美貌咲き誇るステファン
作者: ヒッポ
本文
ステファンは近衛騎士である。
輝く金髪、夜明け前の空のような薄青の瞳。スラリと背が高く、まるで絵画から抜け出てきたような騎士だ。その美貌で若くして第一王女殿下の近衛の座を射止め、以来殿下がどこへ行くにも傍に控えている。民草に手を振る王女殿下の背後に侍る姿は、可憐な殿下のお姿と合わせてまるで英雄譚に謳われた聖騎士のよう、と諸外国にまで名を響かせるほどだ。
隣国の皇女が遊学に来た際には何としてもステファンを皇国へ連れて帰ると言って聞かず、激怒した第一王女殿下と隣国の皇女が取っ組み合って大広間を転がりキャットファイトを繰り広げたとか眉唾物の噂話まである。
ステファンは、それほどまでに美しい近衛騎士である。微笑めば小鳥が歌い、広間の鍵盤はひとりでに音楽を奏で、天上から光が降り注ぐ。
なんでも天使の血が入っているとかいないとか。真偽は定かではない。
まさに王国で知らぬ者のいない騎士は、しかし今その美貌を物憂げに曇らせて、近衛騎士団の団長室で小さなため息を吐いた。それだけで国中の老若男女、何でも言う事を聞いてあげたくなるような吐息であった。きっとステファンの吐息を瓶に集めたら虹色の宝石が出来るに違いないと確信させる吐息だ。
その吐息に続いて、甘やかな声をその唇から紡ぐ。
「え、本気で言ってます? 自分の剣の腕はゴミカスですよ」
近衛騎士団長を務めるベーデルジュは、机を挟んで立つステファンをチラリと見て、口さえ開かなきゃなぁと思いながら重々しく頷いた。
「第一王女殿下たってのご希望だ。次の孤児院への慰問では、護衛はお前とミカのみがいいと」
「自分の剣の腕はゴミカスだし、ミカの剣の腕はカスなのに?」
名前を挙げられたミカは、ステファンの隣で頬を薔薇色に染め赤い果実のような唇を噛んだ。ステファンの肩ほどまでの背を震わせ、しかし反論はしない。カスと言われるのは腹が立つが、実際に実力が隣の先輩に続いて騎士団で下から二番目である自覚がある。
「絶対ガリラードとがいいです。ガリラードとじゃなきゃ絶対行かない」
「しかしガリラードは…」
「ガリラードじゃなきゃ働かないね、絶対」
名前が飛び出したのは、近衛騎士団一の剣の使い手である騎士ガリラードだ。ガリラード本人は部屋の反対側に直立不動のまま、ピクリとも反応しなかった。自分の名前が出るのは最初から分かりきっている。
そもそもガリラードはここに呼ばれていないのに、ステファンが団長室に呼ばれたと聞いて鍛錬を中断し自主的にやって来た。
「どうせ第二王女殿下とその取り巻きに綺麗なの見せびらかしたいんでしょ」
「言い方を何とかしろ」
「確かに見せびらかされる為に雇われてますけど」
「言い方!」
厳格で知られた泣く子も黙る近衛騎士団長の叱責だというのに、飄々とした顔をするだけで堪えた様子は無い。
なにせステファンはその美貌一本で人生の荒波全てをさざ波に変えて成り上がってきた人間で、自分があまりに美しいので世のほとんどの生物は己を強く叱れないことをよくよく分かっている。それは騎士団長とて例外ではない。
「ボクもグロンさんとじゃなきゃ嫌です」
ステファンの隣で黙っていたミカがついに口を開いた。ステファンは自分より美しい人間を見たことが無いが、ミカのことはまぁ自分の次くらいには美しいなと思っている。
「ステファンさんと二人だと死ぬ確率が上がります」
全く以てその通りなので、ステファンは深く頷いて騎士団長を見た。部屋の片隅のガリラードの隣で、騎士グロンが肩を竦めている。
グロンもまた、ミカが呼ばれたと聞いて自主的に団長室までやって来た。ステファンとミカが呼ばれたなら、ガリラードとグロンに仕事が回る。近衛騎士団なら誰でも知っている。当然ながら、グロンの剣の腕は近衛騎士団内でガリラードに次いで二番目だ。
「簡単でしょ、団長。美人二人を侍らせた王女殿下共々三人まとめて死ぬか、美人と強いのを組ませて五人で生き残るか、それだけです」
