作品タイトル不明
第39話 雑用令嬢、妖精に友だちを紹介してもらう④
「……お刺身?」
火口に響き渡る私の叫び声をバックに、旦那様が怪訝そうに聞き返してくる。
……いけない。私としたことが、つい興奮しすぎてしまった。
たしかに直前まで聖水という伝説級のアイテムが手に入ったと盛り上がる中、いきなり料理の話は飛躍しすぎたかもしれない。
しかも恐らくは私以外に誰も聞き馴染みがないであろう料理名だし。
「え~っとですね。お刺身とはズバリ、魚に火を通さず、生のまま薄く切って食べる料理のことです」
「魚を生でだと!?」
案の定、旦那様が目を見開く。
フロストーレ様は「なんと」と口を開け、アグニール様も腕を組んだまま「まったく理解できない」という顔をしていた。
そもそもこの世界にはモンスターであるかどうかに関わらず、魚を生で食べる文化はない。
そういう意味では、この食べ方を提案した時点ですでに画期的とも言える。
しかし、事はそう単純な話ではない。
「はい。ですがただ生で食べるだけなら、これまでにも試す機会はありました。例えばいつぞやデーモンフィッシュをお鍋にしたときがそうです。でも、それができなかったのには理由があるんです」
「理由?」
旦那様が首をひねる。
「思い出してみてください。今までのモンスター料理は、どれも下処理として薬草や魔石と一緒に煮るなどして瘴気を抜いてきましたよね」
「ああ。たしかに」
「それは言い換えれば、必ず火を通さなければいけなかった。でも聖水の場合は違います。聖水ほど神聖性が桁外れなら、常温のままでも瘴気を除去できるかもしれません」
そこまで説明すると、旦那様はポンと手を叩いた。
「なるほど。それで生食か」
「はい。無論、まだ試したことはありません。私も聖水を目にするのは初めてですから。ただ、できる可能性は高いかと」
とはいえ、まだ期待しすぎてもいけない。料理は感覚も大事だけれど、特にモンスター食材の場合は安全が最優先だから。
ただ、今度はフロストーレ様が顎に手を当てながら呟く。
「ふぅむ。ワシも最後に聖水に触れたのは二百年ほど前じゃが、あのときも試しに身体を洗ってみたら驚くほど肌がピチピチになったもんじゃ」
「ピチピチ……ですか」
「うむ。乾燥しすぎたセーターのようにの」
「おお、そんなに!」
いや、それはピチピチ違いでは……そもそもなぜ貴重な聖水で身体を?
ツッコみどころがありすぎて困ったけど、旦那様が喜んでいるのでまあヨシとしよう。
が、そうして私たちが沸き立つ一方。
「ふん」
ただ一人、アグニール様が鼻で笑う。
「盛り上がるのは勝手だが、所詮は魚を切っただけだろう。そんなもの料理と言えるのか? 正直、オレにはそこまでの魅力を感じんがな」
「いいえアグニール様。そんなことはありません」
私は即座に否定した。
煮る。焼く。蒸す。揚げる。
どれももちろん料理における大事な工程には違いない。
けれど前世の日本には、あえて必要以上に手を加えず、素材そのものの味や香り、食感を一番いい形で引き出す考え方もあった。
「たしかに、一見するとただ薄く切るだけと思うかもしれません。でも実際は魚の種類、脂の乗り方、切った身の厚みと口に入れた時の温度……それらの要素が絡み合うことで、良くも悪くも劇的なくらい味が大きく変わるのがお刺身です」
そうとも、だからこそ。
「お刺身とは、ある意味でお魚を一番美味しくいただける料理なのです!」
「魚を一番……!」
「美味しく……!」
私が言い切ると、旦那様とフロストーレ様がそれぞれ喉を鳴らした。早くも口の中が魚の味を求めて待ちきれない様子なのが伺える。
が、ここでひとつ問題が。
「問題?」
「はい。肝心の魚がありません」
ここは山奥で、目の前にあるのは火口とマグマだけ。いくら聖水があっても、試す食材がなければどうにもならない。
「むぅ。たしかに言われてみれば。ではどうする?」
「どうしましょう。さすがに一度山を下りるしかない気がしますが」
どこかの川に寄って帰るか。あるいはいったん明日以降に持ち越して、海へ遠征に出向くか。
「いや待て」
「フロストーレ様?」
けれどそう決断しかけたところで、フロストーレ様がぴんと顔を上げる。
「なぁアグニール。確認じゃが、この場所はもともとただの山で、おぬしが熱と魔力を集めて火山のようにしたんじゃよな?」
「ああ、そうだが」
「……ふむ。ならばやはり、ここには“あやつ”がいるかもしれんの」
「ああ、“アイツ”か。まあたしかにな」
あやつ? アイツ?
