作品タイトル不明
番外編 親友同士の晩酌
深夜のアルグレイン邸は、ひっそりと静まり返っていた。
リスティン・アルグレインとフレット・グロリアント。
灯りを落としたリビングで、二人は並び合って備え付けのカウンターに座っている。
卓上にはワインの瓶と二つのグラス。それから、アイカが休む前に用意していった小皿がいくつか並んでいた。
「別に、いっしょに混じってくれても僕は構わなかったけどね」
グラスを指先で揺らしながらフレットが言うと、リスティンは小さく肩をすくめた。
「まあ今日は、朝からまだ手を付けていない部屋の掃除をしてくれていたからな。その疲れもあったんだろう」
「そっか、なら仕方ないね。……というか、まだ片付いてないんだ、この屋敷」
「三階建てだからな。今まともに使えるのは一階だけだ」
「一階だけでこの広さなのに?」
フレットは思わず周囲を見渡した。
以前のお化け屋敷じみた状態を思えば、今のリビングは見違えるほど整っている。床はきれいに磨かれ、余計な荷物はなく、家具の配置にも人が暮らすための落ち着きがあった。
けれど、これでもまだ屋敷全体の一部にすぎないらしい。
「フランベルさん、本当に大変なところへ来たね」
「アイカは楽しそうに掃除しているぞ」
「それはそれですごいなぁ」
感心半分、呆れ半分で息を漏らし、フレットは卓上の小皿へ手を伸ばした。
「それにしても、おいしいね。これ」
口に入れたのは、つまみやすい大きさに切られたチーズだった。ひと噛みすると、しっかりしたコクの奥にふわりとした香りが広がる。
「これって、ブリリアのチーズ?」
「ああ。アイカが燻製にしていた。今朝お前が持ってきたワインの銘柄を見て、こっちの方が合うだろうとな」
「へえ。いいね。ついついワインが進んじゃうよ」
フレットは笑ってもう一つチーズをつまみ、グラスを傾ける。
華やかな香りのワインに、燻製の香ばしさがちょうどよく寄り添う。深夜に重すぎず、それでいて物足りなさもない。
そこで、隣の小皿から立つ香りに気づいた。
「こっちは?」
白っぽい魚の身とマッシュルームが、たっぷりの油に浸されている。
隣には 万能麦(メーテス) で作ったらしい、カリッとした薄切りのバゲットも添えられていた。たぶん、この油をつけて食べるのだろう。
「それは……たしか、アヒージョと言っていたな。デーモンフィッシュを油で煮たものらしい」
「え、デーモンフィッシュ!? あんな奴まで食べられるんだ……」
フレットは一瞬、フォークを持つ手を止めた。
デーモンフィッシュといえば、川辺の厄介者である。見た目も性質も、あまり食欲をそそる相手ではない。
けれど、目の前の皿から立ちのぼる香りはどう考えてもおいしそうだった。
「つくづくすごいね、フランベルさんの料理は」
そう言ってフレットは魚の身を口に運ぶと、すぐに思わず目を細めた。
「……うわ、これもすごい」
魚の旨みが濃い。そこにニンニクの香りがはっきり重なり、油までしっかり味になっている。
隣ではリスティンもバゲットに油を吸わせて満面の笑みで頬張っている。
そうして二人はしばらく、アイカの残していったおつまみを肴にゆるゆるとワインを飲み続けた。
やがて瓶の中身がほとんど空になった頃、フレットはグラスを置いて少しだけ表情を改める。
「そういえば先日の件、ご苦労さま。聞けば、一人で全部やったんだって?」
先日の件――とはもちろん、ガルドと《金の盾》を撃退した件だ。
「ふっ、別に大したことではない」
「マスターの方はともかく、よくもまああの《金の盾》まで……フランベルさんと同じく、君もつくづくだね」
リスティンの強さは授業や模擬戦などを通して重々承知していたものの、ここに来てまだ驚かされるとは思ってなかった。
まったく、この親友はいったいどれほどの武勇伝を作れば気が済むのだろう。
「文官としては頭が痛いか?」
「まあね。前にも言ったけど、相手は一応、王国の重要戦力だ。問題が大きくなって戦争になんてなったら、たまったもんじゃないよ」
などとわざとらしく肩をすくめつつも、実際のところフレットにリスティンを責める気などさらさらない。
だいたい人を騙して呼び出した挙句、力づくで連れ去ろうだなんて。そんな非道を黙って見過ごすというほうが無理な話というものだ。
なお、現在のガルドたちは帝都へ移送され、牢の中で取り調べを受けている真っ最中である。それが終わったら王国に引き渡す手筈だ。
今日フレットがアルグレイン邸を訪れているのも、その経過報告を兼ねてのことだった。
フレットは呆れながら、残り少ないワインをグラスに注いだ。
「ま、連中にしてみれば逃がした魚はことさらに大きいわけだし、それだけなんとしても連れ戻したかったんだろうけど」
