軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

授業に潜り込め!

トントン、ブライアンの部屋の扉をノックする。

「お勉強中失礼致します」

ロサが声掛けし、相手の返事を待って入室すると。

目の前には、ブライアンの家庭教師であるダフニー伯爵夫人がいた。

普通、専門ごとに教師が代わる事が多いらしいが、女性でありながら学問に造詣が深いらしく、基本的な内容を習う兄は、夫人に必要な勉強を全て教えて頂いているそうだ。

優秀だけどとても厳しい人だという。

ゴクリ、とマグノリアは唾を飲み下し、深く腰を落とす。ロサに習った淑女のカーテシーだ。

「初めまちて、ダフニーはくしゃく夫人。ギルモアこうちゃく家がいち女、マグノリアと申ちましゅ。おべんきょう中に、お声がけしちゅれいいたちました。

静かにちておりましゅので、兄の近くにおりましゅこと、おゆるちいただけましゅでしょうか?」

グレイヘアーをひっつめてお団子にした、切れ長の水縹色した瞳をじっとみつめる。

不在がちの両親に、淋しくて兄の近くに居たい幼女を装うテイである。

……なかなか、圧が……眼力がスゴい(苦笑)。そしてマグノリアの毎度おぼつかなさすぎる口調(苦笑)。

「……」

じっとマグノリアをみつめるダフニー夫人に、ロサが困ったように口添えする。

「大変申し訳ございません、夫人。お嬢様がどうしてもお兄さまのお近くにと……。失礼かと思いましたが伺わせて頂きました」

こちらでマグノリアが目を覚ましてから、びっくりするぐらい聞き分けの良くなったお嬢様が、兄に甘えたい(?)とグズり、ついつい突撃を許してしまった――という図である。

ダフニー夫人は少し考え、小さくため息をつくと、

「……静かにしていて下さるなら、構いません」

夫人の確認が取れると、彼の侍女さん達によって手際よく、小机と小さな椅子が並べられる。

了承されホッと息をつきたい所だが、微笑みながら軽く膝を折り感謝の意を表すと、そそくさと椅子に座った。

(っていうか、小さい椅子あったんだ……)

自室にある大きな椅子に、毎度毎度踏み台で登っては腰掛ける身としては、ブライアンの部屋にあるもう使わないだろう小さい机と椅子に、なんだかなぁと思う。

「ありがとうごじゃいます」

そんなもやもやを隠して、ニコニコと礼を言う。

やったー! 取り敢えず潜り込み成功である。

兄とのお茶会で、毎度(愚痴を)聞かされていた個人授業の様子。

正直やる事があるということに関しても、文明や文化に触れれるということも、マグノリアとしては非常に羨ましくて。どうしたら参加出来るものか、色々シミュレーションしていたのだ。

――『幸運の女神は前髪しかない』と言うけど、別の偉い人は『急いては事を仕損じる』挙句には『急がば回れ』と言う。

そしてこれまた別の人は『虎穴に入らずんば虎子を得ず』とも言う。

いっその事、考え無しに飛びついてしまいたいけれど。

マグノリア・三歳は、残念なことに、非常にリスクの高いと思われる立場に立っている。

この場合、石橋を叩いて渡った方が失敗が少なかろう、と言う心の声もとい、元マグノリア三十三歳の意見を採用したのだ。

だって、ロサや家族に言った所で自分に家庭教師がつけられるとも思えなければ、まかり間違ってつけられたらつけられたで、トンデモな代償を求められても困るのだ。

散々考えた挙句、事前に参加したいと言っても了承されないだろうから、ここは幼児の特権(ぐずり)を行使して突撃するのが宜しかろうと、至ってシンプルな結果に落ち着いたのだ。

さあ、いざ行かん! 異世界の学問の初歩の初歩、の世界へ!!

一時間目は詩歌だった。

そういえば、昔のヨーロッパも韻文とかあった気がするな~。ゲーテが得意だったのは何韻文だった?――思考が逸れる所を慌てて引き戻し、ちろりとブライアンを見る。

……兄の眼は死んでいた。

(少年よ、ガンバ!)

