軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

298 予言

呼吸を整え、マスターの後ろに待機する。神経を研ぎ澄まし何が起こっても対応できるように身構えていると、まるで自分が立派な一流のハンターになったかのような心地がしてくる。

マスターの護衛につくのは久しぶりだった。

敵の多いマスターは外に出る際に大体護衛をつける。外に出ない時もたまにつける。恐らくそれは、どちらかと言うと護衛というよりは、交流や実力の確認を目的としているのだろう。ティノが今よりもずっと未熟だった頃から選ばれる事があったし、そもそもレベル8に護衛なんていらない。

普段、護衛を担当することになるのは《嘆きの亡霊》のメンバーだ。お姉さま達はいつも忙しいが、なんだかんだ誰かしらは手が空いている事も多いので、《嘆きの亡霊》がハントに行っている最中以外にティノに白羽の矢が立つ事はあまりない。

今日、時間が空いているのがティノしかいないのは幸運と呼ぶ他ないだろう。

程よい緊張と高揚がティノの全身を満たしていた。普段からいつでも全力を出せるように調整しているが、今日のコンディションは絶好調だ。

顔を合わせるのが久しぶりというわけでもないが、二人きりというのはかなり……久しぶりかもしれない。それだけでもう最高の気分だ。

護衛の任務には試練の任務と試練じゃない任務がある。おかしな事件が起こっている時は前者のパターンが多いが、ますたぁマスターの勘が言っていた。今回はきっと、後者だ。

まだ少し騒がしいが、ここ最近連続で発生していたおかしな騒ぎはある程度決着がついたようだし、マスターもしばらく外に出るつもりはないと言っている。恐ろしい宝具の箱(マスターは『みみっくん』と名付けたようだ)にも巻き込まれ、少し控えめであるが試練のノルマも達成した。そもそも帝都は基本的に安全なのだ、これ以上何か起こるとも思えない。

つまりこれは――デートのようなものだ。外に出ないが、デートのようなものなのだ。

どうして外に出ないのに護衛が必要なのかは知らないが、デートである。おうちデートという奴に違いない。きちんと手に入れた指輪も届けられたし、運が向いているのを感じる。

襲撃で半壊していたラウンジにもようやく業者が入り、片付けも進みつつあった。

既に床やそこかしこに奔っていた亀裂は消え、後はガラスを張り替えてばらばらになってしまったテーブルを新品に取り替えれば全て元通りになるだろう。

そんなラウンジの片隅。幸運にも破壊から免れたテーブルで、マスターが『絨毯』と向かい合っていた。

傍らには、もしかしたらティノがこれまで見た中でも最も恐ろしい宝具かもしれない『みみっくん』を置き、随分と真剣な表情だ。

絨毯はただの絨毯ではない。世界でも屈指の知名度を誇る宝具の絨毯だ。皇帝の護衛の報酬として受け取ったらしいが、ルシアお姉さまから聞いた話によると、『空飛ぶ絨毯』なのに上に乗せてくれないらしい。

絨毯は主人に呼び出されて尚、泰然としていた。足(?)を組み、飲みもしないコーヒーカップを片手(?)に、マスターを見て(?)いる。

まるで大人物のような態度だった。もしも宝具じゃなかったら――そして、ティノに課された役割が後ろに立ち護衛する事じゃなかったら、折檻していたところだ。

マスターが突拍子もない事を始めるのには慣れているが、今度は一体、何をするつもりなのだろうか?

ティノはあわよくば、久しぶりに一緒にゆっくりお話ししたり、甘い物でも食べに行けるのではと思っていたのだが――。

息を殺し忠実な騎士のように状況の推移を見守る。マスターは数秒目をつぶり手を組み合わせていたが、やがて目を開けると、静かに絨毯を見つめて言った。

「僕はさ、君はもっとやればできる奴だと思っているんだよ。そもそも 空飛ぶ絨毯(フライング・カーペット) と言えば宝具の中でもかなり有名なものだし、有用性は 時空鞄(マジッグ・バッグ) にも勝るとも劣らない。しかも君は、広さとか積載量とか移動速度とか必要魔力とか、空飛ぶ絨毯として必要な要素を高いレベルで備えている。僕が持っている宝具の中でも間違いなく、随一のポテンシャルだよ。これは誇るべき事だ」

