軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

126 どきどきバカンス⑤

夜通しずっと激しかった馬車の動きが収まり、地面が平坦になる。

馬車の外から聞こえた阿鼻叫喚の悲鳴、怒声、轟音の類が少しずつ小さくなり、日が出た頃にようやくほとんど聞こえなくなる。

まさに人生で最低の夜だった。シトリーの投げた魔物寄せポーションはガレスト山脈の魔物たちを発狂させ、山の魔物と追跡者が織りなす狂乱の宴は必死に下山する僕たちの馬車を飲み込んだ。リィズやティノやシトリーの護衛達が頑張って道を切り開いてくれなかったら僕達の命は誰も知らないガレスト山脈でひっそりと潰えていただろう。

だが、生きてる……僕は生きているぞ。

僕はハンター時代にこういう死地を何度も抜けているのでまだ落ち着いているが、こういう経験の浅いティノが馬車の隅っこで蒼白の表情で震えていた。頭からは奇妙な粘液を浴び、服はぐっしょりと緑の返り血で濡れている。

リィズに捕まえられ、戦闘に強制参加させられたのだ。戦闘中は必死だったからまだ大丈夫だったようだが、死地を切り抜けた事で気が抜けてしまったらしい。トラウマにならないか心配である。

「魔物、怖い、影、怖い、たすけて、ますたぁ」

「いやぁ、楽しかったねぇ、クライちゃん! またやろーね!」

一方で、同じように戦っていた師匠のリィズは全く堪えた様子がなかった。

ティノと同様、返り血を浴びて水浴びしたばかりの身体がまた汚れてしまったのに、その事を気にすることもなく笑っている。

僕は反論する元気もなかったので力のない声で答えた。

「…………うんうん、そうだね」

「一度水辺で服と身体を洗ったほうがいいですね……私達はともかく、クロさん達が限界です」

シトリーが、ついさっき見捨てようとしていた人たちを慮るような発言をする。

叱っていいやら褒めていいやらどうしていいやらわからないが、とりあえず休憩が必要な事は間違いなかった。

ついでに一度シトリーとクロさん達の対応について話し合わなくてはならないだろう。

「そうだな、【万魔の城】もまだ距離があるし……」

と、そこで僕は気づいた。このままガレスト山脈から離れるのはまずいのではないだろうか?

シトリーのポーションの力は絶大だった。もはや魔物寄せと呼べるのかどうか怪しいレベルである。

明らかに正気を失った魔物たちはリィズが何体倒しても怯えることなく向かってきた。狂乱した魔物たちが下山し、村を襲えば大変な惨事が起こってしまう。

もちろん、ガレスト山脈が人里から離れている事は知っている。このまま放っておいても他の人に被害が出る可能性は低いのもわかっているが、この状態で放り出すのはあまりにも無責任ではないだろうか。

せめてポーションの効果が消えて魔物たちが落ち着きを取り戻すまでは近くで様子を見たい。見てどうするという感じもするが――。

「……僕本人の気分で言うなら町まで一気に行きたいところだけど……シトリー、ポーションの効果はいつまで続く?」

「個体差はありますが……だいたい、一日くらいですね」

一日くらいならいいか。幸い、『迷い巨鬼』の襲撃も既に乗り切っている。

地図を見ると、山脈の麓に小さな湖があった。昨晩リィズが水浴びした川とつながっている湖だ。

ここならば水も手に入るし、キャンプにもうってつけだ。現在地からも近い。

まだ日が明けたばかりだが、昨晩は休めなかった。馬も限界だろう。

パーティの状況と周囲の状況、両方が考慮に入った完璧な策だ。今日の僕は――冴えてる。

「そうだな……少し早いけど、この湖の近くで一休みしよう。大まかでもいいから山の様子がわかる場所ね」

「なるほど……休憩して少し待つんですね。いい考えだと思います」

シトリーがすかさず僕の意図を読み取ってくれる。

そうそう、そうだよ。ポーションの効果が切れるまで待つんだよ。いつもそれくらい察しがよかったらいいのに。

「さすがシトリー、わかってるね。心配性かもしれないけど、少し待ちだ」

「心配性だなんて……先方の実力も考えれば妥当だと思います! だいぶ疲労もあるでしょうし……」

先方って、シトリーは誰の目線で会話しているのだろうか?