ステファンは幼子に言い聞かせるように優しく言った。騎士団長のベーデルジュはぐぅと呻いて、ステファンの顔を薄目でチラリと見た。直視してしまっては何もかも許してしまうと今までの経験で分かっている。
「…そもそも、たかが孤児院への慰問でなぜお前は死ぬと思っている」
ベーデルジュの言葉にまったく、と言いたげに両手を開くステファンの仕草は、他の者がやったら滑稽だろう。しかしステファンがやるだけで様になる。どういう仕組みか、その背景に花まで舞って見えた。
「いいですか、団長」
ステファンは囁いた。耳が幸せってこういうことなんだな、とベーデルジュは思春期になり言ってる事の欠片も理解できなくなった娘の言葉を初めて理解した。余談だがベーデルジュの二人の娘は、ベーデルジュが帰るとおかえりなさいより先に「今日のステファン様」の話をせがむ。
「どうせ孤児院で第二王女殿下が待ち伏せしてるでしょ」
「言葉遣い!」
「はいはい。それで、第一王女殿下がこれ見よがしに自分とミカを見せびらかしながら歩くでしょ」
「はあ…そうだろうな」
「お二人が髪を掴み合って大喧嘩始めるでしょ」
「殿下がたの喧嘩くらい、お前達でも止められるだろう」
騒動が起きるだろうことはベーデルジュも予想している。
第一王女と第二王女は母親が違い、母親共々非常に仲が悪い。第二王女は何かと第一王女に食ってかかり、第一王女はそれを必要以上に煽るのだ。年柄年中取っ組み合いをしている王女二人なので、喧嘩自体は珍しくもない。
それもこれも発端は目の前の美貌の騎士を巡ってのものなのだが、対外的には継承権争いと言うことになっている。本当に継承権争いなら、きっともっと王族らしいドロドロとしたものをしてくれていたはずだ。そっちの方がまだマシだった。少なくとも恥も外聞もなく髪を引っ張り合う王女は見なくて済んだ。
「そりゃね、非力なお姫様くらい自分たちでも引っぺがせますよ。向こうも護衛を連れてるし」
「ならば命の危険などないだろう」
ついにステファンは、片眉を上げて分かってないなあという顔をした。明らかに上司に向けていい顔ではない。だがそれを許されてしまうのが、ステファンという騎士だった。王ですらステファンの美貌の前では乙女のように恥じらうのだから。
「孤児院は大聖堂の隣ですよ」
「だからどうした」
「あれ、知らないんですか? 大聖堂の聖女様がた、最近は三角関係っていうのを覚えたらしいです」
ベーデルジュは目を見開いて黙った。意識して歯を食いしばっていなければ、みっともなく口を開けて呆けるところだった。
近衛騎士団長という職に就くベーデルジュが知らないのも無理はない。市井に流れる下世話な噂話からは最も遠い存在だ。だがステファンは度々実家に帰っては庭師や下働きとお喋りをするので、市井の噂に滅法詳しかった。
「そんな報告は…」
「最近勢いがある新興商会のほら、名前なんだっけ。聖女様にお熱の若旦那。聖女様に強請られるまま恋愛小説だのをこっそり貢いでたらしくてですね。検閲を掻い潜って。謁見だけでもかなりの金額だってのによくやりますよ。それで大聖殿はなんとか隠蔽しようとしてるんですけど出入りの花屋の女の子が聞いちゃったって酒場で…」
「もういい、それ以上言うな」
ステファンは礼儀正しく口を噤んだ。それ以上言う必要もなかったので、命令は丁度良かった。
片手で口を覆ったまま、ベーデルジュはたっぷり十秒は考え込んだ。
「つまり、お前達二人で行けば…」
「王女殿下達が喧嘩し始めた途端に三角関係を嗅ぎつけた聖女様が大聖堂から飛び出してきて、そしたらきっとすぐさま魔女も飛んできて、その大暴れで飛んできた石とかに当たって自分もミカも殿下も死にますね」
ステファンは爽やかに笑った。宮廷画家が描けるなら両腕を差し出すと縋り、隣国の皇女が私を連れて逃げてと請い、王国の花と称えられた王女たちが頭突きを繰り出して奪い合う笑顔だ。
その笑顔で、さらに留めを刺した。
「そうなると、次の王は第二王子殿下かなぁ。第二王女殿下の護衛はフリマーたちでしたっけ? じゃあ第二王女殿下は生き残るかもしれませんね、じゃあ第二王女殿下と第二王子殿下が継承権争いだ!」