「…………」

「自分の力を信じるんだ、カーくん。君の過去に何があったのかは知らないけど、このまま他の絨毯と爛れた生活を送ったりしてちゃいけない。君はその程度で終わる男じゃない! これは、友としての忠告だ。飛ぶんだ、人を乗せてッ! 君ならばきっと、どこまでも高く、誰よりも速く飛べる!」

ますたぁ…………絨毯にお説教してる……。

マスターの言葉を受け、絨毯はとんとんと人差し指(?)でテーブルを叩いた。

明らかに聞く耳を持っていなかった。まぁそもそもどこが耳なのかがまず問題なのだが、マスターは本当に色々な宝具を持っている。ティノの持っていた宝具の常識はもうぐずぐずだ。

そもそも、どうしてマスターはそんなに空飛ぶ絨毯に固執しているのだろうか? 空飛ぶ絨毯が特に有名で高額取引されているのは、商人などもこぞって求めるためだ。

ハンターが空を飛びたいのならば自分で飛べばいいだけだ。ティノには無理だがレベル8にもなれば空を飛ぶなど簡単だろうし、何ならルシアお姉さまに乗せてもらうという手もある。

世にも珍しい絨毯へのお説教を、むずむずと身体を動かしながら見ていると、マスターは更に熱を込めて言う。

「自信がないなら、僕が手取り足取り練習に付き合うよ。少しずつできることを増やしていこう」

絨毯の手ってどこにあるんですか……ってか、絨毯にそんなに優しくするなら私に優しくしてください、ますたぁ!

箱に飲み込まれた時も指輪をしっかりゲットしたのに褒めてくれなかった。少しだけだが、生まれ変わったら宝具になりたい気分だ。ティノも手取り足取り色々教えて欲しい。

下手に下手に出るマスターに対して、絨毯の反応は一切変わらなかった。

ティノだったらマスターに優しい言葉をかけられたら尻尾を振って喜んでいただろうに――いや、ごめんなさい、ますたぁ。何か裏があると思うかも知れません。だってこれまで散々そうやって特別な訓練を課されてきたし……。

「みみっくんを見ろ。時空鞄として類稀な優秀さだッ! むしろこんなに色々機能いらないんじゃないかってレベルだよ。でも、君もやればきっとこのくらいは――」

必死な表情で語りかけ手を伸ばすますたぁの手を、絨毯がぺしりと叩き落とす。余りに酷い扱いを受け、マスターの表情が変わった。

…………ますたぁ……なんで嬉しそうなんですか!?

だが、ここまでだろう。ティノは護衛だが、これ以上絨毯の無体を黙って見てはいられない。いつラウンジに人が入ってくるかもわからないのだ。

そもそも、これではせっかく二人きりなのに、ティノが蚊帳の外だ。何故、宝具とはいえ、無機物にデートを邪魔されなくてはならないのか?

凛々しい表情を作り、ぱんぱんと手を打ってマスターの注意を引く。

「ますたぁ、私にお任せください。ルシアお姉さま仕込みの調教術で必ずやそのカーくんを従順にさせてみせますッ!」

「えー……別にそんな事しなくていいけど。やればできる子だし」

「いけませんッ! このままでは皆に示しがつきません!」

マスターの優しさにつけ込むなど言語道断。絨毯だって『千の試練』に叩き込まれればいいのだ。そして、その立場を代われッ! ティノだってやればできる子だ。

これまで様々な依頼を受けてきたティノでも絨毯を捕まえるのは初めてだ。構えをとり、じりじりと絨毯に近づく。

絨毯は真剣な表情のティノに肩(?)を竦めると、ふわりと浮き上がりティノの頭上を通過、マスターの後ろに回ってぴったりとその背に張り付いた。

思わず息を呑む。余りにも鮮やかな動きだった。

さすが、マスターの見込んだ絨毯、ティノの頭上を抜けるとは只者ではないらしい。

「ッ……なんて大胆な――いや、ますたぁを盾にするなんて、なんて卑劣な…………というか、ますたぁも少しは抵抗してください!」

「…………待てよ? 乗せるのが駄目ならマントにすればいいのでは?」

おかしな事を言いながら絨毯の手を前で結びマントのようにするマスター。

駄目だ、マスターはこういう時には役に立たない。

大きく深呼吸をしてスイッチを切り替え、鼓動を少しだけ加速する。心臓が恐ろしい程震え、全身に熱が回ってくる。

お姉さまのものとは比べ物にならないが、最近練習している『絶影』もどきだ。

五感が研ぎ澄まされ、脳の奥にずきりと痛みが奔る。全身の筋肉が力の発露を求めて滾っていた。まさかこんな形でお披露目することになるとは思わなかったが――手段を選んではいられない。

もう逃さない。この不埒な絨毯を捕まえて、どうしてくれようか?

