軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

天狼

大森林の砦から領都へ向かう道を騎馬の一行が進む。静かな森の中に蹄が地面を踏み締める音が響く。昨夜降り始めた雪がまだちらほらと降り続いていた。

常緑樹の多い道程は枝葉に守られて積雪が少ない。一日もあれば森を抜ける見込みなので、激しく降らないうちにと朝早く出発した。兵士の半数と使用人たちは次の晴れに徒歩で撤収することになった。

白い雪が薄らと地面を覆っている。砦への道は基本的に緩い傾斜で馬の通行に問題なかったが、ところどころ道の脇に斜面があり、一行は慎重に馬の足を進めた。

この辺りは魔獣が少ない。危険な魔獣は天狼くらいだ。天狼避けの鐘というものがあり、天狼はこれを鳴らしていれば基本的に近寄ってこない。ジグルドとアルマとマークを挟むように兵士たちが進む。

兵士のひとりが絶えず鐘を鳴らし、残りは魔獣に備える。乗馬が得意でないアルマの馬の手綱はジグルドが握っていた。

出発前にマークにジグルドとの相乗りを提案された時の、アルマの硬直した顔がまだ胸に刺さっている。

砦で手を握ることは、必要だから許されていた。友人だから気を許していたのもあっただろう。

ふたりきりの部屋で迫られて、怖い思いをさせたかもしれない。……嫌われてしまっただろうか。

いや、素敵だとか見惚れるとか、気もない男に言うアルマも悪い。

かっこいいと、何度も言ってきたあれは何だったんだ。

ついそんなことばかり考えてしまうジグルドの進行方向に突然何かが飛び出してきた。

茶色い動物が目の前を駆け抜けた瞬間、ジグルドの馬が驚きに跳ね上がる。ジグルドは慌てて手綱を握る。馬の脚が道を踏み外してバランスを崩し、もつれるようにして斜面へと引き込まれていく。

考え事をしていたジグルドは一瞬判断が遅れ、アルマの馬の手綱を手放せなかった。

何とか体勢を立て直そうと暴れる馬に振り落とされ、ふたりは嘶く二頭の馬とともに斜面を滑る。枝や根を避けることもできず、どんどん兵士たちとの距離が広がる。上の方からジグルドを呼ぶマークたちの叫びが降ってくる。

漸く滑落が止まって、ジグルドは慌てて身体を起こしアルマを捜した。

臙脂色のコートを目印に駆け寄る。

「アルマ。大丈夫か」

「うん、大丈夫……」

腕を引き起こしながら髪に絡む枝葉を払ってやる。ジグルドもアルマも怪我はなさそうだ。

見上げるとずっと向こうのほうでマークたちが騒めいている。ジグルドが手を掲げるとマークが同じようにした。

「アルマ、怪我はないな?」

「うん。馬が、逃げちゃった……」

「あれらは訓練されている。じきに戻ってくると思う」

坂の上の兵士が進行方向を示して叫ぶ。

「閣下! 向こうに進めば二十分ほどで合流できると思われます! 馬を引く者を除き、我々もそちらへ参ります! そのまま―――」

「ジグルド! 後ろ!」

兵士の言葉をマークが遮った。

反射的に振り返ると、森の木々の向こうから白い塊がこちらを見ていた。

まるで雪の結晶から産まれたような白い体躯、全てを見透かすような深い緑色の瞳。森の王とも呼ばれる美しい魔獣。

―――天狼。

白い巨体が足音もなく、影が滑るように大地を踏みしめる。動くたびに白い毛並みが風に揺れた。

ジグルドの背中に汗が滲む。

(鐘から、離れすぎている………)

この真冬の最中、そこそこの大きさの獲物を見逃すはずがない。

訓練された思考回路が素早く動く。ここでアルマを盾にしても、天狼はアルマを瞬殺してジグルドをも狩るだろう。ジグルドが盾になればアルマよりは時間が稼げる。アルマは走れば隊列に合流できる可能性は高い。

弾き出された解答に満足してジグルドは自分でも気づかないうちに笑う。

―――よかった。

助かる可能性があるなら、ジグルドは領主として自分の命を優先させねばならない。

―――アルマを盾にしなくても、いい。

また領主を失う領民には申し訳ないが、アルマを差し出して助かった命でここからの人生を生きていけるのか、ジグルドには分からなかった。

本来なら今回の祈祷にジグルドが付いてくる必要はなかった。余裕のある冬の間、アルマと同じ時間を過ごしたかったジグルドの我儘だ。

リスクは許容範囲だと判断した。ただ運がなかった。

「逃げろ」

天狼とアルマの間に場所取り、背中でアルマを庇う。

「何とか足留めする。隊列に戻れば鐘がある」

短剣の柄に手をかける。

「アルマ、逃げろ!」

天狼を少しでも引き離そうと動いたジグルドの足にアルマがしがみついた。

雪で滑って踏ん張れずに勢いよく転ぶ。

慌てて頭を持ち上げると、アルマの胸に抱き込まれる。

「アルマ、何を」

「刺激しないで」

低い唸り声を鳴らしながら、警戒した足取りで白い塊が近付いてくる。

短剣の柄を握ったままのジグルドの手を、アルマの手が押さえる。

「刺激しないで」

アルマの目は真っ直ぐに天狼を見据えている。

白い頭がぬっと近寄る。

―――もう、この距離では、ふたりとも逃げられない。

天狼は鼻先をアルマの頭に擦り付け何かを探っている。生臭く温かい息がその牙の間から漏れる。低い唸り声が強い苛立ちを表している。

………なぜ、牙を剥かない。この時期は魔獣に限らず全ての動物が飢えに耐えているはずだ。

冷たい風音と天狼の唸り声を聞きながらじっと息を潜める。

暫くじっとしていると、ぽたり、と頬に雫が落ちた。

ぽたぽたと落ちてくる雫がジグルドの顔を赤く汚す。

視線を上へやると、アルマの鼻と目から血が滴っている。

「…………!?」

目を見開いた途端、叩かれた犬のような悲鳴が耳を劈き、天狼が転がるように逃げだした。

何が起きたのかと呆然としてしまう。

「……助かったのか」

坂の上から、鐘を抱えた兵士が滑り落ちてくる。

「閣下! 閣下、ご無事ですか!」

「ああ、私は―――」

どさり、と横でアルマが雪に倒れた。

アルマの青い顔から滲む血が、雪の白をじわじわと染める。

赤と白のコントラストが、不吉なほどに鮮やかだった。