「分かった、分かったから黙れ…」
変人と名高い第一王子は既に継承権を放棄しており、継承権争いに精を出す王女たちがいなくなれば絶賛反抗期の第二王子が継承権争いに名乗りを上げるのは間違いない。
ただでさえ人を困らせることに生きる意味を見いだしている第二王子には王城中が手を焼いているのに、それが妾腹コンプレックスを拗らせに拗らせた第二王女と継承権争いをするなど、考えただけでも頭が痛い。そしてベーデルジュは騒動の全ての責任を取らされて辞任…いや聖女と魔女に係る騒動は全ての責任が不問となるがしかし針のむしろは避けられまい。むしろ責められないことが一層…。
ステファンにはベーデルジュの考えていることが手に取るように分かった。美貌だけを武器に生きていくには、人の心の機微に何より敏感でなければならないからだ。
「そんな悲劇がなんと! ガリラードさえいれば回避可能!」
ね! とピカピカ笑うステファンを、隣で黙って事の成り行きを見ていたミカが詐欺師を見る目で見上げた。向けられた視線は気付かないふりをして、その脇腹をステファンがちょいとつつく。ミカはハッとして慌てて声を張り上げた。
「グロンさんがいればもっと完璧です!」
ステファンがうんうん、と頷く。こういう所があるから、ミカはどれだけ尊敬できない先輩でもステファンを嫌いになれない。そしてそこまでステファンは分かってやっている。
結局ベーデルジュは大きなため息と共に許可を出した。晴れてステファンの希望は通り、慰問へは四人で護衛に付くこととなる。これで例え三角関係に目覚めた聖女が興奮して飛び出してきたとしても、少なくとも死なずに精鋭である第一騎士団の、さらに言うなら最強の騎士である第一騎士団長の到着を待つことが出来るだろう。
部屋を出ながら「やったね」とヘラヘラ笑うステファンの頭を、ガリラードが手の甲で軽く叩いた。それでもステファンは機嫌良く笑っていた。
*
ステファンは伯爵家の庶子だ。よくある話で、父である伯爵が場末の素性も定かでない娼婦に入れあげた結果ステファンは生まれ、娼婦であった母が儚くなったので仕方なしに伯爵家に引き取られた。
いつもヘラヘラしているが、こう見えてちゃんとした苦労人なのである。
よくある話のままならば母が死んだあとは捨て置かれただろうが、場末にひとりぼっちで捨て置くにはステファンはあまりに美しすぎた。伯爵自身がこの顔の子供はさすがに放り出せないと、妻と大揉めに揉めることを覚悟して家に連れて帰るくらいには当時から美しかった。
正妻は正妻で夫の不貞の証を虐めて虐めて虐め抜こうと手ぐすね引いて待っていたはずが、馬車から飛び降りたステファンを見てとっさに出た第一声が「えっ、かわい」だったくらいだ。その隣で冷たい顔をして立っていた異母姉と異母兄も、口をあんぐりと開けてステファンを凝視した。
それを好機とばかりに駆け寄って右手に異母姉、左手に異母兄と手を繋ぎ、義母に「スティのおかあさま?」と微笑んだステファンは当時から自分の美しさの使い方を理解しきっていた。
その日から、ステファンは伯爵家の可愛い三番目の子供としてすくすく育った。
ステファンの異母姉と異母兄は、突然現れた新しい家族をきちんと可愛がった。
異母姉はステファンを着飾らせてどこへ行くにも連れ歩き、「私と結婚すればステファンがたまに遊びに来ますわ」という魔法の言葉で婚活して、まんまと格上の侯爵家に嫁いだ。いささか怪しかった伯爵家の財政はみるみるうちに潤った。
異母兄はステファンに知っていることは何でも教えてやり、「うちに嫁げばステファンがよく帰省します」という魔法の言葉で婚活して、まんまとはるか格上の公爵家のお姫様を娶った。右肩下がりを記録し始めていた伯爵家の商売はかつてない速度で上昇した。
なのでステファンは可愛い末っ子の義務として、月に一度は実家に帰って兄嫁とお茶をし、義母の客人に愛想を振りまき、ふた月に一度は姉の嫁ぎ先に遊びに行って着せ替え遊びに付き合っている。ちやほやと可愛がってもらえるこの恒例行事は中々気に入っているので苦ではない。
