軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

457 星神の箱庭③

ようやくメインディッシュね。

レディは笑みを浮かべ、暗闇を彷徨うように歩くルシアの様子を窺っていた。

辺りは濃い闇に満ちていた。月明かりもほとんどない廊下は、夜目の利くハンターでもそう簡単に見通せないようにできている。そう……サヤ・クロミズのように特別な目を持っていない限りは。

ルシアの顔には血の気というものがなかった。まだ泣き叫んだりはしていないが、その身のこなしから強い緊張と恐怖が感じられる。

レディは少しずつ失われていた力が戻って来るのを感じた。

殺すつもりはない。殺すつもりならば大きな力を使ってサヤとルシアを分断したりしない。

彼女にはできるだけ長くこの空間にいて、恐怖を味わってもらう。生えた手に足を掴まれただけであそこまでいい反応をするハンターはなかなかいないのだ。

ルシアはどうやら魔法により周囲の様子を確認しているようだった。

無駄である。この宝物殿で気配察知や生命探知の類は正常には働かない。だが、彼女はその事にまだ気づいていないだろう。

レディがルシアを飛ばしたのは、それまでいたゼブルディア魔術学院に酷似したフィールドの別の場所である。サヤと完全に分断するのならば監獄か他のエリアに飛ばした方が良かったが、あえて見知った場所にした。サヤのいる所までは距離があるので、問題はないだろう。

見慣れた空間故に発生する恐怖というのは確実に存在する。付け加えるならば、完全に未知の空間にすると、恐怖する一人の少女から未知に対抗するハンターに立ち返ってしまう可能性があった。

ルシアには『悪夢の檻』は使えない。彼女が最も恐怖を覚えるものは簡単に再現できるようなものではないからだ。

だが、そんなものを使うまでもなく、ルシアはすでに平常心を失っていた。かろうじてまだ理性が残っているが、何か一つでもきっかけがあれば瓦解し、悲鳴をあげるだろう。

後はルシアを脅かすのを誰にするか、だが――。

「………………」

いつの間にか、レディの周りには【星神の箱庭】が生み出した幻影達が大量に集まってきていた。

レディはこの宝物殿において、恐怖の調査を行うために強い権限を持っている。だが、宝物殿に顕現する幻影については関知していない。

それは、星神が決めたのだ。

過去の恐怖の記憶を元にマナ・マテリアルが再現したこの宝物殿の幻影は本当に多種多様だ。

レディのような人間の形を模した幻影も大勢いるし、モンスター・ディギーのような怪物型もいる。デーモンシャークのような存在が意味不明な獣もいれば、実体のないゴーストや、殺人ロボットのような無機物も存在する。

もちろん、そのすべてが現在の人間に効果的な訳ではない。特にこの時代には魔物や幻影が存在するので、生半可なモンスターでは一般人を怖がらせる事もできない。

この宝物殿では恐怖を集められない幻影に価値はない。余りにも長時間恐怖されなければ、力を失い消失する事になる。

皆、消えたくないので人を脅すのに必死だ。

「なによ、あんた達。サヤが戦っていた時は出てこなかった癖に」

「…………」

視線を向けると無言で見つめて返してくる、全く同じ顔をした子ども達。常に這いつくばりながら相手を追いかける血まみれの女に、鬼の面を被り刀を持った白衣の怪人。身体の一部が機械化され人間並みの知能を持つという熊、人食いブルーに、宙を舞う半透明のゴーストで構成されたオーケストラ。赤ちゃんの姿に擬態し抱き上げた瞬間に脅かすもの。他にも本当に恐怖の象徴なのか疑われるような幻影達が皆、何か言いたげにレディに視線を送ってくる。

まさか助けが必要な時に出てこない癖に、美味しいところだけ奪うつもりか。

「私がここまで追い詰めたのよ。あんた達は捕らえた連中からほそぼそと恐怖を啜っていればいいでしょ!」

百歩譲って、ルシアを分け合うとしたらモンスター・ディギーだろう。彼はまだ働いている。

「…………新鮮な、恐怖……」

子どもの怪異が呟く。その言葉に、レディは眉を顰める。

「私達はぁ――」

「俺達は、言う事を聞いている……」

「ぐる……るる……」

恐怖は慣れる。レディは彼ら、気弱で余り多くの事ができない幻影達には、捕らえた人々を脅かすように指示していたが、得られる恐怖は回数を経る毎に減っていく。

レディ達は捕らえられた人々に物理的な被害を与えないので尚更だ。囚われた者達の眼の前で一人二人見せしめに殺してしまえば濃度の高い恐怖が取れるだろうが、全体の指揮を執るレディが殺戮を本分とするタイプの怪異ではないのも他の者達がストレスを貯める原因の一つになっているのだろう。

