軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

船の上にて思う事

あっという間に遠くになってしまった海岸線を、朱鷺色の瞳がなぞっていた。

雄大な帆船はゆったりと海を滑る様に進んで行く。

「……大丈夫ですか?」

何に対してなのか、気遣わし気にアーネストが聞いて来た。

何処か不安そうに見えたのだろうか。マグノリアは小さく首を傾けた。

「はい。ほとんど揺れないですし。祖父もガイもいますし。まだ始まったばっかりです」

船酔いについてなのか、淋しさについてなのか、不安についてなのか。

思うままに問われていると思われる意味について返答すると、微笑まれた。

「クロード様や侍女殿も一緒に来れたら良かったですね」

「……そうですね。でも領主の仕事もありますし、リリーは旦那さんの事もありますから」

それに王子達が再び王都からやって来るのだ。流石に領主家の人間がひとりもいないというのもどうなのか。

社交の時期が終わりひと月ほど前に帰領したクロードだが、再びすぐ領地を空けるのはと言う事で、残って王子一行を出迎える事になった。

長期で館を空けたがらないセルヴェスのあおりを食う為、クロードが王都にいる期間の方が長い。以前はきっかり半分ずつだったらしいが、マグノリアと過ごしたがる義父の希望を汲んで、毎年前半にしろ後半にしろ、三分の二をクロードが請け負うのが暗黙の了解になっている。

よって、確かに長く留守にしていた為、彼の対応が必要な仕事が多く残っているので順当な選択だろう。身体と気が休まるのかは別にして。

それに、マグノリアとの初めての遠出はセルヴェスに譲った方が良いとも思ったのだろう。自分ではないと解れば、いつかのように大きな身体を出来る限り小さく丸め、イジイジとのの字を書く姿しか想像できないのであるからして。

リリーは、ひと言伝えれば喜んでついて来て貰えるだろうが……今は別段、我儘を言う場面でもない。

その上結婚した身であるから、いつ懐妊してもおかしくないのだ。慣れない船旅に連れ出して体調を崩される方が、こちらの心臓に悪いというもの。

そんな事を簡潔に説明すると、アーネストはそれ以上何も言わず頷いて、いつもの優し気な微笑みを浮かべた。

そして前回マホロバ国に行った時にみた景色や建物の様子、人々の対応などをマグノリアに語って聞かせた。

つかず離れずの場所から飛んでくる、険しいセルヴェスの視線とニヤニヤするガイの視線に苦笑いしながら。

順調に航海は進んでいた。

何事も無ければクルースから三十時間ほどで着くらしい。

二日程の航海の為、充分過ぎる程に積まれた夕食を食べた後、セルヴェスと一緒に星空を見ていた。

「おじい様、ついて来て下さってありがとうございます」

「儂の方こそ、マグノリアと一緒に旅が出来て嬉しいよ」

月明かりに映る表情は、とても優しい。

悪魔将軍なんて呼び名が信じられない位に、マグノリアにとっては優しく甘い祖父である。

微笑みに微笑み返す。

いつもは肩に乗せられているが、万一海に落ちたら大変だと、左腕にしっかりと抱きかかえられていた。

……本当はジェラルドにこそ、こういった時間とやり取りが必要だったのだろう。

戦争や状況が許さず、親子は随分ちぐはぐに食い違ってしまい、大きく拗れてしまった。

多分マグノリアがこのような状況にならなければ、ずっと食い違ったままであっただろう。

セルヴェスはかつての誤りを詫びる事が出来、頑なに口を閉ざしてたジェラルドが少しずつ不満を口にする事が出来た。

そうする事で更に少しずつ互いを知る機会が生まれた。

少しずつではあるが、互いの心情やら状況やらを慮る土台が出来つつある。

完全な雪解けはしないのかもしれないし、意外に出来るのかもしれない。

それは、マグノリアには解らない。

親子の関係は、血の繋がりがあるからこそ複雑だ。

親は大人であり、本来は導き手である以上、配慮するべきであろう。

だが、当然親も万能でもなければ未熟であるし、人間だ。

間違う事もあれば、出来ない事だってあるだろう。

初めから上手く行く方が勿論良いのだろうが。

……だが、彼ららしく進んで行ければ良いし、それがプラスの方向へ改善されて行くなら、より良いであろう。

異世界に飛ばされて、初めはなかなか素直に馴染めなかった。

おかし過ぎる現実に、すぐさま順応出来る方が珍しいだろうと思う。

しかし今、父と祖父の関係改善のきっかけになったとしたのだとすれば、異世界転生なのか転移なのかも、悪くはないと思うマグノリアであった。

そして――最近は日本を思い出す事もだいぶ減り、この世界に根をおろし始めている事を感じる。

その現実を垣間見る度に、日本の家族や知人に対する後ろめたさも感じるし、この世界への愛着も改めて見せつけられるようで、何ともほろ苦い気持ちになる。

日本に戻りたいと今でも思うけど。

反面、戻ったら戻ったでこの世界の人達を想って苦しく感じるであろう。確実に。

そうなったら、マグノリアの事は忘れてしまうのだろうか? それとも新しい『マグノリア』が何処からか補充されるのだろうか? もしくは元の設定に戻るのだろうか――

怖い。

マグノリアは素直にそう思う。

帰れない事も怖いし、いつかいきなり目が覚めて、この世界ではない世界に存在している事も怖い……

きゅっとセルヴェスの胸元を掴む。

「大丈夫じゃよ」

セルヴェスの皺枯れた声が耳を打つ。

そしてあやす様に、とんとん、と左腕を軽く叩く。

大丈夫かどうかなんて、何も解らないのに。

それでも何故か安心出来る様で、くすぐったい様なおかしい様な哀しい様な気分だ。

マグノリアはこの世界の自分の周囲にいてくれる人たちが大好きだ。

彼女はこの世界を愛し始めている。

この異世界は、もうひとつのマグノリアの故郷であり、マグノリアが存在する世界だ。

ガイは気を利かせているのか、それとも嬉々としてこの船の秘密を探っているのか、ここには居ないし、ラドリはクロードの所に異常なしの報告に行ってしまった。

マグノリアは再び空を見上げた。

セルヴェスも同じように見上げる。

マグノリアは時折感傷的になる。

静かすぎると、自分にはどうしようもない不安が顔をのぞかせるのだ。

愛おしいからこそ。愛しているからこそ。

何処までも続く波の音。帆が風をはらむ音。ロープの軋む音。船と波がぶつかる音。

そしてセルヴェスの呼吸の音。

意識してマグノリアはそれらを捉える。

心が、何処かへ行ってしまわない様に。

セルヴェスは力強い腕で、マグノリアを抱え直す。

黒くうねる夜の波と煌々ときらめく星月が、ふたりを見ていた。