さてステファンとガリラードの出会いだが、こちらは学生時代に遡る。
騎士学校の入学式で、ステファンからガリラードに話しかけた。それだけだ。そこに劇的な出会いも感動的な再会もなかった。
当時から輝く美貌を振り撒くステファンに思春期の同級生たちは一人残らず恐れおののき、話しかける勇気を持つ者はいなかった。遠巻きにされていたステファンが目を付けた同級生で一番強そうな男、それがガリラードだった。
このガリラード、ゴーレムの血が入っている。体の半分が岩で覆われているので、強そうなんてものではなかった。今年の首席は絶対こいつ、と見ただけで全員が確信していた。
ステファンは学校の門を潜って、周囲を見渡した後一直線にガリラードに駆け寄って話しかけたのだ。その外見からステファンと同じく遠巻きにされていたガリラードは、「初めての友達」にするには少々美しすぎたステファンのこともすんなりと受け入れた。ぼっちよりは美人の方がまだマシだからだ。
ステファンは入学式ではガリラードの隣を離れず、在学中はその有り余る美貌で懐き倒し、全ての実習でガリラードと同じ班になった。
卒業後の進路もいつも通り「ガリラードとじゃなきゃ絶対やだね」とやったので、無事に二人揃って近衛騎士団で働くことになった。近衛騎士団としては体が半分岩の男は王族の後ろに立たせるには癖が強すぎると考えていたが、一緒でないなら辺境警備の第六騎士団に行くとステファンに言われてしまえば折れる他なかった。
ステファンはガリラードのことをこんなにいい男は大陸中探してもいないと心から思っているのだが、世間的にはあまり理解されないのが目下の悩みだ。
そんな理由で、ガリラードは十年にも渡ってステファン係をやっている。
王国には混血が多い。大陸広しと言えどもゴーレムとの混血までいて、しかもそれが少々珍しいくらいで済んでいるのは王国くらいのものだろう。
それはひとえに聖女の導きあってのことで、その聖女が何かというと愛に狂ったケダモノである。
聖女は愛という現象を愛し、愛を行う生き物に執着する。人類がもっとも複雑に愛を行うので、人類に執着しているといってもいい。
その聖女が種族を超えた愛なんてものに目を付けないわけがない。なので聖女が巣食う王国では、人間もエルフも巨人も人狼もドワーフも、おおよそ知能を持つ生き物全ての混血が進んでいる。聖女が力業の奇跡を連発した結果だ。
王国民は一人残らず、愛の前に種族の壁を消してくれた聖女に感謝している。しかし聖女は起こす奇跡を差し引いても起こす面倒ごとが大きすぎる。
愛に執着し愛を観測するためなら何でもするケダモノが起こす面倒ごとが厄介極まりないに違いなく、だから王国人は聖女を愛に狂ったケダモノと思っている。
もちろん聖女の抑止力となる種族も王国には存在している。それが魔女だ。魔女がいなければ王国は早々に聖女の愛の実験場と化していただろう。曲がりなりにも国としての体裁を保っていられるのは魔女のおかげといってもいい。
その魔女がどのような存在かというと、人類愛に狂ったケダモノである。
つまり聖女と同じくらい迷惑な存在だ。
魔女は人類を愛したいし、虐めたいし、慰めたいし、可愛がりたいし、泣かせたい。そこに人間もエルフも巨人も人狼もドワーフもない。とにかくかまって欲しいしかまいたい。本能に人類愛が刻まれている。
魔女は聖女よりは話が通じるし、王国民は一人残らず王国の危機に何度となく手を差し伸べてくれた魔女に感謝している。
しかし聖女と同じく魔女もまた、もたらす利益に対して起こす面倒ごとの方が大きい。だから王国人の認識は人類愛に狂ったケダモノなのだ。
そんな聖女と魔女だが、当然ながら仲が悪い。種族として憎み合っている。
ご近所で隙あらば殺し合う聖女と魔女に、王国は歴史上幾度となく和平を頼み込んだ。時には愛を人質にとり、時には人類自身を人質にとり、どうにかこうにか双方と盟約を結んだのが既に数百年も前。
今のところ共存は上手くいっているが、全ては薄氷の上だ。だから王国人の大多数が、聖女も魔女も大迷惑厄介種族だと思っている。