「ますたぁの言うことを聞かないなら――雑巾絞りにする」

「ティ、ティノ!? 落ち着いて!」

マスターが慌てたように名前を呼んでくるが、そんな態度だから絨毯がつけあがるのだ。いつもティノにやっているようにすれば敬意も芽生えるはずなのに、こんなの差別だ。

絨毯に試練を与えるか私を絨毯並に甘やかすか、どちらでも好きな方を選んでください、ますたぁ!

マスターを盾にしたって無駄だ、練度が違う。甘やかされ酒池肉林(?)を繰り広げている絨毯など、地獄のような試練で磨かれたティノの敵ではない。一瞬で引き剥がして上下関係を刻みつけてやる。

絨毯の一挙手一投足に集中する。人間とは違う肉体構造だが、動きの起点さえ見切れば行動も予測できるはず……。

今日のコンディションは絶好調だ。絨毯の調教に成功すれば一躍ティノの評価も上がるだろう。今度こそご褒美をくれるに違いない。

細く呼吸する。鬼気迫るティノに圧されたのか、絨毯の手(?)がぴくりと動く。それに合わせる形で飛び出そうとしたところで――不意に入り口の方から物音がした。

一瞬で護衛の本分を思い出し、そちらに注意を向ける。入ってきた『ソレ』が床に崩れ落ちたのはほぼ同時だった。

ソレは鎧を着ていた。それもハンターが着用するような身軽さを重視したものではない、権威の象徴も兼ねたどこか優美な騎士団の鎧。甲を被っていないのはここが町中だからだろう。

男だ。偽絶影で加速する感覚の中、ティノの目は崩れ落ちる寸前の男の顔をはっきりと認識していた。

物音にびくりと身を震わせたマスターが、目を丸くする。

「だ…………誰?」

「…………ヒューです、ますたぁ! 第零騎士団から派遣されてきたヒュー・レグランドですよ! ますたぁの弟子になろうとか不届きな事を言っていた!」

「あ……あー……」

生返事だ。本気なのか、冗談なのか……きっと、多分、冗談だろう。きっと、ティノがちゃんと覚えているのか確かめたのだ。

お姉さまに気絶させられ運ばれてきた事といい、突然マスターの弟子入り志願した事といい、インパクトがあったので覚えていた。

どこかアークを彷彿とさせるいけ好かない男ではあったが、精鋭で知られる正規の騎士団の一員である事に違いはない。一体何が起こったのか?

マスターが椅子に座ったまま大きく深呼吸をして呟く。

「死ん……でる?」

「……生きてます、ますたぁ。心臓が動いていますから……憔悴しているみたいですが……」

そろそろと慎重に、倒れ伏すヒューに近づく。

最初に見た時はしっかり磨き上げられていた鎧は煤で黒ずみ、無数の傷がついていた。目立った負傷はないようだが、髪もぼさぼさで全身から異臭がした。これは――ドブの臭いだ。

靴の先でヒューをちょんちょんと突っつく。だが、ヒューは呻き声を上げるだけで起き上がる様子はない。

「ますたぁ……どうしましょう? 一応放っておいても死ななさそうですが」

「うーん……………………じゃあ放っておこうか?」

マスターが背中に張り付いている絨毯をちらちら見ながら言う。

…………やっぱりますたぁ、絨毯と人間の扱いに差がありすぎではないでしょうか?

第零騎士団のエリートという事は、十中八九貴族階級だ。このまま放置しておくのは問題では?

どうしていいやら迷っていると、不意に倒れ伏していたヒューががたりと動いた。

意識が戻ったのか、立ち上がる程の力はないようだが緩慢な動作で身体を動かし、ごろりと仰向けになる。

顔を見るだけで、尋常ではない事態に遭遇している事がわかった。

初見時、爽やかな印象を受けた容貌は、見る影もなかった。最初にやってきた時もお姉さまに昏倒させられていたが、その時とも比べ物にはならない。

頬はこけ、目の下に張り付いた濃い隈。顎には無精髭が生え、肌も乾いている。まるで何日も遭難したかのような憔悴っぷりだが、僅かに開いた瞼から覗く瞳だけはぎらぎらと輝いていた。

