軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

父との遭遇

数日を掛けて、学院の各教科の教科書を前期・後期の両方を読んだ。

幸いと言うべきか、国語も算術も自然科学もおおよそ小学生、良くて中学生レベルの内容であった。手応えがないとも言えるが、一度読めば覚え返すこともなく、問題がないことが判ったのはとても良かった。

この世界特有の内容のもの――歴史や地理、領政、法律は初めから覚える必要がありそうだが、元々求められている学問レベルがさして高くはないので、一般教養レベルの扱いならば、何度か教科書を読み込めば取り繕える範囲だろうと思う。後はゆっくりと必要な関連書を読み込んで行けば良いだろう。

しかし外国語は少々遣り込む必要があるだろうと思い、ダフニー夫人の授業も本では勉強しきれない、マナーか外国語に多く出入りしている。

教養的な科目である文学、詩歌、哲学などの教科書は、物理的な娯楽のない環境下において、ただの楽しめるご褒美読書になっている有様だった。小説やポエム、自己啓発書やエッセイを読む感じである。

そしてご褒美なので、覚えようと思わなくても勝手に頭に入る。

この間、三か月。早いもので、こちらで目覚めてから季節が一つ過ぎた。

季節はいつの間にか、秋に変わろうとしている。

帰る帰れないは考えるのを止め、取り敢えず目の前の問題に取り組むことにシフトするしかない。

ふとした時に、日本の家族や職場はどうなっているのだろうとか、マンションの私の部屋はどうしたんだろうとか……あちらの身体はどうなったんだろう――と、取り留めも無く考えることがあるが。

自分の意志でどうしようも出来ないことを考えても、現にどうしようもない。

ならば目の前にある出来ることに集中しなければ、精神がどうにかなってしまいそうでもあった。

この頃には侍女たちには「勉強が大好きな子」という変人認識になったようで、兄の授業に潜り込まない時は、図書室に籠るようになった。

部屋にも持ち帰るが、あんまりにも専門的な本ばかり持ち出すと怪しまれる為(充分に違和感のある幼女だとは思うが)図書室で読み込む為だ。

大人しくしているので彼女たちも息抜きに充てているのか、遠巻きに一人になれるのも有難い。

年がら年中誰かに近くで見ていられるのも、息が詰まるのだ。

ふと聞きなれない足音が聞こえ、静かな扉の開閉音がした。

ふわり……嗅いだことのあると記憶が反応する、グリーンノートの香りが近づいて来る。

(誰だ?)

咄嗟にダミーの図鑑で読んでいた本を上下に挟み込み、上の本を開く。

開いたページには、豆類の一覧が写実的に描かれているのを瞳の端が捉える。

「……おや、マグノリア?」

柔らかな金を溶かし込んだような緩くウエーブする淡い金髪を後ろで括り、少し垂れ気味な茶色の二重は、成程、優男。微笑んだように綻んだ唇とあいまって、一見おっとりとしてすら見える。

ジェラルド・サイラス・ギルモア侯爵。マグノリアの父親だ。

温かみのある色彩と華美過ぎない上品な華やかさ、そして柔らかな風貌の為か、日本人としてのマグノリアが覚醒(?)してから初めて見る父親は、年齢よりも若く見える。記憶通り、なかなかのハンサムだ。

言うなれば大人っぽさが混じり始めた、癒し系イケメンアイドルっぽい。

年齢の割に少し高めに感じる声は、それでもしっとりと落ち着いたトーンで。イケボだ。正統派の王子様ボイスってやつ。

(二児の父が王子様ボイスって! オッサンの声じゃないなんて!!)