殺戮を求める系の使いづらい連中は今、サヤを始末するために向かっているので、ここで抗議している者達はまだ物わかりがいい方だ。

レディとしては独り占めする方が取れる恐怖は大きくなるが、ここは分け合った方がいいだろう。

ルシアのポテンシャルだったらそれでもかなり怖がりそうだし。

「……仕方ないわね。わかったわ。でも順番に行くこと。気絶するギリギリを攻める事。余り怒らせない事――」

間違いなくこれまで攫ってきた連中の中でもルシアはトップクラスで怖がりだ。ヒューにアプローチした時のように小細工もいらないだろう。

だが、やりすぎれば精神が壊れてしまうかもしれない。

サヤにはルシアを壊すような事を言って精神を揺さぶったが、そんな意味のない事をするつもりはないのだ。壊れた精神からは恐怖を得られないのだから。

§ § §

神隠しの事件を調べれば調べる程嫌な予感はしていた。

だが、まさかこんなものがその裏側に存在していたなんて――。

最悪の気分だ。だが、どれだけ気が進まなくても前には進まなくてはならない。

ルシア・ロジェは慎重に、ゼブルディア魔術学院を模した奇妙な世界を進んでいた。

顔の筋肉が強張っていた。心臓が強く打っているのを感じる。

物心つく頃から、ルシアはこういう暗闇が苦手だった。それでも誰かが一緒にいればまだなんとかなるのだが、一人きりで歩いていると、ろくでもない事を考えてしまう。

ハンターとして高みを目指す上で克服できるかと思ったが、結局克服できなかった。多くの魔術を学び戦闘経験も積んだが、苦手なものは苦手なままだ。

それでも現れるものが通常の魔物ならば問題ないのだが、ここに現れる者は最悪の相性だった。

ここは多分、宝物殿だ。現れた少女の姿をしたあれもまず間違いなく幻影だろう。それを頭ではわかっているのに、感情がついていかない。

魔術で逐一周囲の状況を確認しながら、怪物が潜んでいそうな暗闇を進んでいく。五年近く通っているゼブルディア魔術学院も暗闇の中では全く違う場所のように見えた。いや、実際に違う場所なのだろうが、なんだか奇妙な気分だ。

まず目指すべきはサヤとの合流だ。

場所は覚えている。この場所が本物の学院と同じ構造ならば、問題なくたどり着けるはずだ。

突然現れたあのサヤそっくりの女。あれは多分、かなり手強い。サヤと同じ能力を持っているのならば、一人で戦うのは相当大変なはずだ。

普段のコンディションならばあの場で助けられていたはずなのだ。まさかあんな奇襲に引っかかるなんて、情けなさ過ぎる。

あの程度の奇襲、これまでも何度も受けてきたはずなのに、ちょっと動揺したくらいで魔術の発動をミスするなんて――。

サヤを助けて、出口を探して、逃げる。

サヤを助けて、出口を探して、逃げる。

サヤを助けて、出口を探して、逃げ――――いや、これは戦略的撤退だから!

「ッ!?」

そこで、ルシアは奇妙な音に気づき、慌てて周囲を見回した。

ここに来てからルシアは常時探査魔法を走らせている。遠距離から生命反応や動いたものを察知する魔法だ。だから何かが近づいてきたらすぐに分かるはずなのだが、その反応の出現は唐突だった。

反応が現れたのは――背後だ。今まさに通り過ぎたばかりの、廊下の角の向こう――。

ありえない。怖気が背筋を走り、自分の心臓が早鐘のように打つのがわかる。

気配が少しずつ近づいてくる。だが、足は動かない。

そして――それが角から現れた。

「ッ!?」

一瞬心臓が止まるかと思った。顔がこわばり、喉が詰まる。

現れたもの――それは、四つん這いの女だった。

頭から血を流している女だ。だが、怪我をした要救助者などではない。

三日月のように開いた口から奇妙な笑い声が漏れる。

「うけけけけけけけ……」

「っぁ……」

謎の女が四つん這いのまま、気味の悪い動きで接近してくる。

乱れた長い黒髪の隙間から覗く目は狂気に彩られている。

どうして四つん這いなのか? なんで立たないのか? なんでこちらを狙ってくるのか?

なんで? なんで? なにあれ??

そこで、ルシアの固まっていた脚と喉が本来の機能を取り戻した。

弾かれたように逃げる。

ただ、がむしゃらに逃げる。冷静さを保つなど欠片も考えられなかった。

どこに逃げるのかも考えられないが、足を止めるなどとんでもない。

逃げながら必死に後ろを見る。何も追ってきていない事を祈っていたのだが、祈りは届かなかった。

その細い手足を使い、女が恐ろしい速度で追いかけてきている。

なんで?? なんで追いかけてきてるの? 普通消えるでしょ!

少なくとも昔、まだ子どもの頃、ルシアがこっそり盗み読みした兄の本の中ではそうだった。

消えないといけないのだ! こういうのは緩急が大切なのだ!

ほんとこういうのもう無理!!