今回ステファンから報告を聞いたベーデルジュが頭を抱えたのも、この厄介種族に関わることだからだ。
聖女が三角関係という新たな愛の形に目覚めたのも厄介なら、その結果大聖殿を飛び出してくる可能性があるのも厄介。前回聖女が「恋」という概念を知ってしまった時の大騒動は王国史に残る厄介さだった。
聖女が大聖殿を飛び出せば当然魔女が飛んでくる。聖女は何をしでかすか分からないので、大聖殿を脱走したのなら人類は魔女に助けを求めるしかないのだ。
人類に助けを求められた魔女が張り切らないわけがなく、魔女に喧嘩を売られた聖女が激怒しないわけがなく、つまり王女が二人と部下が多数巻き添えになって死ぬ。
聖女も魔女も止められない。継承権争いに勤しむ王女の慰問も止められない。ならばせめて誰も死なないようにすることだけが、ベーデルジュにできることだった。
*
―――なんかね、怪しい奴らがウロついてるらしいですよ。黒い服でね、下水を使って移動してるとか。
―――ええーん、そんなの絶対ステファン様を狙ってますよう。ステファン様気をつけてぇ。
―――大丈夫だ、ガリラードの傍を絶対に離れないからな!
ステファンはたった数日前、実家で皿洗いの少年と掃除の少女と芋の皮剥きをしながら交わした会話を思い出していた。実家の伯爵家では誰でも皮剥きをするとおやつを貰える。若い下働きのために曾祖母が作った制度だそうだが、帰る度にステファンは率先して皮剥きをしていた。
いくら美しくてもステファンは庶子なので、その程度には放任されているし屋敷の全ての使用人がステファンに気安い。ちなみにその会話をしている時も、隣ではステファンに引っ張られて共に来ていたガリラードが黙々と皮剥きを手伝っていた。
路地裏、お忍び、王女様。暴漢に襲われるには十分すぎる条件ではあった。
条件ではあったが、本当に襲うんだ、という驚きが勝った。路地裏といえどここは王都の中で、護衛は少数といえど精鋭が揃っていて、その上ステファンがいるというのに。
「ステファン私を守って!」
「ステファンはわたくしを守るのよ!」
「なによ下がりなさいよ年増!」
「あんたこそ出しゃばってんじゃないわよ妾腹風情が!」
ステファンの両腕にぶら下がり、王女二人が脛を蹴り合っている。たまにステファンの脛に当たる。喧嘩に慣れていないから目測を誤るらしい。
「殿下の御身を第一に!」
「くそっ、何故ここに!」
「うおぉおおお!」
戦う騎士たちが声をあげる。ステファンの前に立ったガリラードが刺客からの攻撃を弾き、左右を固めたミカとグロンもそれぞれ敵を相手取っている。それは第二王女の護衛班も同様だ。
ステファンも自分の仕事を全うすべく、両手で王女の肩を抱き、決してガリラードの背中から出ないように自分の方へ引き寄せた。途端に王女二人が頬を赤らめ潤んだ瞳でステファンを見上げる。
「お二人とも、離れないで」
「ええ、ええ、もちろんよステファン。わたくし…」
「ステファン、私あなたから絶対に離れない…」
「良い子ですね」
この場にまったく相応しくない黄色い悲鳴が上がった。ステファンの周囲では頻繁に上がるので騎士達は誰一人として気にしない。
案の定城門を出る前から喧嘩を始めた第一王女と第二王女は、王族が乗るにしては地味な馬車で城を出発した。様々な危険を鑑み、今回はお忍びということになったからだ。
ひとえに聖女に目を付けられないためだったが、まさか人間が襲い来るとは思っておらず護衛は少々混乱した。
そのうち下水からも襲撃者が顔を出して馬を傷つけたものだから、やむなく馬車を放棄して外で王女二人を守ることになったのだ。
襲撃者は右から左から上から下から次から次へと襲ってくる。いったい路地裏のどこにこんな数がどこに潜んでいたのか、途切れることがない。
これはきっと後で近衛まで総動員して下水を大捜索だな、とステファンは思った。ステファンは八歳まで下町育ちなので、近衛という身分に反してそういった泥臭い作業が案外嫌いではない。嫌がられがちな仕事だが、率先してやれば手当という名のご褒美もある。実家の皮剥きと一緒だ。
