軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

198 生きる災厄②

まるで異界に紛れ込んでしまったかのようなプレッシャーに、クリュスは短く息を吐き呼吸を整える。

臓腑を直接撫でられているかのような心地に、今にも嘔吐しそうだった。

まだクリュスが立っていられるのは、精霊人としての、そして護衛依頼を受けたハンターとしてのプライド故だ。

高濃度のマナ・マテリアルの満ちる宝物殿に立ち入ると、気持ちが悪くなることがある。

トレジャーハンターにとっては常識中の常識だが、クリュスは信じられなかった。

クリュスは認定レベルこそ低いものの、十分一流に区分されるハンターである。宝物殿だって幾つも攻略しているし、マナ・マテリアルを吸収して力も高めている。現にこれまで、マナ・マテリアルが濃すぎて吐きそうになった事などない。

窓を見る。その外には先程まで広がっていた世界がなかった。混乱しわめきそうになるが、なんとか正気を保つ。

異界型の宝物殿――格上だ。極めて稀だが、宝物殿の中にはマナ・マテリアルの過剰蓄積によって異なる法則に支配される世界を形作るものがある。この常識はずれのマナ・マテリアルの濃度から推測するに、一つや二つ上程度のレベルではない。

そして、目の前にいる狐の面を被った子どもは間違いなくその中に生息する『 幻影(ファントム) 』に他ならない。

恐ろしい。今まで見たことのない怪物だ。これと比べればここまで遭遇した竜などただのトカゲのようなものだ。

子どもの姿をしていたが、それは明らかに子どもではなかった。人語に似た何かを話しているが、それは『言葉』ではなかった。

森の守護者である 精霊人(ノウブル) の本能が警鐘を鳴らし続けている。

杖を強く握る。魔法は使えない。クリュスに勝ち目はない。もちろん、フランツや他の護衛の騎士など話にならないだろう。

だがそれでもこうしてまだ立てているのは、リーダーである《千変万化》が先頭に立ち、未だ平然としているからだ。

いくらレベル8でも《千変万化》は人間のはずだ。だが、その佇まいは怪物の出現前後で全く変わっていなかった。

力は感じない。ヨワニンゲンは今でもヨワニンゲンのままだ。

だが、怪物と並んで平然としていられるのは、あまつさえ「嘘つき」などと軽口を叩けるものは、同格の怪物に他ならなかった。

助けなければ。なんとか、生き延びなくては。だが、状況の把握すらままならない。

「ヨワニンゲ――」

「クリュス、静かに。君、たまに失礼だから。余り刺激してはいけない」

即座にヨワニンゲンが指を口元に立ててみせる。

!? はぁ? こんな時に刺激するわけないだろ、ですッ!

文句を言いたいが、言い出せるような雰囲気ではない。狐の面を被った子どもが軽い声で言う。

「カマワナイヨ」

「本当に? 失礼な事言っていいの?」

「イイヨイイヨ。ナデテモイイヨ」

意味がわからない。理解できない。言葉だけならば人懐こい。だが、安心はできない。

この重圧。これは――殺意だ。この場でのクリュス達は間違いなく被捕食者で、その幻影が語る言葉には意志が伴っていなかった。

まるで風の鳴る音が偶然人語に聞こえたような気味の悪さがある。よくもまあヨワニンゲンは平然と会話を交わせるものだ。

しかし、こうなったら悔しいが、ある程度事情を知っていそうなヨワニンゲンに任せる事しかできない。

狐の面の子どもが不意に言う。

「オナカスイタ。アイスタベタイ」

「アイス? アイスあげたら逃してくれるの?」

「モチロンダヨ。ゲロハキソウ」

「君、面白いな……」

「インタイシタイ」

ヨワニンゲンがリラックスしたようにくすくす笑う。

だが、言うわけがない。 幻影(ファントム) がアイス食べたいだとか、吐きそうだとか、言うわけがない。冷静に考えて言うわけがないし、ヨワニンゲンもそれを知っているはずだ。

