軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アクスバン侯爵家へ

『ーーどうして、ルデラ伯爵様の申し出をお断りしたのですか』

ヘレナが嫁いできたのは、ジゼルが8歳の時だった。それから少しして母方の祖父が父を訪ねてきた。朧げな記憶で、祖父は優しげな人だった。すぐに「大人の話があるから外で遊んでいなさい」と言われて部屋を出されたのだが、ヘレナの口ぶりからすると、ジゼルをルデラ伯爵家の養子にと望まれたらしい。

だが、父はその申し出を断った。そのことに対してヘレナは父を責めていた。ルデラ伯爵家は伯爵家の中でも力関係が強い。大人になった今でこそ、貴族として生きていくことを考えた時に養子に出た方がよかったはず、とわかる。が、その時のジゼルは「自分は邪魔者なんだ」と悲しくなってしまった。

だから、捨てられないように、要らないって言われないようにヘレナの機嫌を取り、家の手伝いを率先してやった。前世の知識を生かして、父の手伝いもしたので領地経営に関する書類作りや帳簿付もできる。(後々、ヘレナが管理するようになったが)年の離れた妹や弟たちのお世話も率先してやったおかげか、彼らにはとても懐かれた。

表面上は前妻の娘と後妻はうまくやれていた。そう見えるようにジゼルが行動したからだ。そのころはまだ、自分が婿をとって時期領主になると思っていた。だが、デビュタントの時父に「無理に結婚しなくていい。ジゼルはずっとこの家にいればいいんだよ」と言われて、眉を顰めた。

『わたくしの婿殿が次期領主ではないのですか?』

『次期領主はグイドだ。ジゼルは政略結婚をする必要はないし、嫌な男へ嫁ぐ必要もない』

本来なら、ホースター子爵家はジゼルに婿を迎えて次期領主とするのが一般的な流れだった。というのも、ヘレナは平民の出で血筋を重んじる貴族ならきっと平民との間に設けた男児を次期領主などにしない。

ただし、ヘレナの父は商人でそこそこの商会を営んでおり、いくら子爵位と言っても経済力が違いすぎる。おまけに、ヘレナと結婚後、陰で金銭的な援助をしてもらっていたこともあり、その条件が時期領主にグイドを指名することだったようだ。ただし、グイドが成人したらの話でまだ先のこと。それでも時間の問題であり、ジゼルはホースター夫人になれないことを理解した。

(ーー少しだけせいせいしたわ。もう顔色を窺わなくてもいいのね)

あの日からずっと父と義母が怖かった。守ってくれるはずの父がいつ手のひらを返すのかそればかり気になった。ヘレナは表面上優しく接してくれるが、いつジゼルを追い出そうとするのか気が気じゃなかった。

高等部に進学しなかったのは、お金がなかったという理由もある。が、ジゼルが力をつけるとヘレナが何を思うのかわからなかったから。だったら、家を出ればいいのに、そうしなかったのは、表面上は父もヘレナもジゼルを必要としてくれるからだ。

ジゼルが高校に行かずに、妹や弟の家庭教師をした。前世大学生の頃も家庭教師をしていたので教えることは得意だ。文字の読み書きや計算、簡単な歴史を遊びながら教えたので、最近新しく来てくれている先生にはとても褒めてもらえたらしい。

義妹のエレンは10歳の時点で学院の過去の入学試験の合格点を取り、鼻高々だった。グイドも年齢の割にはよくできるらしく、本人はまだ遊びたい盛りだが、ホースター子爵家は安泰だと言われた。

「ーーよし、この辺でいいだろう」

自宅を出て、しばらく歩き領地を出たところでエリオットが頷く。見慣れた景色をぼーっと眺めていると、彼にそっと肩を抱かれた。

「飛ぶぞ」

「え? ぅええ?!」

「転移」

ふわっと足元が浮いて、内臓が揺れる。ジェットコースターで落ちる感覚に似ており、思わずギュッと目を瞑った。数秒後足が地面につきホッとする。

「え、ええええーー」

目の前にはホワイトハウスもびっくりな白亜の宮殿がどんと聳え立っていた。呆然と見上げていると、扉が開く。中から白いものが混じった髪をピシッと撫で付けたいかにも執事然とした男性が丁寧に頭を下げた。

「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」

「あぁ、ただいま帰った。準備はどうだ?」

「奥様のお部屋は仕上がっています。午後にはマダム・サリーがお見えです」

エリオットと執事然とした男が喋っている間も、ジゼルは呆けたまま建物を見つめていた。

(ーー学院に通っていた頃、あの建物に誰が住んでいるのだろうと友人たちと笑っていたけれど、まさか魔法使い様のお家だったとは。しかもこの家に嫁ぐ⁈ やっぱり身分不相応……‼︎)

