軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

301 予言④

アンセム・スマート。人間離れした巨躯を誇る帝都屈指の聖騎士。

高い身体能力と癒しの技に長け、寡黙でありながらその知名度は《嘆きの亡霊》でも随一を誇る。

ティノの知る限り、アンセムお兄さまは《嘆きの亡霊》で最も頼りになる――安定感のある人だ。他のメンバーと比べて苛烈度も低く、マスターに次ぐ認定レベルなのも納得できる。

だが、それでも、たった一人でこの怪物を倒すのは並大抵の事ではないように思えた。

中庭に絨毯を下ろし、地面に両足で立つと門を振り返る。

黒い猿の腕による一撃を受けた教会の塀は完全に崩壊していた。教会などの建造物には魔術的な処置が施されかなり頑丈になっており、こと相手が闇の力の場合は外壁さながらの強度を誇っているはずなのに、その豪腕を前にまるで壁は積み木か何かのようだ。

門の前に縛られていた『マリンの慟哭』に攻撃が当たらなかったのはただの幸運だろう。あるいは、不運かもしれないが――。

黒い巨腕の周りにばちばちと光が弾けていた。闇に連なる者を撃退する結界の力だ。だが、黒猿は何の痛痒も見せず、やがて何かが砕ける音と共に光が止まる。

強すぎる。帝都の光霊教会総本山の結界が何の役にも立たないなんて――。

瓦礫が降り注ぐ。異形を見て、教会の神官の者達が今更叫ぶ。

「て、敵襲だッ!」

至近から見る黒猿は余りにも巨大だった。アンセムお兄さまのサイズが小さく見える程の……怪物。

教会に所属する他の神官たちは完全にその力に当てられ萎縮している。ティノも人の事は言えないが、これでは戦いが始まる前から負けているようなものだ。

と、その時、教会の建物の中からアーク・ロダンの《聖霊の御子》のメンバー達が飛び出してきた。

予想外の姿に、思わず息を呑んだ。

私服ではない、鎧を着用し剣を抜いた戦闘態勢。その後光すら見える姿は圧倒的マスター派のティノをして勇者と認めざるを得ない。

「…………何だッ!? あれは――」

「ッ……なんて、禍々しい力だ……」

「この教会の結界を容易く崩すなんて……」

戦慄する魔導師のイザベラと神官のユウ、(マスター曰く)むしゃーのアルメル。

己のパーティ、《聖霊の御子》の前に立ったアークは怪物を見上げると、小さく嘆息した。

「狐が攻めてくるかもとは聞いていたが、まさか猿とは……一体どういう事だ?」

アーク・ロダンとアンセム・スマート。帝都でも名の知られるレベル7が二人。

極僅かに、光明が見えた。人間には勝てないと思っていた怪物でも、この二人がいるならば――。

そこに、ぞろぞろと教会の中から追加のハンター達が現れる。

「げ、何だあれは!?」

「あ……あんなの無理だッ!」

顔見知りもいれば、知らない者もいた。その巨体から感じる余りにも強い力に青ざめる者もいれば、自棄になったように武器を取る者もいる。

その全員が一流とは言えないだろう。だが、人数だけはかなり多かった。

神官達も含めたら百人近いだろうか? 相手は強大だが、アークとアンセムお兄さまに加えてこれだけ人数がいればあるいは――。

しかし、もう浄化作戦は終わったと聞いているがどうしてこんなに大勢待機していたのだろうか!?

目を頻りに瞬かせながら頭を回転させるティノの後ろで、マスターが言う。

「おーおー、揃ってるね」

!! まさか……これもマスターの策なのだろうか!?

そうだ。そうに違いない。箱を開け呪いを解放、教会というこちらに有利な場所に伏兵を用意し、そこに誘導する。まさしく神算鬼謀の為せる技ではないか。

となると、ティノが連れてこられたのは……戦力の一つとして数えられた?

戸惑うティノの前で、戦いが始まった。

アーク・ロダンがその代名詞とも呼べる宝具の聖剣、ヒストリアに力を込める。アンセムお兄さまが剣を振りかぶり、黒猿に向かって突進する。ハンター達が一斉に遠距離から攻撃を開始する。神官達が祈りを捧げ、光の柱を黒猿に突き立てる。黒猿は絶え間ない攻撃を受け――その全てを無視してマスターに向かって突撃してきた。

ハンターも神官も、完全にその眼中になかった。足元に纏わりつくアンセムお兄さまをひょいとその長い足で乗り越え、ティノの後ろに立っていたマスターに向かって拳を落とす。