余りにも不気味だ。無意識の内に一歩下がろうとして、クリュスは自分が杖を握っている事を思い出した。

『 丸い世界(ラウンド・ワールド) 』。

ヨワニンゲンから借り受けている杖だ。荘厳な見た目とは裏腹に、まともに魔力を増幅できなかった欠陥品である。

だが、あの時ヨワニンゲンはクリュスになんと言ったか……そう、これは杖ではなく『翻訳機』だと言ったのだ。

使い方はわからない。だが、クリュスはとっさに杖に魔力を込めた。

杖の頭に浮かぶ宝玉が回転する。そして、幻影が口を開いた。音と重なるように意味が伝わってくる。

『殺す。絶対に殺す。我らが領域に無断で立ち入ったこと、後悔して死ね』

「!?」

「ははは、君は面白いなぁ」

強い怒りの篭められた意志だった。顔が引きつる。

薄々気付いていたが、やはり友好的なのは上っ面だけで、言葉通りの意味ではなかったのだ。

にも拘らず、ヨワニンゲンはまるで火に油を注ぐかのようにニコニコしている。

『何が、可笑しい? 見えるぞ、その身に秘めた力。聞いた人間の中でも――最低。話にならん。跪け、楽に殺してやる』

「うんうん、そうだね。僕もチョコレート食べたいなあ」

「ヨワニンゲン!? お前――」

言葉わかってないだろ、この杖使え、です!

と言おうとした所で、ヨワニンゲンが止めてくる。

「クリュス、静かにって言っただろ? 僕に任せてくれ。今楽しく喋ってる所なんだから――うまく帰してくれるように交渉するから。必要なのは

敵対しない事だ。彼ら相手に勝ち目なんてない」

『決めた。決めたぞ、お前は、一撃で殺す。戦う覚悟があるのならば、手を取るがいい』

何か理由があってわからない振りをしているのだろうか? ヨワニンゲンはクリュスがそう考えてしまうくらい自信満々だった。

子どもがにこにこしながら華奢な手をヨワニンゲンの方に伸ばす。同時に、重さすら感じる濃密な殺意が部屋を満たす。

先程助けた近衛の何人かは意識を失っているようだ。ヨワニンゲン以外の皆が、まるで災害が通り過ぎるのを待つかのように息を潜めていた。

「え? 僕のファンなの? それはまた、なんというか……光栄だな」

!?

止める間はなかった。

言葉はわからなくともこの殺意を感じ取れないはずもないのに、ヨワニンゲンは躊躇う素振りすら見せずその手を握りしめた。

§ § §

随分友好的な幻影だな。僕はにこにこする狐の面の子どもに、ひとまず安心していた。

宝物殿【迷い宿】には幻影は2種類――核となる巨大な化け狐と、無数の眷属が生息している。化け狐はとてつもなく大きいしずっと宝物殿の中心にいるらしいので、目の前の子どもは眷属という事になる。

この宝物殿の幻影は一番低級でも手に負えない力を持っている。聞いた話では発生からこれまで、眷属がやられたことは数える程しかないらしい。恐らく、力で言うのならば高レベル宝物殿のボスクラスになるだろう。

テルムが味方だったとしても勝率は高くないだろう。テルムの魔法は恐ろしかったがそれは僕たちが脆弱な人間だったからで、幻影に有効だとは思えない。

だから、僕はなんとしてでも機嫌を取り、逃してもらうことだけを考えねばならなかった。プライドなんてくそくらえだ。

幸い、彼らは恐ろしい力を持っているが、一般的な宝物殿の幻影のように殺意を以て殺しにきたりはしない。

前回だって貢物をして、土下座をして許してもらった。

だが、今回はどうやら少し違うようだ。幻影は土下座を求めなかったし、貢物も求めなかった。

にこにこと片言の言葉をしゃべるだけで、特に何かを要求するわけでもない。何もしなくても逃してくれそうなくらい友好的だ。

もしかしたら、この【迷い宿】は僕が昔迷った宿とは違う宿なのだろうか?