「ホースター子爵令嬢、紹介しよう。彼はトマス。アクスバン侯爵家の筆頭執事だ。なにかあればトマスに言ってくれ。彼が対処する」

「よろしくお願いいたします、奥様」

「は、初めまして。ジゼル・ホースターです。ジゼルとお呼びください」

「む。わたしにはまだその許可が出ていないが?」

奥様だなんて、烏滸がましい。そう言えずに遠回しに「名前で呼んでほしい」と言えば、エリオットの機嫌を損ねてしまったようだ。たしかに毎回「ホースター子爵令嬢」と呼ばれるのは長ったらしいし、言う方も面倒くさいだろう。

「こ、侯爵様もどうぞ、気軽にジゼルと」

「そうだな。私たちは夫婦になる。ならば、ジゼルも私のことは”エリオット”と呼びなさい」

「ひぇ!?」

「独特な返事だな。ーーまぁいい。ここで立ち話もなんだ、部屋に行こう。トマス、食事の用意を」

「ーー承知しました。奥様、昼食にふさわしくお支度をいたしましょう」

「え? あ、はい」

そういえば、つんつるてんのドレスのままだった。ジゼルは足元を見て急激に恥ずかしくなってくる。

エリオットはそんなジゼルに笑い「では、後で」と言って行ってしまった。

「ーーアリア」

「はい、お呼びでしょうか」

そこには年嵩のメイドがいた。彼女はこの屋敷の侍女長をしているらしい。

「ジゼル・ホースター子爵令嬢です。旦那様が連れて帰られました。この後旦那様とお食事をなさるとのことなので、お支度をお願いいたします」

「ーー承知しました」

アリアはさっと上から下までジゼルを見て、表情を変えずに頭を下げた。その際、彼女の視線がドレスの裾に注がれた、はず。

(ーーあぁ、つんつるてんなのバレちゃった)

心の中でほろりと涙を流した。勢いで結婚を承諾したものの、早速身分の壁が立ちはだかる。

突然エリオットが訪ねたとはいえ「まともなドレスひとつ準備できない貧乏子爵家ごときがこのアクスバン侯爵家に嫁ぐとはいい度胸してんな、あぁあん?!」とか思われていそうだ。

「お嬢様、ご案内いたします」

「は、はい! お願いします」

ピカピカに磨かれた床を、デビュタント以来に履いた靴で歩く。汚してしまいそうで申し訳なく思いながら、彼女の後に続くのだった。

***

「まぁ、見てください。この腰! 細くて羨ましいですわ」

「程よくついた筋肉がしなやかで無駄な肉がございません」

「お胸はもう少しボリュームが必要ですが、肋骨を締めてお肉を集めればなんとかなるでしょう」

「それより見てください、この引き締まった足首! あの、エリオット様がイチコロのはずだわ〜」

アリアに連れて行かれた先は浴室だった。それもネットでしか見たことのない猫足のバスタブ付きの浴室だ。驚いているまもなく、ドレスを剥かれ、全裸にされて抵抗もできぬまま、あらゆる場所を洗われる。

半ば放心状態で、浴室から出てくると、上質な下着をつけられて、コルセットで締められる始末。これから食事だと言うのに、こんなにもキツく締め付けられると内臓が出てしまいそうだ。

「年齢の割にシミが多いですね。普段、どんなお手入れを?」

「……えーっと、何もしていません」

「まぁ、それはいけませんわ。大急ぎで一式準備しましょう」

「結婚式まであと一週間ですわ。毎日スペシャルパックですね」

「磨きがいはありますよ〜! なんたって旦那様自らお連れした原石ですから」

「そうですわ。それに化粧映えするお顔立ちですし……。ここはわたくしたちの腕の見せ所ですわね。お嬢様は身長がありますから旦那様と並ばれてもきっとお似合いですよ」

「あはは……、ありがとうございます」

褒められているのか貶されているのかわからないまま、身支度が進んでいく。この世界で二十歳と言えば、もう立派な大人の女性扱いでドレスの色は深い色を纏うことが多くなるはずだが、ジゼルは淡い紫色のドレスを着せられた。ーーそう、エリオットの目の色だ。

「できましたわ」

「完璧ですわね」

「腕によりをかけましたもの。文句は言わせませんよ」

鼻息荒く自らの仕事ぶりに自画自賛する彼女たちは正しく自分を評価できている。

「す、すごい。……こんなにも変わるものなの?」

「元が良いのです。磨かずに置いておいたらもったいないですわ」

「そうですよ。これからはひとつずつ覚えていけばよいのです」

「ですです。まだまだお若いですから今から気をつければ大丈夫ですよ」

ファンデーションは薄付きだが、立体的に見えるように計算されていた。瞳の色に合わせてゴールド系のアイシャドウにチークやリップはほんのりオレンジ系。瑞々しい果実のようなぷるんとした唇は自分の唇なのに美味しそうに見える。