軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

春が来る前に

ジグルドに促されてソファに座る。

テーブルの上の資料が何なのかは分からないが、ひとつがアルマの目に留まる。

地図だ。おそらくウィンターハーン領の……街道図? 河川や山林が詳細に描かれている。

後で良く見せてもらおう、と思っていると、アンダースがてきぱきと書類を纏めてしまった。ジグルドのデスクに仮置きして、空いたテーブルに湯気のたつカップをふたつ置く。

「紅茶です。お好きですか?」

「ありがとう。飲んだことないわ。どんな味なの?」

「ハーブティーより、渋みがあります」

「渋いの……?」

肩を落としたアルマにアンダースがにこりと笑う。

「お口に合わなければ、ハーブティーをお淹れします」

恐る恐る口をつける。渋いと言うほど渋くはない。ハーブティーの優しい香りとは違う、芳醇な深い香り。

「味はよく分からないけど、良い香り」

「いかがいたしますか? ハーブティーにしましょうか」

「ううん。大丈夫。ありがとう」

アンダースは頷いてから、ジグルドの座るソファの後ろに位置取る。

ジグルドが紅茶をひと口飲んでカップを置く。

「……ベンジャミンの言動が気分を害したならすまない。私はあなたが男にだらしがなかろうが全く気にしない」

「閣下。そのフォローは最悪でございます」

アンダースの容赦のないツッコミにアルマは危うく紅茶を吹き出しそうになる。

「……アンダース。お前、今日はやけに口を挟むな」

「恐れ入ります。アルマ様は大切な奥様でいらっしゃいますので。閣下が誤解を受けそうな時にはお助けするよう、マーク様から強く言われております」

「誤解とはなんだ。臣下の非礼を詫びただけだろう……」

「やはり閣下を社交に出すのはまだ早いと、イゾルデ様に報告しておきますね」

目の前のやりとりにアルマは微笑ましくて笑ってしまう。

マークといいアンダースといい、暴君に対する態度では全くない。ベンジャミンの怒りもジグルドを慕ってのことに見える。

ジグルドは皆に大切にされている。

いいな。

師匠とラウルは、どうしてるかな。

「それで、あなたの話は何だ」

ジグルドの声に、アルマは本題を持ち出す。

「あ、そうです。春が来るので、準備したいんです」

季節の変わり目には霊気の強い流れが生まれる。特に春と秋のものは強く、これをうまく流すと土地の収穫が上がる。

霊脈を整えるだけでは、必ずしも人に都合の良い結果を齎すわけではない。霊流を人の生産活動に都合良いように調整する、それが中央神殿の立てる祈祷計画だ。

あと一週間ほどで来るであろう春の大波。今のままでは澱みに捕まって碌に巡らずに散ってしまう。これをどこに流すべきか、今日明日中に決めたい。

「よく分からないが、改善する土地を選ぶということか」

「そんな感じです。全体的な底上げはもちろん徐々にやっていきたいですが、春を無駄にするなんて勿体無い」

そこまで熱弁してから、ふと我に返る。

「―――あ、その、………絶対成功するとか、そういう保証はないんですけど。いや、無理かもしれないんだけど……寧ろ、無理な可能性の方が、高いかも……」

尻窄みになっていくアルマをジグルドが睨む。

ひぃ。

そんな、怖い顔しなくても。

肩を竦めていると扉がノックされる。

「ジグ。俺だ。今いいか」

「入れ」

ジグルドの許可を得てマークが入ってきた。

「あれ? アルマ様」

軽い口調にアルマはほっと肩の力を抜いた。

「アルマ様。もう体調は大丈夫なんですか」

マークの質問に、かっと頭に血が昇る。

ジグルドが怪訝な顔をした。

「体調?」

「今日神殿で―――」

「―――マーク! 余計なこと言わないで!」

大口を叩いておきながら捉えることすらできなかったばかりか、油断していたせいで乱されてしまった。とんだ醜態だ。

「いや、あんな風に倒れたら、ジグルドに報告しないわけには」

「わ―――!?