今日は簡単な四行詩のようだ。実際に前世で四行詩を目にしたことは無いので、どんなものなのかと教科書を盗み見る。

日本でも雅な方々は折に触れ歌(俳句や短歌だけど)を詠むしなぁ。貴族もポエム、日常的に詠むんだろうか?

そんなこんなを考えながら、前世の授業で習った古典のあれこれを思い出しながら、夫人の講義を聴く。

ブライアンがペンを走らせる音と、夫人の説明する声。

侍女達の動く衣擦れの音。

良く晴れた空の下、こずえに集う小鳥たちのさえずり。

黙って前を見ていたり、兄の教科書を覗き込んだり。時折兄を気にしている様子を見せるマグノリアを見て、ブライアン付きの侍女達はほっこり癒され、ロサは騒がないことにホッと胸を撫で下ろし、ダフニー夫人は密かに感心していた。

暫くして、目の前に暇つぶし用の石板が置かれた。

ちょっとびっくりしながらも、マグノリアは夫人にペコリと頭を下げる。

(ほわ~! 初めて見た! 昔は日本でも使っていたらしいけど……)

小さい子にはお絵かき帳。鉄板である。

しかしこの世界ではいたずら書きに使う程、紙は低価格では流通していないのだ。そこでくり返し使える石板の出番という訳だ。

前世ではマグノリアの親の時代でさえも、石板を見たり使ったりする人は少数派であろう。

砂鉄を利用して作られていて、壊れなければ半永久的にくり返し使用できる『お絵かきせん〇い』が定番である。マグノリアに至っては言わずもがな。

色々なおまけ……人気キャラとコラボして、なぞったらキャラ絵が描けるステンシルのようなシートと磁石が付いたデラックスなものから、百円ショップで売られている、小さい、お出掛け時の暇つぶし用まで。

そっと、マグノリアは初めて見る石板をなでては、ゆっくりとろう石を滑らせ、書き心地を確認する。

けして綺麗な線とは言えないけど、久しぶりのものを書く感覚に、思わず口元が緩んだ。

子供らしく(?)花の絵を描きながら、兄のよれよれの様子を横目に課題を一緒に心の中でこなす。指で小さく綴り(書いちゃうと色々バレるから)、説明を聞く。

題材になってる詩歌の音読。

次は写し。ノートの上を這う、たどたどしくゆっくりなブライアンの手元をハラハラと窺う。

夫人の書評と解説。

染み入るように落ち着いた深い声は、経てきた経験と人柄の、その両方の深さを感じさせた。

大切な所を二度言い、よく解るように、夫人がトントンとブライアンの教科書の該当箇所を指さす。

(おう、そこが今日のキーワードか……)

忘れないようにマグノリアが石板に写す。前世なら教科書にマーカーする所だ。

ちらり、ブライアンがのぞき込み、目をしばたたかせる。

「マグノリア、字が書けるのか?」

(うっわあぁぁっ! ヤバイ!!)

ドッキーン!! と固まりそうになり、深く息を吸う。

背中に、嫌な汗が伝う。

「……い、いえ……ここの、さっき夫人がゆびをさちて、おっしゃった、本のとこりょをまねちただけでしゅ。……あってましゅか?」

(つい気を抜いて書いちまった……バカバカ、私の阿呆!)

ほぼアルファベットですからね~。日本では小三からローマ字習いますし。今は英語も小学生から学んでますからねぇ。

大学の第二外国語はドイツ語でしたし、字ぐらいは見れば書けますよ~と。誰になのか己自身になのか、心の中で言い訳をする。

「見ただけでお書きになれるとは、凄いですね」

ダフニー夫人が石板をのぞき込む。さりげなく綴りをチェックされている……気がする。

「……ありがとうごじゃいましゅ」

にこにこ(汗)。

動揺を悟られないよう、マグノリアはなるべく目を動かさないように気を付け、曖昧に微笑む。にこにこ。

兄ぃぃ! もう少し集中して自分の課題をやってほしい(八つ当たり&懇願)!