狙われていないのに、完全にティノが巻き込まれるコースだ。慌てて回避に入ろうとしたその時、真上から振ってきた漆黒の腕が、意識が飛ぶような眩い白の光で焼き払われた。

一呼吸置いて気づく。アークだ。アークが攻撃したのだ。

かつて異星の神にすら通じたとされる由緒正しき聖剣『 歴史を拓く者(ヒストリア) 』。

アーク・ロダンの聖剣から放たれた光は悍ましい黒猿の腕を完全に塵と化した。さすが威力に特化した宝具、凄まじい破壊力だ。

そして、その宝具を自在に操るアークはエセイケメンだしマスターより下ではあるが、確かにこのハンター黄金時代を牽引する一人なのだろう。

これならば、あの呪いを消し飛ばせる。

僅かに笑みを浮かべるティノに、しかしアークは渋面を作り呟いた。

「駄目だな、硬すぎる。剣に残った力を全放出して腕一本とは。あれを倒すには『歴史』が足りていない」

「アークさん…………消し飛ばした、腕がッ!」

え? ダメなの?

イザベラが叫ぶ。思わず目を見開く。

消し飛ばしたはずの腕が、瞬く間に再生し元に戻っていた。魔物の中には高い再生能力を持つ者もいるが、格が違う。

しかもあの黒猿……腕を消し飛ばされたのに全くアークに注意を向けていない。

…………本当に、ダメみたいですね、ますたぁ。どうやらこれは解決策ではなく『千の試練』だったようだ。

その時、黒猿が吠えた。音が教会内部に吹き荒れ、意識が激しく揺さぶられる。

どさどさという人が倒れる音。周囲を見ると、取り囲んでいた神官たちの半数が今の咆哮で倒れ伏していた。ハンターの中にも倒れている者がいる。勝てるかと一瞬思ったティノが馬鹿みたいだ。

ぎろりとマスターを睨みつける黒猿に、一度スルーされたアンセムお兄さまが再び突撃する。

光輝く剣がその足を深く穿ち闇を剥ぐが、痛みを感じている様子もないどころか無視してマスターを攻撃しようとしているので、足止めにもなっていない。

さすがのガッツだが、相性が余りよくないようだ。

「ッ…………な、なんて、強力で悲しい力……マリンの慟哭以外にも、あのような呪いが存在していたなんて――」

見覚えのある、アンセムお兄さまの恩人の神父さんが顔を顰める。

と、その声を聞いて何か思いついたのか、マスターがぽんと手を打った。

「そ、そうだ、それなら『マリンの慟哭』の封印を解いて戦わせればいいんじゃない?」

それはもしや…………とんでもないリスキーな案なのでは?

「い、いや…………」

寡黙なアンセムお兄さまが、必死に黒猿に剣を突き刺しながら、意見を述べている。神父さんや、続けて攻撃を仕掛けていたまだ意識の残っている人達が一瞬戦いを忘れ、突拍子もない事を言い出したマスターを見る。

「アンセム、あの封印を今すぐ解くんだッ! これだけ戦力を揃えても勝てないんだ、それしかない!」

「い、いや…………」

「お、落ち着くんだ、《千変万化》。あのマリンの慟哭はそんなに便利に使えるものでは――」

アンセムお兄さまも神父さんも、皆がマスターを止めていた。そりゃ止めもするだろう。勝ち目のある妙案は大歓迎だが、今回のマスターのその案は奇策過ぎた。

賛成してくれる人がいない事に気づいたのか、マスターがむむっと眉を顰める。

そして、ティノを見た。

…………え!? な、なんですか? ますたぁ、どうして今私を見るんですか!?

§

ティノは沢山の人が倒れ伏す教会の中庭を駆けた。誰か止めてと思ったが、誰も止めてくれる者はいなかった。

ティノは素早さに特化した盗賊だし、ハンターたちは呪いから目を逸らせられない。そしてそもそも、真の敵たる黒猿はティノに興味なんて持っていない。

驚くほど簡単に黒猿の目の前を走破し、宙に縛り付けられている二つの呪いに向かって大きく跳ねると、その身を穿つ鎖を手がかりに、マリンの慟哭に張り付く。

マリンの慟哭は突然やってきたティノを見て、目を丸くしていた。封印されているのにいきなり解こうとし始めたらそりゃ呪いでも驚きくらいするだろう。

嫌な予感しかしないが、きっとあの猿よりはマリンの慟哭の方がマシなはずだ。信じるしかない。

上級攻撃魔法の発動準備をしていたイザベラが叫ぶ。

「ティノッ!? 正気になりなさいッ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、だってますたぁが、やれってッ!」

「だから、正気になれって言ってんのッ!!」

「早まるな、てぃのおおおおおおおおお!」

皆がティノを止めている。そうも制止されると、とても馬鹿な事をしているような気がしてくる。

だが、仕方がないのだ。ティノは忠実なマスターの下僕なのだ。マスターの言うことは絶対だ。神算鬼謀は絶対なのだ。

マスターは完璧なのだ。唯一の問題は、ティノ達の苦労というものを全く考慮に入れていない事だけで――。

それに、呪いに呪いをぶつけるというのは間違えてはいないのかもしれない。

ティノは呪いについて余り詳しくないが、マスターが適当な事を言うはずが…………ないッ!

