軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十二話 城主の娘と、並べ替えた小瓶たち

朝、鏡で髪を整えていて、ふと手が止まった。

鏡の中の顔を見る。亜麻色の髪。薄い青の目。そばかすが少しだけ鼻の上から頬にかけて散っている。素朴な顔だ。きれいとは言えないが、多分悪くないと思う。基準が変わらないけど、わたしよりは城下町で見かける娘たちのほうが華やかだった。

でも、前の顔と比べてどうかと聞かれると、前の顔を思い出せない。黒い髪だったことは覚えている。もっとくたびれた顔だった。年も今よりずっと年上だったはず。それ以上は浮かんでこない。鏡に映るのはこの顔だけで、前の顔は水の底に沈んだように遠い。

忘れていくことが怖いかと聞かれたら、怖くはない。忘れたくて忘れているのだと、なんとなくわかっている。ただときどき、鏡の中の自分が他人に見えて不思議な気持ちになる。

髪を結んで、襟元を整えて、棚を確認した。今日も整っている。

さあ、仕事に行こう。

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書庫で帳簿の配架をしていると、テルナー財務官が顔を出した。

「ミーナ殿。午後から少し時間をもらえるか」

「はい。何かの整理ですか」

「いや、城主のご息女がお前に会いたいと言っているのだ」

「わたしに?」

「片付けの話を聞きたいそうだ。リーゼ殿は好奇心旺盛なお方でな。断るのも角が立つ」

城主の娘。城主ハインリヒ伯の娘がわたしに会いたいと言っている。いったいなぜ。

「わたし、貴族の方はテルナー様と……あとはホルスト家の方とお話したことがあるくらいで、振る舞いとかほとんど分からないのですが」

「普段どおりに話せばいい。リーゼ殿は堅苦しいのが嫌いな方だ」

テルナー財務官が少しだけ困ったような顔をしていた。断れない依頼なのだろう。城主の娘の好奇心は、財務官の職権では止められないらしい。

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午後。書庫の前に二人の女性が現れた。

一人は若い。わたしと同じくらいの年頃だ。明るい茶色の髪を編み込みにしていて、瞳が大きくて、きらきらと輝いていた。服は上質だが華美ではない。城主の娘にしては地味だなと思った。

もう一人は少し年上。赤みがかった巻き毛で、スカートの裾に刺繍が入っている。こちらのほうがよほど華やかだ。

「あなたがミーナ? 会いたかったの!」

若いほうが手を伸ばしてきた。握手をされた。力が強い。

「リーゼです。こっちはフリーダ。わたしの衣裳係。服のことならなんでもこの子に聞いて」

「ミーナと申します。財務官補佐をしています」

「知ってる! 書庫を魔法みたいに片付けた人でしょう。マルタさんが言ってた」

魔法ではない。棚を拭いて配置図を作っただけだ。

「リーゼ様、廊下で騒いではいけませんよ」

フリーダが窘めた。リーゼ様は聞いていない。

「ねえ、わたしの部屋も見てくれない? 片付いてはいるんだけど、なんかしっくりこなくて」

「あの、わたし、あまりすごいことができるわけでは」

「テルナーには話してあるの。行こう!」

腕を引かれた。抵抗する間もなく廊下を歩いていた。後ろからフリーダがついてくる。「すみません、いつもこうなんです」と小声で謝られた。

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リーゼ様の部屋は城の東棟にあった。広い。わたしの控室の五倍はある。