暫くして小休憩となった。

集中力が続かないブライアンに合わせ、座学の時間は一時間程度に区切られているようだ。

確かにずっと同じ事を続けるより、変化させた方が効率が良いことは、異世界(地球)でも実証済みだ。

二時間目は算術である。

極々簡単な足し算と引き算であった。

計算の答えは言わずもがな、記号すらも日本と同じなので、数字を覚える以外特にやることはない。

うーむ。マグノリアは心の中で唸る。

(つーか、記号も一緒なのか……何で? 不自然なくらいに一致する事が多くない?)

例のごとく教科書を盗み見ながら、数字の形を覚える。ギリシャ数字も、大きい数はうろ覚えだ。うっかり書かないように気を付けながら、落書きを石板に描く。

ブライアンは、一生懸命指を折ったり空を睨んだりしながら問題を解いている。

妙な引っ掛かりにざらりとしていた気分が、頑張ってる子供の表情に幾分癒される。

男の子だからもしや算数が得意なのか(偏見認識の鉄板)と思えば、先ほどの詩歌と同じであまり得意ではないようだった。

……うん。そうだよね。

勉強が結構苦手な子は、多少の優劣と例外はあれど、基本的に全教科苦手だろう。

頭良い女の子は文系だけが得意な訳でなく、数学だって化学だって物理だって得意だった。

なんなら、前世には『リケジョ(理系女子)』って言葉だってあったのだ。

同じように成績の良い男子は、理系だけじゃなく、言わずもがな、国語だって英語だって社会だって得意だった。それ真理。

そして、考え方など色々な説明をしている夫人の言葉をブライアンが必死に写しているが……

悲しいかな。多分、次の日には殆ど彼の頭に残ってはいないだろう。

ブライアンは黒板丸写しタイプであるらしい。

……何となく、先行きが見えるように感じる。

ぶっちゃけ、成績なんて社会に出たらそんなに関係はないけれど。

きちんと努力が出来るかとか、頭の回転が速いかとか、情報の取捨選択能力とか。ゆっくりでも物事を読み解ける力があるかとかは、関係がある。

彼は、どうも余り頭を使ったりする事が苦手な上、要領が良いタイプではないようだ。

領地経営とか、余程しっかりした代理人(?)とか立てないと、うっかりやらかしちゃうタイプに見える。

楽しい時間はあっという間だ。

三時間目はダンスであるらしく、そちらも後学の為に見たかったが、ロサが頃合いと思ったのか暇を告げていた。……余り我を通すと次がなくなってしまうので、大人しく従う。

マグノリアも例のたどたどしい口調で礼を述べる。

「ダフニー伯爵夫人、お忙しいとこりょをお邪魔ちてちまいまちたこと、かしゃねておわびいたしましゅ。お邪魔しゅることをおゆるちくだしゃいまして、本当にありがとうごじゃいまちた」

幾つか単語も覚えられたし、こちらの世界の詩とか、知らないことを学べて良かったと思った。何より文化的な事に触れることが出来て、満足感が半端ない。

兄にもお礼と暇を告げる。

暫しマグノリアの様子を見つめていた夫人は、静かに語りかけて来た。

「……お嬢様は石板をお持ちですか?」

「いいえ?」

首を横に振る。

夫人は小さくため息をつき、頷くと、ロサが夫人に返却した石板を、マグノリアへ渡す。

「どうぞお持ちください」

「……よろしいのでしゅか? わたくちは夫人の生徒ではありましぇんのに」

遠慮がちに言うと、ダフニー夫人は小さく頷く。

「こちらは侯爵家の備品ですわ。授業で細かい説明をするときに使用しているだけで、備品室に予備が幾つもありますのよ。……下働きの見習などが、文字が読めない者が勉強する時に使うものですから、お嬢様がお持ちになっても誰も文句は言いませんよ」