力を入れれば、宝具の鎖はいとも容易く抜けた。マリンの慟哭から感じる昏い力が一段増し、強い目眩がティノを襲う。

縦横無尽にマスターを攻撃していた黒猿が手を止め、初めてティノを見る。

どうやら、あの怪物にとっても、マリンの慟哭は、教会最悪の呪いは看過できるものではないらしい。

いけるかも知れない。ティノは気合を入れると、そのまま『マリンの慟哭』を刺し貫く鎖を一気に全て抜き取った。

宝具の鎖が軽い音を立てて地面に落ち、ティノも鎖を抜いた勢いで地面に着地する。

そして――魂が凍りつくような慟哭が中庭に響き渡った。

ぞわりと、肌のすぐ下を撫でられたかのような悪寒を感じた。続いて、金属が堅いものにぶつかる音が至近から聞こえる。

騎士だ。顔をあげると、マリンの慟哭が掻き抱いていた騎士が地面に膝をつき、ゆっくりと立ち上がるところだった。

先程、確かにぼろぼろで潰れかけていたはずの鎧は新品さながらに戻っていた。黒猿が放っていた負のエネルギーを吸収したのか?

マリンの慟哭が黒騎士の後ろにつき、黒猿が、復活した同種を睨む。

気配と気配がぶつかり合い、混じり合い、本来清廉な空気の漂う教会を異界と化した。

気配が混じりすぎて、もはやどちらに分があるのかすらティノにはわからない。

マリンの慟哭達と黒猿はにらみ合い、互いに互いを意識していた。神父さんが、アンセムが、アークが、マスターが、その様子を固唾を呑んで見守っている。

もしかしたら……本当に相打ちを狙えるかもしれない。相打ちまではいかなくても、多少はダメージを与えてくれるはずだ。

祈るように両手を合わせる。そこで、それまで睨み合っていた黒猿が不意に大きく咆哮をあげた。

巨体がまるで空気を抜いた風船のように縮み、僅か数秒でクランハウスで見た精霊人の女性の姿に変わる。

身体は小さくなったが、その気配はむしろ増大していた。もしかしたらあの巨体に漲っていた力が凝縮されているのかもしれない。

どちらもティノがこれまで見たことのない力を持っているが、今見比べてみると明らかに精霊人の方に分がある。きっと、マリンの慟哭でも、勝てない。

近づいてくる格上の呪いに、黒騎士が耐えかねたように斬りかかる。それを、精霊人の腹部から生えた腕が貫いた。

変幻自在。呪いに、強い感情の顕現に、形など意味がないという事だろう。精霊人は一層甲高い声で慟哭するマリンに近づくと――。

「……あのお…………ますたぁ? なにか私には会話しているように見えるのですが?」

「うんうん、そうだね……」

というか、よく考えると――精霊人って呪術の専門家では?

だから、今外部の精霊人の呪術師を呼びに行くって言っていたはずで――そりゃ、呪いにそんな知識はないかもしれないけど……。

精霊人がこちらを振り返る。黒騎士から腕が抜かれ、解放された黒騎士が両の足で立つ。どうやらダメージはないようだ。

そして、マリンの慟哭が慟哭をあげるのをやめ、マスターを見た。

ぶつかり合っていた負の気配が混じり合い一つの巨大な気配を作っている。アンセムお兄さまが唸るように言う。

「…………これはない」

今、皆の心が一つになっていた。明らかに相打ちするような流れではない。

マスターが沈黙したまましばらく周囲を見回し、困ったように言った。

「………………仲直りして、一件落着?」

「言ってる場合ですかッ!!」

マリンの慟哭が、黒騎士が、呪いの精霊人が、一斉に襲ってくる。その前にアンセムお兄さまが、アーク達《聖霊の御子》が立ちふさがる。

駄目だ。一体でも手に負えなかったのに三体とかやばすぎる。

幸い、あれらはマスターを追ってくる。逃げ回っている間は被害は最小限で済むはず――その間に、対策を!

ここにいては駄目だ。教会の結界だって役に立たなかった。

ティノはマスターの手を握ると、ひらひら飛んでいた絨毯の上にさっとよじ登り、叫んだ。

「カーくん、飛んで!」

カーくんがティノの命令を聞き、猛スピードで跳び上がる。絨毯の上にあったマスターの身体が慣性で落ちかけ、握った手に力を入れる。マスターはここに来る前と同じようにひらひらしながら言った。

「そ、そうだ、シトリーの所に行こう! 駄目じゃないシトリーなら、この状況もなんとかしてくれるはずだ!」

…………し、信じていますよ、ますたぁ?