。質問だが、今から入れる保険はあるかね?」

「残念ながら」

「誓って約束しよう。今後、君には関わらないし手も出さない」

「私の経験上、その台詞を口にしながら約束を守った者は一人もおりません」

「成程。立場が逆なら、私も同じ感想を持つだろうね」

まったくもってな、と剛翼は機内を見渡す。

狭い機内に逃げ場など存在しない。仮にあったとしても、この男が自分を見逃すことはないだろう。

詰みだ、と冷静に判断した剛翼はCAを止め、グレープフルーツジュースを注文。

影一も同じものを頼み、紙コップに用意して貰う。

「最後のフライトくらい、ワインの一つでも頼みたいものだが」

「申し訳ございません。私はごく普通の元リーマンですので、そこまではご期待に添えられず」

仕方ないな、と剛翼はゆっくりと口に運ぶ。……甘酸っぱい安物の香りは、嫌いではない。

隣の影一も、同じくジュースを口にしつつ。

「私の判断に変更はありませんが、ひとつ、あなたにはお伝えしておきたい事がございます」

「楽しい話であると嬉しいのだがね」

「私は性格上、敵対する者を許しません。基本的にはすべて消します。とはいえ、その中にも上下はあります。……往生際が悪く、自分は悪くないと言い訳を並べ、最後まで己の非を認めない者は、私にとって最も忌み嫌う敵です。――が、己が悪であるという自認を持つ者は、私はそこまで嫌悪すべき対象ではないとも考えています」

「馬鹿馬鹿しい。自分が悪であることを認めない悪など、この世で最も嫌悪すべき相手だろうに」

剛翼は己が悪人であることを、理解したうえで悪事に手を染めた。

その報いを受けるのなら、自分の実力が足りなかっただけのこと。

こんな男に捕まるとは、思ってもいなかったが。

「ですので、私はあなたに対して然程強い苛立ちを覚えている訳ではありません。まあ、安心安全のため実行は致しますが」

「なるほど。後学……いや。来世のために聞きたいのだが、私は何を失敗したのかね?」

「私と関わったことでしょうか」

「では、次に失敗しないためにはどうしたら良いと思う?」

「私に関わらないことでしょうか」

平然と答える彼に、……単に運が悪かっただけか?

いや。それも言い訳。

直接の原因は、影一普通という男に対するリサーチ不足だ。

玉竜会の手下を、彼がすべて返り討ちにした時点で、身を引いていれば。

玉竜会に、影一の弟子である綺羅星を狙わせなければ。

飛行機で逃げる判断が、もっと早ければ。

挽回する機会は幾つもあったにも関わらず、己のプライドを優先した末路。

零細企業とはいえ取締役につき、立場が上がったことで忘れていた危機感を取り戻せなかった――落ちぶれたものだ、と笑うしかない。

「人生とは上手くいかんものだな。気づいた時には手遅れだ」

「同感です。もっとも、それを含めて人生だとも言えますが」

「……君はどういう人生を送ってきたのかね、影一君」

「数奇なものですよ。じつは私、いまの日本とはすこし違う日本から転生してましてね。冥土の土産にお聞かせしましょうか?」

「是非。もしかしたら私も、転生するかもしれないからね」

旅は道連れ。

新幹線でたまたま同席した隣人と、何となく意気投合したかのように、剛翼は笑って返す。

奇妙な話だが――飛行機が到着するまでの間、剛翼に緊張はなかった。

もちろん、迫る死の恐怖を意識しなかったわけではないが、考えても仕方ない、と判断したのだ。

そうして飛行機が到着し、剛翼は彼と握手を交わしながら満面の笑顔を浮かべた。

「興味深い話をありがとう。楽しい時間を過ごせたよ、影一くん。……ついでに、旅は道連れ、世は情け。ここはお互い水に流し、私の命を助けてくれたりしないかね?」

「ダメです。あなたは用心深く、執念深い性格とお見受けします。ここで逃しては遺恨が残る。旅は道連れ、死は情け。それが私の主義ですので」

「いくら欲しい?」

「目的が金でないことは、既にご理解されているかと」

見抜かれているな、と剛翼は笑う。

小粋なトーク?

大人の楽しい対話?

くだらない。会話を楽しんだのは事実だが、全てはこの男から僅かばかりの同情心を引き出し、延命するための作戦――無駄足だったようだが。

「そうか。だがね、影一くん。私は悪役なのだよ」

「はい」

「悪役として、潔く散るのもまた美徳だろう。だが、私はその名の通り強欲な性格でね。可能性は限りなくゼロだと分かっていても、みっともなく抵抗するのが私の矜持にして”根源”なのだよ」

剛翼はそこで、にたりと影一に笑い――

たまたま通りかかった老婆へ飛びかかり、後ろから羽交い惨めにした。

ぎゃあ、と老婆が悲鳴をあげ、何事かと周囲の者が騒ぐ中、さあ、と男に問う。

「影一君。君は殺人者にしてはずいぶん真摯な男だ。が、些か悠長ではないかね?

この状況で君が何かを仕掛ければ、この罪のない老婆も巻き添えを食う。そして君も目立つ。

さて、いかにも悪役らしいこの状況、君はどう切り抜け――」

影一がパチンと指を鳴らす。

直後、剛翼の体内でなにかが起き――ぐ、と視界が揺らいだ。

正体不明の激痛に身をよじりながら、剛翼はふらりと倒れる。

……何だ。

……何が、起きた……?

何かが、腹の中で、爆発……し……

「最後の晩餐がグミキャンディーというのは、いささか寂しくはありますが。仕込めるものが、それ位しか思いつかなくて」

赤ワインの件といい、ご期待に添えられなかったこと、申し訳なく思います――

地に伏した男に深々と礼をし、優雅に立ち去る影一の背中を、剛翼は視線だけで追いかける。

周囲の客が、倒れた、救急車だと騒ぎたてるなか。

ああ。

自分は本当に、手を出してはいけないものに手を出してしまったのだなと、今になって気づきながら……くそ、と舌打ちする。

ああ。生きたい。

死にたくない。

自分はここで確実に死ぬと分かっているが、それでもなお、生きたい――早く、早く救急車を。

その祈りが届くことはないと知りつつも、剛翼星雄は最後まで祈り続け――

*

空港を後にした影一は、本日宿泊予定のホテルへと向かいつつ、そっとグミキャンディーを口にする。

「些か、ビターな味ですねぇ」

悪役にも、悪役の味がある。

自分にはもっと、分かりやすい愚かな悪役――漫画のモブみたいな連中のほうが舌に合うなと新しい学びを得ながら。

影一はタクシーに腰を下ろし、雑踏の中へと紛れるように、街の中へと消えていくのだった。