頭の中がぐちゃぐちゃになりながら逃げるルシアの耳に、奇妙な笑い声が聞こえてくる。

全力で駆ける。どこからか、「貴女体力あるわね」という声が聞こえた気がした。

どこを走っているのかもわからない。周囲を見る余裕もない。元々ゼブルディア魔術学院の学舎は広大だが、頭の片隅にあったマップはいつの間にか吹っ飛んでいた。普段のハントだったら絶対にありえない事だ。

どれだけ逃げても追跡は振り切れなかった。というか――。

「!? 増えてるッ!? なんでえ!?」

いつの間にか鬼の面を被った白衣の変態が増えていた。何故か赤ん坊を抱いている。意味不明過ぎる。

まだ体力的には余裕があるが、このままではジリ貧だ……そうだ、空だッ!

空を飛んで逃げればいいのだ。ルシアは空を飛べるのだからッ!

パニックになりながらも窓を開ける。

そして、賑やかな音楽に迎撃された。

「!? ????」

まるで歓迎しているかのような明るい音楽を奏でていたのは――半透明の白いお化けだった。

昔、皇帝の護衛を行った際に変装させられたシーツお化けに少しだけ似ている、とどのつまりポピュラーでやる気のない子ども騙しのお化けが、数体、楽器を片手にニヤけている。

「ッ!」

別に怖くない。こんなお化け怖くない。だから、窓を思い切り閉じてしまったのはただの反射だ。

迫る追っ手とファンファーレ。

どうしていいのかわからずとりあえず走り出そうとした所で、眼の前数メートル先の天井が勢い良く崩れる。

「ひっ!? !???」

降ってきたのは――黒い塊だった。というか、熊だった。頭の一部が金属に置き換えられた熊だ。

なんでここで熊? もはや意味がわからない。ルシアが今まで見た中では割と小柄な方の熊が牙をむき出しにして唸り声をあげる。

「ぐるるるるるるッ」

「うけけけけ…………ま、まずい、デーモンシャークよッ!!!」

「!?」

四つん這いで追ってきていた血まみれの女が正気に戻ったような声をあげる。

そして、ルシアは見た。廊下を速やかにこちらに向かってくる三角形を。

ルシアの目が正しければ、あれは――鮫のヒレだ。

「ぐるあああああああああああッ! ルシアは俺達の獲物だああああッ!」

「頑張れ頑張れ人食いブルー! 鮫野郎をぶっ飛ばせー!」

何故か熊が身体を反転させて鮫に向かって突撃する。さっきまでルシアを追っていた者達が一斉に応援を始める。何故か熊が何の前触れもなく話し始めた事といい、酔っ払って悪夢でも見ているかのような気分だ。

余りにも混沌とした状況に混乱するルシアの首元にふと冷たい何かが触れる。

「ひゃッ!?」

反射的に悲鳴をあげ、飛び上がる。そして、今度こそ絶叫しそうになった。

顔が強張る。いつの間にか、ルシアの背後に一人の少女がいた。

忘れもしない、幽霊教室に突入した直後に遭遇したゼブルディア魔術学院の制服を着た少女。

この世の全てを恨んでいるかのような暗い眼差し。白い肌に濡れた真っ赤な唇が目立つ。

その身から漂ってくる凍えるような冷気は果たして物理的なものなのか、それともルシアがこの眼の前の少女を怖がっているからなのか。姿自体は他のものよりも人に近いはずなのに、何故か無性に恐ろしい。

ルシアはその時、思い出した。眼の前の幻影は――かつてルシアがこっそり読んだ本の中に登場した少女の幽霊。ルシアがイメージしていた姿そのものだと。

その本を読んだのは一度だけだ。こっそり読んで、それから先は一度も開いていない。

だが、そのたった一度読んだだけの記憶を、ルシアは忘れる事ができない。

どんな怪物よりも恐ろしい。これをトラウマと呼ぶのだろうか。

少女はルシアをじっと見つめると、にこりと笑って囁くような声で言った。

「ルシアお姉ちゃん。私はレディ。ここで一緒に暮らしましょう。永遠に――」

「!?」

離れようとして、足が縺れ盛大に尻もちをつく。

鈍い痛みが奔るが、そんな事を気にしている余裕はなかった。

冷たい床。今にも爆発しそうな速度で鼓動する心臓。

レディの口元が三日月型に笑みを浮かべる。伸びてくる筋張った腕。お化け達の演奏が荘厳なものに変わる。迫りくる意味不明な幻影達。

悲鳴をあげようとしたその時、不意にレディのいた場所に警棒が突き刺さった。

「!?」

「ひっ!!」

それまでルシアを脅していた幻影達が悲鳴をあげる。暗闇に赤い瞳が浮かぶ。

廊下の向こうから現れたのは――サヤだった。服はあちこちが破れ、髪もぼさぼさになっている。

ずるずるという音。その左手が引きずっているのは、先ほど相対していた偽物のサヤだった。完全に意識を失っているようで、髪を握り引きずられているのにピクリとも動かない。

「はぁ、はぁ……絶対に……絶対に、許さない」

爛々と輝く瞳が、レディを睨みつけた。