遅ればせながら、悪役令嬢をやらせていただきます~淑女教育は辺境で捨てました~
作者: 紡里
本文
「お久しぶりです。王太子殿下」
玉座の間に凜とした涼やかな声が響いた。
跪かされているのは、国王と王太子、それから王太子妃だ。
「この広間、懐かしいですわ」
軍服に身を包んだ妖艶な女性が微笑む。
「お前を追放した連中はこれで全部か?」
彼女の肩を抱く筋骨隆々とした男が、床に転がされた者たちを足蹴にした。
「宰相の息子、騎士団長の息子、魔術師団長の息子、大商会の息子、わたくしの親友……主要メンバーは揃っておりますわ」
女性は暖炉の火かき棒で、一人一人の顔をあげさせて確認する。縄で両手と両足を縛られ、その一端が首に巻かれている。文句を言いたくても、うまく声が出せないようだ。よだれを垂らしている者もいた。
「王太子の戴冠式のために諸外国が集まってくる。そんなときに謀反など……許さんぞ。辺境伯!」
国王が喚いた。国王は玉座に向かって跪かされていて、辺境伯は国王の背後で芋虫にされた面々を踏みつけている。
つまり、国王は空の玉座に対して大声を上げているのだ。相手にされていない様が滑稽だった。
男の大声に辺境伯夫人の肩がはねた。辺境伯は妻の横に移動して、大きな手で優しく妻の肩から二の腕をさする。
「だからこそ、ですよ。そこの無能な王太子が国王になったら、また妻をいいように利用するおつもりでしょう」
辺境伯は苦々しげに、吐き捨てるように言った。
「妻が王立学院でそこのアバズレに嫌がらせをしたと、ここで断罪したらしいですね。
ボンクラに婚約を破棄され、恩着せがましく俺との縁談を押しつけられた」
戦地で敵を恫喝する声は、壁際で拘束されている宰相たちも震え上がらせた。
「妻の名誉を守るため、という大義名分が俺にはある。
妻がいなくなって、王太子は外交でいくつか失態を犯した。そのアバズレは『真実の愛』を掲げて初めは評判がよかったが、今では浪費と権力を笠に着る姿に評価が落ちている。
そいつが国王になれば、既婚女性を公妾として召し上げられる。そこで我が妻に狙いを定めて、譲位を急いだんだろう。能なしどもめ。
恥ずかしくないのか?」
宰相が、がっくりとうなだれた。
「去年の舞踏会で、君の美しさに気がついたんだ。そんな熊のような男よりも、私の方がいいだろう?」
王太子が気持ち悪い猫なで声を出した。王太子の肩に手を置いていた辺境の兵士が、手に力を入れる。「痛い」と小さな悲鳴が上がった。
「わたくしがやつれていたのは、あなたの尻拭いで寝る暇もなかったからですけど」
婚約破棄をしてから無能ぶりをさらけ出した王太子は、反論できずに顔を真っ赤にして唇を噛んだ。
「わたくしね、この方々に悪女だと罵られましたの」
辺境伯夫人は制圧された人々を指差し、夫と辺境の兵士たちに説明した。
「この女性が、わたくしにいじめられていたのですって。
侯爵令嬢が、男爵令嬢に直接手を下す? そんなこと、あり得ないでしょう。
それを鵜呑みにして、この人たちはわたくしを糾弾したのです。当時は、殿方に逆らうなという淑女教育が染みこんでいたので、反撃できなかったのですわ」
男性に徒党を組んで囲まれたら、それだけでも恐ろしい。
「おお、それは悔しかったな。辺境で身につけたたくましさを披露してやったらどうだ?」
辺境伯は妻をエスコートすると、玉座に座らせた。
「立ちっ放しは疲れるだろう」
「な、玉座に……!」
国王が憤怒の顔を見せた。彼にとっては、許せない行為だ。数日後に息子に譲ることさえ、耐えがたいというのに。
「ただの椅子だろう」
辺境伯は国王の顔も見ずに言い放った。
国王が「我が騎士たちは何をしているのか」とつぶやいた。
辺境伯はニヤリと笑う。
「騎士団長は、そこに転がっている男の父親だろう? 国益を損ね、無実の淑女を貶めて平気な男を育てた奴だぞ。部下を育てる能力などないさ」