しかし綺麗な茶色の瞳はちっとも笑っていない。微かに瞳を眇めると、窺うようにマグノリアの手元の本へ視線を走らせた。

「……お父しゃま? 三か月以上ぶりでしゅね。ご機嫌麗しゅう」

他人行儀にカーテシーをし、ちょっとした嫌味を混ぜる。

きっと三歳児が発する言葉に、嫌味を込めているとは思わないだろう。

「偉いね、ご本を読んでいるのかい?」

言いながら大きな手をマグノリアの頭に載せる。

優男に見えて、意外にしっかりした厚みのある、大きな男の手だった。

マグノリアはさりげなくまん中の本――法律解説の著書が隠れていることを確認し、再び父親へ顔を向ける。

「あい。お豆やおやちゃいの本を見ていまちゅ」

園芸の本。

絵が多く子供が眺めていても通りそうな図鑑を、ロサや、万が一に誰かが来た時の為に置いておくことにしている。

「美味しそうだ。他には何を見ているんだい?」

一番下の本を押し出す。

「……おはにゃの本でしゅ」

こちらもダミー。後、虫の図鑑と動物の図鑑、魚の図鑑が書棚にある。

初見の頃、単語を覚える為にそれぞれ何度か見たが、虫に関してはあれ以来二度と開いてはいない。

「そっか。ここには絵本が無いんだね。ブライアンの部屋かな?」

「……。そうなのでしゅね」

自室にも図書室にも無いので、てっきり子供用の絵本は無い世界なのかと思っていたのに。ちゃんとあったのか。

嫡男には与え、マグノリアには与えない。

いやはや。

今更っちゃ今更だけど、凄い露骨な(大人から見れば)対応だな、おい。心の中で毒づく。

「お父しゃまは、今日はおやちゅみなのでしゅか?」

本から親父さんの意識をひっ剥がすべく、世間話を振る。

「登城……お城でのお仕事はお休みを貰ったんだよ。領地の仕事が溜まっているからねぇ」

小さくため息をついた。

「しょうなのでしゅね……」

先日読んだ領政の教科書と領地経営の本を思い浮かべる。

王都から馬車で半日程の比較的近い場所にあると聞く、ギルモア侯爵領。

どんなところなのだろう。都会なのか、自然に溢れたところなのか。それとも工業地帯か。

侯爵家の領地と言えばどデカいのだろう。

経営が教科書の通りになんて行く訳ないし。多分、人に任せてるのが大部分とは言え、取り纏めやら監督やら大変なんだろうなぁ。つらつらと余所事を考える。

「…………」

何かを考えあぐねるように視線を落とすこの世界の父親。

改めて――本当に娘が可愛くはないのだと再認識もする。

一応、形だけにこにこしている顔は子供相手で気を抜いているのか、全く笑っていないのが丸わかりだ。

温度を感じない薄茶色の瞳。

……なぜそんなにマグノリアが気に食わないのだろう?

(以前の「私」が何かしたのだろうか?)

記憶にあるマグノリアは、侍女達以外、殆ど誰にも会わず話もせず、ぼんやりとした女の子だった。

多分、他の人と余りにも交流がない為、心の動きに乏しい性質になってしまっていたのじゃないかと思う。

第一まだ三歳である。「とんでもないこと」をしでかす腕力も能力もない。

執務に関する大切な書類や家宝か何かを壊したかと思ったが、如何せん、部屋の外に出ようにも、重厚なあの部屋の樫扉は幼児には開けれない代物なのだ。

殆ど外へ出ることもない。同じ年頃の友人どころか、兄も両親も、親戚にも会わない子供。

――――軟禁されてる――――?

「……お忙しくて、たいへんでしゅね。おちごと頑張ってくだちゃいましぇね」

暗くなる思考を一旦外へと追いやり、詳しく探るにしても深入りするにしてももう少し情報が必要だなと思い、暇の挨拶をする。

「えっ……もう行くのかい?」

「あい。おちごとの邪魔になってちまいましゅので」

ふむ、と頷くと、

「……時間が取れたら、一緒に食事をしようね?」

にっこりと、だがまるで瞳が笑っていない笑顔を見せると、再び頭に大きな手を載せた。

話を聞いていたデイジーが、嬉しそうにお昼はお父様とご一緒ですね!と笑いかける。

他人のことなのに喜び勇んでる様子に、いたたまれなくなる。

そりゃぁね。侍女達だっておかしいと思うのだろう。

デイジーは、性格の素直ないい子だ。自分が関わっている小さい子が家族からみそっかすにされていれば、気にもなる筈だ。

(ずっと両親に愛されて育っているのだろうな)

子は親に無償の愛を捧げられるものと思い込んでいるのだ。ギルモア家の様子に、内心首を傾げているのだろう。

でも、その思い込みは、大半であって全員じゃない。

現実には誰しもが溢れる母性や父性がある訳でも無いし、全ての親が子に無償の愛を注げるものでもない。

無償の愛すら、時を経ていつの間にか、本人も知らぬ間に条件付きの愛に変わってしまうことすらある。

常識や生活、当たり前と思い込む要因で、意識する間もなく心が変わってしまう事は良くある事だ。

歪んだ家族関係は、悲しいかな、いつの時代にも何処の世界にも存在する。

それらは日本でもあった。

(幸い、顔も名前も思い出せない日本の家族には、愛して貰った記憶の残渣があるのが救いだねぇ)

だからこそ、無償の愛は美しく尊くもあるのだから。

「いえ……多分しゃこうじれいだと思う。『今日』と言ってないち、お忙ちいみたいでしゅしね」

マグノリアは醒めた瞳で返す。

「そんなことございませんわ! お忙しくっても、お食事位ご一緒して下さいますよ!」

侯爵自ら仰ったんだからと、言い聞かせるように一生懸命に力説しながら、お昼の為にマグノリアの髪を結っている。

……いやいや。『お食事位ご一緒する』なら、三か月の間にしていると思うよ。

案の定、時間になっても呼び出されることはなく、だいぶ過ぎた頃に耐え切れず確認に行ったデイジーは、可哀相な程に項垂れながら、調理場に残されていた昼食を運んで来たのだった。