作品タイトル不明
余話 ゴーツ・アルデンティア戦線
アルデンティア歴三〇九年。
ゴーツ王国が本格的にアルデンティア国境を侵してきて、両国は開戦した。
この戦いはゴーツ王国の狼藉に辟易していた周辺国の支援のもと、ゴーツ王国の完全降伏が方針とされた。生贄という習慣を地上から廃すべきとして、普段防衛戦以外を非難する中央神殿も賛同した。
王命の届かないウィンターハーン辺境軍も助成を請われ、辺境伯領はその対価として直轄領への通行権と穀物支援と、辺境伯が前線にいる期間の祈祷師の貸与を得た。
開戦から半年。膠着の続く前線のウィンターハーン辺境軍では、定期的に夜に緊張をほぐすための酒が振る舞われる。
ジグルドは以前よりも臣下に酒の席に誘われることが増えた。マークにはジグルドが柔らかくなったせいだと言われる。
男ばかりの酒の席では、女の話になることが多い。戦場で兵士相手に商売をする女、過去に抱いてきた女、手に入らなかった女、地元で帰りを待ってくれている女。男にとって女がこれほどの重要度である意味を、過去のジグルドは単に性欲だと思っていた。今も相変わらず過半は聞くに耐えないが、今は、そればかりでもないと分かる。
そんな雑談の中で、行為に及ぶ前には、特に初めての女の場合は事前に身体を解してやるべきだったと知って青褪めた。
アルマはあの日、起きられないと言ってベッドから出てこなかった。もしかして身体を酷く傷付けてしまったのでは。今も痛い思いをしているのでは。―――子を孕めなくなっていたりしたらどう償えばいいのか。
花屋にいたアルマがそんな事を知らないはずがない。買われた身だから、言えなかったのだ。身勝手に抱くジグルドをどう思っただろう。
もしかしてアルマはもう他の男の種を孕めないのでは、と思った瞬間、仄暗い喜びが頭を掠め、最低な自分と大切な人を傷付けた後悔で酷く落ち込んだ。
時折、彼女との夜を思い出す。
気が触れるほど気持ちよく、幸せな時間だった。
彼女に全てを受け入れられて、自分も誰かの愛を願っても良い存在なのだということが何の抵抗もなく腹に落ちた。
男の欲を吐き出すための排泄行為だと思っていたそれは、愛を伝える手段だったと知った。
あの柔らかく温かい身体の全てに触れて、自分が生きて、この人と交わっているという事実に心が震えた。
身体が辛かっただろうに、アルマはジグルドのすること全てを受け止めて応えてくれた。
分かっている。
彼女にとっては代金の対価を提供していただけだと、頭ではちゃんと理解している。
それでも、この感謝と幸福は、きっと生涯失われることはない。
ジグルドはアルマよりも領の未来を選んだ。
そのこと自体に後悔はない。
だが、別れ際に顔が見れなかったことがずっと心残りだった。
「閣下!」
高台から遠くを見ていたジグルドに、明るい声で男が駆け寄ってくる。
「マーク。戻ってたのか」
「今戻ってきたとこですよ。捜しました」
国をひとつ落とす戦争は長引く。当初一緒に来たマークは、ウィンターハーンの様子を確認するために半月前に前線から離れていた。
「領内は恙無く。新しい祈祷師も馴染んできたし、収穫は増えそうだそうです」
「そうか。うちの幹部は優秀だからな」
「魔獣も少し減りましたが、今年の冬は領の軍が手薄なので、被害は増えそうですね」
「そうか……已むを得ない。できることをするしかない。
ご苦労だったな。他に何か話はあるか」
そう言うと、マークはにやりと笑って上目遣いにジグルドを見た。
「へへっ。聞きたい? 聞きたい?」
「………何だ」
マークが封筒を差し出す。
イゾルデからの手紙だ。
視線で急かされて、ジグルドは小刀で封を切る。
出征と引き換えに借りた祈祷師を、次の派遣計画までこのまま借り続けられることが決定したと、生真面目な文字で綴られていた。
マークの顔を見る。
嬉しそうににこにこ笑う幼馴染が、鼻の下を指で擦った。
「クリストファー様から伝言です。
イゾルデ様とラース様が御膳立てしてくれたので、あとは閣下の甲斐性だけですよ、と」
うまく意味が飲み込めず、手紙とマークを何度も見比べる。
眉を下げたマークがジグルドの肩を抱く。
「城の皆が、アルマ様を迎えに行っていいって、言ってんだよ」
予想外のことに呆然としてしまう。
「…………いや、だが、
アルマは別に、私を待っているわけではないし……」
「口説いてこいよ」
「いや、………しかし、アルマは可愛い。きっともう新しい相手が」
「結婚さえしてなければ、戦ってこい」
「…………………しかし、そんな、」
そんなことを、望んでもいいのか。
アルマはもう祈祷師ではない。社交の後ろ盾があるわけでもない。軍を率いることも、施政を率いることもできない、ただの女だ。ウィンターハーンに何のメリットも齎さない、ただの、可愛い女。
「………私の妻にするなら、何か、領にメリットが」
「エリックが、お前が元気に生きてくのに必要なコストだって言ってる」
「それは」
それはそう。
そう、領主の健康に寄与するのはメリットのはずだ。であれば。
アルマを、口説きに行っても、いい………?
漸く飲み込んだ幸運に、ジグルドの心はふわりと温かいものに包まれ、直後に氷水をかけられたように凍える。
(―――私は、金品でアルマの純潔を散らしたんだが………!?)
まずい。
泣きそうだ。
何をしてしまったんだ。
今から挽回することなど可能なのか。
友人として心砕いてくれた人を金で抱いた。怒っていても怒っていなくても望みなどないのでは。
―――だけど。
アルマ。
アルマに会いたい。
もう、触れることすら叶わないとしても、もう一度会いたい。
少なくとも、謝罪して、想いを伝えることができる。
それだけでも。
ほど近い距離で爆音が聞こえる。
「敵襲! 敵襲―――!」
伝令兵の喚呼が響き渡る。
「まぁとりあえず、これを終わらせて無事に帰るところからですね」
「そうだな」
イゾルデの手紙を封筒に戻して胸元に仕舞う。ジグルドはマークと指揮本部へ向かって駆け出す。
まずはこの戦いを終わらせることからだ。
まず、彼女の生きる、あの国を守る。
そして、生きて彼女に会いに行く。