会話を黙って聞いていたリィズが目を輝かせて指を鳴らす。

「そうだ、クライちゃん! 久しぶりにキャンプファイヤー、しよ? 山の上から見えるようにがんがん火を焚いて――私とティーがお肉狩ってくるからそれを焼いたりして……どう? いい考えだと思わない? ねぇ?」

やれやれ、リィズは元気だな。

だが、キャンプファイヤーか……悪くないな。昔、まだパーティの一員として一緒に冒険していた頃はよくやったものだ。

いつも気を張り詰めていたらいざという時に疲れてしまう。休める時に休むのが一流のハンターなのだ。

とりあえずリィズとティノは浴びた汚れを落としてきた方がいいと思う。

「決まりだな……逃げる準備だけ怠らないようにして、思いっきり楽しもう」

§

「水……水だ。俺たち、生きてる。生きてるぞ……ッ!」

クロかシロかどっちだか忘れてしまったが、シトリーの雇った護衛が今にも倒れそうな足取りで湖に向かう。

残りの二人も、湖畔についた瞬間に座り込んでしまった。

ずっと馬車の運転に見張り、お疲れ様です……シトリーを説得するのでもう少しだけ我慢してください。

数時間ぶりの揺れない地面に感動を噛み締めながら、大きく深呼吸をする。

目的地の湖は冷たく透き通っていて、キャンプにぴったりだった。おそらく人里近くにあったら人気のスポットになっていただろう。周囲に他に人影はなく、この光景を独り占めしていると思うと、とても贅沢な気分になる。

遠くでは大小問わず、動物が水を飲んでいるのが見える。魔物も動物も争う事なく、そこには小さな平和があった。昨日の騒動が嘘のようだ。

地平線の先には昨日下りてきたばかりのガレスト山脈がよく見えた。距離があるので『迷い巨鬼』と魔物たちの戦いがどうなったかまではわからないが、もしも狂った魔物たちがこちらに向かってきたらすぐにわかるだろう。

リィズが歓声を上げ、荷物を放り投げて脱ぎ始める。

陽の光の下で健康的に輝くリィズの肢体はまるで一枚の絵を見ているかのようだ。

「やったぁ、見て見て、クライちゃん、とってもキレー! 水浴びしてくるねッ! ほら、ティーも行くよッ!」

「お姉さま!? そんな、ますたぁの前でッ!」

弟子が赤面し慌てて師匠を止めようとするが、努力虚しくリィズは一瞬で下着姿になると、大きな飛沫を上げ湖に飛び込んでいく。準備運動しないと危ないよ……。

ティノがこちらに視線を向けてきたので、小さく頷いてみせる。

リィズは少し恥じらいがなさすぎるが、パーティメンバーの下着姿くらいで動揺していたらハンターは務まらない。僕も最初は割と動揺していたのだが、いつの間にか慣れていた。

ティノはしばらく逡巡していたが、顔を真っ赤にしながら首元のボタンに触れ、

「やっぱりますたぁ、私には無理ですううううううううううッ!」

そのまま湖に勢いよく飛び込んだ。……せめて靴とベルトくらい外せばいいのに。

シトリーが声を殺して笑っている。

「ティーちゃんらしいというかなんというか……盗賊の装備って身軽さ重視で身体の線が直に出るのに、恥じらいが残ってるんですね」

そう言われてみると、リィズといいティノといい、盗賊の格好はいつも分厚いローブ姿の 錬金術師(アルケミスト) とは正反対である。

おそらくぎりぎりで攻撃を回避するためなのだろう。どうやって着ているのか、長年の謎であった。

そして、ティノにはずっと恥じらいを忘れないでいただきたい。

疲労困憊のクロさん達に代わって、シトリーがてきぱきとキャンプの準備をする。馬を休ませ餌をやり、火を起こす。

そして、湖畔に腰を下ろしていた僕の所にくると、枝を使って地面に小さな絵を描いた。

「そうだ、クライさん。キャンプファイヤーですが、こんな形はどうでしょう? 山の方にこちらを向ける形で――」

「……これは……?」

変わった形だ。形のみならず、三つに分かれている。

点、点、曲線で――顔?

シトリーが手を合わせてにこにこと言う。

「笑顔です! 少し手間ですが……如何でしょうか?」

キャンプファイヤーの準備はけっこう大変だ。この形に作るとなると手間は三倍では利かない。

遊び心ありすぎじゃないだろうか……顔を作って誰が見るんだろう。まぁ、強く断る理由もないんだけど……。

「うんうん、いいんじゃないかな。楽しそうで」

「今夜が山場だと思うので……腕によりをかけてご馳走を作りますね。山に聞こえるくらい賑やかにやりましょう」

山場って何の山場だろうか? 一番の山場は昨晩越えたと思うんだが……。

確認しようと口を開きかけたその時、湖からリィズの歓声があがった。

「クライちゃん! ワニ! 美味しそうなワニを捕まえちゃった! 見て見て、凄くない?」

ワニ? 美味しそうなワニって、ワニを食べるの? この辺、もっと美味しそうな動物、生息してそうじゃない!?

振り返ると、全長五メートルはありそうな恐竜みたいな巨大ワニに跨り、暴れるワニを制御するリィズの姿があった。野生児過ぎる。

ティノが目を見開き大声をあげて止めようとしている。クロさんたちがぎょっとしている。

僕は混乱と恐怖のあまり、面白みのないコメントをした。

「この湖ってワニがいるんだな」

自然は危険がいっぱいだ。

……不用心に飛び込まなくてよかった。ワニはないだろ、ワニは。