「あっ」
「まあどうしたの、ステファン!」
「ステファンまさか怪我を!?」
ステファンの気の抜けた声に、即座に第一王女と第二王女が反応をする。二人は日々ステファンの気を引くことに全てを捧げているので、ステファンのささくれですら見逃さない。
ステファンは自分たちを背に戦うガリラードの腰に下がった飾りが、敵の剣先に当たって欠けるのが見えただけだ。
「ガリラードの帯飾りが…お揃いだったのに」
「大丈夫よ泣かないでステファン! わたくしがまた買ってあげるから」
「じゃあ私は揃いの鞘を作ってあげるわ!」
「騎士団の鞘は規定で決まっているのよ妾腹はそんなことも知らないのね!」
「なんですって年増!」
ステファンの脇腹に、王女達の拳がぽこぽこと当たる。喧嘩慣れしていないから目測を誤るのだと思っていたが、ミカが止めている時は当たらないらしい。もしかしたら間違えたふりをしてステファンに触りたいだけかもしれない。
ステファンは全く痛くない拳を腹筋で受け止めながら、選ぶのに一週間もかけた帯飾りが敵に踏まれて割れるのを悲しく見つめた。騎士の制服に遊びを入れる要素はないので、唯一自由を許されている剣の帯飾りを飾り立てる他ないのだ。
孤児院に慰問に行くだけでも手を抜かない。それが見栄えのみを武器に成り上がってきた騎士の矜持である。見栄えしかないので、そこを疎かにした途端に今まで築き上げた全てが崩れ落ちるとステファンは知っている。
白い制服にはステファンの目と同じ青い帯飾りが映えるが、ガリラードが一番似合うのは緑だから緑にしたのに。
ステファンがしょんぼりしている間にも、戦況が動いた。
まず、グロンの剣が弾かれた。グロンの補助がなければミカが体勢を崩すのは早く、それによってガリラードに攻撃が集中した。
いかにゴーレムの血の入った近衛騎士団一の剣の使い手といえど、ガリラードとて最強ではない。三人同時に斬りかかられ、二人を凌いだ所で三人目の剣がガリラードの体を押しやった。
ステファンは近衛騎士である。
輝く金髪、夜明け前の空のような薄青の瞳。スラリと背が高く、まるで絵画から抜け出てきたような騎士だ。その美貌で若くして第一王女殿下の近衛の座を射止め、第一王女殿下が王に即位した暁には側近として常に傍に控えるだろうと言われている。
ステファンは騎士である。
なので、敵がガリラードを乗り越えたその瞬間に、迷わず敵の刃の前に身を投げ出した。ガリラードが勝てない相手に自分が何か出来るわけがない。ならば、この身を盾にするしかない。
ステファンは騎士なので、守るべき相手のために命を使うことを躊躇わない。剣を与えられた時に、騎士を名乗ることを許された時に、王女に剣を捧げた時に、そう誓った。ステファンは騎士なので、その誓いを違えない。
ステファンが切られた程度で変わる状況ではないが、しかしその数秒の時間稼ぎで救援が間に合うかもしれない。ならばステファンは切られることに迷いはない。
ステファンの背後に庇われた王女二人が声を上げる暇もなかった。ステファンは自分が剣を抜くより切られる方が早いことに、剣の柄を掴みながら気がついた。
剣を留める帯では緑の飾りが揺れていた。
だがしかし、敵の刃は止まった。
なりふり構わず飛び出したステファンの振り乱れた髪が、あまりに眩く輝いたからだった。見開いた覚悟が宿る瞳は天上の花の色をして、額に浮かぶ汗は宝石のように光り、甘くて爽やかな匂いまでする。
つまり、ステファンは美しかった。
襲撃者の中でも最も手練であろう男は、戸惑って剣を振り上げたまま一歩下がった。釣られるように、周囲にいた襲撃者たちまで手を止めた。こんな美しい生き物を見たことがなかったからだ。
その隙を見逃す近衛騎士団ではない。即座に体勢を立て直したガリラードが、襲撃者の死角から剣を突き立てた。ミカが、グロンが、第二王女の護衛班が次々と敵を下していく。
ステファンが近衛騎士団に所属して五年、近衛騎士はステファンに見惚れる敵に慣れている。
味方以外に立つ者のいなくなった路地裏に、なんとも言えない空気が広がった。