私が首をかしげている間にも、フロストーレ様はふわりと浮かび上がっていた。
「うむ、では早速行ってこよう。おぬしたち、しばし待っておれ」
そう言うなり、どこかへ飛び去っていく。
で、待つこと数分。
遠くで水が爆ぜるような音がした。
そして次の瞬間、フロストーレ様が巨大な魚型モンスターを氷で縛り上げ、でん、と私たちの前へ連れて戻ってきた。え、ええ……。
あまりのスピード感に驚いてしまう。
けれどもっと驚いたのは、どこぞで釣り上げてきたそのモンスターの正体だ。
「こ、このモンスターは……!」
クリムゾンフィッシュ。
別名、紅身魚とも呼ばれる血のように赤い身を持つ魚型モンスター。
猛烈な速度で水中を泳ぎ、激突すれば大型の船さえ軽く撃沈できるほど強いパワーを持つ。しかも群れで移動するため、漁師にとっては遭遇=死を覚悟するほど危険な魔物だ。
そのため、討伐難度も“A”と高ランクに位置する。
「これはまた立派な……よく見つけましたね」
「ああ、まったくだ。いったいどこで捕まえてきたんです?」
恐らく体長四、五メートルはあるだろうか。
見事な魚体に私と旦那様が感嘆の声を漏らす。
「地下水脈じゃ」
「地下水脈?」
「うむ。こいつの習性を思い出してな。さっき確認したとおり、この山はもともと普通の山をアグニールが魔法で火山化したものじゃ。ゆえに山全体にたっぷり魔力が充満しておるからの」
あ、そういうことですか。
クリムゾンフィッシュと言えば、常に魔力を求めてさまよう回遊魚とされている。
ならば海につながっているであろう地底の水源を辿って、この山の地下まで入り込んでいても不思議ではない。
旦那様も頷く。
「なるほど。たしかに大妖精であるアグニール様の魔力なんて、彼らにしてみれば宝の山みたいなものでしょうからね。それで近くに集まってきているだろうと予想したわけですか」
「うむ、そういうことじゃ」
フロストーレ様は得意げに頷いた。
「で、どうじゃ? こいつは刺身にしてよい魚か?」
「もちろんです。この子なら、きっと最高のお刺身が味わえますよ」
「おお、まことか!」
むしろいいどころか、願ったり叶ったりなくらいです。
なぜならこのクリムゾンフィッシュ、身の味わいは非常にマグロに近い。そしてマグロといえば、老若男女が大好きな刺身の代表格である。
というわけで、いざ調理開始。
「では、早速まずは聖水の出番ですね」
私は旦那様に手伝ってもらいつつ、クリムゾンフィッシュの巨体を聖水の張った桶へ放り込む。
ちなみに桶や作業台は、火口の熱が回らないようにとフロストーレ様が氷でこしらえてくれたもの。ひんやりして気持ちがいい。
少しすると、クリムゾンフィッシュの口からゴボッと黒い瘴気が吐き出された。
「おお! 本当に加熱してないのに瘴気が抜けたぞ! しかもいつもより早い!」
「はい。やっぱり、さすが聖水ですね」
普段ならじわじわと染み出るように抜けていく瘴気が、一気に引きはがされたように消えていく。
これぞまさに伝説級のアイテム。その希少性にたがわぬ凄まじい効力ね。
無事に瘴気抜きが完了したところで、いよいよ包丁を入れる。
切り開かれた身は、想像していた以上に鮮やかな赤色をしていた。
「すごい。想像していた以上に身が赤い。やはりアグニール様の火山に引き寄せられただけあって、その辺のものとは段違いですね」
かつて王国のギルドにいたときも何度か見たことはあったけど、これほど色の濃いクリムゾンフィッシュは初めてだ。
「身が赤いと何かいいことがあるのか?」
「クリムゾンフィッシュは魔力を多く取り込むほど身の赤さが増すんです。そしてその赤さが旨みの濃さにもつながります」
私が説明すると、旦那様とフロストーレ様の目が輝いた。
「ほほぅ、それは初耳だ。が、となるとこれはますます期待できそうだな」
「なんだかドキドキしてきたのぅ」