辺境伯の部下たちが大笑いし、地響きが広間を揺らした。
「わたくし、言いがかりをつけられたことが悔しかったのです。
実際にやったら、気が済むかもしれませんわ。冤罪ではなく『事実』にすることで、過去を塗り替えるのです」
玉座で足を組む姿は、悪女というに相応しい威厳があった。普段はスカートに隠れている足のラインが、ズボンで見えている。ほんのりと色気が漂う。
「ほう、具体的にどうしたいんだ?」
辺境伯は面白がって先を促した。
「まずは……そうですわね。そこの芋虫、わたくしが何をしたと言いましたっけ?」
宰相の息子を名指しする。
「……あ、その、すみません」
「答えなさい」
「いえ、その」
「証拠もあると自信たっぷりに言っていたでしょう。もう呆けたのかしら。教科書を破いたと言ったのよ」
宰相の息子はガクガクと震えながら涙を流した。
「そうやって、人を甚振るのは、やめてください」
王太子妃は立ち上がった。両手を胸の前で組んで、哀れに震えてみせる。
「馬鹿、勝手に動くな」
王太子が腕を引っ張り、座らせようとする。それを振り払おうとする王太子妃と揉め始めた。
「話が進まん。縛っておけ」
辺境伯の部下が二人を引き剥がし、縄でグルグル巻きにして床に転がされた。
ひざまずいていた国王は、ついでのように後ろ手に縛られる。
「これが、あなたたちの妖精姫ですわよ。取っ組み合いのできる令嬢は、確かに『貴重で特別』ですわね」
くすくすと笑いながら騎士団長の息子に話しかけた。
「あ、ああ……」
言葉にならないらしい。
辺境伯夫人は玉座から下りて、近づいた。転がった彼の軍服の肩章を扇でトンと突く。
「情報収集も事実確認もろくにできない上司なんて、部下が可哀想ね? あなたが騎士団長になる未来はあるのかしら」
「そうやって、無視しないでくださいよ」
王太子妃は床の上でもぞもぞと回転し、辺境伯夫人に向かって怒鳴った。
辺境伯夫人は、大商人の息子に尋ねた。
「今の流れで、彼女を無視したと思います?」
彼は答えられなかった。王太子妃は、ただ自分が話題の中心でちやほやされていないことを「無視された」と訴えていたことに気付いた。
「ねえ、なぜ返事をしてくださらないのかしら。今、わたくしがあなたに『無視するな』と命じるのは、おかしくないわよね?」
大商人の息子は、「王太子妃殿下の、言いがかりだったと、思います」と小さな声で言った。
「聞こえなかったわ。大きな声で言ってくださらない?」
辺境伯夫人はそう言いながら、彼の腹を踏みつけた。あの断罪の日に弁明が許されなかったのだから、聞いてやる義理もないと思うのだ。
「お返事もいただけないようですから、辺境からあなたの商会に魔石を卸すのはやめるわ」
返事ができない状態にしておきながら、辺境伯夫人は話を進めた。
「うぐ……ちょっ、待ってください!」
体の痛みを振り切り、大商人の息子は声を上げた。
「今まで『妖精姫に嫉妬する汚らわしい』わたくしと取引させてしまって、ごめんなさいね」
「取引は辺境伯としているはずだ。あなたの出る幕じゃない!」
辺境伯夫人を侮り、失言を重ねていることに彼は気付かない。
「まあ、悲しいことをおっしゃるのね」
「妻を侮辱する者と取引なんぞ、するものか。魔石を正規の価格で取引してくれる相手が見つかったことだしな」
「わたくしの外交手腕がお役に立ちまして?」
「ああ、最高の妻だ」
二人は優雅に、玉座へと戻る。
「ところで、教科書を破いてどうするんだ?」
辺境伯は玉座の肘掛けに軽く尻を乗せ、片手を妻の肩に置いた。
「授業を受けられなくなる、とか?」
「しかも自分でやるのか? 高位貴族の発想じゃないな」
「ふふふ、本当ね。下々の者の考えそうなことね」
辺境伯夫人が手を叩くと、大きな板が運び込まれた。