なぜステファンが自他共に認めるゴミクズの剣の腕で近衛に配属されているのか。しかも最も王位に近い第一王女の護衛を務めているのか。その理由の全てがこれだった。ステファンの美しさの前に誰であろうと剣を止めてしまうからだ。これが持ち前の美貌一本で人生の荒波全てをさざ波に変えて生きてきた人間の実力だ。
最後の盾としての仕事を存分にして、ステファンは結局抜くことのなかった剣の柄から手を離して笑った。
「いやー、生き延びましたね! 相手が人間でよかった!」
飛んできた石相手では美貌が通じないので、ステファンは心から言っている。
そんなステファンにすかさず駆け寄って腕の中に飛び込んだのが第一王女だ。出遅れた第二王女が地団駄を踏む。
「お願いよステファン、無理をしないで。あなたがいなくなったらわたくしは…」
王女の瞳からはらはらと零れる涙があんまり美しかったので、ステファンは思わず王女の肩を抱き、頬を指でそっと拭った。本来であれば不敬だが、他ならぬ王女がステファンに直接触れることを許している。
「いいですか殿下、自分が死んだら国中の乙女が嘆き悲しむけどそれだけです」
光すらステファンに都合のいいように差す。薄暗かった路地裏はいつの間にか光で溢れ、小鳥が可愛らしく囀った。襲撃者を縛り上げる騎士団の面々の上には建物の影がかかり、その場には第一王女とステファンしかいないような錯覚さえ起こさせた。
「でも殿下、あなたがお怪我をなさったら…」
「ああ、ステファン…」
「約束してください。御身の安全を第一になさると」
もう二度と護衛はステファンとミカの見栄え重視コンビがいいとか言うなよ、という意味だ。第一王女には一切伝わっていない。第一王女は今、目を潤ませ二人きりの世界に忙しい。
ステファンは自分の伯爵家の庶子という立場が吹けば飛ぶようなペラペラ具合だということを、自分の美貌と同じかそれ以上に分かっていた。せめてそのペラペラがペラくらいにはならないかと騎士になることを志したのだ。
美しさしかない人は美しさを失ったら何も残らない。ステファンは生まれ育った場末の娼館で散々それを見た。だから自身に付加価値を付けるために騎士学校に行ったし、騎士としての誓いだけは破らない。そうしていればいつか美しさが衰えても、ステファンを大事にし続けてくれる人がいるはずだからだ。病床に臥せる母の所に、いつまでも父が通ったように。
実際のところ、ステファンが死ねば狂気に駆られた王女二人が黒魔術を駆使して死者蘇生を試み魔王が生まれ世界が荒廃しやがて滅びるくらいのことは起こるだろうが、伯爵家の庶子の立場がペラペラなのは確かだ。それこそ王女を害したとなれば、簡単に打ち首になるくらいに。
だからステファンは少しだけ屈んで王女と視線を合わせ、優しくゆっくりと言った。
「殿下に何かあったら…ステファンは悲しいです」
「結婚して!!!」
「あーーーー!!!」
結婚してと叫んだのが第一王女、言葉を失い叫んだのが第二王女だ。
ステファンは笑いながら屈んでいた背を伸ばした。周囲では同僚の騎士が襲撃者を縛り終え、なんならグロンは情報を聞き出すためにその内の一人を殴っている。尋問は近衛騎士団の仕事ではない。
「お願いステファン! わたくしと結婚して!」
「だめよだめだってばステファン私を選んで!」
阿鼻叫喚だが、見慣れた光景だ。
ステファンはヘラヘラ笑った。ヘラヘラ笑って、もう何度も王女たちに言った言葉を今日も言った。
「自分は女ですよ」
「だから!!! いいの!!!!」
「それが!!! いいの!!!!」
絶叫。魂からの叫びであった。もはや第一王女はステファンの制服を掴むことで何とか立っているし、第二王女に至っては産まれたての子鹿のように膝を震わせている。
「だからいいんだ?」
ステファンの声は軽かった。
第一王女はその軽薄に笑う人に人生をめちゃくちゃにされたくて声を上げて泣いた。第二王女はその軽薄に笑う人に自分にだけ真摯な瞳を向けてほしくて泣いた。
