作品タイトル不明
口さがない使用人
ヴァレンティナに髪を編み込んでもらった姿のまま、今度こそウーリクを探そうと渡り廊下を歩いていると、ばったりとジグルドに出くわした。今日も今日とて美青年だ。
灰色の目と視線がぶつかる。
「おはよう、ジグルド」
「……不満があるなら言えと言ったはずだ」
藪から棒になんだ。
「不満なんてないわ」
「ではなんだ」
「なにって、挨拶しただけじゃない」
「私の顔を見て不快な顔をした」
え!? そうなの?
普通に笑ったはずだったのに。
「それはっ、……ちょっと、朝からお元気ねって思っただけよ」
自分の台詞に驚いてアルマは手で口を塞ぐ。
なんだそれ。
わたしは何を言ってるんだ。
ジグルドは無表情のまま少し首を傾げた。
「私が元気だと何か不都合があるのか」
「……ないわ」
「あなたがドレスも宝飾も売り払うから、何を贈ればいいのか分からないだけで、贈答の意思も予算もある。練習中ということで話がついたと思っていた。要望があれば可能な範囲で対応する」
「要望なんか、ないわ……」
ヴァレンティナに何か忠告されたんだな。お気に入りの娼婦との報連相が徹底してますね、閣下。
微妙な沈黙が降りる中、窓の下から使用人たちの雑談が聞こえてきた。
「聞いたか、奥様の話。イングリッド様の仕事も何ひとつ満足に引継ぎできなかったくせに、貴金属商会の支援だけやってるらしい。強欲って噂だったもんなぁ」
「鉱山の視察で泥だらけで岩を登ったりしてたらしいぜ。貴族の女が、猿じゃあるまいし」
「あんな町娘みたいなのが奥様じゃ、領主様もお恥ずかしいだろうに」
「娘って歳でもねぇだろ。息子の嫁にって言われてもお断りだ」
「マリールイーズ様も奥様が追い出したんだろ」
「そりゃあ、比べて勝てるところねぇからな」
けたけたと嘲笑が聞こえる。
ジグルドの目がすっと細められた。
「全員解雇する」
「やめてやめて! 別に気にしないわ、ほんとのことだし」
慌ててジグルドの袖を掴んで制止する。
窓下では楽しげな談笑が続いている。
おっちゃんたち!
とっとと解散してくれんかな!
アルマの心中の警告は残念ながら男たちには届かない。
「ここだけの話……こないだ流行り風邪で死んだ騎士様がいただろ。あれ、奥様がやったらしいぞ」
「どういうことだ?」
「風邪で弱ってるところに、呪いでとどめをさしたとか。あの騎士様、ずいぶん奥様のこと悪く言ってたからなぁ」
アルマの背中にぞっと寒気が走る。
数日前の西棟で祈祷した男のことだ。
ジグルドと目が合って、アルマは慌てて首を振る。
「してない。そんなこと、してない」
「分かっている」
即座に否定してもらえて、目に涙が滲む。足に力が入らなくて壁に凭れるように座り込んでしまう。
びっくりした。
どうしようかと思った。
だって、やってないって、証明のしようがない。
―――実際、やろうと思えばできる。
ジグルドは証明のしようのないところでアルマを信じてくれている。
これ以上、何の不満や要望があるだろう。
ジグルドの袖を掴んだまま震えそうになる手をなんとか放すと、男たちの側から聞き慣れた声が響いた。
「馬鹿なこと言ってんじゃありませんよ!」
イゾルデの侍女のローラだ。
普段アルマにマナーの講習をしてくれる時は「声を荒らげるなど淑女としてあるまじき」と声を酸っぱくして言っているローラが、大きな声で男たちを叱り飛ばしている。
「アルマ様はそんな方ではありませんし、それはちょっと言動が軽率ですけれども、お前たちなんかよりずっと努力されてます! つまらないこと言ってると、イェンスに報告してクビにするわよ!」
緩んでいた涙腺が決壊した。
ぼたぼたと涙がこぼれる。
努力してるって、言ってくれた。
いつもつんと澄まして「まだまだです」ばかり言うローラが。嬉しい。
いつも祈祷が優先で、それ以外のことはどうしても後回しにしてしまう。それでも、その中で頑張っていたのを認めてくれて、アルマを庇ってくれた。
全力でやっている祈祷を評価されるのはとても嬉しくて誇らしい。祈祷しかできないアルマの、それ以外を評価してもらえるのは、とても心慰められることだった。
涙の止まらないアルマにジグルドがハンカチを差し出してくれる。
素直に受け取って涙を拭う。
仄かに薔薇の良い香りがする。
「ありがとうジグルド」
ハンカチを差し出すイケメン、かっこいい……ヴァレンティナの香りじゃなければ、満点だったわ……
ジグルドは少し逡巡してから、苦い顔でアルマの横に同じように座った。
「妻であるあなたが軽んじられるのは私の責任だ。規律を正すよう通達しておく。貴金属商会への支援は、早めにあなたから引き継ぐ形で誰かに移す」
「えっ? 別に気にしないわ」
「泣いているじゃないか。いくら私でも、つらかったら女は泣くということくらい知っている」
「これはローラさんが褒めてくれたのが嬉しかったからよ!」
ジグルドがアルマの顔を覗き込む。
「…………嬉しい? 泣いているのに?」
「ジグルド。人は、嬉しくても泣くし、男でも泣くのよ……」
もしかして、ブリキ閣下は泣いたことがないのか。
「ジグルドだって、つらかったり嬉しかったりしたら、泣いていいのよ?」
「馬鹿を言うな。そんな惰弱な領主では領民の不安を煽る」
そんなものか。領主とは大変な立場なんだな。
泣くのは悪いことじゃない。
泣くだけ泣いたらすっきりして、次のことを考えられるようになることが多い。
中央神殿に入ってから、いつの間にかアルマは泣き虫になってしまって、よくラウルに鬱陶しそうな顔をされた。でも、ほんとにつらい時は、師匠がいなければ黙って肩を抱いてくれた。
ジグルドは泣かないのだろうか。つらい時はどうしてるんだろう。
「じゃあ、わたしとふたりきりの時ならいいんじゃない? わたしはジグルドが泣いてたら、心配はするけど不安になんかならない。落ち着くまで背中を撫でててあげる」
そう言うと、ジグルドは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「………そんな、ことは、必要ない」
そうか。残念。
まぁ肩書だけの妻の前で泣いたりしないか。
ジグルドには可愛い恋人もお気に入りの娼婦もいるものね。