「ああ。それだけの価値がアイカの料理にはある」
「たしかに」
リスティンが真顔で頷くと、フレットもそこは大いに同意した。
「と言っても、そもそも逃がした発端は自分たちのマヌケにあるんだけどね。しかも人様の国であからさまな犯罪行為なんてよくやるよ」
「図々しいにもほどがある」
「そんなヤツらはボコボコにされて当たり前?」
「うむ」
あまりに迷いのない即答がちょっとだけ可笑しくて、フレットは思わず笑ってしまった。
……と、その流れで前々から気になっていたことを切り出してみる。
「ところで良い機会だから聞いておきたいんだけど、ぶっちゃけリスティンはフランベルさんのことをどう思ってるんだい?」
「どう、とは?」
「それは言わずもがなでしょ」
フレットが意味ありげに視線を向けると、リスティンは少しだけ黙った。
もっとも、二人は学院時代からの付き合いである。
そしてリスティンが女性の話題にまともな反応を返したところなど、フレットはほとんど見たことがなかった。もちろん誰かと付き合っていたという話も。
だからこそ、答えにはあまり期待していなかったのだが。
「そうだな。ひとことで言うなら……好きだ」
「え」
あまりにまっすぐ返されて、フレットはしばらく言葉を失った。
当のリスティンはというと、冗談を言った様子もなく、いつも通りの顔でグラスを傾けている。
「え……ええ!? ちょ、ちょっと待った。す、好き? えぇっ!?」
「ああ。好きすぎて頭がどうにかおかしくなりそうなくらい好きだ」
二度言った。どうやら聞き間違いではないらしい。
「なんだ? 何か変なことを言ったか?」
「いや、変ではないけど……。ただ、僕としてはどうせ『よくわからん』とか『とにかく守りたい相手だとは思っている』とか、そういうフワッとしたどうしようもない答えが返って来るんだろうな、って勝手に想像してたから……」
フレットはまだ驚きを引きずったまま、リスティンを見る。
「……ちなみについでだから聞くけど、いったいいつから? なにかきっかけが?」
「きっかけは特にない。出会った瞬間に好きになった。いわゆる“一目ぼれ”というやつだな」
「なっ……!」
これまた予想外だった。
ついこの間まで“恋愛”などという概念から最も遠いところにいると思っていたのに、まさかそんないきなり燃え上がるなんて。
……でも考えてみれば、そういう奴だからこそ急に火がついたのかも。
「そ、そうなんだ。まあ、僕としては驚いたけどほっとしたような気もするというか……。君にも剣以外に執着するものがあったんだね」
「失礼な奴だな。そんなのあるに決まっている」
「ああ……ごめんごめん。そりゃそうだよね」
「食事は昔から大事にしている」
「あ、そっち?」
なんだかこの親友のことがよくわからなくなってくる。ともあれ、そうと決まれば確認しておきたい。
「それで、だとするとこれからどうするの? このままプロポーズでもするの?」
その瞬間、リスティンの顔が一気に赤くなった。
「ぷろ……!!!」
グラスを持つ手まで止まっている。さっきまで平然と「好きだ」と断言していた男とは思えない反応だった。
「馬鹿を言うな! そんなことできるわけがないだろう! そういうことはもっとお互いの距離がきちんと縮まってからが常識だろう!」
「あ、そこは割と普通なんだね」
「当たり前だろう。だいたい向こうは俺を好きかもわからないんだ。軽々しく求婚などできるはずもない」
リスティンは顔を赤くしたまま、ぶつぶつと文句を言いながらグラスを持ち上げた。
「まったく、とんでもないヤツだなお前は」
その様子に、フレットはとうとう耐えきれず吹き出した。
「おい。何を笑う?」
「あはは、いや、なんでも。さっきも言ったけど、君がこんな風にドギマギする姿は珍しいからさ。なんかもう可笑しくて。ごめん、許して」
「ダメだ、許さん」
「え~」
危険を察知し、即座に逃げの構えを見せるフレット。しかし相手が悪かった。
「ま、待ってよ。僕は文官だよ? 騎士の腕力で来るのは反則じゃない?」
「知らん」
「ちょ……!」
リスティンもすぐに立ち上がり、あっさりとフレットを捕まえて羽交い絞めにする。
けれどフレットは苦しそうにしながらも、内心では今後の人生の楽しみが一つ増えたと喜んでいた。
できればこのまま友として、リスティンとアイカ――二人の行く末を余すことなく見届けたい、とも。
……もっとも、そのためにはまずこの馬鹿力な腕から脱しなければならないのだが。
「降参、降参だって」
「許さんと言った」
「ひぃ!」
そうして、親友同士の夜はゆるく騒がしく更けていくのだった。