ステファンは女だ。国中が知っている。国中の男がステファンが男でないことに胸を撫で下ろし、国中の女がステファンが女であることに歓喜している。だから、ステファンは国で一番有名な騎士なのだ。
実際、種族さえ乗り越えた王国なので同性での結婚程度なんの障害もない。ただしそれが平民であったなら。
聖女の奇跡は、未だ同性間での繁殖方法を確立していない。年末恒例の聖女様のありがたい演説では、昨年も噛み締めすぎた唇から血を滴らせながら「今年もまた我ら力及ばず、しかし来年こそ成し遂げてみせる」という宣言があった。もう何十年も繰り返された宣言だ。
平民ならそれでもいい。しかし王族ともなればそうはいかない。第一王女が王になってステファンを側に置いたところで、次代を用意できなければ必ずや第二王女が次代に滑り込みステファンを奪っていくだろう。
王にならねばステファンを傍に置けない。王になればステファンと結婚できない。
ステファンは特にどちらの王女にも特別心を傾けてはいないのだが、そこはペラッペラな吹けば飛ぶような立場の伯爵家の庶子なので当然のように意思が無視されている。
ステファンはこの世の女性全てが好きだ。だって女性はいつでもステファンの美貌の味方をして、ステファンの美貌を守ろうとしてくれる。義母だって異母姉だってステファンの美貌のために惜しみない愛情を注いでくれた。
それはそれとしてステファンは異性愛者だし、当然ながらガリラードのことが好きだった。だってガリラードは強くて体が半分岩で格好良くて国一番のいい男だから。
地面に突っ伏して泣く王女に囲まれステファンは声を上げて笑った。騎士達は巻き込まれたくないので襲撃者を尋問するのに集中した。意識のある襲撃者はステファンの花が降り注ぐような笑い声に聞き惚れた。
騒ぎを聞きつけて路地裏に人が集まり始めたが、中心にいるのがステファンと王女だと分かるやさっさと解散していく。ステファン一人なら眺めもするが、王女二人が転がって泣いているのだ。聖女と魔女の次くらいに厄介な匂いがする。聖女と魔女に慣れた王国の人々は危機察知能力も人一倍である。
孤児院への慰問は咽び泣く王女二人とステファンが手を繋ぐことでなんとか決行された。
王女二人がステファンの手に夢中になったので、懸念された取っ組み合いは起こらず聖女が飛び出してくることもなかった。
つまりは全て丸く収まったということだ。
*
帰り道、ステファンはガリラードと並んでにこにこしながら歩いた。今日も大騒ぎで楽しい日だった。隣にガリラードもいたし。
「今日もいっぱい働いたな! ガリラード!」
「そうだな、スティーシー」
スティーシーはステファンの本名だ。あまりにステファンがステファンっぽい顔をしているものだから、いつの間にかあだ名のステファンで皆が呼ぶようになっていた。
でもガリラードだけは出会った時から変わらずステファンをスティーシーと呼ぶ。
それもこれも騎士学校の初日に一番強そうで好みの奴にくっついたからだ。ステファンはあの日の自分を褒めてやりたいと常々思っている。
おかげでガリラードはまんまとステファンの美貌に魅了され、隣にいるのを許してくれた。ステファンが美貌を駆使して特別に懐いてみせれば、ガリラードほどの堅物だろうと落ちないわけがない。
そう、ステファンだけが思っている。
ガリラードはゴーレムの血が入っていて体の半分が岩でできている。もちろん顔も半分は岩だ。だから無口だし、視覚もほとんど機能していない。周囲を知覚するのには独自の音波のようなものに頼っている。人間の美醜はあまり分からない。
ガリラードがステファンのどうしようもなさに絆されたのだと、懸命に生きる姿に惚れたのだと、スティーシーという名前を可愛いと思っているのだと、学生時代からずっと自分が隣で一生守ると誓っているのだと、騎士学校の同級生全員が知っている。ステファンだけが知らない。
美貌一本で成り上がった騎士のステファンは、宝玉に例えられる瞳を細めて笑った。
たまたま目撃した通りすがりが僅かに染まった頬のあまりの美しさに倒れたが、ガリラードを見上げるのに夢中なステファンは気が付かなかった。