作品タイトル不明
王都へ帰る日
その日の空は、冷たく澄んだ青に、どこか寂しげな灰色が溶けていた。遠くから聞こえる風の音がその空に響く。
今日、アルマはウィンターハーンを去る。
暫くは王都の中央神殿で下女として迎えてくれるらしい。他に帰る場所がないアルマにはありがたいことだった。
鞄ひとつにまとめた荷物を運びにマークがアルマの部屋に顔を出す。
「支度はお済みですか?」
「うん。最後までありがとう」
本来なら荷物運びなど、ジグルドの最側近がする仕事ではない。お礼を言うアルマに、マークは居住まいを正して頭を下げた。
「アルマ様。申し訳ありません。俺はジグルドに、アルマ様を引き留めろとは言いません」
「そんなこと、望んでないわ」
「………申し訳ありません」
「マークが謝るようなことじゃないわ。それに王都に帰れるのもそれなりに楽しみなの」
アルマは、この数日間そうしていたように、何でもない風に笑った。
ジグルドは優しい。
わたしが泣いて懇願すれば、きっと同情してくれる。―――そして、可哀想なわたしを切り捨てて、領を選ぶ。それを傷として抱えて生きていく。
なんでもかんでも背負ってしまいがちな彼の荷物を、ひとつでも減らしてあげたい。ウィンターハーンを去るアルマは、決して可哀想ではないと、見せてあげなければならない。
それが最後にたったひとつ、アルマがジグルドにしてあげられることだ。
王都に着いたら、小神殿でジグルドと一緒に婚姻誓約書に無効の署名をする。ジグルドは一週間前に先にラースと王都へ向かった。王都で他にも色々することがあるらしい。
結婚した時は既にジグルドの署名が入ったものを渡されてアルマひとりで署名したのに、無効の署名は神殿長立ち会いのもとふたりで署名しなければならないのだそうだ。
それが多分、ジグルドと会う最後の機会。
ロビーに降りると、アルマを見送るためにお世話になった人たちが集まってくれていた。
クリス、イゾルデ、トンプソン、ウーリク、イェンス、アンダース、トーマス、ローラ……皆、悪評盛り盛りのアルマに良くしてくれた。
馬車に乗る前までクリスがエスコートしてくれる。アルマがウィンターハーンを去ると教えた日には泣いて引き留めてきたクリスも、今は落ち着いていた。
「アルマ、元気でね」
「クリスも元気で頑張ってね」
ベビーブルーの目が、アルマの心を覗くように見つめてくる。
「アルマ。僕は、アルマに会いに行くよ」
「ほんと? 嬉しい。でも、どこに住むことになるかまだ決まってなくて。わたしからは、もう、お会いできる立場じゃなくなっちゃうし。
でもずっと、クリスが元気でいるように祈ってるわ。もう会えなかったとしても、ずぅっと友達よ」
「会えるよ。僕は会いに行く。
アルマに、とっておきのお土産を持って、必ず会いに行くから。それまで、他の家族なんて作らないで、待ってて?」
「えっ、やだ、なに、クリス、かっこいい……!
ひどい、そのかっこよさでアルマをずっとひとりで待たせるつもり!?」
「うん。待ってて。会った時に他の家族なんかいたら、僕、寂しくて泣いてしまう」
そう言ってクリスはアルマの首に抱きつき、頬を寄せてくる。
うひゃあ……。
もう、なんなの、この小さなスーパーダーリンは………。
「分かったわ。クリスが会いにきてくれるの、待ってる」
「それまで、元気でいてね?」
「ええ。クリスも身体に気をつけて。
クリスらしい素敵な領主様になってね」
アルマはクリスの額に精一杯の祝福を込めてキスを落とした。
最後は涙でクリスの可愛い顔がよく見えなかった。
五日間馬車に揺られて王都へ入る。
王都の端の宿で一晩ゆっくり休んでから、小神殿に向かう。
二週間ぶりに会うジグルドと、簡素な聖句を聞いて、婚姻誓約書に無効の署名をした。
中央神殿に事前にお願いして、フォルマン男爵家から籍を抜いておいてもらったので、アルマはこれで普通の平民になった。なんだかやっと身の丈に合った立場になった気がする。
小神殿を出るところで、ジグルドが声をかけてきた。
「アルマ、この後、何か予定はあるか」
「特にないわ。中央神殿からは、いつ来ても良いって言われてるの」
「私の宿で食事をしないか」
「宿? タウンハウスに泊まってるんじゃないの?」
「………平民の女の憧れの宿というのを、とってみた」
「ぶはっ」
この後に及んで何を面白いことをしてるの、このイケメンは。
「甘味が素晴らしいと評判の宿だ。興味ないか」
「もしかして、わたしとごはん食べたいと思ってとってくれたの?」
「他に理由などない」
了承して馬車に乗り込むと、連れて行かれたのは豪邸のような建物だった。アルマでも知っている、タウンハウスを持たない貴族が使う宿だ。そういや平民の憧れの宿とは言ったが、平民が使う宿とは言わなかった。
ジグルドのとっている部屋はウィンターハーンのタウンハウスの部屋によく似た洒落た作りで、メイドが部屋まで食事を運んでくれた。食事はアルマに合わせて肉がなく、食後のワインもアルマ好みの甘いものが用意されていた。ジグルドの心配りに顔がほころぶ。
美味しい夕食を食べながらウィンターハーンでの思い出話に花を咲かせた。
彼の地での話ができるのも最後かもしれないと思うと、アルマは余計に饒舌になった。
良い気分で中身の少なくなったワイングラスを回す。
暫く自分の手元を見ながら黙り込んでいたジグルドが顔を上げた。
「アルマ。あなたは今、誰か想う男はいるのか」
「えー? いないわよぉ。突然なぁに?」
変な質問にくすくすと笑うアルマの答えを聞いてジグルドは蒼玉の指輪を外し、テーブルに置く。
「アルマ。今夜、あなたを買いたい」
ジグルドの言葉に、一瞬、アルマの頭は真っ白になった。