被せていた布を外すと、一枚の絵が出てきた。立派に額装され、回廊に飾られていた物だ。
「まあ、きれい。あなたたちが結婚式の衣装を着ている肖像画ね。わたくしよりも体が小さいから仕立て直しができて、よかったわね」
それを聞いた王太子妃は、眉を吊り上げて「どういうことよ?」と王太子に怒りをぶつけた。
喧嘩する二人を黙らせたのは、辺境伯夫人の一言だった。
「直前ですべてを横取りするって、そういうことよ」
静かになったので、辺境伯夫人は話を進めた。
「教科書はないので、これを破きましょうか」
すっと辺境伯夫人の侍女が進み出た。辺境伯の部下が彼女に剣を手渡す。
「え、ちょっと、何すんのよ」
王太子妃が声を荒げた。彼女にとっては、人生最良の瞬間を描いたものだ。
「やめて。やめなさい。やめろぉおおー!」
ザクリ。聞こえるのは、キャンバスが切り裂かれる音と王太子妃の罵声だけ。
「あらあら。ここは、しくしく泣くところでしょう?」
かつて王太子妃を庇護していた男たちの顔を見回していくと、驚いている人がいる。今まで騙せていたことは、褒めてやってもいい。
「他にもいろいろと準備していたのだけれど……皆様、もう心が折れてしまったようね」
王太子妃以外は、蒼白になって黙り込んでいる。
「辺境は隣国に所属することにした。離脱を認める書類に署名しろ」
国王は「そんなことは認めない」と反発した。
「罰として辺境に嫁がせたんだろう? 田舎だと馬鹿にする国にいたら、俺の跡取りにも嫁さんが来ないじゃないか」
辺境伯は政治的な言い回しをしなかった。だからこそ、貴族の言葉遊びで言いくるめることが難しい。
気が付けば、辺境伯の妻はずっと腹に手を添えている。
国王は諦めた。署名すると約束して、手の縄を解いてもらう。
「王家を簒奪するつもりかと思ったが、そうではないのか」
署名を終えた国王が、おそるおそる訊いてきた。
「ここまでガタガタになった国の後始末なんかごめんだ。
戴冠式に来る諸外国は、弱みに付け込んで有利な交渉をしようと舌なめずりをしている。
まっとうに国に貢献しようと努力していた女を、浮気者が踏みにじったんだ。せいぜい食い荒らされるがいいさ」
帰属変更した国の後のことなど知ったことではない、と突き放す。
「お父様を通してわたくしに『何とかしろ』と言うのも、やめてくださいね。
駒として使えなくなったと、持参金も用意してくれなかったのですよ。そんな実家のために、わたくしが何かすると期待する方が愚かですわ」
かつての隈が消え、こけていた頬もふっくらした女性は、優雅な笑みを見せた。
それは王太子妃の無邪気な笑顔など比べるのもおこがましいような、気高く完成された芸術品のようだった。
「戴冠式の前日に、隣国と国境変更の調印をしてくださいね。
書類は隣国の法務卿が準備していますから、ご安心ください」
辺境伯夫人はただの手続きであるかのように、段取りを告げる。
「その調印がすんだら、お預かりしている王妃殿下をお返しします。
ご子息の戴冠式に間に合うよう、さっさと調印することをお勧めしますよ」
辺境伯がしれっと言った。
「盗っ人猛々しい」
王太子が悔しそうな声を出した。ここに至っては、負け犬の遠吠えである。
「だって、わたくしは悪役令嬢なのでしょう? 遅ればせながらお役目を果たしましたのよ。
誘拐するなら男爵令嬢などという小物ではなく、王国の最上位の王妃殿下を狙うのが相応しいと思われませんか。
ふふふ、ご満足いただけて?」
辺境伯夫人は玉座から立ち上がると、見事なカーテシーをしてみせた。
「領地と妻を愛する俺には、こんな椅子は要らない。妻を侮辱した者どもには、末永く苦しんでほしいと思う」
辺境伯は、玉座を軽く蹴った。
辺境伯は夫人に手を出して、エスコートを申し出る。二人は微笑みを交わすと、玉座の間を出ていった。