「しょうなのでしゅね! ありがとうごじゃいましゅ!!」

夫人の気遣いが嬉しくて、本気の笑顔がこぼれた。

こっちに来て、初めてちゃんと笑った気がする。

紙はあれどそこそこ高価なため、誰に聞いても貰えず、諦めていたのだ。

それとこちらを。と言うと、文字と数字の一覧表らしい、薄い木札を渡してくれた。

「こりぇは……」

「近所の子供たちなどに渡しているものですので、遠慮なさらずとも大丈夫です」

「本当に、あいがとうごじゃいましゅ!」

お嬢様らしくない――頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべる様子を見て、ダフニー夫人は苦笑いをした。初めて見る子供らしい表情だ、と思ったから。

「またいつでもいらして下さって結構ですよ。大人しくされてましたし、妹君がご一緒の方が兄君もきちんとお座りになっていられるようですからね」

いつの間にか移動していたブライアンの居るであろう、大広間の方向を見て、小さなため息をついた。

「あい!」

頭を下げ、部屋に戻りながら、そぅっと木札と石板を撫でる。ロサはそんなマグノリアの様子をじっと見ていた。

思えば、夫人は始めから見極めるような視線を投げかけていた。服装や雰囲気などから、きっと何かを感じ、察したのだろうか。

何の関係もない大人が……この世界に来て、初めてだ。

本物の、心からの気遣いを受けた。

ちょっとの時間の関わりでしかない相手が気を使わせないように、しかし最大限の心遣いを示してくれたことが、マグノリアには殊の外嬉しかった。

心は大人だけど、疎外されて嬉しい訳ではない。

子供になってしまったのは身体だけでなく心もなのか……真っ暗なベッドの中や明け方の部屋の中で一人、傷ついた気持ちが追い付かない時がある。

いきなり知らない場所で子供になってしまい、産まれた先で両親には存在を無いものとして扱われ。兄には見下され……侍女さん達はそれなりに優しく対応してくれるが、腹心の筈であるロサは、誰かの指示なのかもしくは考えがあってなのかは解らないが、一物抱えて接しているように見える。

積極的、消極的に関わらず、敵意ばかりの世界。

……もし両親が愛情深かったとしたら、この世界で子供として、一から生きていくことを選択したかもしれない。

兄が心を砕いてくれたなら、拠り所に頑張ろうと思えたかもしれない。

実質育ててくれているロサが、本心から味方の大人なら。この世界でも大丈夫と笑って、未来への希望を持つことが出来たかもしれない。

出来ない自分を、誰かのせいと言い訳にしてはいけない。

やれる範囲の中で、最善を尽くす。

……だけど。

物理的には三歳でしかないマグノリアが、見知らぬ世界で誰も頼れないというのは、考えてしまえばとてつもなく恐ろしいことだ。

溢れだしそうな理不尽への嘆きと愚痴を、中身が大人であるからこそ出来る理解と諦めと、ちょっとの矜持で無理やり抑え込んでいるに過ぎない。

恐怖だからこそ、立ち止まってなど居られないのだ。泣いても何も解決しない。不条理なそれらに、怒りに、身を任せる時間すらも惜しい。

「……ロサ」

静かに石板を差し出す。それを受け、ロサは静かに瞠目した。

「お嬢様……?」

「だれかに、わたちにこういうものを渡してはいけないと、止められていりゅのではないのでしゅか?あなたが叱りゃれることは本意ではありましぇん」

ロサは凪いだ瞳のマグノリアを見つめながら、きゅっと胸の前で指を握り込むと、ゆっくりと左右に首を振った。

何度も紙を、と言っても一向に代りのものすら差し出されなかった事。

お願いしなければ、マナーすらも教えてもらえていなかった事。

こちらが働き掛けなければ、侍女の三人以外誰とも接点が無かった事。

塞いだ顔をすると、笑顔『だけ』を注意される事。

……まるで人形を育てているみたいだ。

ロサが独断でしているとは考え難い。誰かに指示されているか、意を汲んでそうしているのか。

両親に放置されているから蔑ろにしてやると、悪意を持って行うには、彼女は善良過ぎる気がする。

「……いいえ。いいえ、そのような事は。折角夫人が文字表を下さいましたし、これでお勉強なさいませ」

ロサは儚く微笑むと、大丈夫だと言わんばかりに力強く頷いた。