天蓋つきの寝台。大きな化粧台。書き物机。本棚。窓際に椅子が二つと小さなテーブル。壁に花柄の布が掛けてある。

片付いている。床に物は落ちていない。棚にも埃はない。専属のメイドが毎日整えているのだろう。

「きれいなお部屋ですね」

「でしょう? メイドのハンナが毎朝やってくれるの。でもね、なんか違うの。きれいなんだけど、使いにくいというか、探し物が多いというか」

部屋を見渡した。

確かに、整ってはいる。でもわたしの目が三つほど引っかかった。

まず、化粧台。小瓶が十二個並んでいる。香油や練り紅や粉白粉。瓶の大きさはばらばらで、奥の小さな瓶が手前の大きな瓶に隠れている。

次に、書き物机。インク壺と羽根ペンと砂振りと封蝋が一列に並んでいるが、使う順番と並び順が逆だ。羽根ペンが一番奥に置いてある。使うたびに手を伸ばさないといけない。

そして本棚。本は立っているが、背の高い本と低い本が交互になっていて、取り出すときに隣の本が倒れそうだ。

「メイドのハンナさんは、いつもどう片付けていますか」

「ハンナはね、大きいものを奥に、小さいものを手前にって。あとは色が揃うようにって言ってたかな」

なるほど。ハンナさんは見た目の美しさで並べている。それは片付けのひとつの正解だ。ただ、使いやすさとは少しずれている。

「リーゼ様、提案があるのですが」

「なに?」

「見た目をきれいにしたまま、使いやすくすることができると思います。化粧台と机を少し並べ替えてもいいですか」

「やって! 見てていい?」

「もちろんです」

化粧台から始めた。

小瓶を全部下ろす。十二個。ひとつずつ持ち上げると、重さが全部違う。中身の量が違うのだ。蓋を開けて確認する。練り紅は深い赤。香油は琥珀色で、蓋を開けた瞬間に花の匂いがした。粉白粉は細かくてさらさらしている。唇膏は蜜蝋の匂いがする。きれいなものばかりだ。

天板を布で拭く。それから並べ直す。

まず、使う頻度で分ける。リーゼ様に聞く。

「毎日使うものはどれですか」

「この練り紅と、この香油と、粉白粉かな。あとこの唇膏」

四つ。毎日使うものを化粧台の手前に置く。残りの八つは奥に。手前の四つは、使う順番に左から並べた。化粧台の天板の幅は四十二センチ。四つの瓶を等間隔に置くと、瓶と瓶の間にちょうど指が二本入る。取り出しやすい間隔だ。

「朝、左から順に手を伸ばせば全部済みます」

「あ、そういうこと? いつも探してた」

フリーダが後ろで見ている。

「ハンナさんの並べ方もきれいでした。色の並びを活かしたいので、奥の八つは色のグラデーションで並べるのはどうでしょう。手前の四つは使いやすさ優先、奥は見た目優先」

フリーダが横から覗き込んだ。

「それならハンナも迷わず維持できますね。見た目のルールが残っていれば」

フリーダは衣裳係だけあって、色の並びへの理解が速いみたいだ。

次に書き物机。羽根ペンを手前に移した。インク壺をその隣に。砂振りと封蝋を奥に。使う順番で手前から奥へ。

「ペンを取るのに手を伸ばさなくて済みますよ」

「ほんとだ。いつも遠いなと思ってた」

本棚は、背の高い本を端にまとめて、低い本を中央に集めた。端に壁があるので、高い本は倒れない。中央の低い本は隣同士で支え合う。

「あ、これだけで全然違う。取り出しやすい」

「角を揃えただけです」

「角を揃えただけでこんなに変わるの?」

リーゼ様が化粧台の前に座って、左から順に小瓶を手に取ってみている。手を伸ばすたびに嬉しそうだ。

「ミーナ、すごい! ありがとう!」

「どういたしまして」

自然に出た。もう躊躇わなくなっている。それがなんだか嬉しかった。

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窓際の椅子に三人で座った。リーゼ様がお茶を淹れてくれた。城主の娘が自分でお茶を淹れるのを初めて見た。

「ミーナ、城に住んでるんだよね。寂しくない?」

「棚が整っていれば大丈夫です」

「変な子」

「よく言われます」

フリーダが笑った。リーゼ様も笑った。わたしは笑ったのかどうかわからないけれど、口元は緩んでいた気がする。

「ミーナ、わたしの部屋にいつでも来ていいからね。お茶あるし」

「ありがとうございます」

「フリーダもミーナと話したいって言ってたんだよ。ミーナの服がもったいないって」

「そうですよ! ミーナさん、同じ形のワンピースを四着だけって本当ですか」

「はい。洗いやすくて好きなんです」

「色味を変えるだけでも印象がぐっと変わるんですけど、こう、襟元にリボンを一本足すだけでもですね……!」

フリーダの目がらんらんと輝いている。ものすごい勢いで襟元の重要さを力説された。職業病だろうか。リーゼ様が「始まった」と言った。

帰り際、フリーダが小走りで追いかけてきた。

「ミーナさん、あの。わたしの部屋も見てもらえませんか。今度でいいんですけど」

「散らかっていますか」

「……城で一番散らかってると思います」

「楽しみにしています」

フリーダが驚いた顔をした。散らかっている部屋が楽しみだと言われるとは思わなかったのだろう。でも本当に楽しみだ。ものが多い部屋には、整理のしがいがある。

控室に戻って、棚を確認した。整っている。窓から夕日が入っている。

友達ができた気がする。前にいた場所では、友達と呼べる人がいたかどうか、もう思い出せない。でも今日、お茶を淹れてもらって、三人で笑ったことは覚えている。覚えていたい。