マーク! ひどい! 新入りの失態を暴露するなんて! そんなヤツじゃないと信じてたのに!!」

「えぇ……?」

「アルマ。祈祷の成否にかかることなら私は知る必要がある」

冷ややかな声に、アルマの心臓が絞まる。

「失敗、したわけじゃ……」

「では成功したのか」

威圧的な口調。さっきまでの微笑ましい雰囲気はもはやない。若くても、気安いところがあっても、少女に恋をしていても―――この人はこの土地に住む全ての者の主なのだと思い知らされる。

スカートの布に縋るように拳を握りしめる。

―――祈祷師祈祷師と言うわりに、祈祷の何たるかなど全然分かっていないくせに。

首をもたげたそんな不満を、アルマは静かに深呼吸して逃す。

落ち着け。

この人は友達でも家族でもない。

わたしは結納品を報酬として費消した。

この人は、わたしの祈祷を買った『顧客』だ。

祈祷の成功とは、土地が整うこと。おそらく時間をかければアルマはウィンターハーンを捉えられると思う。だがジグルドの言う『成功』の意味は、土地の収穫があがるなどの成果を指すのだろう。

「春の波を上手く流すことができれば、土地の実りは良くなる可能性が高いです。そのための情報と、相談できる相手が欲しいと申し上げてます。

可能性があるというだけで、確実なことは何ひとつ申し上げられません。本来祈祷の計画は連綿と積み重ねていくもの。二十年もそれを放棄した土地で、素人のわたしが一日で考える計画の効果を述べろと言われても不可能です」

射抜くような灰色の目を、アルマは真っ直ぐに見返した。

仕事だと思えば恐怖心には蓋をできる。

仕事をするのだ。

カイヤ師匠が育てた祈祷師として、恥ずかしくない仕事を。

「神殿から神官を借りられれば綿密な計画を立ててくれると思います。でもそれでは今年の春に間に合わない。わたしがやるしかないです」

暫くアルマを睨んでいたジグルドは、額を押さえて考え込む。

「……その話は、私も聞きたい。明後日ではだめか」

「もう既に、間に合わない可能性の方が高いです」

「……マーク。明日の視察、ひとりで行けるか」

「行けるけど、俺ひとりで行ったら管理官はヘソを曲げるぞ」

「……………分かった。アンダース、ウーリク先生に話は通してあるな?」

「はい」

「アルマ。ウーリク先生は領の産業に詳しい。昔中央神殿の神官たちの対応をしていたこともある。昨日あなたのことは伝えてあるから資料は準備しているはずだ。明日の朝から対応していただく。何でも聞くといい。

私の側近のエリックが同席する。どの地域を優先するか、エリックとウーリク先生と三人で決めろ」

「はい」

「今回の結果がどうであろうが、あなたの責は問わない。

だが、収穫の多寡は民の命を左右すると肝に命じろ」

「はい」

とりあえずの要望が全て通って、アルマは口を引き結ぶ。あとは自分がどこまでやれるかだ。

中央神殿で、アルマは色んな仕事を請け負って小銭を稼いでいた。アルマは決して賢くも器用でもない。だからこそいつも自分にできる最良の結果を出すよう努めてきたつもりだ。

だがこんな、アルマひとりの成果に人の命が左右されるような仕事はしたことがなかった。

胃袋に重みを感じながら立ち上がる。

「お時間いただいて、ありがとうございます。失礼します」

ジグルドは軽く頷いて、全員に退室を命じた。

自室への廊下を歩くアルマの少し後ろをマークとアンダースが続く。

「………アンダース。新婚夫婦路線から外れた感がすげぇんだけど、こっから盛り返す目はあると思う?」

「………時間です。女性には時間が必要なのです、マーク様。失点を抑えていくことが、わたくしどもの頑張りどころですよ」

考え込むアルマの耳には、ふたりの忍び声は届かなかった。