もしかして歓迎するというのも嘘じゃなかった? 歓迎しなくていいよ、帰してください。

「ジツハファンデス。アクシュシテクダサイ」

手を伸ばしてきたので、それを取る。幻影にまで名が知られているとは、一体どういう文化を築いていたのだろうか。

クリュスが短く悲鳴のような声を上げる。

何をされたのかわからなかった。色も音も何もなかった。

僕にわかったのはこの瞬間、一番高価だった結界指が一つ発動したという事だけだ。慌てて周りを確認する。クリュスが愕然と目を見開いている。

よくわからない。目を瞬かせ、手を取ったまま固まっている幻影に尋ねる。

「……? 君、何かした?」

「……タノシカッタヨ」

「!? ???」

確固たる形を持っていた幻影が消えていく。足の先から、まるで侵食されるかのように塵に変わる。しっかり握ってあったはずの手が、空を切る。

からんと音がした。後に残ったのは子どもがつけていた狐の面だけだった。

「う……げえええええええッ!」

不意に、フランツさんがその場に四つん這いになり盛大に吐き出す。

いきなりの嘔吐に目を見開く。皇帝陛下は吐いていなかったが、その顔には血の気がない。

同じく青ざめたクリュスが、口元を押さえながら言った。

「なる、ほど……それが、ここの、『 幻影(ファントム) 』の倒し方、か……です」

「はぁ」

何を言っているのだろうか。目を瞬かせる僕から、クリュスが一歩距離を取る。その視線の先にあるのは狐の面だった。

「条件? 嘘をつけない……? 『一撃で殺せなかった』から死んだのか、です。うぐッ……ヨワ、ニンゲン、お前、このマナ・マテリアルの中で、よく平然としていられるな、です」

「? まぁ、快適だしね」

皆調子が悪そうだが、原因はマナ・マテリアル酔いだろう。

僕はマナ・マテリアルを吸う力も保持する力もほとんどないので体験したことがないが、高いマナ・マテリアル吸収能力を持つ才能あるハンターにとって、許容以上のマナ・マテリアルを吸い寄せる事で起こるマナ・マテリアル酔いというのはままある事らしい。筋肉痛みたいなものである。

昔来た時も僕以外は皆なっていた。

狐の仮面を拾う。これは……忘れ物かな? ドロップ? なんで手を握っただけで死んだの? 手を握られるのが弱点? そんな馬鹿な。ではどうして握手など求めたのか。

何でできているのか、仮面はつるつるで硬かった。まぁ、置いていったのなら記念に貰ってもいいだろう。何か言われたら返せばいいし……。

しかし、船の外は未だ白だった。テルム達の逃げ出していった先には、見覚えのある【迷い宿】の景色が広がっている。

この場にいても仕方ない。この宝物殿はただの宝物殿ではない。凄く行きたくないが、この宝物殿から脱出する方法は僕の知る限り、ボスに許してもらう事だけだ。

「仕方ない、行くか……」

僕が行くしかない。この宝物殿の幻影にとって人間など皆同じようなものだから、少しでもこの場所について知っている僕が行った方が生存率は高いだろう。

この宝物殿にはルールがある、と、昔、この場所で遭遇した幻影は言っていた。

神は何者にも縛られない。神を縛れるのはその神自身だけだ。

クリュスが出口(入り口?)に近づく僕に慌てたように言う。

「ヨワニンゲン、杖は――」

「え? いらないよ」

重いし。そんなの持ち歩いていたら疲れてしまう。

クリュスが目を丸くして杖と僕を交互に見る。

「はぁ? じゃあ、なんでわざわざ用意したんだ、です!」

「…………クリュスが使いたいかなあと思って」

「!?」

大体、この宝物殿の幻影は皆言葉を喋れるので杖なんていらない。

必要なのは――愛だよ。愛。攻撃的になってはいけない。この宝物殿の幻影にとって人間など取るに足らないものだ。

一歩、飛行船の部屋から宝物殿に足を踏み入れる。ふとすぐ足元から声がした。

「油揚げが欲しい。油揚げをくれないと攻撃する」

先程まで何もいなかった。

朱に塗られた板張りの廊下に座っていたのは先程と同様、狐の面を被った子どもだった。

ただし、今回現れたのは微妙に容姿も違うし、声も片言ではないし、女の子。髪の色も薄い金色だ。

ほっそりとした指先が僕に向かって差し出されている。

油揚げ……悪いけど、今回は持ってないよ。シトリーが用意して積み込んでくれたのは保存食だけだ。