ヒューはティノの顔を見ると僅かに安堵したように微笑み、最後の力を振り絞るように腕を持ち上げ、抱きしめるように抱えていた物を差し出してきた。

「これ、を……師、に…………頼む…………」

「!?」

それは、ただの反射だった。盗賊の仕事は索敵や罠の看破など、パーティを危険から遠ざける事だ。見て、理解してから動くのでは遅すぎる。

一歩後退り、数秒して自分が引いた事に気づく。息が詰まり苦しくなって、呼吸を忘れていた事を思い出す。

これまでのハントで培われた危険察知能力がティノに警戒を呼びかけていた。

あのみみっくんは恐るべき宝具だったが、気配はなかった。だがこれは恐らく、何の訓練も受けていない一般市民でもひと目でその脅威を感じ取れるだろう。

ヒューの差し出してきたのは――小さな木製の箱だった。美しい意匠が施されているが、宝具でもなんでもないただの箱。

だが、そこから発生する瘴気は尋常なものではない。

臓腑を侵す悪寒。これまで遭遇したどの幻影よりも遥かに強い負の気配。脳内でこれまでにない激しい警鐘が鳴り響いている。どうして、ヒューが差し出すまでこれに気づかなかったのか、不思議なくらいだ。

中に何が入っているのかわからないが、ただ一つだけわかることがある。

これは――人の手には負えない。

な、何を持ってきて――いや、まさか、これは――。

ヒューにもこの箱の恐ろしさははっきりわかったはずだ。常人ならば触れるは疎か、近づこうとすら思わないだろう。

箱を持ってここまで来られた事が奇跡のように思えた。ここまで瘴気が濃いと触れているだけで精神が削られるはずだ。たとえ物理的な痛みがなかったとしても――精神は肉体に影響を及ぼす。

ぐらぐらと箱を持った腕が揺れる。ヒューが掠れた声で言う。

「やり、遂げた。伝え………………じ、じゅ――」

「やり……遂げ? 伝え……な、何!? じゅ? 伝える事がある!?」

問い詰めたい事はいくらでもあった。どこでこれを見つけたのか? これは何なのか? どうしてここに持ってきたのか? これは明らかに光霊教会で厳重に封印されるべき案件だ。

だが、そんな事をしている時間はなかった。ヒューはもう限界だ、そして一度意識が落ちればしばらくは戻らないだろう。少しでも多くのヒントが必要だ。

とうとう力が入らなくなったのか、箱を持ち上げていた腕が勢いよく床に倒れる。手に握られていた箱が大きく床を滑り、壁にぶつかって止まる。ヒューの眼差しから光が薄れる。

そして、ヒューは胡乱な目つきで最後の言葉を言った。

「じゅ……ぶつ……………な、う」

「!?」

意識の糸が途切れたのか、がくりとヒューの身体から力が抜ける。

ぎりぎりと軋む身体を無理やり動かし、マスターの方を見る。宝具の身でもこの脅威は察知できたのか先程よりもしっかりしがみつく(?)カーくんを頻りに気にしながら、マスターはいつも通り緊張感のない声で言った。

「え……いらない」

あぁ、わかりました。よくわかりました。千の試練は終わっていなかったのですね。

………………いやいやいや、あんなの私にはどうにもならないです、ますたぁ! 絶対ムリ! …………あれ? あれってもしかして、その指輪のせいでは!?

これまでマスターはクランメンバー達に様々な試練を与えてきたが、重傷者は出ても死者が出る事はかろうじて――本当に、かろうじてなかった。それは、マスターの類まれな目と神算鬼謀あって達成された奇跡だ。

だが、今見た箱は違う。あれは、死ぬ。何が入っているのかは不明だが、マナ・マテリアルで強化されたティノでもひとたまりもないだろう。格が違い過ぎる。ティノの成長を知り、試練の難易度でも上げたのだろうか?

できれば、箱を閉じたままなんとか光霊教会に引き取って貰って――光霊教会でどうにかなるのだろうか?

恐怖と混乱。そして、自分の見つけた指輪のせいでこんな事になっているのではないかという罪悪感で、身体が動かない。

逃げるのだ。あれは、ハンターの手には負えない。ますたぁ、逃げて、光霊教会に、連絡を――ここは、私が!

口も舌も動かない。なんとか顔だけ僅かに動かし、伝わる事を信じて目線だけで訴えかける。

マスターはうんうん頷くと、凍りつくティノの前を通り過ぎ壁際の箱を手に取ると、その瘴気に気づいていないわけでもないだろうに、まるで悪夢のようにあっさりとその蓋を開けた。