軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第48話 疲れたでしょう

馬車が動いた。

蹄の音が聞こえた。石畳の上を、ゆっくりと進む音だった。アシュリーは窓から見ていた。馬車の後ろ姿が、門に向かって遠ざかっていった。見送るつもりはなかった。ただ、見えたから見た。馬車が門を出た。音が遠くなった。やがて聞こえなくなった。

終わった、と思った。

思ったことを確かめた。胸の中に何があるかを確かめた。怒りはなかった。悲しみはなかった。空白があった。空白は痛くなかった。ただ、そこにあった。四年間、何かがあった場所に、今は何もなかった。その何もなさを、アシュリーは静かに感じた。

窓の外は晴れていた。空が明るかった。馬車がいた場所には何も残っていなかった。風が木を揺らしていた。春の風は、まだ少し冷たかった。アシュリーはその冷たさを窓越しに感じた。これからのことを考えようとした。考えられなかった。今はまだ、考えることができなかった。ただここに立っていた。

廊下に出た。

窓から離れて、廊下を歩いた。どこへ行くかを決めていなかった。ただ歩いた。石の廊下は長かった。この城館の廊下はどこも静かだった。しかし無人ではなかった。使用人が動いていた。すれ違う人たちは礼をした。アシュリーも礼を返した。自分の足音が床に響いた。歩くことだけが、今のアシュリーにあることだった。

廊下の曲がり角で、ロドリクがいた。

立っていた。何かを待っているような立ち方だった。書類を持っていた。仕事の途中であることは分かった。しかしアシュリーと目が合うと、少し足を止めた。

「お疲れ様でした」

ロドリクが言った。

声は穏やかだった。特別なことを言っているような声ではなかった。ただ、言った。その言葉が、廊下の空気の中に静かにあった。

「……ご迷惑をおかけしました」

アシュリーは答えた。

反射だった。言葉が先に出た。考えて言ったわけではなかった。殿下を呼んでしまったこと、城館に騒ぎを持ち込んだこと、それへの謝罪だった。言い終えてから、自分が謝っていることに気づいた。

「迷惑ではないですよ」

ロドリクが言った。否定の言葉だったが、軽くなかった。言い流す口調ではなかった。ただ、そうではないと言った。それだけだった。

少しの沈黙があった。

廊下の窓から、外の光が入っていた。昼前の光だった。空は晴れていた。馬車の音はもう聞こえなかった。ロドリクは書類を持ったまま、急がなかった。急ぐ理由があるような人だったが、今はそこにいた。ここを通りかかったのか、それとも待っていたのか、アシュリーには分からなかった。どちらでも構わなかった。ただ、この廊下にいてくれた。それだけが事実だった。

「今日、疲れたでしょう」

ロドリクが言った。

アシュリーは少し動きが止まった。

疲れたか、と聞かれることは珍しくなかった。挨拶のようにある言葉だった。しかしこの言い方は違った。疲れたか、ではなく、疲れたでしょう、だった。疲れているかどうかを問うているのではなかった。疲れたはずだという前提を持って、言っていた。その前提が、アシュリーの何かに触れた。

「……はい」

アシュリーは答えた。

正直な答えだった。疲れていた。朝から準備をして、エドワルドと向き合って、答えを言って、書類を受け取った。疲れていた。それを隠す必要はなかった。隠さなくていいと、何かが分かった。隠すことに慣れていたことに、この一ヶ月で気づいていた。疲れていても疲れていないふりをすることに、いつの間にか慣れていた。しかしここでは、そうしなくていいと分かってきた。

ロドリクが頷いた。

「今夜は早く休んでください。明日の朝食は、好きなものを言ってもらえれば」

アシュリーは少し驚いた。

「そんな……お気遣いなく」

口をついて出た言葉だった。断ることに慣れていた。気遣いを受け取ることに、慣れていなかった。

「あなたが食べたいものを聞いているのです。それだけです」

ロドリクが続けた。遮るような言い方ではなかった。ただ、それだけのことだと言った。特別なことではない。ただあなたが食べたいものを聞いている。その言葉の重さは、その軽さにあった。あなたが食べたいものを気にする人がここにいる。それだけのことだった。それだけのことが、今のアシュリーには十分だった。

気遣いを気遣いとして受け取ることが、ここではできるのかもしれない。そう思った。思ったことが、アシュリーの中で静かに広がった。

「……分かりました」

アシュリーは言った。

ロドリクが軽く頷いた。それから書類に目を戻した。仕事の続きへ戻っていく動作だった。引き留めようとは思わなかった。引き留める必要もなかった。その場にいてくれたことで、十分だった。

廊下を歩きながら、アシュリーは考えていた。明日の朝食に何を頼むか。料理の名前が浮かんだ。王都では頼まなかったものだった。好みを言う場所がなかったから、言わなかった。言うことが習慣になっていなかった。誰かに好みを聞かれることが、そもそも少なかった。だから答え方も知らなかった。しかし今、思い浮かぶものがあった。思い浮かんだことを、明日言えると思った。

部屋に戻った。シエルが湯を用意していた。何も聞かなかった。アシュリーは湯に手を浸けた。温かかった。その温かさが、今日一日の重さを少し緩めた。

その夜、アシュリーは久しぶりに、何も考えずに眠れた。そして翌朝、ロドリクに「好きなもの」を初めて伝えた。